第三十一話
クーの指の動きに呼応し、【ドン・クアルンゲ】が敵に突進する。
それを見た処刑人はやはり顔色一つ変えることなく、両腕をしならせる。
直後、二本の角と二つの刃が衝突した。単純な膂力では【ドン・クアルンゲ】の方が勝るのか、彼女はそのまま押し込まれそうになる。
しかし、モリガンはすぐに地面を蹴り付け、崖のある方へと飛び退いた。
夥しい量の血痕の上に彼女が着地した時、クーは豪快に歯を見せる。
「お前は逃さねーよ! ──行くぜ、【ドン】!」
彼は精隷に声をかけると、スレイブキャスターの上部に突き刺さっていた鍵のようなパーツ──ディスクを収容する蓋の解錠にも使われていた──を、取り外した。
それから彼は、鍵の先端をプレートの根元に突き立てる。
その後ろ姿を見ていたロイは、眼鏡の奥の瞳を見開いた。
「あの男、まさか!」
彼の叫び声を掻き消すかの如く、
「阿羅漢化!」
クーは新たなキーワードを唱え、先を着けた鍵をプレート上でスライドさせる。ギターで言うところの、「スクラッチ奏法」のように。
鍵が通り抜けた跡を、虹色の光がなぞる。
そして次の瞬間、なんと【ドン・クアルンゲ】の体は、縄を解くように分解されてしまったではないか。
精隷だった物は光の糸の集まりになり、それぞれのたうちながら主の元へ泳いで行った。
彼が鍵を握った腕を真横に伸ばすと、光はその右手に絡み付く。
「また暴走するつもりか! クー・フーリガン!」
〈フェンリル〉のギルドマスターは怒鳴り声を上げ、それに答えるように狼が弾き出された。
灰色の狼は風のようにフィアナの真横を駆け抜け、背後から男子生徒に襲いかかる。
しかし、その爪や牙が獲物に届くよりも、光の繭が弾ける方が先だった。
刹那、クーは変異した右腕を振り回し、裏拳の要領で狼を弾き返す。
彼の腕は拳から肘の辺りにかけて、金属に似た質感の装甲に覆われていた。鎧の籠手だけを装着しているような状態であり、なおかつ一、二回りほど太くなっている。
「……悪いな。てめえらの言うとおり、俺ァ『裏切り者』みてーだ」
彼は振り返らずに、ただ一言そう告げた。
──「阿羅漢化」。それは、魔法の獲得における最終段階、謂うなれば精隷を用いた「奥義」だ。
生徒たちは精隷を従え、魔法を「描写」し「認識」する能力を鍛える。その過程で、精隷との適合率を極限にまで高めた者は、自らの僕と融合することが可能となるのである。
こうして精隷を体に纏った生徒は「阿羅漢」と呼ばれ、タイプは幾つかあるものの、いずれも強大な力を有していた。
「……せ、成功した、のか……?」
〈フェンリル〉の生徒のうちの一人が、唖然とした表情で呟いた。
誰もが同じような反応を見せる中で、ロイだけは油断なく彼を睨んでいる。
「阿羅漢化」によって顕現する融合の形態は、精隷やその主によって変わって来る。クーの場合は片腕のみの変化であるらしい。
ギリギリと握り締められた、鉛色の拳。その上部には【ドン・クアルンゲ】の頭を思わせるパーツが迫り出している。
更にその雄牛の頭からは、一対の湾曲した角が生えており、分厚い鉤爪のようでもあった。
阿羅漢と化した彼に対し、処刑人は冷徹な視線を送る。
「……何の真似だ? ……それで私を倒せるとでも思ったのか?」
「無理、だろーな。……このままだったらよォ」
意味はありげな笑みを浮かべるクー。
すると、腕に沿っていた装甲の一部が開き、中からプラグのような物──ちょうどエレキギターなどに差し込むジャックに似ている──が飛び出して来た。
ジャックの周囲の空気が陽炎のように揺らめき、波紋が広がる。
かと思うと、彼に最も近い位置にいた精隷──灰色の狼だ──の体が、突如解けるように分解されてしまった。
「【スコール】!」
「すまねーが、少し借りるぜ」
【スコール】と言う名の狼を皮切りに、〈フェンリル〉の生徒たちが従えていた精隷は、次々と光の糸と化した。
光は先ほど同様、クーの体に集約されて行く。
「何が、起こって……!」
予想だにしなかったであろう現象に、フィアナは立ち尽くすばかりだった。
やがて、全ての光が弾けて消えると、彼の全身は鉛色の装甲で覆われている。それこそ甲冑を着込んだような姿で、スレイブキャスターごと取り込んでしまったようだ。
鎧の背中にはこれまた巨大な角が生えており、ある意味これまでで最も「ファンタジー」の登場人物らしい見た目である。
「ど──るあァァァァ!」
獣の如き雄叫びを上げた彼は、地面を蹴って走り出した。
厳しい外見からは想像もできないような身のこなしで跳び、鋼鉄の拳を振りかざす。
モリガンは目だけでその動きを追うと、左手の刃で拳を受け止めた。
そして間髪入れずに、もう一方の刀を突き出す。
が、クーは野生的な反射神経でこの刀身を掴むと、そのままいとも容易く握り潰してしまった。
スナック菓子のようにへし折られた刃は砕け散り、黒い羽毛が舞い散る。
「……膂力だけは大した物だな」
「まだ、だ……まだ──足りねえ!」
彼が吼えた途端、その場にいた生徒たちのスレイブキャスターの円盤が、一斉に動き始めた。まるで見えない指によって操作されているかのように、めちゃくちゃにプレート上を駆け回る。
暴走し始めたのは、円盤だけではない。本体下部から生えたレバーもまた、狂ったようにシフトチェンジを繰り返していた。
内蔵されたディスクが急速回転し、甲高い起動音が方々から鳴り響く様は、「渾沌」と形容するより他ない。
まるでポルターガイストのような恐ろしい「誤作動」に、誰もが狼狽え、あるいは怯えていた。
「始まったか……暴走が」
「暴走? ──それって、どう言う」
ロイの声が聞こえたのだろう、フィアナは彼のいる方を振り返る。
「言葉のとおりだ。奴の阿羅漢化は暴走し、周囲で起動しているディスクから強引にオルタナティヴスペルを引き出す。……結果、耐え切れなくなったディスクはオーバーヒートしてしまう!」
「そんな⁉︎」
喫驚した声で言った彼女は、慌ててクーの方を見直した。
処刑人を相手に拳の連打を浴びせる彼の周囲には、火の粉や冷気や稲妻、それから旋風など──様々な元素の片鱗が出滅している。
驚くべきことに、彼の阿羅漢化は、ネットワークを共有する全てのスレイブキャスター、そしてそのディスクから、力を引き出せるようだ。
「一度こうなっては、スイッチを切ることもままならない。奴の暴走が収まるまで、ディスクが耐え切ることを祈るしか……」
「……クーさん」
彼女は不安げに呟き、先ほど預けられたエンブレムを両手で握り締める。
その視線の先で、クーはとうとうモリガンを捕捉した。彼は巨大化した両手で相手の手首を握り潰し、岩肌へと押し付ける。
岩が砕け体がめり込むほどの威力にもかかわらず、彼女の表情は変わらない。
が、しかし、これまでほどの余裕は感じられなかった。
「……貴様はやはり憐れな男だ。……拾われた命を自ら放り捨てるなど……」
ごくわずかに眉尻を吊り上げて、モリガンは呪詛のように呟く。
するとそこで、クーは三度咆哮した。
だが、それは彼女の呪詛に激昂した為ではないようだ。と言うよりも、すでに誰の言葉も耳に入らない状態だろう。
唯一鎧に覆われていないその顔は、凄まじい形相へと変化して行く。鬣は完全に逆立ち、顔じゅうの血管が木の根のように浮かび上がった。
両の瞳は白く濁っており、左眼が膨れ出して行くのに対し、もう一方の目はどんどん肉の中に埋もれて行く。
肌の色も黒く変色しており、完全に人のそれではなくなっていた。
さながら隻眼の怪物と化した彼は、牙の生えた口を顎が外れそうなほど開く。
(……これは少々面倒なことになって来たな)
処刑人は、胸の内で毒突くように紡いだ。
※
一方その頃。
戦場を見下ろす崖の上、枯れ木の足元に少年は立っていた。
彼は本の仮面を貼り付けた顔で、物珍しげに荒野の中を見つめる。その視線の先では、噛み付こうして来たクーを、モリガンが炎の腕によって吹き飛ばしたところだった。
「あれが、ギルド同士の試合か……。話には聞いていたけど、思ってたよりも『ガチ』だな」
タダヒトは腕組みをして、「傍観者」ならではの感想を抱く。どうやら、眼下で繰り広げられている死闘を、ギルド同士の戦いだと思っているようだ。
当然前回の彼ならばそれが見当外れであることを知っているが、今回は違うらしい。
つまり、ある時点──おそらくは学園に着いたばかり──以降の記憶が、リセットされているのだろう。
そして、分身の記憶を削除したらしい少女は、彼に背を向ける形で立っていた。
彼女の小さな掌の中には、黄金の懐中時計が握られている。しかし、文字盤が割れてしまっており、中の歯車がほとんど剥き出しの状態だった。
(これでもう、時は止められない。しばらくはレアンになる実験もしない方がいいよね……)
どこか暗い顔付きをして、空色は手の中の物を見つめている。
「なあ、空色。どうしてあんなに──空色?」
振り返った彼は、彼女の様子がおかしいことに気付いたらしい。
怪訝そうに首を傾げた。
「どうしたんだ? 何かあった?」
「え? ──ううん、別に、何でもないよ?」
空色は慌てて懐中時計を袖の中にしまい、少年に笑顔を見せる。
「そんなことより、私たちは早く図書塔へ行こ?」
「あ、うん。
でも、場所わかるのか?」
「うんっ。こっちだよ?」
そう言って彼女が高原の方へと向かいかけた時、二人から見て右手側から生徒の一団がぞろぞろとやって来た。
彼らは先ほどの試合に参加していたギルド〈トリスケリオン〉の面々であり、その中央にいた人物がタダヒトに声をかけて来る。
「あら、あなたは確か、この間マックールさんと一緒にいた人ね。こんな所にいるなんて、もしかして彼女の応援でもしていたのかしら?」
頭上から降って来るようなそのセリフは、もちろんメイヴの物だった。
立ち止まった彼女は、赤い尻尾の毛先に指を絡める。しかしながら、恐ろしい出来事を目にした為か、以前ほどの尊大さは感じられない。それどころか、この短時間で幾らかやつれてしまったようだった。
タダヒトは惚けたように立ち尽くしていたが、やがて後ろを振り返る。当然ながら、そこには誰もいない。
「あなたのことを言ってるのよ! 本を顔に貼り付けたあなた!」
「え、俺ですか?」
「他にいるわけないでしょ! そんなおかしな格好の人間なんて」
これには同意するしかないだろう。「確かに」と、少年は本の表紙を指で掻いた。
その様子を見て、メイヴは顳顬に癇癪筋を立てる。
が、すぐにうんざりしたように息を吐き出した。
「まあ、いいわ。
それより、あなたたちもここで見ていったらどう? アルスターの猛犬と呼ばれた、彼の最期を」
薄ら笑いを浮かべた彼女は、崖の下に目を向ける。
「幾らあの男でも、あそこまで無茶な阿羅漢化に精神が耐えられるはずないわ。もし万が一無事だったとしても、あの女からは逃れられないでしょうし……。
下等国家の中でもとびきりの不穏分子だった彼も、とうとう終わりと言うわけね」
「いい気味だ」とばかりに、コノート国王女は声を上げて笑った。彼女の部下たちも、みな同じような悪党じみた顔をしている。
が、タダヒトは一人話に付いて行けてない様子で、
「……はあ、そうなんですね。……よくわからないですけど」
「何よその反応。はっきりしないわね。
そもそも、なんで顔に本なんかを貼り付けているの?」
「あ、いや、これはその、ファッションと言うか何と言うか……」
しどろもどろに答える彼の袖を、隣りから少女が掴む。
「タダヒト、もう行くよ?」
「え? ああ、うん。そうだな」
タダヒトが同意すると、空色はすぐさま高原の方へと歩き出した。
彼はメイヴに向き直ると、どことなく気まずそうに口を開く。
「それじゃあ、俺たちは失礼しまぁす……」
「そう、残念ね。一緒に彼の勇姿を見届けたかったのだけど」
要するに、彼女らは「高みの見物」をして行くつもりらしい。クーやフィアナが窮地に立たされていることが、よほど嬉しいのだろう。
少年はやはりメイヴの言葉の意味がわからない様子だったが、結局何も言わずに相方の後ろ姿を追いかけた。
彼らは再び並んで歩き、高原へと向かって行く。




