第二話
砂塵の舞う中、精隷を用いた戦闘が開始された。
生徒たちは左手の指を躍らせ、反対の手で本体後方のハンドル部分を握る。
スレイブキャスターは特有の見た目をしているが、例えるなら金属を削り出して作った「エレキギター」と言ったところか。
もっとも、この世界の人間がそんな感想を抱くことはないのだろうが。
(あれがギルド同士の“試合”か。話には聞いていたけど、思った以上にガチだな)
その様子を眺めていた彼は、「傍観者」ならではの感想を抱く。
彼には関係のない戦いなのだから、当然か。
相方を待たせていることを思い出したらしく、少年は高原側へと体を戻しかける。
すると、そこでようやくあることに気が付いた。
何メートルか離れた場所に一人の女生徒が佇んでおり、彼女もまた荒野を見下ろしているのだ。
亜麻色の髪を肩につかない長さに切り揃えており、作り物のように端正な横顔をしている。もしこれがまた違った世界での話であれば、「お人形さんみたい」と評されそうだ。
要するに、一目見て美人だとわかる容姿であり、タダヒトも似たようなことを思ったことだろう。
(……ちょうどいい。あの娘に道を聞いてみるか)
高原に戻るのをやめた彼は、女生徒へと近付いて行った。
(大丈夫。普段も空色と話せてるんだから)
「あのぉ、すみません」
気の抜けた声でタダヒトが話しかけた時、彼女の体が前に傾く。
まるで、プールに設置された高台から、水の中に飛び込むかのように。
が、その先にあるのは水面などではない。荒野だ。
固く瞼を閉ざした横顔を見た少年は、自然と「投身自殺」と言うワードを連想したのだろう。
「ち、ちょっと待って!」
慌てた様子で、地面を蹴りつけた。
彼は質量を感じさせない不思議な動きで、彼女の元へ跳ぶ。
瞬く間に距離を詰め、落ちて行くはずだった女生徒の腕を掴んだ。
「何してるんだ!」
「えっ?」
驚いた様子の彼女を、自分の方に引き寄せる。
大きな蒼い瞳が、タダヒトの顔を映していた。
「本の……仮面?」
透き通るような声で、彼女は呟いた。「美人なのだから、声も美しくて当然か」と、納得してしまいそうである。
「あ、いや、これはそのぉ、ファッションと言うか……」
まっすぐに見上げられた為か、途端に勢いが萎んでしまう。
それを誤魔化すように、彼は相手の腕から手を離した。
「って、そうじゃなくて!
とにかく、自殺なんてよくないですよ。俺が言うのもアレだけど、まだ若いんだし」
「じさつ? ──ち、違います! 私はそんなこと」
「けど、今飛び降りようとしてたよね?」
「あれは、別に身投げをしようとしたわけではありません! 私はただ……どうしても、許せないんです」
「許せない?」
タダヒトの言葉に頷いた彼女は、荒野を一瞥する。
「たった二人を相手に、あんな大勢で戦うなんて! それも、力のない者から『魔法を獲得する機会』を奪う為なんですよ⁉︎
そんなの、許せるはずないじゃないですか!」
力説と共に、女生徒は少年ににじり寄る。
その勢いに押され、彼は思わず降伏するように両手を挙げていた。
「ま、まあ、確かに。
……もしかして、それで加勢しようとしたの?」
「はい。
私一人が加わったからと言って、どうにかできるとは思いません。けど、だからって見過ごすわけには行かないんです」
彼女は真正面から相手の顔を見て答えた。
かと思うと、改めて崖っ淵に向き直り、
「ですから、やっぱり私が助けに!」
「いやいや、無謀すぎるって! つうか普通に危ないし」
「止めないでください! 一度この目に映った物からは、目を逸らしたくないんです!」
そうは言われても普通引き止めるだろう。
「身投げ」ではないらしいが、実態はほぼ自殺行為なのだから。
「取り敢えず落ち着いて」
タダヒトが言いかけた時、女生徒がバランスを崩す。
「きゃっ」
小さく悲鳴を上げた彼女は足を縺れさせながら、タダヒトのいる方へと倒れ込んで来た。
これがもしネット小説などであれば、謂わゆる「ラブコメ展開」に発展しそうなものである。
しかし、そこは現実。そんな「お約束」は果たされない。
女生徒は少年の体をすり抜けて、直接地面に転倒してしまう。
「痛たた……あれ?」
手をついて体を起こした彼女は、四つん這いのまま後ろを振り返り、
「今、すり抜けませんでしたか?」
「え、何が? 俺避けただけだけど?」
いつの間にかそこに立っていた彼は、何気ない口調で答える。
もっとも、もし顔に本が貼り付いていなければ、目が泳ぐくらいの動揺はあったやも知れないが。
「ですが、明らかに変だったような……」
「き、気のせいだって。
て言うか、ほら、大丈夫?」
話を逸らすのも兼ねてか、タダヒトは右手を差し伸べる。
「あ、はい。……ありがとうございます」
女生徒は一度座り込んでから、その手を握り返した。
回れ右をしながら立ち上がった彼女ははにかみ、
「あの、私、フィアナ・マックールって言います。あなたは?」
何を思ったか自己紹介をする。
「あ、えっと、タダヒトです……え?」
「タダヒトさん、ですか。なんだか素敵な響きですねっ。それに、その仮面も。
もしかして、とっても本がお好きなんじゃないですか?」
「まあ、否定はしないけど」
「やっぱり! 実は、私も昔から読書が好きなんです! 奇遇ですねっ!」
「はあ」
「どう答えてよいものかわからない」と言った反応だ。
しかし、フィアナはそんなこと気にしていないらしく、満面の笑みで彼を見つめている。思わぬ所で同好の士に出逢えたことが、よほど嬉しいのだろうか。
「父の奨めで、幼い頃からいろんな本を読んで来たんです。と言っても、田舎に住んでいたので、読書の他に楽しみがなかったのもありますが」
「そ、そうなんだ。
……あのぉ、手、そろそろいいかな?」
「え? ──あっ、す、すみません!」
「いや、気にしないでよ」
「……あ、ありがとうございます」
慌てて手を離した彼女は、恥ずかしさの為か頬を赤らめた。
甘酸っぱい香りが漂って来そうな雰囲気であった──のだが、それも長くは続かない。
「た、タダヒト……はあ、はあ、何……してる、の?」
不意に名前を呼ばれ、喫驚した様子のタダヒト。
声のした方を向くと、そこには空色が、膝に手をついて立っていた。
彼女の背中には例の黒い棺桶があり、相当苦労して運んで来たのだろう。すっかり息を切らしていた。自分よりも頭一つ分以上大きい棺桶なのだから、無理もないが。
「空色!
あ、いや、これはそのぉ……彼女が飛び降りようとしてたから、引き止めただけで」
「……ふ、ふうん」
フードによって隠れているものの、冷たい視線を送っているのがよくわかった。どうやら、別の「お約束」に繋がったようだ。
空色は顔の汗を拭いつつ、さらに少年を問い詰める。
「じゃあ、なんで見つめ合ってたの? 手まで繋いでたし。そんなことする必要、ないよね?」
「あれはなんと言うか……物の流れって奴? とにかく、大した意味はないんだって。
……つうか、なんでそんな不機嫌なの?」
先ほどの彼女のようにワイパー状態なタダヒトを黙殺し、空色はフィアナに話しかけた。
警戒心の表れからか、声色をかなり硬くさせて。
「あなた、苦しかったんだよね。だから、終わらせようとしたんでしょ」
「い、いえ、私はただ、あの人たちを助けたくて」
「……だったら、私が代わってあげる。あなたの……心の傷を」
少女は、ローブの裾から伸びる小さな掌を差し出す。
彼女は息を整えつつ、言葉を続けた。
「さあ、教えて……。どれくらい痛いのか」