9. 家に帰ってから
家の玄関を開けると、母さんが出てきて「知咲と何かあったの?」と訊かれたが、俺は無視して自室のベッドに仰向けに倒れ込んだ。
頭の中で状況を整理する。
俺は知咲が理想の妹を演じているか否かを確かめるため、知咲に質問をした。すると知咲は俺が知咲のことを嫌っていると決めつけて先に帰ってしまった。
全く意味がわからない。何を根拠に知咲は俺が知咲を嫌っていると判断したのだろう。決してそんなことは無いのに。
それでも俺が知咲を泣かせてしまったことは事実だ。
未だ曽て俺が知咲を悲しませてしまったことは無かった。俺たちはいつだって仲の良い兄妹だった。
だから、どうすれば良いのかわからないというのが本音だった。
そもそも知咲が泣いてしまった原因がわからない限り対処の仕様が無い。けれども、その原因はまるで見当もつかない。
完全にお手上げだ。
だからと言って、このまま兄妹の間に亀裂が入ったままというのも嫌だ。
何故ならば、俺は知咲のことが好きだからだ。
妹として好きなのか、女子として好きなのか、他に好きになった人がいない俺にはよくわからない。けれど、大切な存在であることは事実だ。
可愛くて、笑顔が素敵で、優しくて、無邪気な俺の妹。それが知咲だ。
たとえ知咲が俺の目の前でのみそのように振る舞っているのだとしても、俺の好きという気持ちは変わらない。
「まじで俺、病気だな」
思わず笑みが零れる。
本当に病気と言えるほど、実の妹である知咲のことが好きだと思える。気持ち悪いほど、俺はシスコンだ。
だから、知咲に嫌われるのは嫌だ。
兄妹間の問題を解決する方法なんてわからない。だけど、今俺が行動しなければ俺は知咲に嫌われたままだ。
何も計画を考えずに布団から体を起こし、そして自室を出て隣の知咲の部屋へと向かう。
知咲の部屋の扉は閉まっていた。扉の前で一旦止まり、深呼吸をして心を落ち着かせる。
「よし」
俺はドアノブに手を掛けて扉をゆっくりと開ける。気付かれても問題ないはずなのに、つい物音を立てないように行動が慎重になってしまう。
知咲は振袖を着たまま、体育座りのような格好で蹲っていた。おそらく泣いているのだろう。
俺は知咲の部屋へと足を踏み入れる。部屋の中には女子特有の甘い香りが漂っていた。
俺は音を立てないように忍び足で知咲へと近づいて、そこに正座をする。
「なあ知咲」
俺は優しく声を掛ける。
知咲は驚いたのか、一瞬顔を上げて俺の方を見た後、再び顔を伏せてから、
「何しに来たの」
と不機嫌そうに言う。
俺はおそらく知咲に嫌われている。けれども、それは俺にとって耐え難いことだから。
だから、俺は素直に自分の気持ちを伝えよう。
そう思い、無理矢理知咲の両肩を両手で掴んだ。知咲は驚いたように顔を上げ、俺の方を見る。
そして俺は正直な気持ちを口にする。
「知咲、俺はお前のことが好きだ」
この「好き」という気持ちがどういう好きなのかはわからない。
けれど、好きという気持ちは本当のものだ。俺は心から知咲が好きだ。
知咲のどういうところが好きかとか具体的に挙げようとしても限りが無い。
完全に俺は知咲にぞっこんなのだ。
「お兄…ちゃん?」
知咲は状況が飲み込めていないようだが、俺は構わず続ける。
「俺は気付いたらもう知咲のことが好きだった。今だって好きだ」
語彙力が無く、上手く伝えられない。けれど、少ない語彙でも必死に俺の気持ちを伝えようとする。
言葉にしなければ知咲には何も伝わらない。当たり前のことだが、俺はその当たり前はかなり大事なことだ。
だから、俺は何度も自分の気持ちを知咲に伝える。
「俺は知咲が好きだから、知咲に嫌われるのは嫌だ」
普段から口数が少ないせいか、全然言葉が思い浮かばない。これ以上、何を伝えれば良いかわからない。
俺がそんな風に戸惑っていたときだった。
知咲が優しい笑みを浮かべる。
「馬鹿…」
再び知咲の目に涙が浮かぶが、先程の涙とは異なるものであることは俺にもわかった。
「本当に、お兄ちゃんは馬鹿」
そう何度も馬鹿だと言われるとかなり傷付く。実際は馬も鹿もかなり賢いんだぞ。
「私がお兄ちゃんのこと嫌いになるわけないじゃん」
知咲は涙を拭う。
「どういうことだ…?」
俺は知咲の言葉の意味が理解できず、つい訊き返す。
すると知咲は笑顔を作って、口を開く。
「だって、私もお兄ちゃんのことが好きだから」
いつも通り可愛い笑顔で、いつも通りの知咲だった。理想の妹だった。
「だからね、私はお兄ちゃんの前では理想の女の子でいたいの」
俺が感じた違和感はやはり事実だったらしい。
「別に俺はどんな知咲も可愛いと思うぞ」
これは俺の正直な気持ちだ。何をしていても俺には知咲が可愛いと思えるのだ。
「ありがと。でも、これは私のためだから…」
知咲は再び笑顔を作る。
「だから、しばらくはこのままで居させて?」
俺は知咲の言葉の意味がよく理解できなかった。けれど、最高の笑顔でそんな提案をされてしまうと否定できる訳が無かった。