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三国志  作者: 大田牛二
第三章 弱肉強食

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血に染まる長安

 195年


 董卓が死んだばかりの時、三輔の民はまだ数十万戸いた。しかし李傕りかくらが兵を放って略奪を行い、しかも饑饉が加わったため、二年の間に民がほとんどいなくなっていた。


 李傕、郭汜かくし樊稠はんちょうはそれぞれ功績を誇って権力を争い、何回も闘争しようとしたが、その度に賈詡かくが大局を述べて譴責したため、内面では関係を改善できなくても、外見上は互いに許容していた。


 そこから一気に崩壊するきっかけとなった話をしよう。


 前年、馬騰ばとう韓遂かんすいを破った際のこと、樊稠は李傕の兄の子・李利りりが戦闘において尽力しなかったとして叱責した。


「馬騰らが汝の父(叔父・李傕)の頭を断とうと欲しているのに、汝はどうしてこのようなのか。私が卿を斬れないと思っているのか?」


 樊稠は破れて敗走する韓遂を追撃して陳倉に至った。


 韓遂は樊稠に言った。


「我々が争っているのは、本来、私怨が原因ではなく、王家の事が原因である。汝とは同州の人である。故に互いに善く話をしてから別れたい」


 双方とも騎兵を後ろに退けてから、前に進んで馬を接し、腕と腕を交えて(体が触れるほど接近したという意味)、共に久しく話をしてから別れた。


 軍が還ってから、李利が李傕に報告した。


「韓・樊は馬を交えて話をしました。話した内容はわかりませんが、情誼がとても親密であったように見えました」


 李傕は樊稠が勇猛であり、衆心を得ているため彼を嫌っていたためこのことに激怒した。


 この頃、樊稠が兵を率いて東に向かい、関を出ようとした。関東諸侯を討伐するという名目で彼は李傕に兵を増やすように求めた。


 二月、李傕は樊稠を会議に招き、その席で殺した。


 長安には同等の位についている者が多くいる。その一角が突然、殺されたのだ。


 そのため諸将は互いに猜疑するようになり、二心を抱くようになった。


 李傕はしばしば酒席を設けて郭汜を招いていた。郭汜を留めて家に泊まらせたこともあるほどである。


 そのため郭汜の妻は郭汜が李傕の婢妾を愛すことを恐れ、二人の関係を悪化させる方法を考えるようになった。


 ちょうど李傕が食物を送ってきたため、郭汜の妻は豉(豆を発酵させたもの)を毒薬にし(もしくは見せかけた)、それを摘まんで郭汜に見せてこう言った。


「一栖に両雄は住めません(鶏を比喩に使った言葉である。一つの巣に二羽の雄がいたら必ず争いになるということである)私は以前から将軍が李公を信じていることを不思議に思っていました」


 後日、李傕がまた郭汜を招いた。


 酒を飲んで大いに醉った郭汜は、毒を盛られたのではないかと疑い、糞汁を絞って飲んだ。当時、糞汁は解毒の作用があったとされていた。


 これらの事があってから、それぞれ兵を整えて攻撃し合うようになっていった。


 献帝けんていが侍中や尚書を派遣して李傕と郭汜を和解させようとしたが、どちらも従おうとはしなかった。


 郭汜は献帝を迎えて自分の営に行幸させようと謀った。しかし、ここで夜に逃亡した者がおり、これを李傕に告げた。


 三月、李傕は兄の子・李暹りいに数千の兵を率いて皇宮を包囲させ、三乗の車で献帝を迎えさせた。


 このことを知った太尉・楊彪ようひょうは李暹に言った。


「古から今まで人家(臣民の家)に居た帝王はいない。諸君はどうしてこのような事を起こすのか」


 李暹は、


「将軍の計は既に定まっている」


 と答えるのみであった。


 こうして献帝が皇宮を出ることになり、群臣も歩いて乗輿(皇帝の車)に従い、外に出た。すると兵達がすぐに殿中に入り、宮女や御物を奪った。


 李傕は献帝を脅して自分の営に行幸させました。更に御府(帝王の庫府)の金帛も移して自分の営に置いてから火を放った。宮殿、官府、民居が全て焼き尽くされていった。


「なんたることか」


 献帝は嘆き、再び公卿を派遣して李傕と郭汜を和解させようとした。


 しかし郭汜は楊彪および司空・張喜ちょうき、尚書・王隆おうりょう、光禄勳・劉淵りゅうえん、衛尉・士孫瑞しそんずい、太僕・韓融かんゆう、廷尉・宣璠せんはん、大鴻臚・栄郃えいこう、大司農・朱儁しゅしゅん、将作大匠・梁卲りょうしょう、屯騎校尉・姜宣きょうせんらを自分の営に留めて人質にした。


 朱儁は憤懣のため病を発して死んでしまった。


 郭汜は宴を開いて人質とした公卿をもてなし、李傕攻撃について討議した。


 楊彪が怒鳴った。


「群臣が互いに闘い合い、一人は天子を人質にして、一人は公卿を人質にしている。このような事をしてもいいと思っているのか」


 郭汜が怒って自ら楊彪を殺そうとすると楊彪はまたもや怒鳴った。


「汝は皇帝すら奉じていない。私が生を求めると思うか」


 中郎将・楊密ようみつが強く諫めたため、郭汜は殺すのを止めた。


 李傕はそんな中、羌・胡数千人を招いた。まず御物や繒綵(絹織物)を与え、更に宮人(宮女)や婦女を与える約束をして、郭汜を攻撃させようとした。


 一方の郭汜は秘かに李傕の党羽である中郎将・張苞ちょうほうらと通じ、李傕攻撃を謀った。


 翌日、郭汜は兵を率いて夜の間に李傕の営門を攻めた。


 矢が献帝の簾帷の中に及び、また、李傕の左耳を貫いた。それと同時に張苞らが李傕に叛して屋(家屋。営内の建物)を焼こうとしたが、燃えなかった。


 そこに楊奉ようほうが営外で郭汜に抵抗したため、郭汜の兵が退いた。


 張苞らは自分に属す兵を率いて郭汜に帰順した。


 この日、李傕がまた乗輿を移し、北塢を行幸させ、校尉に塢門を監督させ、内外を隔絶させた。


 献帝の侍臣が皆、飢色を浮かべていたため、献帝が米五斗と牛骨五具を求めて左右の者に下賜しようとした。


 しかし李傕は、


「朝晡(朝と夕方)に飯を献上しているのに、米を使って何をするのか」


 と言うと、腐って臭いがする牛骨を与えた。


 献帝は大怒して詰問譴責しようとした。


 しかし侍中・楊琦ようきが諫めた。


「李傕は自ら叛逆の罪を犯していることを知っており、車駕を移して池陽黄白城に行幸させようと欲しています。私は陛下がこれを忍ぶことを願います」


 献帝は諫言に従った。


 司徒・趙温ちょうおんが李傕に書を送った。


「あなたは以前、王城を虐殺し、多くの大臣を殺戮しました。今は郭汜と睚眥の隙(目を見開いて怒る程度の些細な対立)を争って重大な仇と成しており、朝廷が和解させようと欲しても詔命が行われず、しかもまた乗輿を黄白城に転じようと欲しています。これは誠に老夫には理解できないことです。『易』においては、一回目は『過』といい、二回目は『渉』といい、三回目にも改めなかったら頂まで滅ぼして凶となります」


 彼の言葉は『易‧大過』の「過渉滅頂,凶」が元である。本来は「川を強引に渡り、頭まで水没して凶」という意味だが、趙温は「過」と「渉」を「一回目と二回目の過失」という意味に解釈して引用している)。


「双方共に早く和解するべきです」


 李傕は激怒して趙温を殺そうとした。


 しかし弟の李応りおうが諫めたため、数日経ってから考えを改めた。李応はかつて趙温の掾であった男である。


 李傕は巫覡(巫は女、覡は男です)による厭勝の術(禍を抑える方術)を信じ、常に三牲(豚牛羊)を使って省門(宮門)の外で董卓を祭っていた。


 李傕は献帝に対して常に「明陛下」、または「明帝」と言い、献帝に郭汜の無状(善行がない様子。悪行)を語った。献帝が李傕の意に従って応答していたため、喜んだ李傕は天子の歓心をよく得られていると信じた。


 献帝は謁者僕射・皇甫酈こうほれき(「皇甫麗」とも書く)を派遣し、李傕と郭汜を和解させようとした。


 皇甫酈はまず郭汜を訪ねた。郭汜は献帝の命に従った。


 皇甫酈は次に李傕を訪ねたが、李傕は受け入れようとせず、こう言った。


「郭多(郭汜の一名を「郭多」という)は盗馬の虜(馬泥棒)に過ぎない。どうして私と同等になろうと欲するのか。私は必ずこれを誅殺する。君が観るに、我が方略と士衆は郭多を処理するのに足りていないというのか。郭多は脅迫して人質にした。彼の行為がこのようなのに、君がもし郭多を利そうと欲するのならば、李傕に膽がある事を自ら知ることになるだろう」


 皇甫酈はこう言った。


「近くにおいては、董公の強は将軍も知っていたことです。しかし呂布りょふが恩を受けながら逆にこれを図り、斯須の間(わずかな間)に体と首が別れることになりました。これは勇があっても謀がなかったからです。今、将軍の身は上将になり、国の寵栄を受けていますが、郭汜が公卿を人質にしているのに対して、将軍は主を脅迫しています。罪はどちらが軽く、どちらが重いでしょうか。張済ちょうせいと郭汜には謀があります。李傕に仕える楊奉は白波賊の将に過ぎませんが、それでも将軍が為していることが正しくないと知っています。将軍は楊奉を寵信していますが、彼はやはり将軍のために尽力しようとはしません」


 李傕は叱咤して皇甫酈を追い出した。


 退出した皇甫酈は宮門を訪ねてこう報告した。


「李傕は詔を奉じようとせず、辞語は恭順ではありませんでした」


 献帝は李傕にこのことを聞かれれば、彼が害されると思い、急いで皇甫酈を去らせた。


 李傕が虎賁・王昌おうしょうを派遣して皇甫酈を呼び出し、殺そうとしたが、王昌は皇甫酈の忠直を知っていたため、皇甫酈を去らせてから還って李傕に、


「追撃しましたが及びませんでした」


 と報告した。


 二人の対立によって数多の血が長安を汚していく。


 その血の都の中で、無表情で書類を捌くのは賈詡である。


 彼はこの争いにおいて淡々と政務を続けていた。


 それが彼に与えられた役割だからである。


 彼は与えられた職務に対して誠実である。故に淡々と仕事をこなしていく。


 郭汜の妻に夫の不貞が起こるかもしれないと囁いたのは彼である。郭汜が献帝を捕らえようとしたのを李傕へそのことを知らせたのもその職務の一貫である。


 目の前の職務の遂行こそが最善である。


 賈詡にとってそれ以上もそれ以下もない。ただただそれだけのことである。




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