夢の中
空から降りてきた少女に話しかけられた直後。
俺は暗闇の中で、翻弄され流される感覚に陥っていた。
まるで一瞬のうちに、視界が暗転したようだった。
モンスターから受けた攻撃で、出血がひどかったせいなのか。
頭がくらくらと揺れ、ずきりと痛む。
視力も失っているみたい。
助けて貰えたのはいいけど、もはや手遅れだったのでは……
ぞっとする気持ちがこみ上がってきたところで、状況が変わり始めた。
目の前に、おぼろげな景色が浮かび上がってきたのだ。
あたかもスクリーンに映された映像のように。
――地方のとある田舎町。
――夏日に照らされた綺麗な川。
――そこに佇む一人の女の子。
この風景はとてもよく知っている。
こっちの世界へ来る以前、俺の日常的な光景だった。
でもどうして……
不思議に思いながらもその光景を見ていると、女の子は俺に気付いたようだ。
遠目ながらに振り返り、囁いてくる。
『おにーちゃん、ついに見つけたんだね』
エイネちゃん……
彼女は近所に住んでいた女の子で、いつも俺のことをお兄ちゃんと呼んでいた。
もちろん本当の妹というわけではない。
ただ年が離れていたから、そう呼ばれていただけに過ぎない。
そして彼女に関して、それ以上の記憶が何故か出てこなかった。
顔すらあやふやで、ただ可愛かったとしか思い出せない。
目の前の映像もエイネちゃんの顔だけは、影がかかったように見えなかった。
とはいえそれでも彼女だと分かるし、どうしてか安心した気持ちになる。
よかった、エイネちゃんは無事だったんだな。
思わず出てきた感想が、それだった。
ただそう思ったのも束の間、景色はふたたび変化する。
もっとも場所はさっきまでと同じ、俺が暮らしていた守留町。
守留町には神社があったのだけど、そこに場面が移り変わっている。
しかも時間は夜になっていたみたいで、敷地には明かりの燈った提灯が並んでいた。
屋台も出ているところをみると、お祭りのようだ。
そこで俺も、だんだんと気付いてきた。
これってもしかして、去年の夏祭りか……
そう思っていると、ふいに声をかけられる。
『おにーちゃん、この川にはかみさまがいるんだよ』
彼女は川でばちゃばちゃと手を洗いながら、そう話しかけてきた。
うわっ、びっくりした。
気が付けば俺は雑踏の中、エイネちゃんと二人で川沿いに並んでいた。
まるで本当に一年前に戻ったようような感覚になる。
確か俺はことのとき……
『知ってるよ。九音之鈴依(クオトノスズイ)だろ』
そうだ、そう言ったのだ。
確かそんなことが、郷土史に書かれていたのを覚えていた。
俺が住んでいた守瑠町には、昔ながらの伝承が残っていたからな。
それが川の神様の話であり、九音之鈴依のことだった。
もっとも今のは俺の意思とは関係なく、勝手に口が答えたのだが。
どうやら、勝手に話は進んで行くらしい。
まあ過去のことだからな。
そしてエイネちゃんは重ねて、問いかけてくる。
『じゃあ異世界のおはなしは聞いたことある?』
『さぁ、それは知らないかな』
『えへへ、これは知ってる人が少ないの』
彼女はおじいちゃん子だったので、きっとそういう話にも詳しかったのだろう。
なにせこの地域に古くからある、名家のご令嬢だからな。
天居里 詠音(アマイリ エイネ)。
それが彼女の名前だった。
エイネちゃんは俺が知らないと答えると、自慢げに言葉を続ける。
『この守瑠町には、異世界に繋がる場所があるんだよ』
『ふーん、すごいね。それでエイネちゃんはその場所も知ってるの?』
『ううん……でもね、探してるんだ』
『そうなんだ。見つかったら教えてね』
『だったらおにーちゃんも、いっしょにさがそうよ』
『えっ……』
それから、俺とエイネちゃんは……
どうしたんだっけ。
あれ、えーっと……
深く考え込むと、急におぼろげな景色は掻き消えていき――
そして目が覚めた。
――「あっ、クトリール様、お気付きになられましたか」
瞼を開けると、かなりの至近距離で美少女に話しかけらていた。
彼女は俺のことを覗きこむようにして、見つめている。
この子は……
「さっきの白いパンツの子……」
「いっ、いきなり何を言い出すんですか!?」
彼女は急に顔を真っ赤にして、驚くように立ち上がった。
「ちょ、う、うわっ!」
――ドンッ!
その拍子に俺は床へと叩き付けられた。
どうやら俺はさっきまで、彼女に膝枕をされていたようだ。
それがベッドの上から落とされたらしい。
いてて、腰を打ってしまったぞ。
どこかの家なのか……
見渡すと、そう広くもない一室だった。
そうか、俺はあのあと気を失って……
それで、彼女がここまで運んでくれたのか。
起き上がろとしたところ、少女は慌てて駆け寄り屈みこんできた。
「も、申し訳ございません。大丈夫ですか、クトリール様っ」
彼女が心配そうに肩を貸してくれる。
間近で見ると、綺麗な肌をしているのがよく分かった。
こんな美少女に介抱してもらえるなんて、とっても嬉しいけど、でもこの子。
さっきから俺を誰かと間違えているんじゃ……
「ありがとう。でも、人違いかも。俺はクトリールなんて名前じゃないよ」
「いいえ、間違いなくクトリール様ですよ。登録情報は照合済みですから」
この子は一体、何の話をしているんだろ。
俺が何に登録したって……
すぐさま否定しようと思ったが、心の中で引っかかるものを感じた。
そういえば……
クトリールって名前、心当たりがあるかも。
……そうだっ!
勝手に妹が登録をしていたせいで、今の今まで忘れていた。
――クトリール。
それは携帯ゲーム機で使っていた、俺のアカウント名だった。