第三十五話
モリガンは両手に刀を召喚し、砂塵と共に間合いを詰める。
最初に右、続いて左と、彼女は目にも留まらぬ速さで斬撃を繰り出した。
精霊の少年はこれらを紙一重で躱すと、負けじと回し蹴りを放つ。
処刑人はこの烈火の如き一撃を、黒い刃をクロスさせて受け止めた。
「……先ほどまでとは動きが違うな。……この短い間にいったい何があった?」
「まあ、これでも四回目ですからね。さすがに体の使い方も覚えますよ」
おそらく、「三位一体」となった彼は、全ての分身たちの記憶を併せ持っているのだろう。
不敵な表情で答えたレアンは右脚を下ろし、瞬時に相手の懐に入り込む。
大きく踏み込むと、体重を乗せた紅蓮の拳をまっすぐに突き出した。
モリガンはこれも刀で防ごうとしたようだが、よほど威力があったのか、二つの刃はあっけなく砕け散る。
「……ふん」
鼻を鳴らした彼女は咄嗟に飛び退き、彼の正拳突きから逃れた。
「……何故だ。……何故貴様はあの場所から出て来た? ……あそこにいれば少なくとも死なずに済むはずだ。……まさかわざわざ殺されに来たのではあるまい」
「……もちろん、ここで死ぬつもりはありません。俺はただ……彼女の言葉に応えたくなっただけです」
レアンはそこで拳を下ろし、構えを解いた。
フラワーと同じ色で光る瞳を、「魔道書の処刑人」に向ける。
「精霊を完全に消滅させるには、契約者を殺さなければならない。……つまり、あなたがレアンを処刑すると言うことは、必然的に契約者である新祖──空色も殺されることになる」
「……だったら何だと言うのだ。……貴様があの女を護るとでも?」
「ああ。──たとえこの先何度あんたが襲って来ようと、全て俺が倒す! もう誰にも、空色を傷付けさせない!」
彼の声や表情からは、確固たる意志が見て取れた。もはや少年は「ただの人」などではない。少女を護る存在であり、同じ世界に生きる仲間──であることを、自ら選んだのである。
「……くだらん。……魔法すら使えぬ分際で私に敵うはずがない」
モリガンは無表情のまま、彼の言葉を一蹴した。
確かに、彼女の言い分はもっともだ。魔法を使える者とそうでない者──つまり、魔力を有している者とそうでない者──の間では、圧倒的な戦力の差が生じる。
だからこそ、学園では頻繁にギルド同士の試合が行われ、生徒たちは魔法を習得する前に、他国の力を削ろうとするのだ。
「……死人に口なし。……亡霊はただ黙って見ていればいい」
直後、モリガンの体中から青白い炎が燃え上がった。まるで、自らの魔力の強大さを見せつけるかのように。
炎は二本の腕となり、更にこれも火焔でできた巨大な斧を握り締める。
彼女は両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、炎の腕で斧を振り下ろした。
これを見たレアンは、真横に飛んで回避する。斬撃の威力は絶大で、数瞬前まで少年が立っていた場所に深々と突き刺さった。
(早く、フラワーを溜めないと!)
煮え滾る斬首の刃を横目に見つつ、彼は拳を握る。右手の周囲が陽炎みたいに揺らめき、玉虫色の蛍火が拳の先に浮かんだ。
が、当然悠長にチャージしている暇はなく、すぐさま炎の巨斧が飛んで来る。
少年はやはりアクロバティックな動作で飛び退きながら、辛うじて直撃を免れた。
「……大口を叩いた割には逃げることしかできないようだな」
処刑人がそう言った直後、燃え盛る火焔の一部が鷲の形へと変わり、レアン目がけて羽ばたいて行く。
それも、立て続けに二羽。
一匹目は身を翻して躱すことができたが、二匹目は左肩を掠める。
それにより生じた隙を相手が見逃すはずもなく、彼の頭上から巨斧が振り下ろされた。
レアンは咄嗟に両足を踏ん張り、左手を突き出して刃を受け止める。
「ぐっ、あっ」
装甲のグローブ越しにも熱を感じるのか、彼は苦しそうに顔を歪めた。五本の指や掌は炎に焼かれ、少しずつ爛れて行く。
「……貴様の罪は二度目の命を求めたこと。……言うならばこれはその罰だ。……亡者に次などありはしない」
「……そんな、こと……わかってる。二度目がないことくらい……俺だって、わかってる!」
抗うように、レアンは答える。彼の右手に集約されたフラワーの光は、先ほどの何倍もの大きさになっていた。どうやら、チャージするスピード自体は、「三位一体」以前よりも格段に速くなっているようだ。
「けどっ、だから……分身なんかじゃ意味がないって、気付いたんだ。……たとえこの先何百万回蘇ったとしても、それは全て俺じゃない。
俺は、そんな──死なないだけの魂よりも、たった一度きりの命が欲しいんだ!」
少年は叫びながら、わずかに斧を押し戻す。
腕一本の力にもかかわらず、モリガンの炎に負けていないのだ。
これは彼女にとっても予想外だったようで、暫時眉間に皺を刻んだ。
が、かと言ってモリガンの有利が覆ることはないだろう。
火焔の一部が再び炎の鷲へと変わり、レアンの息の根を止めんと飛んで行った。
「……今度こそ終わりだ」
紡がれたのは、首吊り台の奈落が開くような、無情な声。
鷲は少年を襲い、瞬く間に炎の壁となって、彼の体を包み込んだ。
地獄の業火に焼かれ、レアンは断末魔の如き叫び声を上げる。
体を焼かれる苦痛に喘ぐ彼の元に、「留めだ」とばかりに巨斧が振り下ろされた。
炎の壁を斬り裂いた瞬間、処刑の斧はそれと混ざり合い、巨大な火焔の鳥籠を作り出した。
──ほどなくして、少年の絶叫は聞こえなくなり、轟々と炎が燃える音だけが辺りに響く。
その様子を、空色は数百メートルほど離れた場所から見つめていた。
(タダヒト……)
彼女はきっと唇を結び、祈りを捧げるみたいに胸の前で手を組む。
どうやら、空色はまだ信じているようだ。彼は、必ず無事であると。
そして、「死」の権化を撃退するのだと。
(タダヒト、どうか……お願い!)
涙が零れ落ちるのを堪えるような目付きで、少女はレアンのいた所を凝視している。
鳥籠の前に立っていたモリガンは、そこで踵を返した。
もう必要ないと判断したのか、その体からは炎が消えている。
そして、マネキンじみた顔を空色へと向けた彼女は、ゆっくりとそちらへ歩き始めた。
銀色の髪と緩く締めたネクタイが、風に揺れる。
(……あの女を消してしまえば全てが終わる。……何もかも全てが)
次なる標的に狙いを定めた様子の処刑人を止められる者など、もう誰もいないのだ。
一歩、また一歩と、確実に人の形をした「終わり」が近付いて来る。
少女の顔は恐怖の為か強張り、とうとう彼女は目を瞑ってしまった。
(……タダヒト!)
モリガンは誰にも止められることなく、無言のまま歩みを進めた。
──いや、「進めていた」のである。
それが、起こるまでは。
「………………………………………………待てよ」
聞こえるはずのない声が聞こえた瞬間、彼女は足を止めた。
その声は、確かにレアンの物である。
しかし、どうして彼はまだ「無事」なのか。業火に身を焼かれたと言うのに、何故?
モリガンにもその答えはわからなかったのだろう。
彼女は事実を確かめるべく、すぐさま声のした方へと振り返る。
──と、同時に、その横っ面に回し蹴りが飛んで来た。
炎の檻から飛び出したレアンが、相手の振り向き様を蹴り付けたのである。
一片の容赦もない奇襲に、モリガンの首はぐるりと回転し、体ごと吹き飛んでしまった。
常人であれば致命傷であることは言うまでもない。
──はずなのだが、彼女は数メートル先で軽やかに着地を取った。
(……何があった⁉︎ ……何故奴が……)
モリガンは、まるでお遊戯レベルの手品のように──箱も演技もないのだが──、両手で自らの頭を持って、元の向きへと戻す。
いささかシュールな方法で首を治した彼女は、疑問に対する「答え」を知ることとなった。
そして、凍り付く。
そこに佇んでいた少年は焼け焦げた装甲を纏い、顔や頭にも至る場所に火傷を負っているのだ。
そのダメージは尋常ではないらしく、レアンは酩酊しているかのように体を揺らす。
つまり、彼は何かしたわけではなかった──むしろ、何もしなかったのである。
策を弄するのではなく、じっと耐え凌ぐことで反撃のチャンスを掴み取ったのだ。
「……あり得ん。……いくらリミッターが外れていると言えどあの炎を耐え切るなど……」
「……集中、してたんだ。フラワーを溜めることに。……そのお陰で、我慢できたよ」
火傷を負い爛れた口許を動かして、レアンは紡ぐ。しかしながら、それこそ「あり得ん」ことだろう。
いくらフラワーのリロードに全神経を注いでいたからと言って、体を焼かれる痛みを感じないはずがない。
モリガンは──その使い魔は──理解の範疇を超えた物を見るような目を、彼に向けていた。
その視線の先で、レアンは腰を落とし、右の拳を引くように構える。
「そして、充填完了だ!」
彼の言葉を裏付けるように、その拳からは目が潰れそうなほど強烈な光が放たれていた。ヴァルハラシナプスから引き出されたフラワーが、全てここに集約されているのだ。
「……行くぞ、処刑人!」
レアンが言った瞬間、彼の右腕の装甲が、パカリと左右に別れる。二つに分かれた装甲の間には、透明な目盛り付きの細長い窓──あるいは「ゲージ」が覗いていた。
「ゲージ」はぐんぐんと玉虫色の光を吸い上げて行く。拳から肘の辺りにかけて、フラワーに満たされて行くかのようだった。
──それから目盛りが全ていっぱいになると、その腕から生えた手が黄金の塊へと変わる。
黄金の塊はどろどろに溶け出し、流動しながら、やがてある物の形となって動きを止めた。
──果たして、彼の右腕の先に現れたのは、黄金の拳だった。
それだけならば単に色が変わっただけだが、先ほどまでと大きく違っている点が一つ。
拳の先には、中指の付け根の辺りに、かえしのある菱形の刃が突出しているのである。
「こいつの威力なら、俺だって知ってる!」
「……我が星槍を真似たか。……いいだろう」
彼女はそう言うと、ズボンのポケットから右手を取り出し、地面に向けて翳した。
すると、何もなかった空間から黄金の筒が現れ、瞬く間に前後に伸びて行く。
ほどなくして黄金の槍──アステリオスとなったそれを、モリガンは掴み取った。
慣れた手付きで演武のように振り回してから、彼女はその切っ先を少年に向ける。
「……来い死に損ない」
彼女の言葉に答えるよりも先に、レアンは駆け出していた。
彼のマフラーの両端は風にたなびき、大きく広がって行く。独特の斑が浮かぶそれは、まるで巨大な蝶の翅のようだった。
光の翅を開いた少年は敵との距離を詰め、拳を振りかぶる。
一度フラワーを使ってしまえば、しばらくの間はリロードできなくなる。よって、モリガンを倒すにはこの一撃で決める必要があるのだ。
ならば、彼はどうすべきか。
どのようにすれば、「必殺の一撃」を叩き込むことができるのか。
──あ、そうだ。次の練習の時は、フラワーで作った物の名前を呼んでみるのはどう?
──学園の人たちが精隷に指示を出す時に、精隷の名前を叫んだりするでしょ? あれと同じで、描写した物を認識しやすくなるの。つまり、名前を呼ぶことで暗示力を高めるんだよ?
答えは、明白のようだった。
踏み込んだレアンは息を吸い込み、ありとあらゆる感情を腹の底から吐き出すような声で、叫ぶ。
「アステリオス・バァァーストォォォォォォ!」
刹那、彼は星槍と一体となった拳を突き出した。
唸りを上げる「アステリオス・バースト」を、モリガンは本物のアステリオスで迎え撃つ。
二つの切っ先は真っ向からかち合い、衝撃の波動が幾度となく荒野を揺らした。白い電流がビリビリと迸り、周囲の空気を焼き焦がす。
「標的を必ず刺し貫く魔法の槍」同士のぶつかり合いは、熾烈を極めた。第三者が下手に介入しよう物なら、触れるより先に吹き飛ばされてしまいそうだ。
喩えるなら、「韓非子」の一篇に登場する最強の「矛」同士の衝突。
どちらも「この世に並び立つ物のない強さ」であるならば、決着が付かないこともあり得ただろう。
しかし、二つのアステリオスは、全く同じ力を持っているわけではないらしい。
片方の槍の刃先に、わずかにひびが走り始めたのだ。
「……何⁉︎」
喫驚の声を零したのは、モリガンだった。彼女の握る「魔法の槍」は、みるみるうちにひび割れて行く。
樹木が深く根を張るように、亀裂は瞬く間に全体へと広がった。
そして、とうとう──
相手の力に耐え切れなくなった黄金の槍は、一気に砕け散ってしまう。
瞬間、処刑人は興醒めしたような口調で、こう呟いた。
「……所詮は四割か」
彼女のアステリオスを撃ち砕いた拳は、黒い羽毛が舞う中で停止する。
かと思いきや、なんとそれは手首から離脱した──いや、発射されたではないか。
さながら「ロケットパンチ」のように──と言うかそうそうとしか言いようがない──、拳は煙を上げて空中を突き進む。以前彼が誤射した「ミサイル」よりも、遥かに速いスピードで。
黄金の「ロケットパンチ」は何者にも阻まれることなく、モリガンの頭を吹き飛ばした。
グレネードランチャーでも喰らったみたいに、彼女の首から上は消し飛び、かと思うと黒い羽毛が盛大に舞い上がる。後に残ったのは、やはり一羽の鴉の死骸だけだった。
標的を撃破した黄金の拳は、しかしまだ止まらず、煙の尾を引いて空を駆ける。
少年の拳は学園の敷地を越え、海を遥か遠くに見下ろしながら、どこかへと飛んで行くのだった。




