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三国志  作者: 大田牛二
第三章 弱肉強食
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逃避行

 献帝けんていが長安を出てから李傕りかくと郭汜は車駕を東に向かわせたことを後悔していた。

 

 楊定ようてい段煨だんわいを攻撃したと聞いた二人は、互いに誘い合って段煨を援けに行き、それを機に献帝を脅迫して西に還ろうとした。

 

 楊定は李傕と郭汜が来たと聞くと藍田に還ろうとしたが、郭汜に遮られたため、単騎で逃亡して荊州に走った。

 

 一方、張済ちょうさい楊奉ようほう董承とうしょうとの関係がうまくいかなくなっていたため、再び李傕、郭汜と合流することにした。

 

 十一月、献帝は弘農を行幸した。

 

 張済、李傕、郭汜が共に乗輿を追い、弘農東澗(「澗」は渓谷の意味)で董承、楊奉と大戦した。献帝の軍が敗戦し、百官や士卒の死者は数え切れず、御物(服飾・器物)、符策(符節や命令書)、典籍が棄てられ、ほぼ全ての物資を喪失した。

 

 射声校尉・沮儁そしゅんがこの戦いの中、負傷して落馬した。

 

 李傕が左右の者に、


「まだ助かるか?」


 と聞くと、沮儁は罵った。


「汝等凶逆(凶悪な逆賊)は天子を脅迫し、公卿に害を被らせ、宮人を流離させている。乱臣賊子でこのようだった者はいなかった。殺せ」

 

 李傕は沮儁を殺した。

 

 沮儁の他、光禄勳・鄧泉とうせん、衛尉・士孫瑞しそんずい、廷尉・宣播せんはん、大長秋・苗祀びょうき、歩兵校尉・魏桀ぎけつ、侍中・朱展しゅてんといった人々も戦死した。

 

 献帝は曹陽を行幸し、農地で野宿した。

 

 董承と楊奉は戦では勝つのが難しいため李傕らを騙して連和するように見せかけ、その間に秘かに密使を送って河東に至らせ、元白波の将・李楽りがく韓暹かんせん胡才こさいおよび南匈奴右賢王・去卑きょひを招いた。


「行ってもよろしいかな?」


 去卑は南匈奴左賢王・劉豹りゅうひょうに問いかけた。


「行っていいんじゃないかな。それとも僕が行こっか?」


「左様でございますか。ついでにどうでしょう。一緒に来られては?」


「いいの?」


「ええ」


「なら、行こうかな」


 劉豹はうきうきしながら蔡琰さいえんの元へ向かった。


 蔡琰は匈奴に囚われてから劉豹の妾として養われていた。


「皇帝様を守るために行くんだけど、なんか欲しいものとかある?」


「特にありません」


 蔡琰のお腹は大きくなっていた。劉豹に抱かれ、子供ができていたのである。


「えぇ、例えばさ誰かの首が欲しいとかないの?」


「ありません」


 彼女は呆れたようにいう。


「つまんないなあ、まあ適当に漢籍とか持ち帰るかあ」


(この人は匈奴には珍しく漢籍を読むし、その内容をしっかりと理解できている)


 匈奴の中では明らかに異質な存在と言える。


「あなたは何を望んでいるのですか?」


 自分を妾とはいえ、他の妾に比べれば優遇している。漢籍を読み、中華の人を尊重する。普通の匈奴の人ではありえない態度を取る劉豹に彼女は問いかけた。


「僕はね。特別な何かになりたいのさ。そう例えば、天子とか、皇帝とかね」


 でもと彼は呟く。


「そうなるためには僕の下にいる匈奴の民たちでは無理なんだよなあ。彼らには中華の地を治めることができるほどの能力も実力も、何より文化としての力が劣っている……」


 力だけであの広大なる中華を手に入れることは不可能ではないが、それだけでは難しいことをこの若き匈奴の青年は理解していた。


「でも漢籍にほらいるじゃないか。蛮族の王で、息子が中華を手に入れたあの人」


「誰でしょうか?」


 そういう王はいないはずである。


「そう、周の文王だ。周の文王に僕はなりたいのさ」


「蛮族の王では無いですが……?」


 すると劉豹は笑いだした。


「蛮族の王さ。商王朝からすれば、彼は蛮族の王だったはずさ。彼は、正確に言えば彼の息子が勝利者となったからこそ、彼はもっとも尊敬される王となったに過ぎない。そもそも中原の民ではなかったはずだろう?」


 なんという傲慢な視点であろうか蔡琰は冷や汗を感じながらそう思った。


「彼のようになりたいと僕は願っている」


 劉豹はそう続けた。


「彼にできて、僕にできないということは無いはずだ。だからね。君を得られたことはとても嬉しい」


 彼は目を細めながらそう言った。


「なぜ?」


「君と僕との子に継承権は無い。それはわかっているね。まあ君も望んではいないだろうからね」


 ますます目を細めていきながら彼は続けていく。


「その代わり君との子には本来の継承者である僕の子の漢籍の師となってもらう。それによって僕よりも優れた後継者の育成に役立ってもらうんだ」


 劉豹は笑いながらそう言って、彼女に顔を近づける。


「だからしっかりと良い子を育ててね」


 劉豹は彼女から離れて去っていった。


「匈奴はやがて中原へ攻め込んでくる。その手助けを私はすることになるのね……」


 蔡琰はお腹を撫でながらそう呟いた。







 

 要請を受けた李楽らは共にその衆数千騎を率いて献帝を迎え入れた。


「あれが漢の皇帝様かあ」


 劉豹は自分の身分を一切、公開せずに去卑の子供ということになっている。


「ええ、無様な姿と言えましょう」


「はっきりと言わない方がいって」


 劉豹は彼の言葉に苦笑しながら、献帝の周りの男たちを見る。


「元賊から貴族……ふふ、面白いね」


 さてとと呟き、今回の相手となる連中のことを考える。


「まあ騎兵を扱うのに上手い、涼州の連中か……」


「さてさて我ら以上でしょうかな?」


「いやあ、負けられないねぇ」


 董承や楊奉の指揮の元、李傕らとぶつかった。


「ううん、押されているね」


 涼州兵は騎兵だけでなく、歩兵も強い。


「だいたい兵の指揮が杜撰なんだよなあ」


 そもそもどちらの陣営も指揮系統が統一されてなく、どちらもそれぞれの諸将が勝手な戦いをしている。


「まあこういう時に僕たちの出番があるってもんだよね」


 劉豹は去卑と共に騎兵隊を率いて李傕らの軍の側面へ突撃を仕掛け、一気に突き破った。それにより李傕らの軍は大崩壊した。斬首した数は数千級に上った。

 

「つまんないなあ」


 劉豹はあまりにもあっさりとした結果に不満そうに呟く。


「まあ連中も次も挑んでくるでしょう」


「だといいなあ」


 十二月、車駕は曹陽から出発した。董承、李楽が乗輿を護衛し、胡才、楊奉、韓暹、匈奴右賢王・去卑と劉豹が後ろでしんがりを務める。

 

 そこに李傕らが再び進攻した。李傕は楊奉の軍を中心に彼らは攻め込んできた。それを援護しようとした他の軍が動いた隙に、張済と郭汜の軍がその隙を突いて突撃を仕掛けた。これにより全軍の陣容が大崩して大敗した。宮女が殺略されていった。


「いやあ負け戦になったねぇ」


 劉豹は被害を避けて前回のような戦いをせずに兵の温存に務めたため被害は少なかった。


「でも前の戦とはだいぶ違う戦をしていたね」


 まるで指揮する人物が変わったかのような戦であった。


「面白いよねぇ、本当に……」

 

 司徒・趙温ちょうおん、太常・王絳おうこう、衛尉・周忠しゅうちゅう、司隸校尉・管郃かんこう(または「榮邵」)は李傕の捕虜になった。

 

 李傕が彼らを殺そうとすると同行していた賈詡が、


「彼らは皆、大臣です。あなた様はどうしてこれを害そうとするのですか」


 と言ったため、止めた。なにせ今回の戦は彼の指示のおかげで勝てたのだから……

 

 大敗を受けて李楽が献帝に言った。


「事は急を要します。陛下は馬に乗って逃げるべきです」


(まあ妥当な意見だよね……)


 劉豹がそう思っていると献帝はこう答えた。


「百官を捨てて逃げてはならない。彼らに罪はないのだから……」


(へぇ……)


 意外そうに劉豹は献帝を見た。

 

 この献帝の言葉に対して胡三省は、


「危機に臨んで発せられたこの言を観るに、どうして献帝を亡国の君とみなすことができようか。ただ強臣によって制されたのである」


 と評した。

 

 東澗から四十里に渡って戦闘が繰り返されながら献帝がやっと陝に到着した。営を構えて守りを固めた。

 

 当時、敗戦の後に残った虎賁・羽林は百人足らずしかいなかった。

 

 李傕と郭汜の兵が献帝の営を囲んで喚呼したため、吏士が色を失い、それぞれ逃走しようと思い始めた。

 

 懼れた李楽は車駕を船に乗せて砥柱(山名。黄河の急流がある場所)を通過し、孟津に出ようと欲した。

 

 しかし楊彪ようひょうは、


「河道は危険だ、皇帝が船に乗るべきではない」


 と考えた。そこで、李楽に命じて夜の間に河を渡って秘かに船を準備させ、火を挙げて合図させた。

 

 献帝と公卿は歩いて営を出た。皇后の兄・伏徳ふくとくが伏皇后を抱え、片手で絹十匹を抱えた。

 

 献帝、皇后や群臣、宮人が河岸まで来たが、高さが十余丈もあったため、降りられなかった

 

 そこで伏徳が持っていた絹を結んで輦(輿)を作り、行軍校尉・尚弘しょうこうが怪力の持ち主だったため、献帝を背負った。

 

 他の者は皆、匍匐で岸を降ります。ある者は上から身を投じ、冠幘(冠や頭巾)が皆、破壊された。死亡・負傷した者の数は分からないとされている。

 

 河辺に着いた士卒は争って舟に向かった。しかし舟が足りないため董承と李楽は戈で撃った。

 

 舟の中に斬られた指が溜まって掬えるほどであった。春秋時代・邲の戦いでも同じ事が起きている。

 

 こうして献帝がやっと船に乗ることができた。献帝と共に河を渡ったのは皇后および楊彪以下数十人だけで、宮女や吏民で渡河できなかった者は、皆、兵に略奪され、衣服が全てなくなり、髪も切られ、数えられないほどの人が凍死した。


 李傕は河北に火が灯っているのを見て、騎兵を派遣して偵察させた。ちょうど献帝が渡河するのを見つけたため、


「汝らは天子を連れてどこに行くのか」


 と叫んだ。

 

 董承は李傕の兵が矢を射ることを懼れ、布団で幕を作った。

 

 その後、大陽に到着し、李楽の営に行幸した。李楽は渡河用の船を準備してから、あらかじめ黄河を渡って営を構えていた。

 

 河内太守・張楊ちょうようが数千人に米を背負わせて献上した。河東太守・王邑おうゆうは綿帛を献上した。

 

 献帝はそれを全て公卿以下の官員に分け与えた。

 

 また、王邑を列侯に封じ、胡才を征東将軍に、張楊を安国将軍に任命した。胡才と張楊には符節を与えて官府を開かせた。

 

 塁壁の諸将が競って官職を求めたため、刻印が追いつかず、印璽の文字を正式に彫刻するのではなく、錐で簡単に削っただけの物が作られた。

 

 献帝は棘籬(棘の垣根)の中に住んだ。

 

 門戸を閉じることができないため、天子と群臣が会したら、兵士が垣根の上に伏してその様子を観望し、互いにひしめき合って笑った。

 

 献帝がまた太僕・韓融を弘農に送り、李傕、郭汜らと交渉を行わせた。

 

 李傕は公卿百官を放ち、奪った宮人や乗輿・器服の多くを返した。

 

 やがて糧穀が尽きたため、宮人は皆、菜果(自然の野菜や果物)を食べるようになった。

 

 張楊が野王から来朝し、献帝を洛陽に還そうとした。しかし諸将は彼が献帝を自分のものにしようとしていると考え、同意しなかったため、張楊は彼らに呆れて野王に還った。


「みんな欲望に忠実だよなあ」


 劉豹はそんな諸将を眺めながらそう呟いた。


「だからこそ僕は周の文王を尊敬するんだ」


 自分の欲望を抑えに抑え、ついに復讐を果たした偉大なる王。約八百年も続いた王朝へと繋げた偉大なる王。


「僕もあなたのように子孫にどれほどの財産を残してあげられるかな?」










 

 献帝が長安から脱出したことは各地で知られるようになった。その一人である沮授そじゅ袁紹えんしょうを説得して言った。


「将軍の家は代々三公・重臣となり、忠義を継承して参りました)。今、朝廷が流亡して宗廟が毀損しています。諸州郡を観るに、外は義兵を称していますが、内実は互いに図っており、社稷の存続を憂いて民に同情しようという意はございません。今、冀州の領域はほぼ定まり、兵が強くて士も帰順しているため、西に向かって大駕を迎え、宮を安んじて鄴を都とし、天子を制御して諸侯に号令し、士馬を蓄えて不庭(入朝しない者。朝廷に逆らう者)を討てば、誰がこれに抵抗できましょうか」

 

 しかしこれに潁川の人・郭図かくと淳于瓊じゅんうけいが反対した。


「漢室が衰落して既に久しくなります。今、これを興そうと欲するのは、難しいのではありませんか。しかも英雄が並起してそれぞれ州郡を占拠しており、徒を連ねて衆を集め、動けば万を数えます。これは秦がその鹿を失い、先にそれを得た者が王になるという状況です。今、天子を迎えて自ら近づけば、動く時にはいつも上奏しなければならず、これに従ったら権が軽くなり、これに違えれば、命を拒否したことになるので、善計ではありません」


 天子の下についているとそのための煩わしさが出てくるということである。

 

 それでも沮授が言った。


「今、朝廷を迎えるのは、義においてはするべきことであり、時においては相応しいことです。もしも早く定めなければ、必ずや先んじる者が出てくるでしょう」

 

 袁紹は従わなかった。


 そもそも彼は献帝を天子であると認めていないため、彼を尊重する心が元々無かった。また、この時、公孫瓚こうそんさんとの戦いに袁紹は集中していたというのもあるだろう。

 

 それでも好機を逃したと言える、胡三省もこう書いている。


「袁紹は沮授の言に従うことができなかったため、果たして、曹操に先を越されてしまった。帝が許(曹操の拠点)を都にしてから、袁紹も遷都させて自ら近づこうと欲したが、既に晩すぎた」

 

 

次回は孫策の話です。

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