孫乾
200年
董承らは劉備と謀をしていたが、実行する前に劉備が出兵してしまった。そのため計画に変更の必要性が生まれてしまったため、別のやり方を取ろうとした。
急な計画の変更は目立つものである。
正月、董承らの謀は漏れた。
曹操は董承および謀に関わった王子服、呉子蘭、种輯を誅殺し、彼らの三族を滅ぼした。
次に曹操は自ら東征して叛乱を起こした劉備を討とうと欲した。諸将がそろってこう言った。
「公と天下を争っているのは袁紹です。今、袁紹が攻めて来たばかりにも関わらず、これを棄てて東に向い、もしも袁紹が人の後ろに乗じたらどうするのですか?」
曹操は言った。
「劉備は人傑である。今、撃たなければ、必ずや後患になる。袁紹は大志はあるが、反応が鈍い、必ず動くことはない」
ここで『三国志・武帝紀』の裴松之注は孫盛の『魏氏春秋』から曹操の言葉を紹介しているため、載せる。
「劉備は人傑である。将来、寡人に憂いを生ませるだろう」
『劉備は人傑である』の後の原文は「将生憂寡人」である。この「将生憂寡人」は『春秋左氏伝』において呉王・夫差が言った言葉である。夫差は死ぬ前に、
「句践は寡人を憂いさせるだろう」
と言った。裴松之は孫盛のこの記述を引用した後、こう否定している。ここに彼の歴史を見る上での心得と後世の歴史家の苦労が見える。
「史書が言葉を記録する時は、既に多くの潤色をしているため、以前に記載されて述べている内容には事実ではないこともある。元々潤色されているものにも関わらず、後の史家が更に創作してしまえば、ますます真実から遠くなってしまう。孫盛が書を作る時は、その多くが『左氏(春秋左氏伝)』を用いて旧文(『春秋左氏伝』の文)を換えており、このようなことは一つではない。ああ、後の学者はどこから真実を得るのか。そもそも魏武(曹操)はまさに天下を目標にして志を奮わせているのに、夫差の死ぬと決まった時の言葉を用いるのは、最もふさわしくない引用である」
ここで面白いのは歴史書は潤色されているものであるという認識が書かれていることである。
話しを戻す。
郭嘉も曹操に出征を勧めた。
「袁紹の性格は鈍くて疑いが多く、すぐには攻めて来ない。劉備は挙兵したばかりであるため、衆心がまだ附いていません。急いでこれを撃てば必ず敗れることができる」
曹操はこの意見を受け入れ、兵を出して東に向かった。
これを受けて、冀州別駕・田豊が袁紹を説得して言った。
「曹操と劉備が兵を連ねれば、すぐに解くことはできません。公が軍を挙げてその後ろを襲えば、一度向かうだけで平定できることでしょう」
しかし袁紹は子供たちの中で特に可愛がっている袁尚の病を理由に拒否した。
この好機に兵を出せなかったため、田豊は杖を挙げて地を撃ち、
「ああ、またとない好機にあった時に、嬰児の病によってその機会を失ってしまうとは惜しいことだ。大事は去ってしまった」
「曹操が来ましたぜ、旦那」
簡雍が慌てて劉備の元にやってきた。
「曹操自ら来るとは……袁紹が怖くないのでしょうか?」
麋竺が冷や汗をかきながら言う。
「へっいいじゃないか。相手に不足無いぜ」
張飛は腕をまくる。
「張飛殿はこう言っておられますが……袁紹殿から援軍は来られるのでしょうか?」
麋竺は孫乾に問いかける。
「えっと、その……恐らく難しいと思います……」
孫乾は袁紹との同盟を結ぶ上での立役者というべき人であるが、そのため袁紹という人の本質も理解しており、援軍は出さないだろうと思っていた。
「なので……逃げることを中心に……考えるべきかと……」
「そうですね。将軍……私は孫乾殿と同じ意見で逃げるべきだと思います」
「いや、戦うよ」
しかし劉備は逃げずに戦うことにした。
「流石だぜ、兄貴」
張飛はそれでこそとばかりに言うが、麋竺たちは心配である。
「わかりやしたぜ、旦那。しかしながら援軍が来ないってのはきついので、どうです孫乾を袁紹の元に派遣して改めて援軍を乞うってのは?」
すると簡雍がそう言った。
「そうだね。また行ってくれるかい?」
「は……はい……」
劉備は頷き、孫乾にそう言うと彼は同意する。
「さあ、戦の準備をしましょうぜ」
「おおよ」
簡雍の言葉に答えるように張飛はさっそく兵に激を飛ばしに行った。
「では……私は……袁紹の……元へ……」
孫乾が行こうとすると簡雍が近づいた。
「旦那は曹操とやけに戦うことにやる気を出しるが、正直、勝つのは難しい。逃げ道を確保していってもらえますかい?」
「なるほど……わかりました……」
孫乾は劉備が敗れた際のことを考え、袁紹の元に逃げれるようにしに行った。
「あとは将軍の無事を祈ることですね」
「まあそこは大丈夫だと思いますけどねぇ」
麋竺の言葉に簡雍はそう答えた。
張飛を先鋒とした劉備軍と曹操軍はぶつかった。
「おりゃあ」
矛を振るい、張飛は曹操軍の兵たちを吹き飛ばしていく。
「あれは張益徳か、良い武勇をしている」
曹操は戦況を眺めながらそう呟く。だが、そんな相手とはいくらでも戦ってきた曹操軍である。張飛の攻撃の矛先を逸らすように徐々に張飛を誘導していく。
「今だ」
張飛を劉備本軍から引き離したところで曹操は曹純の黒豹騎を投入した。
劉備はそれに合わせるように糜芳に一部隊を率いさせ、防ごうとした。しかしながらあまりにも兵の質が違いすぎており、一撃で糜芳の部隊は大破され、曹純の黒豹騎は劉備の本陣を食い破った。
「さあ、一気に打ち破れ」
曹操は一斉攻撃を仕掛けた。これにより劉備軍は総崩れとなった。これ以上は無理と判断した劉備はさっさと逃走することにした。
「いやあ、相変わらず早いねぇ旦那」
(まあだからこそ命の心配しなくてもいいんだけどね……)
簡雍は主要な者たちを連れて劉備の後をついていく。
「叛乱を起こすぐらいであるからよっぽど勝因があると思ってみれば……」
曹操は少し呆れながら崩壊していく劉備軍の兵を全て収容し、将・夏侯博を生け捕りにした。そのまま小沛城を陥落させ、劉備の妻子を獲た。更に進軍して下邳を攻めた。そして下邳を守る関羽に使者を送り、降伏を呼びかけた。
前々から曹操は関羽のことを評価しており、劉備には勿体無い将であると思っていた。
「劉備様は敗北されたか……」
(やれやれ仕方のない方だ)
しかもその敗北を自分に知らせる前に逃走するのもあの人らしい。
「劉備様の妻子に手を出されぬことを条件に降りましょう」
こうして関羽は曹操に降った。
「曹操殿。降伏はしますが、あくまで主である劉備様のご妻子のためで、あなた様に忠義を尽くすつもりはございません」
関羽は曹操の目の前でそう言った。
「なんと無礼な」
曹操の諸将がそう言って憤るが、曹操は笑って言った。
「あなたが降伏してくれるならば、それでも良い」
(見事な忠誠心よ)
関羽のあり方に好印象を持っている曹操はそう思いながら彼を優遇した。
劉備に呼応して叛乱を起こしていた昌豨も曹操により打ち破られた。
こうして徐州は再び平定された。
逃走した劉備の元に孫乾が合流した。
「取り敢えず……青州刺史・袁譚様の……元へ」
孫乾は袁紹の元へ直接向かうと時間がかかると思い、かつて劉備に茂才として推薦していた袁譚の元へ向かっていたのである。
袁譚は快く歩騎を率いて劉備を迎え入れた。自分を推薦してくれた者は恩人として扱うのがこの時代の常識である。
劉備は袁譚に従って平原に至り、袁譚が使者を駆けさせて袁紹に報告した。
劉備が来たと聞いた袁紹は、将を派遣して道中で迎え入れさせ、自らも鄴から二百里離れた地まで迎えに行って劉備と対面した。劉備が袁紹に帰順すると袁紹父子は心を尽くして尊重した。
劉備が鄴に駐在して一月余り経つと、失った士卒が少しずつ集まって劉備に帰した。その間にふらりと劉備の元に訪れてきた男がいる。
「趙雲っ」
そう趙雲である。彼は兄の喪に伏すとして公孫瓚の元から去っており、その後復帰せずに河北をふらふらとしていた。そんな中、劉備が鄴にいると聞いてやってきたのである。
「改めてお仕えしたく参りました」
「いいのかい?」
「ええ」
「じゃあよろしく」
何度敗北しても劉備の元にはなぜか人が集まってくる。この辺りが劉備のある種の強さである。
「袁紹に仕えるのですか?」
「まあ、そうなるね。袁紹殿の元で曹操と戦わないとね」
「戦わないととは?」
趙雲が首を傾げる。戦わなければならないという言い方が不思議だったためである。
「なりたい自分のために戦うのさ」
劉備の言葉に趙雲は苦笑する。
「変わっておりますなあ……しかし、面白いですね」
趙雲は劉備という男に初めて会ってから不思議な人だとは思っていた。その不思議さは変わらないどころかますます増している。
(この方の傍なら面白いものが見れそうだ)
趙雲はそう言って笑った。
「次は曹操に勝ちたいな」
「ふふ、わくわくしますな」
次回は曹操VS袁紹の話。