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三国志  作者: 大田牛二
第四章 天下の命運
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関中と荊州

うちの劉備がどう曹操に反抗させるのかということに大いに悩みながら、考えるのをやめた作者です。

 袁紹えんしょう曹操そうそうの対立が表面化した中、関中諸将は皆、中立・傍観することにした。そんな中、涼州牧・韋端いたんは従事・楊阜ようふを派遣して許を訪ねさせた。状況を把握するためである。


 楊阜が還ると、関西の諸将が問うた。


「袁と曹の勝敗はどちらにあるだろうか?」


 楊阜はこう答えた。


「袁公は寛大ですが、果断ではなく、謀を好むものの決断することが少なく。果断でなければ威望がなく、決断が少なければ後れを取ることになります。今は強いとはいえ、最後は大業を成すことができないでしょう。曹公は雄才遠略があり、時機を選んで躊躇せず、法が統一されていて兵も精鋭で、度外の人(法や礼に拘らない人)でも用いることができ、任せられた者がその力を尽くしているので、必ず大事を成就できます」


 曹操が治書侍御史・河東の人・衛覬えいきに関中を鎮撫させることにした。因みに彼の息子は司馬一族を支えることになる衛瓘えいかんである。


 当時は四方に大量の還民(故郷に還った難民)がおり、関中の諸将が多くの民を引き入れて部曲にしていた。


 衛覬はこの状況を踏まえ荀彧じゅんいくに書を送った。


「関中は肥沃の地ですが、最近、荒乱に遭ったため、人民で荊州に流入した者が十万余家もいました。彼らは本土が安寧になったと聞いて、皆、帰郷を希望しています。しかしながら帰った者は自業(生計を立てる事業)がないために、諸将がそれぞれ競って招致・懐柔し、部曲にしています。郡県は貧弱であるため、争うことができず、そのため諸将がしだいに強くなっており、一旦変動したら必ず後の憂いになります」


 流浪の民を取り入れて関中の諸将は強くなっている現状を指摘すると共に彼はこうも指摘した。


「塩とは国の大宝です。乱が起きてから放散(分散、放置)されていますが、以前のように使者(朝廷が派遣した官員)を置いて販売を監督させ、その収入によって犂牛(農業用の牛。または農具や牛のこと)を買い、帰民がいれば、それを供給し、農業を奨励して穀物を蓄え、こうして関中の生産を豊かにさせるべきです。遠民がそれを聞いたら必ず日夜競って帰還することでしょう。また、司隸校尉を留めて関中を治めさせることで彼らの主にすれば、諸将の勢力が日に日に削られ、官民が日に日に盛んになります。これが本を強くして敵を弱くするという利です」


 補足すると河東安邑には、塩池があるためここで塩の話題が出てくるのである。


 荀彧はこの内容を曹操に報告した。曹操は進言に従い、謁者僕射を派遣して塩官を監督させ、司隸校尉の治所を弘農に置くことにした。この後、関中が服従するようになっていったという。


 当時の司隸校尉は鍾繇しょうようである。鐘繇の治所は洛陽であったが関中を招撫するために、暫定的に弘農を治所にした。







 袁紹が人を送って劉表りゅうひょうに援軍を求めた。


 劉表はこれに同意したが、袁紹に兵を送らず、曹操も援けないという中立という名の傍観を示した。


 従事中郎・韓嵩かんすう、別駕・劉先りゅうせんが劉表を説得して言った。


「今、両雄が対峙し、将軍は重要な役割を持っています。もしも事を為したいのであれば、双方の疲弊に乗じて起きれば成功します。もしそうでないのならば、従うのに相応しい者を選ぶべきです。どうして甲兵十万を擁しながら坐して成敗を傍観していられるでしょうか。援軍を求められても助けることができず、賢を見ても帰順しようとしなければ、両怨が必ず将軍に集まり、恐らく中立ではいられなくなります。曹操は用兵を善くし、賢俊の多くが帰していますので、その形勢は必ずや袁紹の地を占拠し、その後、兵を移して江・漢に向かいます。恐らく将軍が防御することはできません。今の最良の計は、荊州を挙げて曹操に附くしかありません。曹操は必ず将軍を厚く感謝するので、長く福禄を享受して後嗣に伝えることができます。これが万全の策です」


 韓嵩は黄巾の乱を避けて南方へ避難し、司馬徽しばきに師事して徐庶じょしょ龐統ほうとう向朗こうろうらと親交した人である。 最初は劉表に仕える気は更々なかったが、脅迫されて出仕したという経緯を持つ。


 劉先は博学、強記で老荘の学を好み、漢代の故実に通じていることで有名な人である。


 蒯越かいえつも曹操に附くように勧めたが、劉表は躊躇して決断できなかった。そこで劉表は韓嵩を許に派遣することにした。


 劉表が韓嵩に言った。


「今、天下は定まるところが分からないが、曹操は天子を擁して許を都にしている。汝は私のためにその隙を観察せよ」


 しかし韓嵩は反対した。


「聖人は節に達し、次(聖人より劣る者)は節を守るものです。私は節を守る者であり、君臣の名が定まれば、死によってそれを守らなければなりません。今、将軍の臣籍に名を記して忠誠を誓ったため、将軍が命じることならば、たとえ熱湯に入って烈火を踏むようなことでも、死んでも辞退しません。しかし、私がこれを観るに、曹公は必ずや天下を平定します。将軍が上は天子に順じ、下は曹公に帰すのならば、私を使者にしても問題ありませんが、もしもまだ躊躇しており、私が京師に至ってから、天子が私に一職を与えてその命を辞退できなければ、私は天子の臣、将軍の故吏(旧部下)に成ってしまいます。主君の所にいれば、主君のために働かなければなりません。よって、私は天子の命を守り、義において再び将軍のために死ぬことはできなくなります。将軍が再考を加えて私の忠心に背かないことを願います」


 劉表は韓嵩が使者になることを恐れていると思い、強制した。実のところ劉表と韓嵩は仲が悪い。


 韓嵩が許に入ると彼が恐れていたように献帝が詔によって韓嵩を侍中・零陵太守に任命した。


 韓嵩は荊州に還ってから盛んに朝廷や曹公の徳を称賛し、劉表に子を送って入侍させるように勧めた。すると劉表は韓嵩が二心を抱いたと激怒した。


 劉表は百官を大いに集め、兵を並べ、朝廷の符節を持ち(妄りに臣下を殺すのではないという姿を示すための行動)、韓嵩を譴責して、


「韓嵩は敢えて二心を抱くのか」


 と言った。百官は皆恐れ、韓嵩に謝らせようとした。しかし韓嵩は容貌を動かすことなく、ゆっくりと劉表に言った。


「将軍が私に背いたのです。私が将軍に背いたのではありません」


 韓嵩は改めて前言を述べた。劉表の妻・蔡氏も諫めて、


「韓嵩は荊州の望です。しかもその言直は誅殺する理由がありません」


 と言った。後世の講談によって悪く書かれることになる彼女であるが、実際は理性的な人である。


 しかし劉表はまだ怒っていたため、韓嵩に従った者を拷問で殺した。韓嵩に他意(裏切りの心)がないと知ってからも、誅殺を止めても彼を囚禁した。


 劉表の器量に限界があることがわかる話しである。





次回は孫策サイドの話。

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