第四話
一部始終を崖の上から見下ろしていたタダヒトは、徐にフィアナに向き直る。
それから、少々気まずそうに口を──ないのだが──開き、
「あ、あの、俺たちもう行くよ。
それで、よかったら道を教えてもらいたいんだけど……図書塔ってどう行けばいいのかな?」
「は、はい。えっと、ここからですと学園の大通りまで戻ってから、噴水を目指して進んで、そこを森のある方へ曲がってしばらくしのはずです」
「なるほど、全然違う方に来ちゃったんだな……
ありがとう。着いて早々迷子になったんだ」
「いえ、どういたしまして……。
でも、あそこに行って何をされるんですか? 確か、永らく封鎖されていると聞きましたが」
「まあ、そうなんだけど、それを立て直すのが仕事と言うか……」
言いかけたタダヒトは、早々に会話を切り上げた。
「とにかく、助かったよ。
それじゃあ、俺たちはこれで」
何か言いたそうにしているフィアナを置いて、二人は高原へと歩いて行く。
「はい、棺桶」
「やっぱり背負ってなきゃいけないのか」
「当然だよ? タダヒトのなんだからー」
そんなやり取りを経て、少年は再び黒い柩を背負う。
去って行く二つの黒いローブを、フィアナはしばらくの間じいっと見送っていた。
──結局、タダヒトは最後まで気付かなかったようだ。
彼らの他にも、烏のように黒いミミズクが一羽、枯れ木の枝の上から戦争の様子を眺めていたことに。
※
果たして、フィアナに聞いた道順どおりに進んだタダヒトらは、無事図書塔へと辿り着くことができた。
図書塔とは「読んで字の如く」である。塔と呼ぶにはいささかずんぐりとしすぎているが。半球形の屋根を頭に乗せており、灰色の鳥籠のようにも見える。
予め鍵だけは受け取っていたのだろう、空色がそれを使って開錠した。
重厚な鉄扉を押し開けながら、二人は薄暗い塔内に足を踏み入れる。
一階は半ばエントランスのような造りになっており、古びた木の長椅子が乱雑に並んでいた。
「やっと着いた。長かったなぁ、ここまで」
さっそく荷を下ろす、タダヒトは手近な椅子に腰かける。砂や埃が盛大に舞うが、彼は全く気にしていない様子だ。
むしろ、傍にいた空色が少しむせていた。
「けほっ、こほっ」
「あ、ごめん、大丈夫?」
「うん、平気だよ?
でも、本当に大変だったね? 特に、学園に着いてからが」
「そうだな。いきなり凄い場面に出くわしちゃったし」
言いながら、タダヒトはあることを思い出したらしい。
「て言うか、さっきのアレ。なんでなんだ?」
「え? 何が?」
「能力だよ。彼女に使ってただろ? どうしてあんなことしたんだ?」
「ど、どうしてって、あの人の心の傷を代わってあげようと思って。
タダヒトこそ、なんでそんな風に言うの? 私のしたこと、間違ってたかな?」
「いや、そう言うわけじゃないけと」
拗ねたような口調で言われ、彼は返事に窮する。
少女の能力とは、簡単に言ってしまえば「他人の精神的負傷を物理的な傷として肩代わりする力」のようだ。
そして、「代わる」と言うからには、結果として対象の謂わゆる「心の傷」を、軽減させらることも可能なのだろう。
「とにかく、あまり無闇に使わないように。局長にも言われただろ? 『無理はするな』って」
「……わ、わかってるよ? それくらい。
そんな、怒らなくてもいいのに」
「別に、怒ってはないって」
「そうかなぁ?」
どうにも納得できないらしい。声からしてむくれっ面になっているのがわかる。
と、そこで彼女は徐にフードを脱いだ。隠れていた素顔が、露わになる。
まず初めに現れたのは、絹糸のように白い髪の毛だった。
背中に着くくらいにまで伸ばしているらしく、「さらさら」と言うよりかは「ふわふわ」と言う擬音の方がしっくり来そうな、変わった髪質をしている。
また、頭の左側には赤い紐──蝶々結びにしたリボンが垂れており、それはある物に設えられた飾りであった。
そのある物とは、左眼を覆う真っ赤な眼帯だ。全てにおいて白い少女の中で、眼帯の赤は異様なほど際立って見えた。
「怒ってると思うけどなぁ?
だいたい、タダヒトが勝手に行っちゃうから悪いんだよ? しかも、見つめ合ってたし」
目──もちろん右眼であり、金色の黒眼が特徴的だ──を逸らしたまま、なおも反駁する空色。納得いかないとばかりにむくれてみせる。
背もたれに寄りかかった少年は、どこか呆れた様子だった。
呆れながらも、ぼんやりと空色の眼帯を眺めているらしい。
「だから、あれは単なる成り行きなんだってば」
「でも、本のお話で盛り上がってたよね?」
「それだってあの娘が勝手に──って、そこから聞いてたのか」
「……いいよ、もう。
私、他の部屋見て来るね?」
「え、ああ、いってらっしゃい」
「それと、棺桶。まだ開けちゃダメだよ?」
「わかってるよ」
足音を響かせ、彼女はエントランスの奥へと歩いて行く。そちら側には空になった書架が、やり終えたドミノみたいに幾つか倒れていた。
しかし、通れるスペースくらいはまだ残っており、彼女はそこを歩いて奥の出入り口へと消えてしまう。
相方の小さな背中を見送ったタダヒトは、顔を前に戻した。
それから徐に、仮面のような本の表紙に手を触れる。
(いくら傷はすぐに治ると言っても、痛みを感じないわけじゃない。それに、肩代わりする傷によっては、治癒されない場合もあるのに……)
にもかかわらず、空色はどうしてそこまで能力を使いたがるのか。彼には、理解できないのだろう。
加えて、少年は知っているようだ。少女の左眼が潰れてしまった理由を……。
宙空を見るともなしに見つめながら、タダヒトはしばらく物思いに耽っているらしかった。
目があれば、「遠い目」をしている所だろうか。
と、その時、彼の視界の隅にある物が映り込む。
他でもない、足元に寝かしたままの黒い棺桶である。虚空を眺めるのを止め、タダヒトはそちらに視線を落とす。
(……これって、結局何が入ってるんだ? なんか、生きてるっぽいこと言ってたけど)
再び首をもたげた好奇心は、急激に成長を遂げたようだ。彼は棺桶から目が──ないのだが──離せなくなっている。
(ちょっとだけ中を覗いてすぐに蓋をすれば、バレないよな……)
今、ここには彼一人しかいない。よからぬ考えが頭に浮かんだとしても、仕方のないことだろう。
タダヒトはとうとう立ち上がり、棺桶の前で屈む。
艶のある冷たい質感の柩は、無言のまま横たわっていた。
ゴクリと、彼は生唾を呑み込む。若干緊張している様子だったが、それでいて躊躇いはなかった。
少年は、謎の棺桶の蓋に右手を伸ばす。
そして──
「もう、やっぱり勝手に開けようとしてる」
「おわっ⁉︎ 空色!」
飛び上がりそうなほど驚きながら、タダヒトはエントランスの奥側に顔を向ける。
そこには、空色が腰に手を当てて仁王立ちしていた。猫のように丸かった瞳を、「呆れた」と言わんばかりに細めている。
「ち、違うんだ。これはその……ふ、蓋に埃が付いちゃったから、綺麗にしてあげようと思って」
「……そんなに気になるの? 中身」
「え? そ、そりゃまあ。ここまで何も聞かされずに背負って来たわけだし」
「そっかぁ。じゃあ、いいよ? 蓋、開けても」
「え、マジで?」
「うん。本当はもう少し落ち着いてからにするつもりだったんだけど……。でも、タダヒトがどうしても見たいって言うんなら、特別に開けさせてあげるね?」
意外なことに、あっさりと許可が下される。
彼はしばし彼女の顔と棺桶とを見比べていたが、
「そう言うことなら、お言葉に甘えて……」
結局、中身を見たい気持ちには抗えなかったようだ。
「右横に丸いのが付いてるでしょ? 光ってる所。そこが鍵だから、押してみて?」
「丸いの? ああ、これか」
棺の右側面には蓋と本体とを跨る形で、お椀型に盛り上がっている箇所があった。
そして、確かにその中心は、黄緑色の丸い光を放っている。
タダヒトは指示に従い、蛍光色の光に触れた。ボタンのようになっているらしく、彼はそれを押し込む。
すると、明らかに鍵が開錠されたとわかるような音と共に、蓋の部分が数センチ浮き上がった。隙間から吐き出された白い煙が、そこはかとなく不気味である。
「うわっ、煙出て来たんだけど。何これ、どうなってんの?」
「中身を保存する為に、特別な液体で満たしてるの。たぶん体に害はないし、そもそもタダヒトは体がないから平気だよ?」
「そ、そう……」
どことなく釈然としていなさそう様子だったが、とにかくタダヒトは蓋に手をかけた。
意を決したらしく、一思いに柩を暴く。
蓋は箱の部分と蝶番で繋がっており、まるで黒い折り紙で切り絵をしたような形になった。
そして、棺桶の中には──
血のように赤い液体に体を浸し、一人の少年が眠っていた。