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三国志  作者: 大田牛二
第三章 弱肉強食
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禰衡

 張済ちょうさい李傕りかく郭汜かくしと対立するようになったことと、食料不足の問題で、関中から兵を率いて荊州界内の南陽に入り、穰城を攻めたが、その戦いの中、彼は流矢に中って死んでしまった。


 荊州の官属が皆、祝賀したが、劉表りゅうひょうはこう言った。


「張済は窮したからこそ、ここに来たのに、主人(劉表)に礼遇してもてなすことができず、戦闘をもたらしてしまった。これは私の本意ではなかった。私は弔は受けるが賀は受けない」


 劉表は人を送って張済の衆を受け入れさせた。


 張済の衆はそれを聞いて喜び、皆、劉表に帰心した。だが、一部は劉表の元に行かなかった。そんな彼らを張済の死後、張済の族子(祖父の兄弟の曾孫。または同族で自分より一世代下の者)に当たる建忠将軍・張繍ちょうしょうが代わってその衆を統率し、宛に駐屯することになった。


 そんな彼の元に大物がやってきた。賈詡かくである。


 以前、献帝けんていが長安を出てから、賈詡は印綬を朝廷に返上し、華陰の段煨だんわいを頼りに行った。賈詡はかねてから名が知られていたため、段煨の軍に敬慕され、段煨の賈詡に対する礼奉(礼敬。礼遇)も甚だ周到であった。


 だが、そんな彼の元へ張繍が誘いをかけた。彼は張済を失ったことと自分がまだ若く兵の信望がまだ足りないと感じていたため、朝廷で会ったことのある賈詡の助けが欲しいと考えたのである。


 賈詡はあっさりとこれに従うことにした。ある人がこれを知って聞いた。


「段煨が君を待遇して厚いのに、君はどこに行こうというのか」


 賈詡はこう言った。


「段煨の性は疑い深く、私を嫌う気持ちを抱いている。礼は確かに厚いが、久しく頼ることはできないだろう。やがて始末することを考えるはずだ。私が去れば彼は必ずや喜び、また私が彼のために外で大援と結ぶことを望むため、必ず私の妻子を厚く遇すだろう。張繍には謀主がいないから、彼も私を得ることを願っている。こうすれば必ず私の家と身を共に全うできる」


 こうして賈詡は張繍に会いに行った。喜んだ張繍は子孫の礼を用いて賈詡を厚遇し、段煨も賈詡の家族を善視(善く世話を視ること)した。


 賈詡は張繍が劉表に従わなかったことを知ると彼を説得した。


「今、誰の支援もなく孤立することは危険です」


 賈詡の説得に張繍は従い、賈詡を劉表の元に送った。劉表は客礼で遇した。しかし賈詡は退出してからこう言った。


「劉表は平世ならば、三公の才であろう。しかし彼は事の変化を見ず、疑いが多くて決断しないため、何も為すことができない」


 乱世の人では無いというのが賈詡の彼への評価であった。


 劉表は民を愛して士を養い、従容(沈静な様子。または堂々とした様子)として自分を保つ人であった。ある意味、君子の理想上を体現していたと言える。


 彼の領地には事件がないという内政手腕を発揮していたため、関西や兗・豫の学士で劉表に帰した者は千を数えたという。


 そんな劉表は彼らのために学校を建てて経術を講明(講義解説)し、元雅楽郎・杜夔としょうに命じて雅楽を作らせた。


 音楽が備わってから、劉表が庭でそれを観ようとしたが、杜夔はこう言った。


「今、将軍は号が天子ではありません。楽を編集して庭で演奏するのは相応しくないのではありませんか?」


 劉表は中止した。少しずつであるが彼に緩みが出てきたと言えるだろう。


 因みに漢の音楽には四品(四種類)があった。


 一つ目は「太予楽」で、郊廟の式典や陵殿(陵園の宮殿)に上った時に奏でる音楽である。二つ目は「周頌雅楽」で、辟雍・饗射(射術を競う儀式)・六宗(六神)・社稷の音楽である。三つ目は「黄門鼓吹」で、天子が群臣と宴を開いた時に奏でる音楽である。四つ目は「短簫鐃歌」で軍楽である。


 そんな劉表の元にある奇人が訪れた。平原の人・禰衡でいこうである。


 彼は若い頃から才辯(才識と弁舌の能力)があったが、勝つ気が強く、剛強かつ傲慢であった。そんな奇人を奇人大好き孔融こうゆう曹操そうそうに禰衡を推薦した。


 人材を集めていた曹操は禰衡を召して鼓吏にした。すると禰衡は曹操を罵った。自分如きがこの程度なのかとばかりであった。


 流石の曹操が激怒すると孔融にこう言った。


「禰衡のような小者を私が殺すのは雀や鼠を殺すようなものだ。しかしかねてからこの者に虚名があることを顧みると、遠近の者が私には彼を容れることができなかったと言うようになるだろう」


 このぐらいのことを気にする曹操かと思うがこの辺りは実のところ孔融への借りを作りたかったのだろう。基本的に推薦した人材に問題がある場合、推薦者に責任を求められるものである。その責任を曹操は彼に責任を求めないという形で示したのだろう。


 だが、孔融はこの程度のことで恩義を感じるような人では無いのだが……


 曹操は禰衡を劉表に送った。


 劉表は礼を用いて禰衡を迎え入れ、上賓にした。


 禰衡は劉表の美を称える言葉で口を満たしたが、左右の者を譏貶(誹謗。風刺)することを好んだため、左右の者が劉表の実際の欠点を利用して讒言した。


「禰衡は将軍の仁が西伯(周の文王)でも越えられないと称えています。ただ、将軍は決断ができないので、最後に成功できないのは必ずこれが原因になると思っています」


 この言葉は劉表の短所を指摘していたが、禰衡が今まで劉表に対して語ってきたことではなかったため、劉表は禰衡が陰で自分の短所を嘲笑していると思い怒って禰衡を江夏太守・黄祖こうそに送った。黄祖が性急であったため、彼に殺させようとしたのである。


 黄祖も禰衡を善く遇したが、後に禰衡が衆前で黄祖を辱めたため、結局殺してしまった。


 胡三省はこう述べている。


「曹操が禰衡に怒りを抱いて劉表に送ったのは、劉表が寛和で士を愛していたため、許容できるかどうかを観るのが目的だった。劉表が禰衡に怒りを抱いて黄祖に送ったのは、黄祖が性急で許容できないことを知っており、直接死地に置くことを欲したからである。二人とも目論見があって計謀を用いたが、劉表の方が浅かった」


 恐らくこの禰衡の話は有名かつ信ぴょう性のある話だったのだろうが、わざわざ記録されている理由が後世の誰もが理解できなかったのを必死に理解して説明しようとしたのが胡三省の言葉であると思われる。


 曹操は人材を集め、朝廷の人事を一新していった後、次の戦の準備を始めていた。狙いは宛の張繍である。曹操にとって命の危機に直面する戦となるとはこの時は思いもしなかった。



次回、賈詡さん活躍。

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