第三十三話
戦場を望む崖の上から引き返した二人は、雑草の茂る高原へと差しかかっていた。
無言で歩みを進める空色の後を、タダヒトが付いて行く。
しばらく二人の間に会話はなかったが、ちょうど離れ小島のように岩が顔を出している所へ来た時、少年が口を開いた。
「空色、大丈夫? もしかして疲れた?」
彼の問いに、少女は意外そうな顔をして立ち止まる。
そして、振り向くと共に微笑みを浮かべた。
「ううん、平気だよ?
どうして?」
「あ、いや、学園に着いてからずっと歩きっぱなしだったから……。それに、フード」
タダヒトは手を上げて、頭に何かを被せるような動作をする。
「被ってないけど、いいのかなって」
「え? ……あ」
そこでようや気付いたのか、自らの頭に手を触れた彼女は声を上げた。
「ほ、本当だね? 忘れてたよー。
けど、大丈夫だよ? これくらいなら」
「そっか。でも、あまり無理はするなよ? 疲れたら遠慮なく言ってくれていいから」
「うん、ありがとう」
はにかむように笑う空色は、一見して普段も変わらぬ様子である。
ひとまず安心したらしいタダヒトは、思い出したように話題を変えた。
「ところで、一つ訊きたいんだけどさ」
言いながら、彼は自らが背負っている大荷物に手を触れる。
「これって、結局何が入ってんの? そろそろ教えてよ」
「へ? 何って、棺桶だけど?」
「いやそれはわかってるんだけど……なんで棺桶? こんな物携帯して、何か意味あんの?」
「それは、えっと……また後で教えてあげるから、ね?」
「……怪しい。──あ、もしかして」
「な、何?」
「実は生きてたりしてな、この中身」
おそらく、何気なく言い放たれたであろうその言葉に、彼女は息を呑んだ。
そしてすぐさま、逃げるように俯いてしまう。まつ毛が作り出す陰の中で、黄金の瞳は雑草の茂る足元を映し出した。
「空色? ……もしかして、マジで生きてるとか?」
「ううん、違うよ?」
「まあ、さすがにそれはないか」
「……そりゃそうだよー。棺桶だもん。……生きてるわけ、ないよ……」
相手の顔を見ずに、少女は紡ぐ。渦巻く「感情」を必死に抑え込むような、静かな声で。
緩やかな風が二人のいる高原を吹き抜ける。その度に、周囲に生えたシロツメグサが、三枚の葉と白い花を揺らした。
暫時、世界が眠ってしまったかのような静寂が、少年と少女を包み込む。
──が、その時。
ようやく空色が面を上げようとした、その時。
突如、青澄んだ空の上方で稲光が走った。
かと思うと、次の瞬間、雲一つない青空から雷が落ちて来たではないか。
轟音と共に降って来た電撃は、タダヒトの体に真上からまっすぐに貫く。
視界を塗り潰すような強烈な光に、空色は顔を覆った。
「──た、タダヒト⁉︎」
瞼を開けた彼女は、悲鳴のような声で彼の名を叫ぶ。
しかし、すぐに黄金の右眼を見開くこととなった。
少年の胸の真ん中から伸びる黄金の槍が、目に映ったからだろう。
アステリオスはまるであの「本の海」にいた時のように、タダヒトの体に突き刺さっていた。
「なんで……? どうして、アステリオスが……」
空色が呟くと、「ターゲットがどこにいようと絶対に貫く『魔法の槍』」は、たちまち溶け出してしまう。
瞬く間に金色の液体となったアステリオスは、彼の胸に開いた穴から中に入り込んで行った。
落雷をもろに受けたはずのタダヒトは、不思議なことに無傷──槍による物を除いて──である。
「もしかして……」
彼の姿を見つめていた空色は、何かに気付いたように声を漏らした。
そして、彼女が続く言葉を口にするよりも先に、少年が俯いていた顔を上げる。
「……ごめん、空色。……遅くなっちゃったな」
「やっぱり──本体なの⁉︎」
「ああ」
タダヒトは言下に頷くと、どこか気恥ずかしそうに本の表紙を掻いた。
「いやぁ、やっと出て来られたよ」
「す、凄い……自力で『ノベルザナドゥ』を脱出するなんて……。
で、でも、今出て来ても……」
空色の顔には不安の色が浮かんでいた。彼の魂が「世界ですらない場所」から解き放たれたのだから、もっと喜んでもいいように思えるが……。
実際には、そう簡単なことでもないらしい。
「まだ、レアンとの適合に成功してないんだよ? この先実験がうまく行くとも限らないし、それに、モリガンがまた襲って来るかも……。
もしまた彼女に殺されちゃったら……? 分身とは違って、もうやり直せないんだよ?」
彼女はほとんど叱責に近い口調で、そう言った。タダヒトの顔を見上げる瞳が、思いつめたように揺れている。
「わかってくれるよね? もう二度と、危険なことはできないって」
「……そうだな。空色の言うとおりだ」
対して、彼の声は高原に吹く風のように穏やかだった。
おそらくはそのことが、空色の不安を一層募らせたに違いない。
案の定、続く言葉は彼女が望んでいないであろう物だった。
「けど、当たり前のことだろ? 人生に、二度目がないなんてさ」
実に当たり前で誰だってわかっているようなことを、タダヒトは言った。しかしながら、それでいて誰もが忘れそうになることだ。
空色は反駁に窮したようだが、無理矢理押し切るように口を開いた。
「そうだとしてもダメだよ! タダヒト、あの人たちを助けに行くつもりなんでしょ? 今度こそ、絶対行かせるわけには」
「空色は、優しいよな。
けど、もういいんだ。空色が護ってくれなくても、俺は大丈夫だから」
「……違うの」
「俺も、生きるべき世界は自分で選ぶって決めたんだ。……だから」
「違うの!」
膨張し過ぎた風船が許容量を超えて破裂するように、彼女は大声で彼を遮る。
ふわふわの髪が激しく揺れるほどの勢いで、空色は捲し立てた。
「私はそんな、優しくなんてないよ! あなたのことを護っている気になって、満足していただけだもん!
あの時だって、本当はちゃんとタダヒトを引き止められたのに、なのに……。『もしモリガンに殺されちゃっても、また私の呪いで直せばいい』って、そう思って……」
少女の声は次第に震えて行き、はっきりと湿り気を帯びるようになる。
やがて、シロツメグサの三つ葉の上に、雫が零れ落ちた。二人の頭上に広がる空は晴天にもかかわらず、雨が降り出したのだ。
「タダヒトには、私が必要だから……私が生きているのは、『タダヒトの為』なんだって、自分に言い聞かせたかったの。……そうやって、ずっとずっと、目を逸らし続けていたかった……」
空色は、涙で飽和した目を擦る。必死に抑え込んでいた反動か、それは止めどなく溢れて来た。
「私、『今』を見るのが怖い。だって、私に残っているのは記憶や呪い──新祖だった『過去』だけだから。
……わたしっ、私ね……? ほんとは、何も持ってないんだよ? 生きる理由も、生きるべき場所も……。棺桶の中でねむってるうちに、からっぽになっちゃったの。……これじゃあ、結局、レアンと、かわらないよ……」
せぐり上げて来る大粒の涙を、彼女は堪えようとしなかった。小さな手で必死に拭い、鼻を啜る。
彼は立ち尽くしたまま、少女が泣きじゃくるのを黙って見つめていた。
──が、やがて、
「……俺も、同じだよ」
やはり穏やかな声で、そう言った。
「俺も空色と同じで、何も持ってない。今までだって、ずっと『死なないでいた』だけだ……。
けど、それでも俺は、『ここで生きたい』って思った。……あの時、君が」
それから、タダヒトは徐に右手を差し出す。
「君が、『一緒に行こう』って言ってくれたから。……だから、この世界を選びたいって、思えたんだ」
少年はゆっくりと、しかし躊躇うことなく手を伸ばして行った。
「俺も、もう目を逸らさない。だから、君も……見ていてくれないか?」
やがて彼の指先が、それから掌が、少女の左頬に触れる。
「タダヒト──手!」
空色は驚いたように、彼の顔を見上げた。
それは、まるで二人が出逢った瞬間を、立場を変えて再現したかのような光景。
彼らに訪れる「総合命題」の時は、もうすぐそこまで迫っているらしい。
※
戦場にて。クーの阿羅漢化による暴走は激化していた。
スレイブキャスターの誤作動は収まらず、渾沌とした荒野の中で怪物が暴れ回る。
咆哮と共に飛び上がった彼は、鋼鉄の右腕を振りかぶった。その拳は瞬く間に炎に覆われ、燃え上がる隕石のように振り下ろされる。
対するモリガンは、こちらも青白い炎の腕で拳を作り、正面から殴り返した。
直後、彼らはクロスカウンター形となり、それぞれ反対方向へ弾き返される。
ロングコートをはためかせながら着地したモリガンは、血の混じった唾を吐き出した。
「……想定外だ。……学生如きに頬をぶたれるなど」
処刑人は焼け爛れた頬に触れてから、冷たい眼差しを送る。その視線の先では、隻眼の怪物がほとんど四つん這いに近い体勢で佇立していた。
前屈みになり顔を地面に向けていたクーは、低い声で唸る。
すると、鎧の背中から生えた二本の角の先端が、それぞれパカリと開いた。中は空洞となっているらしく、断面は黒く塗り潰されている。
そして、その闇の中から、これまたジャックのようなパーツが飛び出して来たのだった。
「……まさか」
これは彼女にともっても想定外だったのか、モリガンは唖然とした声を漏らした。
二本のジャックは脈動するように光り輝き、周囲の空気を震わせる。
生徒たちは何が起こっているのかわからないらしく、怯えきった表情で怪物の背中を見つめていた。
直後、誰もが予想すらしなかったであろう──「予感」ならばあったのかも知れない──出来事が、発生する。
──フィアナのスレイブキャスターが一人でにプレートを展開し、のみならずスイッチが倒されたのだ。
「スレイブキャスターが勝手に⁉︎」
当然ながら喫驚した様子の彼女は、プレートの先を掴み体の前へと手繰り寄せる。
直後、彼女の頭上の空間が揺らぎ、精隷である【でんでんスライム】が現れた。
地上に降り立った【でんでんスライム】は、ぶるりと体を震わせた──かと思うと、光になって解けてしまう。
「【でんさん】!」
慌てて叫んだフィアナがエンブレムを握った手を伸ばすが、どうにかなるはずもなく──
光の糸は、たちまち隻眼の怪物に吸収されめしまった。
それを見た彼女は、中途半端に上げた手を力なく降ろす。
「……クー、さん」
顔を蝋燭のように青白くして、フィアナは呟く。
しかし、どう言うわけか、クーは未だに光の糸を吸い寄せ続けていた。
その光はどうやら、彼女の背後から飛んで来ているらしい。フィアナもそれに気付いたのか、亜麻色の髪を揺らして振り返る。
そして、聳え立つ崖の上を見上げた彼女は、青い瞳を見開いた。
──そこにもまた、「渾沌」とした光景が広がっていたからだ。
「は、【ハギス】ゥゥゥ!」
いつかの太った男子生徒が、精隷の名を叫ぶ。が、【ハギス】はすでに光と化しており、眼下の戦場へと飛んで行く。
彼のスレイブキャスターもまた誤作動を起こしているようで、四つの円盤がプレート上で踊り狂っていた。
「ど、どうして我々のスレイブキャスターまで暴走を⁉︎」
また別の男子生徒が、奈落に叩き込まれたような表情をして叫ぶ。
そう、崖の上から「高みの見物」をしていたギルド〈トリスケリオン〉の面々も、クーの暴走に巻き込まれてしまったのだ。
「姫様、このままでは私たちも」
シャノンでさえも、狼狽した様子で「姫様」に声をかける。
その言葉を背中に受けたメイヴは、「わかっているわ!」と怒鳴り返すだけで精一杯のようだ。
「まさか、暴走の力がここまで及ぶなんて……。いったい何なのよ、あの男!」
ヒステリックな声で言ってから、彼女は親指の爪を噛み締める。
恨みと怒りが入り混じった視線が向かう先では、怪物が更なる進化を遂げようとしていた。
全身を包み込んでいた光の繭が消えると、彼の体は二回りも巨大化している。
もはや鎧と体の区別はなくなり、全身が黒い岩石の塊のようであった。
白く濁った目玉は完全に一つだけになり、頭の真ん中に近い場所から、モリガンの姿をを見下ろしている。
「……ずいぶんと大袈裟な『病気』のようだな。
……しかし安心しろ。……この処刑人がすぐに楽にしてやる」
彼女が言い終えると同時に、漆黒のロングコートが不気味に蠢き始めた。まるで大量の小虫の集まりのような状態のそれは、モリガンの体から離れる。
空中へと浮かび上がった虫の塊は、ほどなくしてある武器へと姿を変えた。
果たして、そこに現れたのは一丁の巨大な斧。
恐竜の首だろうと難なく刎ね飛ばしてしまえそうな、斬首の刃だった。




