第七話
「そうだよー? と言っても、ちゃんと適合できたらの話だけどね?」
「……つまり、実験に成功すれば、俺はこの体を」
「うんっ、手に入れることができるの。
どう? 嬉しい?」
えらく得意げな様子の空色。
レアン、もといタダヒトは、長い前髪の隙間から彼女を見つめ、
「嬉しいっちゃ嬉しいけど……やっぱそれどころじゃないかな。いろいろ、その、超展開すぎて」
「あれ? もっと喜んでくれると思ったのに……。
まあ、いいや。とにかく練習を始めるからね? 立てる?」
呆然としつつも、彼はゆっくりと膝を伸ばす。
レアン=カルナシオの身長は高く、百七〇後半ほどか。まさに中肉中背と言った風貌のタダヒトと比べ、縦に長い印象を受ける。
「大丈夫そうだね?
それじゃあ、外に行くよ?」
「ああ」
レアンは頷き、床に足を下ろした。
二人が鉄扉を開けて外へ出ると、まっさきに夜の風が歓迎してくれる。
「……涼しい、と言うか少し肌寒いな」
「だねー。
どう? 魂だけの時よりも、はっきりと感じられるでしょ?」
「ああ、驚いたよ。風もそうだし、空気が澄んでるのも、草や土の匂いも。
それに、空色だって」
「え⁉︎ わ、私?」
自分の話になるとは思っていなかったのだろう。空色は慌てて彼を見上げた。
「甘い匂いがする。結局食べたんだろ、あのお菓子」
「……あ、そっち?
し、仕方ないじゃん。腐らせるわけにもいかないんだし」
「好きだもんな、甘い物。美味しかった?」
「……あ、味はね?」
味以外に何があると言うのか。
目を泳がせる彼女を見て、レアンは呆れ気味に笑う。
「もう、いいの! 今は実験なの!」
「わかってるよ」
「……ほら、あっち。塔の後ろ側に森があるでしょ?」
「うん、あるな」
図書塔のすぐ背後には、雑木林が迫っていた。木々はほとんど暗闇と同化し、黒い壁が聳え立っているように見える。
「取り敢えず、あの森の中を跳んだり走ったりして来て? そうやって、体の動かし方を覚えるの」
「慣らし運転的な感じか。わかった、行って来る。
──と、その前に一ついい?」
彼は自らの左耳を指差した。
そこには耳たぶを覆う形で、小型の装飾品が取り付けられている。一見して貝殻のようにも見えるが、白い蛹と言った方が適切か。
「これってなんなの? ちょっとくすぐったいんだけど」
「あー、それは通信装置だよ? 私の声を受信できるようにしてるの。
ちなみに、原理は“使い魔”と同じ。そのまま会話ができる優れ物なんだよ?」
「てことは、この中の物も生きてると……」
「うんっ。じゃなきゃ使い魔にはできないもん。
あ、でも安心してね? 蛹には鎧と同じ素材を使っていて、すごく丈夫だからっ」
自慢げに語る空色に対し、レアンは何か言いたげな様子だった。
しかしそれ以上会話を続けることなく、手を離した彼は森に向き直る。
「じ、じゃあ、改めて行って来ます」
「うん、行ってらっしゃい。後でいろいろ指示するからね?」
小さな手を振る少女に見送られ、少年は湿った土の上を歩き始めた。
※
森の中は驚くほど暗く、樹々の隙間からわずかに月明かりが届く程度だった。
にもかかわらず、レアンは難なく闇の中を走って行く。木の根に足を取られることなく、彼は俊敏に木々の間を駆け抜けた。
『タダヒト、聞こえる?』
彼の左耳に取り付けられた装置から、ノイズ混じりのの声が聞こえて来る。
空色からの通信だ。
それにしても、彼女が使い魔を操っているとなると、ある大きな矛盾が生じるはずなのだが……。
「大丈夫、聞こえるよ」
彼は別段、そのことを気にしていないらしい。
「それにしても、すごいな。暗いはずなのにはっきりと見える」
『レアンは夜目が利くからねー。適合に成功すれば、他の感覚ももっと鋭くなるんじゃないかな?
それに、何より彼にはリミッターがないんだよ?』
「リミッター?」
『そう。つまり、普通の人間ならセーブしているはずの潜在的な力が、常に解放されてるの』
「ああ、そう言うことか」
納得するように呟いた彼は、一際強く地面を蹴り付けた。
ワイヤーアクション並に不自然や角度で、レアンは跳び上がる。
高さ数メートルの位置にある木の枝を踏み付けると、彼は勢いをつけて別の枝に飛び移った。「忍者」もしくは「猿」に喩えられそうな軽やかさだ。
「なんとなく、わかるよ。力が有り余ってる感じがする。いつもとは違うけど、でも同じくらい素早く動けそうだ」
『気に入ってくれた?』
「ひとまずは。……うまく扱える自身はないけど」
答えつつ、レアンはそこから飛び降りる。
空中で一回転を決め、落ち葉を踏み締める──と同時に、少年は再び駆け出した。
『確かに、扱いは難しいと思うよ?
レアンはね、身体能力的なリミッターがない代わりに、あることが制限されてるから』
「へえ、何を?」
『“フラワー”の分泌』
「え? でも、それって」
言いかけた彼だったが、突然口を噤み立ち止まる。
何かを発見したらしい。
見ると、樹々の壁の向こう側が、少し明るくなっていた。
灯りの正体は焚き火のようで、その前に誰かが座っている。黒い制服に身を包んでおり、学園の生徒だと言うことがわかる。
『あれ? タダヒトー? 聞こえてる?』
「ああ、うん、聞こえてるよ。
ただ、ちょっと……」
どう説明するべきか悩んでいるのだろう。
彼は抜き足差し足で進み、木の幹の陰からその後ろ姿を観察した。
大きな背中を丸めて胡座をかいている様子からは、どこか哀愁じみた物が感じられる。
(あの人、もしかして昨日の)
レアンはようやく気付いたらしい。そこに座っているのは、昨日コノート国との試合に参加していた男子生徒──クー・フーリガンであることに。
(何でこんな所にいるんだ?)
興味を覚えたのか、彼は息を潜めたまま観察を続けた。
クーは、手の中にある何かに視線を落としている。レアンのいる場所からでは見えないだろうが、どうやらそれは剣の形をしたエンブレムであるらしい。
『どうしたの? 何かあった?』
会話が途絶えたことで、心配になったのだろう。先ほどよりも不安げな空色の声が聞こえた。
どうやら通信機として使われている虫は、通常の使い魔とは違い、目に映った「映像」を主に送信できないらしい。
もしくは、蛹の中にいる為、そもそも見えないのか。
とにかく、少年はその問いかけに答えられず、唇を結んだまま様子を窺っていた。
その時──
「……出て来いよ。隠れてるのはわかってんだ」
獣が唸るような声で、クーが言った。
少年は、思わずその場で背筋を伸ばす。
まさか、隠れて覗いていたことがばれてしまったのだろうか?
「来ねーのか? なら、こっちから行ってやらァ」
彼はエンブレムを制服の内側にしまい、のそりと腰を上げた。
当然、レアンはかなり焦っているだろうが、それでいて木の傍から離れようとしない。
すると、彼にとって予想外であろう出来事が起こる。
クーの体が向いている方から、学園の生徒たちが現れたのだ。
闇から姿を現したのは八人。当然ながらみなスレイブキャスターを携帯しており、なおかつ殺気立っていた。
そのうちの一人──狼の横顔を模したようなエンブレムを付けている──が、大仰な態度で口を開く。
「大した嗅覚だなクー・フーリガン。さすが、猛犬と呼ばれているだけのことはある」
「はァ。……なんだ、そんなこと言いに来たのか?」
「むろん、違う。我々は『裏切り者』を処刑しに来たんだ」
「だよなァ。だと思ったよ。
けど、考え直さねーか? 同じアルスターの代表生徒なんだ。仲良くやってこーぜ?」
「断る」
男子生徒は鉈を振り下ろすような口調で、きっぱりと拒否した。
彼は丸い縁なし眼鏡をかけており、どことなく生真面目そうな印象を受ける。
が、レンズの奥から「裏切り者」に向けられている瞳は、冷徹その物だった。
「自分が何をしたのか、忘れたわけではあるまい。お前が暴走したせいで、どれだけの同胞が学園を去ることになったか……」
「悪かった。その件に関しては、俺も反省してる。だからこそ、寮に転がり込まずに野宿してんじゃねーか。まあ、気まずいってのもあるが」
「反省など、何の意味もなさない。もう手遅れなんだ。
お前には……我がアルスター国の未来の為に消えてもらう」
彼のセリフをきっかけに、生徒たちはスレイブキャスターを手繰り寄せる。
盾に似た形の本体から、一斉にプレートが展開された。
「……そーかい、勝手にしろよ。
けど、知らねえぞ? 残り少ない同胞たちが、だーれもいなくなっちまってもよォ」
「……何が『反省している』だ」
男子生徒は怒りに声を震わせる。
しかし、クーには全く悪びれる様子がなく、それどころか歯を見せて笑っていた。
「後悔させてやる! 駄犬の分際で歯向かったことを!」
「術式疾奏!」と言うかけ声と共に、彼らはスイッチを倒す。
虹色の光が駆け巡る様を目の当たりにしつつ、クーも得物を起動させた。
「噛み付くのは当たり前だろーが! 猛犬だったらよォ! ──術式疾奏!」
直後、生徒たちの頭上が揺らぎ、それぞれの僕が姿を現す。
少年はまたも、戦いの様子を見守ることとなった。