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三国志  作者: 大田牛二
第三章 弱肉強食
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陳宮

 河内太守・張楊ちょうようは以前から呂布りょふと関係が善かったため、呂布を救いたいと思いつつも、その力がないため、東市に兵を出して遠くで応援した。


 十一月、この行為で曹操そうそうの機嫌を損なうことを恐れた張楊の将・楊醜ようしょうが張楊を殺して曹操に呼応した。しかし別将・眭固すいこが楊醜を殺し、その衆を率いて北の袁紹えんしょうと合流した。


 張楊は性格が仁和で威刑がなく、部下の謀反が発覚しても対面して涙を流し、いつも罪を赦して不問にしたため、最後は難に遭うことになったと評価されている。


 曹操が堀を掘って下邳を包囲した。しかし久しい時間が経っても攻略できず、連戦して士卒が疲敝していたため、曹操は帰還しようすることを考え始めた。


 荀攸じゅんゆう郭嘉かくかがそれを止めた。


「呂布は勇猛ですが謀がなく、今はしばしば戦って全て敗北し、鋭気が衰えています。全軍は将を主と為します。主が衰えれば、軍に奮意がなくなります。陳宮ちんきゅうは智があっても遅いため、今、呂布の気がまだ恢復せず、陳宮の謀がまだ定まらないうちに急攻すれば、呂布を攻略することができます」


 曹操は二人の意見に頷きつつもこの状況を打開する手立てが無い。


「だが、城が強固だ」


「ならば、別の力を頼れば良いさ」


 郭嘉は下邳の近くを流れる沂水と泗水を示し、城に水を注ぐ策を提示した。曹操はこれを実行した。一月余経って呂布がますます困迫した。


 呂布が城壁に登って曹操の軍士に言った。


「卿らが私を困窮させる必要はない。私は明公足るあなたに自首しよう」


 もはや戦う気力を呂布は失いつつあった。だが、陳宮はここで負けるわけにはいかない。


「逆賊・曹操がどうして明公なのですか。今日降ったら、卵を石に投じるようなものです。どうして生命を全うできることでしょうか」


 こうしてすぐに降伏はしなかったものの、もはや呂布にこの戦への気力を失ってしまっていては、戦どころではなかった。


 呂布の将・侯成こうせいが名馬を失ったが、暫くしてまた見つけて連れ戻した。諸将はそれを喜び、礼に則って侯成を祝賀した。


 侯成は長い篭城戦もあり、諸将からもらった酒肉を分けて先に呂布に献上した。


 ところが呂布はこれに激怒した。


「私が禁酒したのに汝らは造酒している。酒を利用して共に私を謀ろうと欲しているのか」


 これにより侯成は憤懣と懼れを抱いた。


 十二月、侯成と諸将の宋憲そうけん魏続ぎぞくらが共に陳宮や高順を捕え、兵を率いて曹操に降った。


 呂布と部下は下邳城の南門で白門と呼ばれる場所に登った。


 曹操の兵が包囲して激しく迫ったため、呂布は左右の者に命じ、自分の首を斬って曹操を訪ねさせようとした。しかし左右の者が手を下せなかったため、呂布は楼を下りて投降することにした。


 その背は猛将にして「人中の呂布、馬中の赤兎」とまで言われた男の背でがなかった。


 呂布が曹操に会って言った。


「今日が過ぎたらこれからは天下が定まるだろう」


 首を傾げながら曹操は問うた。


「何をもってそういうのだ?」


「あなたが患いとするのは私だけだが、今、既に服したのだ。もし私に騎を率いさせ、あなたが歩を率いれば、天下は容易に定められるからだ」


 呂布が顔の向きを変えて劉備りゅうびに言った。


「玄徳(劉備の字)よ、汝は上客に坐すことになり、私は降虜になった。私を縛る縄がきつすぎる。一言も助けてくれないのか?」


 この言葉に曹操は笑って言った。


「虎を縛るのだから、きつくしないわけにはいかない」


 そう言いながら曹操は呂布を縛った縄を緩めるように命じた。その時、劉備が反対した。


「いけません。あなたは呂布が丁建陽(建陽は丁原の字)と董卓に仕えたのを見なかったのですか。二人とも呂布に殺されました」


 曹操は頷きながらも意外そうに彼を見る。


(こんなことを言う男だったのか)


 劉備はそんなことを言う男だという認識はなかっただけに劉備の発言に驚いたのである。


 呂布は劉備を睨み叫んだ。


「大耳児(耳が大きい劉備を指す)が最も信用できないぞ」


(そうなのか?)


 曹操は劉備を見る。劉備は目を細めながら呂布を見つめるだけであった。曹操はそんな彼になんの悪感情も抱かない。


(あれになんも感じないのか)


 そう思うのは郭嘉である。彼は劉備を危険視しており、できる限り曹操の傍にいてほしくないとまで思っている。


(あれは哀れみをもって呂布を見ている)


 劉備という人はあらゆるものに対して哀れみを込めた目を向ける人である。それを郭嘉は見下しだと思っている。


(呂布に可哀想だと思いながら見ている。あれをそう見るのは構わないが、私や我が主である曹孟徳という偉大な英雄に対しても向ける)


 勝手に人の弱さを決めつけ、その弱さに対して哀れみをもって見つめる。


(そんなものが慈悲であって、慈愛であってたまるか)


 それが彼が劉備という男を毛嫌いするところである。


 呂布が下がらされると次に陳宮が前に出された。曹操は目を細めながら言った。


「公台(陳宮の字)は平生から自分は智に余りがあると言っていたが、今はどうだ?」


 陳宮が呂布を指さして言った。


「彼が私の言を用いなかったからこうなってしまったのだ。もしも従っていれば、虜になっていたとは限らなかっただろう」


 自信満々なことである。彼は自分のことを天才だと思っている。その才能はかの張良に匹敵していると思っている。


 曹操は問うた。


「汝の老母はどうする?」


「私が聞くに、孝によって天下を治める者は人の親を害さないものだ。老母の存否はお前にあり、私にはない。老母が生きるか死ぬかはお前次第だ」


「汝の妻子はどうする?」


「私が聞くに、天下に仁政を施す者は人の祀(祭祀。後代)を絶えさせないものだ。妻子の存否はお前にあり、私にはない」


 曹操は何も言わなくなった。この瞬間まで曹操は彼を用いたいと思っている。裏切られても彼は陳宮という男の持つ才能を愛したのである。


「さあ、早く死刑にせよ」


 陳宮は曹操から示される救いの手を払うように言い、立ち上がって振り返らずに退出した。


 この人は張良に匹敵する才能を持つ才能を持つ自分は張良のような優遇を受けるべきだと思っていた。だがらこそ曹操が荀彧じゅんいくを「我が子房」と称したことは許せなかった。


 だからこそ己の才能が張良の匹敵するものであることを証明するために叛乱を起こしたのである。


 彼は自分が張良のように優遇され、天下人に主を押し上げることができると信じていた。だからこそ己以外の者も優遇することが許せなかった。彼は己こそが天下人の師であり、自分だけの意見を聞けば天下などは取れると思い込んでいる。


 彼は天下人の傍にいる自分が好きなのである。だからこそ主は誰でも良かった。自分を天下人の師として優遇するのであれば、誰でも良かった。だからこそ曹操から離れて呂布の元へ行ったのである。


 曹操は去りゆく陳宮のために涙を流した。


 陳宮は呂布、高順と共に縊殺された。その首が許の市に送られた。


 曹操は陳宮の母を招いて終生養い、また、陳宮の娘を結婚させ、陳宮の家族を撫養して以前(陳宮が曹操と一緒だった頃)よりも厚く遇した。


 陳宮は張良には遠く及ばなかったが、曹操に愛され惜しまれたことで彼の名は不朽のものとなった。皮肉なものである。










次回は呂布の下にいた人材たちの話など。

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