第二十八話
その頃ギルド〈トリスケリオン〉の面々は、呆然と激闘の様子を見守っているだけだった。
彼らを統率しているはずのメイヴですら、立ち上がりはしたものの何もできずにいる。
しかし、いつまでもそうしていることは許されないようで、彼女の側近が声をかけて来た。
「姫様。我々は撤退すべきかと」
「そ、そうね」
シャノンの言葉で我に返った様子の彼女は、慌てて威厳のある表情を取り繕った。
王女の同意を得た少年官僚は、自らのギルドへと呼びかける。
「ギルド《トリスケリオン》に告ぎます! 私たちは撤退しましょう!」
彼女の声によって、生徒たちは鞭で打たれたみたいに移動を開始した。
彼らが自分たちの元へ集まって来る間、メイヴは戦闘の様子から目が離せないでいる。
確かに、それは圧巻の光景であった。処刑人は踊るような軽やかさで動き、黒い刀を振るう。
目にも留まらぬ速さで切り捨てられた二体の精隷──そのうち片方は【グランガチ】と言うワニだ──は、あえなく消滅してしまった。
順調に敵の数を減らしつつ、モリガンは別の精隷の頭を踏み台にして舞い上がる。彼女の目指す先には、両手で「剣」を構えるフィアナの姿が。
直後、モリガンは火炎を纏いながら斬撃を放つ。
──そうした大立ち回りに釘付けとなっていたメイヴだったが、彼女はふとある場所に視線を移した。
彼女が目を向けたのは崖の岩肌であり、ちょうど何かが、凄まじい勢いで駆け下りて来るではないか。
「あれは……人?」
メイヴが思わず呟いたとおり、その「何か」とは人間──いや、正確には[人間]の精霊──
レアン=カルナシオだった。
レアンは源義経、あるいはアニメや漫画のように、砂煙りを上げながら崖の壁面を走っている。
しかし、その様子には「スタイリッシュさ」の欠片もなく、重力のままに転げ落ちる寸前のようだ。
「うわぁぁぁぁぁぁ⁉︎」
断末魔じみた叫び声を上げながら、彼はとうとうつんのめってしまう。
そのまま空中で一回転したのだが、地面に落ちた後もその勢いは止まらない。
結果、無駄にアクロバティックな前転を二度ほど決めた後、彼は戦場のただ中で動きを止めた。
片手片膝を地面に着き右腕をまっすぐ伸ばしたポーズは、見ようによってはかなりヒロイックである。
(……し、死ぬかと思った!)
どうやら、本人は決めポーズどころではなかったようだが。
戦闘に参加していた者は、当然ながらすぐに彼の存在に気付いたらしい。
みな咄嗟に動きを止めて、突然の乱入者を注視していた。モリガンですらこれは予想外の出来事だったようで、同じような──驚いた顔はしていないが──反応を取る。
すると、すぐさま二人の生徒が声を上げた。
「あ、あれは!」
「あの時の爆薬魔⁉︎」
彼らの言葉を背に浴びながら、「爆薬魔」は膝を伸ばして立ち上がる。
それから、ややもったいぶった動作で、処刑人たちのいる方を振り返った。
「こ、こんにちは……」
派手な登場の仕方に反して、レアンは気まずそうに挨拶をする。
誰もが肩透かしを喰らった気分だろうが、彼の異様な風体が予断を許さなかったらしい。
警戒や困惑の入り混じった視線が飛び交う中、モリガンだけはまた違った眼差しを向けていた。
「……またおかしな奴が現れたようだ」
独白のように彼女が呟いた時、真横から猛牛が突っ込んで来る。
「よそ見してんじゃねーぞ!」
その主は怒鳴り声と共に指を加速させる。
横目だけでそれを見た彼女は、身を翻して突進を受け流し、刀を握る手を振り上げた。
【ドン・クアルンゲ】の脳天に強烈な打撃を叩き込みつつ、処刑人は横合いに跳ぶ。
そのままロングコートを花開かせながら、くるりとターンして体の向きを変え、一気に乱入者の前へと躍り出た。
「……あの女を見た時から予想はしていたがよもや貴様までヴァルナの手に落ちていたとはな。……しかし中身のない容れ物が『意思』を持って動くはずがない。
……考えられるとすれば……」
呪いの呪文でも唱えるように早口で言ったモリガンは、精霊を観察しながら更にこう続ける。
「……あの死に損ないを入れたのか」
「ただ事実を述べたまで」と言った口調だったが、その言葉は少なからず少年を動揺させたらしい。
長い前髪の間から覗く玉虫色の瞳が、暫時大きく見開かれた。
「あ、あなたは、どこまで知っているんですか……?」
「……さあな。……全てではないがそれでも『貴様よりは多くのことを知っている』と言っておこう』
彼女はそう答えると、体の前で刃を構え、わずかに腰を落とす。
「……しかしそんなことはどうでもよい。……全ての魔道書そして全ての精霊はこの手で殺すまでだ」
どうやら、レアンを優先して「処刑」することに決めたらしい。
弾き出されたモリガンは、容赦なく[人間]の精霊に斬りかかる。
「おわっ⁉︎」
彼は咄嗟に後ろに跳び退き、辛うじて漆黒の刃を躱した。
さすがにリミッターが外れているだけあって尋常じゃない──やはり「ワイヤーアクション」を思わせる──身のこなしだ。
しかし攻撃は止まず、処刑人はすぐさま敵との距離をなくし、斬撃の雨を繰り出す。
レアンはどうにか全て避けてはいるものの、反撃どころか逃げ出すことすらままならない状態だった。
(くそっ、早くフラワーをチャージしないと!)
彼の拳の先には玉虫色の光が集まりつつあったが、まだ全開には程遠いようだ。
斬撃の雨を紙一重で回避するレアンの顔には、焦りの色が滲む。
その様子を見つめていたフィアナは、剣を握る手に力を込めた。
「……クーさんっ。援護をお願いします!」
「援護って、お前──あ、おい!」
クーが止める間もなく、彼女はすでに駆け出している。
「さっきまで命狙われてた奴が人助けかよ……。
ま、仕方ねー、任されてやるか」
言葉とは裏腹に、彼は豪快に歯を見せた。そして、スレイブキャスターのレバーに手をかけ、手前にシフトさせる。
「行くぞ、【ドン】! 元素解放だァ!」
叫んだ瞬間、【ドン・クアルンゲ】の体から稲妻が発せられた。彼の精隷は「万能型」であるようだから、「火」だけではなく「雷」の元素──火と風の“複合元素”だ──をも操れるのだろう。
迸る稲光りを体に纏い、猛牛は弾き出される。
雷光は瞬く間に二本の角へと集約され、それらの間を電流がバチバチと音を立てて行き来する。
「喰らえェ! 根暗女ァ!」
クーの声に、そして指の動きに呼応して、角の間から電撃が発射された。
「落雷」その物を撃ち出したかのような閃光は、何者にも阻まれることなく、刹那のうちに敵の背中から胸までを射抜く。
瞬間、四肢を痙攣させたモリガンは、口を開けて白眼を剥いた。銀色の髪は電気が流れたことにより毛羽立ち、体の所々から煙が立ち昇る。
一般的な人間であれば──いや、「人」以外の生き物であろうと──、すでに死んでいてもおかしくはなさそうだ。
しかしこれまでのことがあるからか、フィアナは躊躇なく追い打ちをかける。
「ごめんなさい……。ですが、使い魔には容赦できません!」
彼女は処刑人の背中めがけ[アンサラー]を突き出した。
目を瞑ったままの赤黒い刃は、モリガンの体を貫通し、胸の下辺りから顔を出す。
突き刺された場所や口から少量の血が噴き出し、モリガンの使い魔は完全に動かなくなった。
「……倒した、のか……⁉︎」
喫驚した声で、レアンは呟く。
本当に彼女を撃退することができたのだろうか。
だとすれば、ずいぶんと呆気ない最期だが……。
彼も同じように考えているのか、信じられなさそうに処刑人の姿を見つめていた。
すると、モリガンの体は、みるみるうちに内側から膨張して行く。黒い風船のようになってしまった彼女は、音を立てて破裂し、大量の羽毛が飛散する。
フィアナは小さく悲鳴を上げ、左腕で顔を庇った。
「いったい、何が……」
彼女が腕をどかして目の前を見ると、どこからともなく声が。
「…………………………………………勘違いするな。……前とは違う。……今回は四割の使い魔だ」
見ると、一度飛び散った羽毛か再び一点に吸い寄せられ、人の形を作り上げていた。
黒い羽毛は溶け合いながら、小さな虫の集まりみたいに蠢く。
やがてそれが治まった時、そこにはすっかり元どおりとなったモリガンが立っていた。[アンサラー]によって穿たれた傷口はどこにも見当たらず、失ったはずの右腕すら生えているではないか。
蘇った処刑人は、怯えた表情で立ち尽くす白い少年を眼に映す。
「……予定どおり刑を執行しよう」
瞬き一つせずに彼女が紡ぐと、その背中から青白い炎が噴出された。
炎は二本の腕のように長く伸び、空中をのたうちながら、片方は背後に、もう一方はレアンの方へと飛んで行く。
足が竦んでしまったのか、彼はその触腕から逃れられない。
炎の手に体を鷲掴みにされ、彼は先ほど下って来た岩肌へと叩き付けられた。
衝撃により、がっと口から唾を吐き出す少年。
その様子を見て、フィアナはすぐさま助けに向かおうとしたらしかった──のだが、もう一本の炎の腕が、行く手を阻む。
彼女さえも焼き払われそうになったところを、【ドン・クアルンゲ】が前に飛び出して庇った。
「ぐっ、あっ」
レアンは言葉にならない声を漏らしながら、必死に炎の中でもがく。
が、一向に脱出できる気配はなく、それどころかいっそう拘束する力が強まったように見えた。
「……抵抗は無意味だ。……私が三度も殺し損ねるはずがない」
無情にもそう言い放つ処刑人の両手には、いつの間にか黒い刀が握られている。
彼女は大きなハサミをのように、二つの刃を交差させて構えた。
その姿を目の当たりにした少年は、氷点下の雪山に放り出されたみたいに青ざめ、唇を震わせる。
それでもなお必死になって体を暴れさせた結果、彼の祈りが神に通じたか、右腕がとうとう火焔を突き破り外に出た。
グローブに包まれたレアンの白い拳では、フラワーが集まってできた光が眩しく輝いている。
──が、しかし、彼が何か反撃の一手を打つより先に、フラワーの光は弾けるように消えてしまった。
「……フラワーすら満足に操れぬような者ななど尚更恐るに足りぬ」
モリガンは一つ跳んだだけで間合いを詰め、クロスさせた刀を突き出した。
黒い刃はちょうど少年の首を左右から挟む格好となり、わずかに触れた部分から鮮血──いや、正確にはあの「溶液」か──が滲み出る。
が、それもほんの一刹那のことだった。
次の瞬間には刃と刃が彼の首の真ん中ですれ違う。それらが通った道は赤い線になり、まるで喉元に真っ赤な毛糸を巻き付けたかのようだ。
レアンは叫ぶみたいに口を開けていたが、結局声を発することは叶わず、ぼとりと頭が取れて地面に落ちる。
直後、鉄砲水の如き勢いで溶液が噴き出し、凶器を持つ手を弛緩させた処刑人に降り注いだ。
「……さらばだ新祖のおもちゃよ」
彼女が呟くと、背中から伸びていた炎は二つ共消えてしまう。支えを失った精霊の亡骸は、その場に膝から倒れ込んだ。
モリガンは感情のない瞳で二つになった少年を見下ろすと、無言のまま踵を返した。
体中に返り血を浴びてなお顔色一つ変えない彼女は、悠々とした足取りで生徒たちへと近付いて行く。
凄惨な処刑の瞬間を目撃した彼らは、呼吸することすら忘れてしまったかのように立ち尽くしていた。
これまで精隷を使っての試合に参加していた生徒らであっても、「人の死」と言う物をイメージしきれていなかったのだろう。
そして、たった今目の前で起こった出来事は、嫌が応にもそれを実感させはずだ。
──命ある存在は必ず死に、そして二度と蘇らない。
「二度目」がないことなど、誰にしてみても同じなのだ。
「……さあ次は貴様の番だ。……エリンの田舎娘」
黒尽くめの服に、鮮血の滴る刃。「死の権化」が紡ぎだしたセリフに、フィアナは先ほどの少年同様震え上がった。
一歩、また一歩と、死神は「田舎娘」の元へ歩み寄る。
人が必ず死ぬのと同じように、誰にもその歩みは止められぬように思えた。
しかし、その時──
処刑人が、革靴を履いた足を持ち上げた瞬間──
その靴底は地に着くことなく、中途半端な位置で動きを止める。
いったい何があったのか……。
──その答えは、実に簡単な話だった。
三度、時が停止したのである。
そして、この「時の凍結」は神の御業でもなければ、悪魔の所業でもない。
一人の少女の魔法付加装置による物だった。
針の止まった懐中時計を首から下げ、空色はモリガンの真横を通り過ぎる。
いつにも増して白い顔をした彼女は、二つになった精霊の死体の前で、立ち止まった。
「……ごめんね、タダヒト。また失敗しちゃったね?」
物言わぬ首と体に語りかけた少女は、しかしすぐに優しげな笑みを浮かべる。
「でも安心して? すぐに直してあげるから……」




