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三国志  作者: 大田牛二
第四章 天下の命運
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風に逆らい、大樹とならん

 曹操そうそうが官渡に駐屯した。


 そんな中、曹操の常従士(常に左右に従う衛士)・徐他じょたらが曹操暗殺を謀っていた。曹操の帳に入った。しかしそこに校尉・許褚きょちょを見て顔色が変わった。


 何せ許褚は身長が八尺(およそ184cm)で腰周りが十囲(およそ120cm)あり、容貌は雄々しく毅然としており、その武勇と力量は人並み外れている豪傑である。


 許褚は曹操に仕える前は若者や一族数千家を糾合し、全員で砦を固めて賊の侵入を防いでいた。


 汝南の喝破の賊一万人余りが侵攻して来た際、多勢に無勢で疲労し、武器や矢弾も尽き果てるまで追い込まれた。許褚は城中の男女に湯呑みや枡ほどの大きさの石を用意させ、投げつけて抵抗させた。


 このように対抗していたが、やがて食糧が乏しくなった。そのため許褚は一計を案じ、賊と和睦を結ぶ振りをして牛と食糧を交換させた。賊が来て牛を引き取ったが、牛はすぐさま逃げ帰って来てしまった。


 すると許褚は片手で牛の尾を掴んで引き摺り、牛を賊の元へ返そうとした。約束したことは守らないといけないと思ったためである。しかし賊はそのことに驚き牛も引き取らずに逃げ帰ってしまった。この噂は豫州一帯に広がり、聞いたものはみな許褚を恐れるようになった。


 そんな彼が目の前にいるのである。顔色を変えるなという方が無理があると言っていいだろう。 そんな彼らの様子から変とは思わないほどには鈍く無い許褚は異変を覚り、徐他らを殺した。


「そうか……」


 許褚からこの話を聞いた曹操は袁紹えんしょうの差金かと思いつつも袁紹の性格をこのようなことをするだろうかと思うと首を傾げたくなる。


「別の者が動いているのかもしれんな……」


 確かに陰謀は発生していた。


 献帝けんていの舅(姫妾の父)に当たる車騎将軍・董承とうしょうは献帝から衣帯の中に隠した密詔(「衣帯詔」という)を受け取ったと称し、長水校尉・种輯ちょうしゅう、将軍・呉子蘭ごしらん王子服おうしふくらと曹操誅殺を謀り始めていたのである。


「劉玄徳を使う」


「劉玄徳を?」


 董承は陰謀の実行者として劉備りゅうびを使おうとした。


「彼は皇族だ。曹操が陛下を蔑ろにしていることに怒りを覚えているはずだ」


 この辺りの発想は王允が呂布を利用したのに似ている。


 また、この時劉備は曹操に信頼されていると思われていたというのもある。その理由は曹操がよく劉備と会話しているからである。


 ある時、曹操は劉備と二人っきりで食事をしていた時、曹操は平然とした様子で劉備に言った。


「今、天下の英雄はあなたと私だけであるな。本初(袁紹の字)の徒は数えるに足りない」


 どこまで曹操の本心かはわからない。彼は劉備という人の本質を未だに測りかねているところがあるためである。もしかすれば誂う意味で言っているのかもしれない。だとすれば案外、心を開いているとも言えるかもしれない。


 だが、劉備の反応は違う。この時、劉備は食事をしていたが、匕箸(匙と箸。食器)を落とした。


 ちょうど天が雷震を落としたため、劉備はそれを機にこう言った。


「聖人も『迅雷や風烈(激しい風)があれば、必ず顔色を変えるものだ(『論語』の言葉)』と言いました。真にその通りのようです。一度の雷鳴の威力がこれほど大きいとは思いませんでした」


 胡三省はこの時の劉備の言葉をこう解説している。


「劉備は曹操が自分を英雄だと認めたため、曹操が自分を害すことを懼れ、驚いて匕箸を落としたのだ。しかしその動揺を覚られないため、雷震に驚いて匕箸を落としたと弁解したのだろう」


 この内容はわからなく無いが実際のところ曹操はそこまで劉備に興味を覚えていないのと、この時の劉備は純粋に困惑したのだろう。


 彼は曹操を英雄だと思っており、その曹操に自分が英雄であると言われたことに困惑したのである。それを隠す意味で雷が落ちた際に彼は『論語』の言葉を含めて答えたのだろう。


 そんな劉備に董承は暗殺計画を持ちかけたのである。そのことに対して劉備はすぐに答えを出さなかった。


「劉玄徳は慎重だとは聞いていたが、これほどであるとは思わなかった」


 董承はそう言ったがそれでも劉備を利用しようと誘いを何度もかけた。それでも劉備は断固として同意しようとはしなかった。ここで面白いのはだからといって劉備はその計画を曹操に伝えなかったことである。


 そんな中、袁術が北の袁紹の元へ徐州を通ろうとしたため、軍を派遣することになった。すると劉備は自らその軍の将となることを求めた。曹操はあっさりとそれを許したが、彼の他に朱霊しゅれいとその副将・路招ろしょうを監督役としてつけた。


 程昱ていいく郭嘉かくか董昭とうしょうらが劉備が出兵すると聞いた時、これを諌めたが曹操は特に気にしなかった。ただただ首を傾げただけであった。









 劉備は馬に乗り風を感じる。


「いい風だなあ」


 そう思いながら彼はあることを悩む。


(英雄……私が英雄か……)


 曹操に自分が英雄であると言われたことについて彼は悩んでいた。


(そもそも英雄というのが何なのか私はあまりわかっていないんだよね)


 英雄と聞いて劉備が思い浮かべるのは曹操である。この時代の英雄は曹操である。そのことは劉備とて思う。だからこそその曹操が自分を英雄と言ったことに違和感が強かった。


「なぜ、こんなことに悩んでいるんだろうか」


 劉備は人からの評価を気にしない人である。呂布から罵倒されても可哀想な人だなぐらいの反応であった。それも若い頃、盧植ろしょくの下で学んでいた際、覚えが悪かったため同輩に笑われることも多かったという経験があることも影響している。


 そんな風に悩んでいる中、劉備の元に袁術が南へ逃走した後、死んだことが知らされた。


「袁術が……」


 劉備は風に靡く木々を見る。曹操という風が時代を動かしているのを感じる。袁術の死もその風を受けてのことではないか。その風によってやがて民という名の草木はますます靡いていくことだろう。


(それが自然の摂理だよね)


 風に草木は靡いていくものである。そのことは普通のことである。草木が風によって揺れているのを見ると思い返すのは故郷のあの大樹、あのような大樹のようになりたいと思い、ここまでやってきた。


「本日は風が強いですな」


 するとそこに関羽かんうが長い髭を揺らしながらやってきた。


「そうだね。木々が風を受けて揺れているよ。あの時、一緒に大樹を見ている時を思い出すねぇ」


 彼の言葉に関羽は目を細める。


「そうですな。あの大樹の雄大さは今日のような風にも決して揺らぐことの無いものでしたなあ」


(揺らぐことの無いか……)


「あの大樹は私が幼い頃からあのように雄大だった」


 長い年月の中で暴雨や暴風に吹き荒れてもあの大樹は揺らぐことなく、居続けてきたのだろう。だからこそあれほどの雄大な大樹へとなっていったのではないか。


「草は風に耐え続けて、木となり、木もまた風に耐え続けて大樹となる」


 ならば、曹操という風に耐え続ければ自分もあのような大樹となるのだろうか。


「関羽、決めたよ」


「何をです?」


 関羽は相変わらず掴みどころのない劉備の言葉に困惑しながら問いかける。


「曹操という風に逆らうことにする」


 劉備はそう言って笑う彼に関羽は言う。


「それはつまり……叛乱を起こすということですか?」


「そうだよ」


「なぜですか?」


 董承から曹操の暗殺計画を持ちかけても乗り気にならなかったにも関わらず、なぜここに来て叛乱を起こすというのか。


「大樹になるためには曹操という風に負けてはいけないと思うんだ」


(どういうことなのか……?)


「それで……叛乱を起こす上で董承と連携は……」


「いや、彼らとは何もやらないよ」


 関羽は驚く。


「だって、彼らから先に持ち込まれたあれに関わると……彼らのために戦うような気がするんだ。皇帝のためでもなく、彼らのためでもなく、私たちのために戦うんだからね。君の正義もそれは嫌でしょ?」


(私たちのため……)


 この行為は自分たちのため、誰でもない自分たちの正義のために戦うというのか。


(この人はあの時の大樹の下で話したことを忘れてはいなかったのか)


「わかりました。この関羽。そういうことであればもはや何もいいますまい」


「ありがとう」


 劉備は笑いながらそう言った。

 















「劉備が……」


 曹操は目を丸くしていた。袁術の死を知り、彼は朱霊と劉備の元に退却命令を出していた。朱霊は命令通り、退却したが、劉備は退却途中で下邳に入り、徐州刺史・車冑しゃちゅうを殺害し、関羽かんうを留めて下邳を守らせ、太守の政務を代行させると、劉備自身は小沛に還って駐屯したというのである。


 これに呼応するように東海の賊・昌豨しょうき(「昌霸」)が叛し、郡県の多くも叛して劉備に附いた。これにより劉備の兵は数万人になったという。


 更に劉備は使者・孫乾そんけんを派遣し、袁紹と連合した。


「あの劉備がなあ……」


「だから言ったのだ」


 郭嘉が呆れる一方、曹操はまだ実感が湧いていないようである。


 そんな曹操は司空長史・劉岱りゅうたいと中郎将・王忠おうちゅうを送り、劉備を撃たせようとした。


 劉岱は字を公山といい、沛の人である。司空長史として曹操の征伐に従い、功を立てて列侯に封じられた人物である。


 王忠は扶風の人で、若い頃、亭長になった。三輔が乱れると、王忠は飢饉によって窮乏して人を食ったという。後に同輩に従って南の武関に向かい、ちょうど婁圭ろうけいが荊州の劉表りゅうひょうのために人を送って北方の客人(流民)を迎え入れていたが、王忠は荊州に行きたくなかった。そのため同輩を率いて迎撃し、その兵を奪い、兵千余人を集めて曹操に帰順した。


 その後、曹操は王忠を中郎将に任命して征討に従わせてきた人物である。


 因みにこのような話が彼にはある。五官将であった曹丕そうひが王忠はかつて人を食ったことがあると知ると駕(恐らく曹操の車です)に従って外出した機会に、俳(俳優。芸人)に命じて墓地から髑髏を取って来させ、王忠の馬鞍に繋げて笑い者にしたという。


 曹丕の性格の悪さがわかる話であるが、王忠は人前で曹真そうしんが肥満であることを誂っていることからこの人もそこまで性格が良いわけではないことを思うとどっこいどっこいである。


 郭嘉は二人では勝てないと言ったが、曹操は二人を派遣した。


 案の定、劉岱らは勝てなかった。すると劉備は劉岱らにこう言った。


「汝らのような者が百人に来ても、私をどうすることもできない。曹公が自ら来れば、まだ分からない」


 劉備にしては珍しい言動である。


「曹操という風を感じなきゃ、意味なんて無い。彼と戦わなければ……私はあの大樹になれない」


 


 



次回も曹操と劉備の話。

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