第八話
「ぶっ飛ばせ、【ドン】!」
注文どおり、【ドン・クアルンゲ】は二体の敵を吹き飛ばす。
数の差を物ともせず、首を振り回して暴れる姿は、制御を失ったダンプカーのようだ。
黒いダンプカーに撥ねられた精隷のうち、片方──青黒い体毛をしたビーバーだ──は、木の幹に激突した拍子に消えてしまった。
「ちっ、化け物が……」
荒ぶる猛牛に向けられた言葉か。はたまた、高笑いを上げて戦闘に興じるその主に対してか。
いずれにせよ、ギルドマスターの表情に余裕などない。彼の仲間たちも、すでに怯えたような目付きへと変わっている。
「怯むな! 一気に仕留めるぞ!」
怒鳴り声と共に、男子生徒は右手でレバーを動かした。製作者が真似たわけでもないだろうが、自動車のシフトレバーにそっくりだ。
彼の精隷は、灰色の毛並みを持つ狼である。
走り出した狼の周囲に、白い靄のような物──冷気が漂い始めた。かと思うと、冷気は瞬く間に氷の鎧へと変化する。
「上等じゃねーか。こっちも元素解放だァ!」
クーは犬歯を剥き出しにして笑いつつ、こちらもレバーを手前に引き寄せる。
直後、【ドン・クアルンゲ】の体中から炎が噴き出した。
蹄や角にまで烈火を纏い、飛びかかって来る敵を迎え撃つ。
「はあぁぁぁぁぁぁぁ!」
「どるアァァァァァァ!」
二体が激突した瞬間、衝撃波に乗った水蒸気が辺り一面に広がった。
それはレアンのいる場所にまで届き、彼は思わず腕で顔を庇う。
『ほ、本当に大丈夫なの⁉︎ 今すごい音したよ⁉︎』
空色の声を聞きつつ少年が瞼を開けると、焚き火が消えてしまった為か、前方は真っ暗になっていた。
しかし、それも一瞬のことであり、すぐに別の光源が森の中を照らし出す。【ドン・クアルンゲ】の体の炎が、再び赤々と燃え上がったのだ。
「……まさか、もう終えってんじゃねーだろーな? これは試合じゃねーんだ。たとえギルマスがやられちまっても、問題なく続けられんだろォ?」
鳶色の瞳に戦意を滾らせて、クーは尋ねる。
この問いに対する回答は、すぐにもたらされた。
「安心しろ……。試合だとしても、続行だ!」
答えたのは、ギルドマスターである男子生徒だった。
彼の精隷は健在であり、威嚇しつつ再び冷気を集めている。
「はっはっは! やるじゃねーか! 貴族の割にはよォ!」
興奮しきった様子で、猛犬は吠えた。
どうやら、闇夜の攻防はまだまだ終わらないようだ。
とは言え、やはりレアンとは関係のない戦いであり、彼自身もそのことは承知しているらしい。
(……助ける義理はないし、そもそも必要もなさそうだな)
レアンは静かに大木の側を離れる。
「ごめん、空色。学園の生徒がいるんだ。
まだ見つかったわけじゃないけど、今日はもう戻るよ」
『う、うん。
本当になんともないんだよね……?』
「ないよ、何も」
少年は踵を返し、元来た道を駆け出した。
※
瞬く間に森を抜け、レアンは図書塔の前へと帰還する。
何事もなく帰り着いた彼を、空色は笑顔で迎えた。
「お帰りなさいっ。
どうだった? 初めてのレアンは」
「取り敢えずは、楽しいかったよ。久々に『体動かしてる』って感じがしたし。
ところで、さっき言ってた話だけど……ほら、フラワーの分泌が制限されてるって奴」
「ああ、そのことについては、中に入ってから、ね?
それに、そろそろレアンから出た方がいいと思うよ?」
彼女の提案で、二人は図書塔内へ戻ることにした。
薄暗いエントランスには、空になった棺桶が蓋を開けて待っている。
「よっこいしょっと」
年寄りじみたかけ声と共に、彼は柩の中に横たわった。と、同時に瞼を閉じる。
すると、胸部が左右に開き、取り込まれていた本が放り出された。
重力に従い床に落ちそうになる本を、彼の手が掴む。
そこにはすでに元どおりとなったタダヒトが立っており、彼は手早く本の仮面を被った。
「お疲れっ。今日はこんなところかな?
まだ適合できてないから、レアンでいられる時間は最大で三十分くらいなんだよ?」
「へえ、案外短いんだな」
「まあ、最初のうちはね?」
レアンに取り込まれていた液体が流れ出すのを見下ろしつつ、彼は相方に尋ねた。
「で、話の続きは?」
「あ、うん。えっと、レアンは見た目どおり少年なんだけど、実はすでに“ヴァルハラシナプス”を持ってるの」
「ヴァルハラシナプス──確か、フラワーの分泌を司る神経細胞だっけ?
さっきも思ったけど、それっておかしくないか?」
フラワーとはこの世のありとあらゆる事象の元となる物質である。
その性質上「無限可能性物質」と称されることもあり、どんな物も元を辿ればこれに行き着くと言う。
無論、魔法の発動にもフラワーは不可欠な要素だ。
しかしながら、人類はヴァルハラシナプスを手にしなければ、これを自己精製することができない。
「そう、普通の人間だったらあり得ないよね? “成人の儀式”を終えてないのに、ヴァルハラシナプスがあるなんて」
妙に淡々とした口調で、少女は言った。
話に上がっている細胞は、本来精霊と契約すること──精隷の場合は従えること──で、少しずつ脳に形成されて行く。
これを完成させることにより、謂わゆる「魔法を獲得した」と呼ばれる状態になるのだ。
「じゃあ、普通じゃないとして、レアンは何者なのか……。
答えはずばり、精霊。それも、[人間]としてデザインされた精霊なの」
「[人間]として……? けど、あの感覚は確かに生身の体だったような」
「たぶん、それだけ鮮明に『描写』したってことだと思うよ? レアンの魔道書を、書き記した人が」
すでに述べたとおり、精霊を呼び出すには魔道書が必須である。そして、魔道書に記載されているのは「召喚・契約の為の儀式」だけではない。
召喚や契約に際し最も重要となるのは、精霊の姿を書き記した術式──すなわち「描写」なのだ。
「精霊の姿や力の強さは、全てこの『描写』の精度によって決まる。精隷はまた違うんだけど……」
「ぐー」にした手を口許に当てて考え込んだ後、彼女は続けた。
「レアンの肉体が生身の人間と変わらないのは、きっと術式を書き上げた人が、人体の構造に精通していたからじゃないかな? じゃなきゃ、[人間]の精霊なんて生み出せっこないもん」
「なる、ほど。想像も付かない話だけど、一応わかった。
そうなると、いったい誰がその魔道書を?」
「詳しいことは、まだわかってないの。でも、彼が[人間]の精霊で、数百年前に召喚されていたことは、確かなんだよ?」
言いながら、空色は目を伏せる。まるで、後ろめたい事実を告白するかのように、彼女は続けた。
「そして、その後長い間、レアンは封印されていた。……私と、一緒に」
彼女のセリフを間に受けるのならば、彼女自身も数百年以上生きていたことになるが……。
例の「心の傷を肩代わりする力」と言い、やはりただの「もやしっ子」でないようだ。
そして、空色が使い魔を操られる──すなわち「魔法を獲得している」ことに関しても、この辺りの事情が関係するのかも知れない。
「そう、だったのか……。
てことは、もしかして空色の呪いとも」
「それも、今は何とも……。ただ、可能性は高いと思うよ?
もちろん、タダヒトがああなっていたことについても、ね?」
「確かに。うん、そんな気がして来たかも」
どこか他人事のように、タダヒトは言う。
彼の様子がおかしかったのか、空色は幽かに笑った。
「でね、どうしてフラワーの分泌が制限されているかと言うと、ヴァルハラシナプスの大部分を失ってるからなの。正確には、それが原因の一つと言うか……。
とにかく、レアンはフラワーを分泌することはできるけど、その力を制御できないんだよ?」
「制御できない?」
「うん。……ただ、そっちに関してはまた今度、説明してあげるね?」
少年を見上げ、彼女は首を傾げる。
二百年間精霊と共に封印されていたと言う少女は、無邪気な笑みを浮かべていた。見た目だけで考えれば、十分に「歳相応」な表情だ。
「何にしても、レアンへの適合に成功すれば、タダヒトは新しい体を手に入れられる。本当に、転生することができるんだよ?」
「[人間]の精霊に、生まれ変わるってことか……」
言ってから、タダヒトは「新たな肉体」に目を向けた。
レアン=カルナシオは棺桶の中で、死んでいるみたいに眠っている。
固く瞼を閉ざしているその顔は、やはり彫像と見紛うほどに白かった。
しかしながら、確かに「人間の少年」であるのもまた事実だ。
「……でも、よくわかったよな。彼が[人間]の精霊だってこと。ぱっと見『本物』と見分け付かないのに」
「それはたぶん、ある程度事前に知っていたからじゃないかな?
あと、確認する為に、機関の人たちもいろいろしてたから」
「へえ、どんなことを?」
「うーんと、なんて言うか……切ったり刺したり煮たり焼いたり──それこそ、いろいろだよ?」
平然と紡がれた言葉の中に、非人道的な実験内容が垣間見える。
当然ながら彼もそれを感じ取ったらしい。「そ、そうなんだ……」と答える声が震えていた。
が、隣りの少女はそんなことには気付いていいのだろう。
遠い昔のことを思い出すような右眼をして、暫時レアンを眺めていた。