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三国志  作者: 大田牛二
第四章 天下の命運
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楽進

 205年


 正月、曹操そうそうが南皮を攻めた。しかしそこで袁譚えんたんが出撃し、奇襲を仕掛けたため、曹操軍の多くの士卒が死んだ。


 曹操は一度撤退を考えたが、議郎・曹純そうじゅんが進言した。


「今は縣師(懸軍。敵地に入って孤立した軍)が深入りしており、持久は困難です。もし進んだにも関わらず、克てずに退けば、必ずや威を喪います」


 そこで曹操は自らばちを持って戦鼓を敲き、攻撃する兵を統率することで奇襲を受けたことでの混乱を鎮めて、立て直した。これにより曹操軍は袁譚軍を破った。


 袁譚は城を出て逃走したが、曹純が彼を追いかけ、斬った。袁譚の妻子も誅殺された。


 南皮城にいる李孚りふが自ら冀州主簿を称し、曹操に会見を求めた。


「あの男か」


 以前、曹操の軍吏のふりして鄴城に入り、その後も堂々と脱出してみせた人である。彼は袁尚えんしょうの元に行こうとしたが、袁尚が敗北して幽州に逃れてしまったため、袁譚の元に合流していた。


「会おう」


 曹操は李孚に会った。李孚は言った。


「今、城中では強弱が互いに侵犯し、人心が混乱しています。新たに投降して城内で信が知られている者に命じて、命令を宣伝するべきだと考えます」


 曹操はすぐに李孚を送って入城させ、吏民に告諭した。それぞれ故業に安んじさせ、互いに侵犯できないようにした。


 その結果、城中が安定した。


 曹操は捕らえた郭図かくとらとその妻子を斬った。曹操からして郭図はいらない才能であった。


 これ以前に袁譚が王脩おうしゅうを派遣して楽安から南皮に食糧を輸送させていた。


 王脩は袁譚の急を聞くと、自分が管理する兵を率いて救援に赴いたが、高密に至った時、袁譚が死んだと聞いた。王脩は馬から下りて号哭し、


「主を無くしてしまった。どこに帰ればいいのか」


 と言った。


 その後、王脩は曹操を訪ねて袁譚の死体を埋葬することを乞うた。曹操は彼の忠義心を褒めて、これを許可し、王脩を再び楽安に還らせて軍糧を監督させた。


 袁譚の管轄下にあった諸城が全て曹操に服したが、楽安太守・管統かんとうだけは降ろうとしなかった。そのため曹操は彼を攻撃して捕らえた。


 曹操は王脩に命じて管統を処刑させようとした。しかし王脩は管統を亡国の忠臣とみなし、縛っていた縄を解いて、曹操を訪ねに行かせた。


 悦んだ曹操は管統を釈放し、王脩を招いて司空掾にした。


 この時、郭嘉かくかは曹操を説得し、青・冀・幽・并州の名士を多数招聘して掾属にすることで人心を帰附させるべきだと勧めていた。彼らを許していくのはこの進言に従ったためであろう。


 官渡の戦いの際、袁紹が陳琳ちんりんに檄書を作らせ、曹操の罪悪を数え上げて譴責した。その内容は家世(先代)に連なり、極めて醜く罵るものであった。


 袁氏が敗れてから、陳琳は曹操に帰順した。曹操は言った。


「汝は昔、本初(袁紹の字)のために檄文を発したが、我が身の罪だけを宣布すればよいのに、なぜ上は父祖にまで及んだのだ」


 胡三省が陳琳による檄文の大略を書いているため載せる。


「曹操の祖父・騰は左悺、徐璜と並んで妖孽(禍害。姦邪なこと)を為し、貪婪かつ横暴で、教化を損なって人を害していった。父・嵩は攜養(宦官が養子を取ること)を乞い求め、それによって貪汚して官位を買い、鼎司(重臣の地位)を盗み取った。操は姦悪な宦官が残した醜類であり、軽率狡猾で権勢に頼って人を虐げて、乱を好んで禍を楽しんでいる」


 また、曹操が賢人に対して残暴で、善人を害し、朝政を専制し、墳陵を発掘した罪等も譴責した。


 陳琳が曹操に謝罪すると、曹操は陳琳を赦して陳留の人・阮瑀げんうと共に記室を管理させることにした。


 曹操は冀州を平定してから令を下してこう言った。


「袁氏と共に悪を行った者も、これからを新たな始まりとしよう」


 曹操は令を発して民が私的な讎に報復できないようにし、厚葬も禁止して、全て法によって統一した。


 以前、漁陽の人・王松おうしょうが涿郡を占拠していた。この頃、郡の人である劉放りゅうほうが王松を説得し、その地を挙げて曹操に帰順させた。その際に劉放が文章を書いて曹操に送っており、曹操はそれを読んで彼の才能を感じ、劉放を招いて軍事に参画させた。


 後に魏の明帝・曹叡そうえいの側近となる人物である。


 袁熙えんきがその将・焦觸しょうう張南ちょうなんに攻撃されたため、袁尚と共に遼西烏桓に奔った。遼西烏桓の主である蹋頓とうとつはこれを迎え入れた。


 焦觸が自ら幽州刺史を号した。諸郡の太守や令長を駆率し、袁氏に背いて曹氏に向かわせた。数万の兵を並べてから、白馬を殺して盟を結び、令を下して、


「敢えて違える者は斬る」


 と言った。衆人で焦觸を仰視できる者はなく、それぞれが順に歃血をしていった。因みに「歃血」は犠牲の血をすするか顔に塗ることで、盟を結ぶ儀式のことである。


 別駕・韓珩かんえんの番になった時、彼は言った。


「私は袁公父子の厚恩を受けてきたが、今、それが破亡し、智は救うことができず、勇は死ぬことができなかった。義において欠けている。もしも曹氏に仕えるとしたら、それは為せないことだ」


 その場にいた人々は韓珩のために色を失った。


 しかし焦觸はこう言った。


「大事を挙げる時は、大義を立てなければならない。また、成功するか失敗するかは一人によって決まるのではない。韓珩の志を成就させることで、主君に仕えることの励みとできる」


 焦觸は韓珩を自由にさせた。


 こうして焦觸等がその県を挙げて曹操に投降した。皆、列侯に封じられた。


 曹操が袁譚を討伐したばかりの時、椎冰(氷を砕く作業)から逃げる民がいた。袁譚を討伐した時、川渠の水が凍っていたため、民に氷を砕かせて船を通していた。しかし民はこの労役を嫌って逃亡したのである。


 曹操は令を下して逃走した民が投降できないないようにした。


 暫くして、逃亡した民で門を訪ねて自首した者がいた。曹操は言った。


「汝を赦したら令に違え、汝を殺せば、自首した者を誅すことになってしまう。遠くに帰って自分の身を隠し、官吏に捕まらないようにせよ」


 民は涙を流して去った。


 しかし後には結局全て逮捕されてしまいた。非情と取るか公平と取るかは人それぞれである。


 四月、黒山賊の将・張燕ちょうえんがその衆十余万を率いて降った。曹操は張燕を安国亭侯に封じた。


 故安(地名)の人・趙犢ちょうせん霍奴かくどらが幽州刺史および涿郡太守を殺した。また、三郡の烏桓(烏丸)が獷平(県名)で鮮于輔せんうほを攻撃した。


 三郡の烏桓とは遼西の蹋頓、遼東の蘇僕延そぼくえん、右北平の烏延うえんを指す。


 秋八月、曹操が趙犢らを討って斬った。


 その後、潞水を渡って獷平を救った。


 烏桓は走って塞外に出た。


 十月、曹操が鄴に帰還するとそこで高幹こうかんが再び并州を率いて叛したことを知った。高幹は上党太守を捕え、兵を挙げて壺関口を守っているという。


 曹操はその将・楽進がくしん李典りてんを派遣して高幹を撃つことにした。


 楽進は字を文謙という。小柄な体格であったが、激しい気性の持ち主で、曹操が董卓に反抗して挙兵すると、その下へ馳せ参じた。


 曹操は当初、楽進を武将ではなく帳下の吏(記録係)として用いていた。あるとき楽進を出身郡へ帰らせて兵を集めさせたところ、楽進は千人もの兵を引き連れ帰還してきたという。これにより曹操は楽進を武将として起用することにし、軍の仮司馬・陥陣都尉に任命した。


 その後は数々の戦いで一番槍を努めていた人である。


 二人が進軍してくると高幹は野戦を仕掛けてきた。この時、猪突猛進を絵に変えたような男の楽進にしては珍しく奇策を用いた。山道を通って、高幹の軍の後方に出てきて、奇襲を仕掛けるというものであった。しかしこれに李典が反対した。


「確かにその策は大打撃を与えることはできましょうが、高幹を殺せなければ、難攻不落の壺関に篭られる可能性が高くなります。ここはもう少し壺関口から離れたところで打ち破ることで逃げられる前に始末できるようにするべきです」


 勝てる可能性が高いが捕らえるか戦死させることができるかどうかは微妙であるためそう進言した李典であったが、楽進は大打撃を与えて、高幹を戦死させることはできると考え、自分の策通りに動いた。


 結果、勝利した。しかし高幹には壺関へ逃げられてしまった。楽進、李典はこれを囲んだがここを陥落させるまでに時間がかかることになる。


 楽進は戦は強いが戦略を描ける将ではないようである。








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