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三国志  作者: 大田牛二
序章 王朝はこうして衰退する
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黄龍は何を告げているのか

初めましてからお久しぶりの方まで、三国志です。よろしくお願いします。

 147年


 黄金の龍が譙の地から天高く飛び上がった。


 龍はまるで空の極みを目指すかのごとく、飛び上がっている。


 それを見ている者がいる。その者は仮面を付けている。


「あいつの作った王朝の終わりが近づきつつある……」


 仮面の男はそう呟くと何処かへと去っていった。












 この年は桓帝元年である。


 その前年に事件が立て続けに起こっていた。


 前年、質帝しつていに跋扈将軍と罵られた大将軍・梁冀りょうきはそのことに激怒して、質帝を毒殺した。


 彼は鳶肩豺目(鳶肩・鋭い豺のような目)の容貌を持ち、声はまるで獣のようであった。


 そんな梁冀はこの時、ちょうど妹である梁太后が妹を娶らせようとして、都に来ていた蠡吾侯・劉志りゅうしを擁立しようとした。しかしながらこの時、劉志はまだ十五という若さであった。そんな劉志を擁立することは益々外戚である梁冀の権力が増してしまうと考え、李固りこを始め群臣たちは宦官嫌いで諸侯王の中で最も年長であった清河王の劉蒜りゅうそうを擁立するべきであると主張した。


 この猛反対に暴君というべきであった梁冀と言えども強引に事を行えなかった。


 そんな彼を救った者がいた。宦官の実力者である曹騰そうとうである。彼は順帝じゅんていの学友であった者で、長年王朝に仕えている実力者である。そんな彼が夜の間に梁冀を訪ねたのである。


 暴虐を絵に書いたような梁冀と言えどもこの突然の訪問に驚きながらも彼の訪問を受け入れた。


「お話があって参りました」


 曹騰はそう切り出してからこう言った。


「将軍は代々皇后の親族であり、代々外戚として政権を掌握しているため、賓客が各地におり、政治上の失敗や賓客が犯した過失が多数あるはずです。清河王は厳明ですので、もしも本当に擁立されれば、将軍が禍を受けるのも久しくありません。清河王ではなく蠡吾侯を立てるべきです。そうすれば富貴を長く保つことができましょう」


 曹騰は人を推薦することを好み、多くの人材が彼の手で役職に着くことができている。そのため彼は宦官でありながらも慕われている。そんな彼が自分の擁立しようとする蠡吾侯・劉志を支持するというのである。


 群臣の猛反対を受けていた中でのこの言葉は梁冀にある種の勇気と、危機感をもたらした。


(どうしても蠡吾侯を擁立しなければならない)


 心の中では誰がなっても自分の権力は揺らがないという思いがあったのかもしれない。腹を括った梁冀は翌日、改めて公卿を集めた。そこで彼は昨日の件に関して力強く意見を述べた。


 この時の梁冀の意気が凶凶(強暴な様子)しており、言辞が激切であったため反対している群臣で畏れない者はなく、そろって、


「ただ大将軍の令があるだけです」


 と言った。


 李固と杜喬ときょうだけが元の意見を堅守し反対した。


 苛立った梁冀は厳しい口調で「解散」と言ったが、その後も李固は衆心が清河王に属していると考え、再び書を送って梁冀を説得した。


 梁冀はますます激怒した。


(やつを退けなけれならん)


 そう考えた彼は妹を説得して劉志を擁立する方針を固めさせ、太尉であった李固を解任し、朝廷から追い出した。こうして劉志こと桓帝が擁立されたのであった。


 しかしながら年が明けて、権力を更に強めた梁冀であったが尚も杜喬を始め彼に逆らう者は多かった。


 すると宦者・唐衡とうこう左悺さかんが共に桓帝の前で杜喬と李固を讒言した。


「陛下が以前、即位することになった時、杜喬と李固が抗議(反対)し、漢の宗祀を奉じるには堪えられないと主張しました」


 桓帝は杜喬と李固を怨むようになった。


 更に清河の人・劉文りゅうがいと南郡の妖賊・劉鮪りゅういが交流し、


「清河王が天下を統べるべきだ」


 と主張して、劉蒜を擁立しようとした。


 しかし計画が発覚したため、劉文らは清河国の相・謝暠しゃこうを脅してこう言った。


「王を立てて天子とし、あなたは公(三公)になるべきだ」


 謝暠は妄言であると劉文らを罵ったため、劉文は謝暠を刺殺した。


 朝廷はこれを受けて劉文、劉鮪を逮捕して誅殺した。


 有司(官員)が上奏して劉蒜も弾劾したため、劉蒜は罪に坐して爵位を尉氏侯に落とされ、桂陽に遷されて自殺した。


 梁冀はこの事件を利用して李固と杜喬を誣告した。李固らが劉文、劉鮪等と交わっていたと訴え、逮捕して罪を調査するように請うたのである。


 しかし梁太后はかねてから杜喬の忠心を知っていたため、許可しなかった。


 梁太后は杜喬の逮捕に同意しなかったため、梁冀はならば李固だけでもと彼を逮捕して獄に下した。


 すると李固の門生である渤海の人・王調おうちょうが刑具を身に着けて上書し、李固の冤罪を証明しようとした。


 河内の人・趙承ちょうしょうら数十人も要鈇鑕(腰鈇鑕。腰斬で使う刑具)を準備し、宮闕を訪ねて訴えた。


 そのため梁太后が詔を発して李固を釈放させた。


 李固が獄から出る時、京師の市里で人々は皆、万歳を唱えた。


 梁冀は李固が開放されてもなおも彼を害そうとした。改めて前事(劉文、劉鮪と通じた罪)を上奏して李固を弾劾した。


 大将軍長史・呉祐ごゆうが李固の冤罪を悲痛して梁冀と争ったが、梁冀は従わなかった。


 従事中郎・馬融ばゆうが中心になって梁冀のために章表(李固を訴える上奏文)を作った。梁冀と呉祐が争った時、馬融もその場にいたため、呉祐が馬融に言った。


「李公の罪は卿の手によって形成された。李公がもし誅されることがあれば、卿は何の面目があって天下の人を視るというのか」


 梁冀は怒って立ち上がり、室内に入った。


 呉祐もそのまま立ち去った。結局、李固は捕らえられ、彼は獄中で死んだ。


 死に臨んで三公である胡広と趙戒に書を送った。


「私は国の厚恩を受けたので、股肱の力を尽くして死亡を顧みず、志は王室を扶持(補佐)して文・宣のように隆盛させようと欲したのです。どうして一朝にして梁氏が迷謬(惑乱・昏迷)し、あなた方が曲従して、吉を凶に変え、成功するはずの事を失敗させることになると予想できたでしょうか。漢家の衰微はここから始まった。あなた方は主の厚祿を受けながら、倒れても助けず、大事を転覆させました。後の良史がどうしてあなた方を庇うでしょうか。私の身は既に終わりましたが、義においては得るものがあったでしょう。これ以上、何も言うことはございません」


 胡広と趙戒は書を得て悲痛・慚愧したが、長短して涙を流すだけであった。


 梁冀は人を送って杜喬を脅迫し、


「早く宜に従えば(自分に尽くせば)、妻子は助かることができる」


 と言ったが、杜喬は従わなかった。


 翌日、梁冀が騎馬を派遣して杜喬の家の門に至ったが、哀哭する声が聞こえないため(杜喬が自殺していなかったため)、梁冀は梁太后に報告してから杜喬を逮捕させた。


 杜喬も獄中で死んだ。


 梁冀は李固と杜喬の死体を城北の四衢に曝し、令を発して、


「敢えて臨(哀哭)する者には罪を加える」


 と宣言した。


 李固の弟子で汝南の人・郭亮かくりょうが、まだ冠礼も行っていないにも関わらず、左手に章(上奏文)と鉞(斧)を持ち、右手に鈇鑕(腰斬に使う刑具)を持って宮闕を訪ね、上書して李固の死体を回収することを乞うた。


 しかし朝廷からの回答がないため、南陽の人・董班とうはんと共に城北に行って臨哭し、喪を守って去らなかった。


 夏門亭長が叱咤した。


「汝らは何という腐生か。公に詔書を犯し、有司(官員)を侵して試すつもりか」


 郭亮は答えた。


「義によって動かされたのに、どうして命を顧みるのでしょうか。どうしてあなたは死によって私を懼れさせるのでしょうか」


 これを聞いた梁太后は二人を赦して誅殺しなかった。


 この時、董班が李固の死体から離れようとしなかったため梁太后はこれを憐れんで、襚斂(死体に服を着せて棺に収めること)して故郷に埋葬することを許した。


 杜喬の掾を勤めた陳留の人・楊匡ようきょうも号哭して夜間も急行し。洛陽に至ると以前使っていた赤幘(赤い頭巾。官吏は赤幘を被る)を被って夏門亭吏のふりをし、死体を守って十二日間を過ごした。


 都官従事が楊匡を逮捕して報告したが、梁太后は釈放させた。


 そこで楊匡は宮闕を訪ねて上書した。李・杜二公を故郷に埋葬させるため、二人の骸骨を乞うた。


 梁太后はこれを許可した。これにより李固の死体は董班が、杜喬の死体は楊匡が引き取ることになった。


 楊匡は杜喬の喪を家に還らせ(杜喬の家は河内にある)、葬儀が終わると行服(喪に服すこと)した。


 その後、楊匡、郭亮、董班とも身を隠し、終生出仕しなかった。


 梁冀は呉祐を朝廷から出して河間相にしたが、呉祐は自ら官を免じて帰り、最後は家で死んだ。


 清廉潔白さで知られ、その名声は知らぬ者がいない者たちを死に追いやったことに対し、多くの人々は梁冀に対して憎悪を向けた。


 そんな中、黄龍が天高く登ったのである。


 そのことを知った曹騰は暗い表情を浮かべた。


「不吉に感じるのは私だけであろうか……」


 本来、黄龍は瑞獣で幸運を告げる存在であった。しかし、今の王朝に何ら幸運があるとは思えなかった。


 曹騰は悩む、彼は梁冀を助けるつもりなど全くなかった。しかし、清河王は宦官を人としてみない人であった。この王朝は……己の主君であった順帝は人として扱わなかった宦官に養子と領地を持つことを許してくれた。何かを後世に残すことを許してくれたのである。この王朝は商、周王朝よりも遥かに優しい王朝なのである。


 その王朝の主に清河王などを据えるわけにはいかなかったのだ。


「私はこの王朝のために……」


 そう思いながらも彼はどこかでもどかしい思いを抱えながら日々を過ごしていた。


 彼には養子として曹嵩そうすうがいる。彼はこの年の八年後、155年に男子を得ることになる。曹騰にとって、孫に当たるその男子の名を曹操そうそうといい、字は孟徳である。


 その曹操こそが後の戦乱の時代で活躍することになる英雄になるのである。


 



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