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第二十七話

 鮮血を思わせる緋色の瞳が、まっすぐに獲物の姿を捉える。

 突如として現れた処刑人(マイスター)──の、二羽目の使い魔か──を目の当たりにし、フィアナは多少なりとも狼狽えた様子だった。

 が、しかし、すぐに体の向きを変え、相手の視線を真正面から受け止める。

 そして、彼女は息を吸い込むと、


「お断りします! 私はもう、絶対に目を逸らさないと決めましたから!」


 正面切ってそう答えた。魔道書を渡さなければ「殺される」かも知れない──少なくとも敵はそのつもりだ──と言うのに。

 対して、モリガンは落胆するでも呆れるでもなく、ひたすらに無機的な口調で、


「……そうか。……ならば殺す」


 コートのポケットから、白い右手を取り出した。

 彼女が空っぽの手をしならせると、いつの間にか黒い刀が握られている。

 不吉な凶器を目の当たりにしたメイヴが、堪らずと言った風に声を上げた。


「あ、あなた、いったい何者よ! 急に出て来て『魔道書を寄越せ』だの『殺す』だの、意味不明すぎるわ!」

「……コノート国の王女か。……貴様には関係のないことだ。……死にたくなければどこかへ消えろ」


 それだけで単なる「脅し」でないことは十分に伝わったのだろう。王女とその側近は、何も言えずに息を呑み込む。

 モリガンは初めから彼女らには興味がないらしく、マネキンじみた顔をフィアナに向けたままだった。


「……最期にもう一度だけ言おう。……魔道書の写しを渡せ」

「あの紙切れなら、あそこ」


 右手の人差し指で地面の上を指し示し、


「あそこに落ちてます。……もっとも、もう私には必要のない物ですが」

「……契約をしたのか。……無意味なことを」

「意味がないかどうか、決めるのは私です!」


 彼女はそう言うと、両手を体の前に翳す。ちょうど、刀の柄を左右の手で握るように。

 すると、「目玉」を象った紋章が輝き、周囲の空気が陽炎の如く揺らぐ。


「もう一度、お願いします。……[アンサラー]!」


 フィアナが精霊の名を呼ぶと、陽炎の中──空間の歪み──から、一振りの「剣」が出現した。

 言わずもがな彼女の精霊[アンサラー]である。

 フィアナは両手で木の根のような柄を握り締め、半身になってそれを構えた。


「……魔道書を所持するだけでは飽き足らずあまつさえ精霊を召喚するとは。……万死に値する行為だ」


 処刑人(マイスター)は何の感慨もなさそうな声です告げると、革靴を履いた足で地面を蹴り付ける。

 刹那のうちに間合いを詰めた彼女は、いつの間にか肩を前にして大きく得物を振り上げていた。

 瞬間、漆黒の刃が風を切り裂く。

 容赦のない斬撃を、フィアナは辛うじて[アンサラー]の刀身で受け止めた。

 (やいば)同士が火花を散らし、二人はそのまま鍔迫り合いを演じる。


「……どうやらまだ精霊(それ)使いこなせて(、、、、、、)いない(、、、)ようだな」

「そんなこと!」

「……目が閉じている(、、、、、)ぞ?」


 モリガンの指摘したとおり、確かに[アンサラー]の刀身にある巨大な目は、今は瞼を閉じてしまっていた。赤黒く脈を打つ刃は、まるで眠っているかのようだ。


「……そうなってしまっては最早精霊とは呼べぬ。……ただの剣で私に抗えると思ったか?」

「くっ」

「……言ったはずだ」


 言いながら、処刑人(マイスター)は左手を掲げる。

 空へ向けられた掌の上に、青白い火の玉が浮かび上がった。


「……無意味だと」


 彼女は無機的な声で言い、左腕を引いて火球を放つ体勢に入る。

 図書塔で空色に対して行ったのと同じ攻撃を、撃ち出そうとしたのだろう。

──が、炎の鷲が繰り出されるよりも先に、


術式疾奏(スペル・ドライブ)!」


 精隷を呼び出す際の合言葉(キーワード)が、どこからともなく響いた。

 直後、巨大な黒い影が、真横からモリガンの体を吹き飛ばす(、、、、、)

 砂塵と共にフィアナの前に現れたのは、(ひぐま)ほどの体格をした牛の精隷──【ドン・クアルンゲ】だった。

 驚いた様子のフィアナが慌てて顔を向けると、一人の男子生徒がスレイブキャスターを構えている。


「……てめえ、あの時の女だな。

 何が目的だが知らねーが、そいつァやらせねーよ」


 クーは心なしか普段よりも髪を逆立てて、数メートル先に着地した処刑人(マイスター)を睨み付けた。

 片手片膝を着いたモリガンは、不自然な動作で立ち上がる。まるで、操り人形(マリオネット)が見えない糸によって動かされるかのように。

 先ほどの衝撃でひしゃげて(、、、、、)しまった右腕が、いっそう人形じみて見えた。


「……酷いことをしてくれる。……生身の人間なら死んでいたな」


 まるっきり棒読みで言う彼女の腕は、ぶくぶくと内側から膨れ上がる。

 気味の悪い生き物のようにのたうち回った腕は、元の向きに戻ると動きを止めた。


「……もっともただの人間ではないが」

「……いや、『ただの』っつーか『人間』ですらねーだろ。勝手にへし折れた腕が再生(なお)るなんてよォ」

「……当然だ。……これくらいできなければ魔道書の処刑人など務まらない。

 ……そんなことよりおかしいのは貴様だ。……何故その娘を庇う? ……助けてやる道理(、、)などないはずだが?」


 おおよそ不思議がっているとは思えない声で、モリガンは尋ねる。

 この問いに対し、クーはやはり爆発した頭を掻き毟ってから、


「確かに、てめえの言うとおりだな。そんな道理ありゃしねーよ。

 ……けどな、俺ァまた拾われちまったんだ。不本意ながら、こいつのお陰でまた生き延びるそとになった。……助けてやる道理はなくてもよォ、護ってやる義理(、、、、、、、)ぐれー(、、、)はあるんだよ(、、、、、、)!」


 鳶色の瞳に、迷いは見受けられなかった。

 むしろ、彼らのやり取りを見守っていたフィアナの方が、心配そうにしている。


「ダメですクーさん! これは私の問題です! 関係ない人を巻き込むなんて、できません!」

「うるせーな。勝手に巻き込まれるっつってんだから、好きにさせろよ。

 つうか、てめえだってそう(、、)だっただろ?」

「それは……ですが!」

「本当はてめえの為なんかじゃねーんだよ。囮役だったんでな、暴れ足りねーだけだ」


 彼は豪快に歯を見せて笑った。

 その視線の先では、処刑人(マイスター)が得物を水平に構えている。


「……どうなっても文句はないと言うことだな?」

「当然だ。さっさと来いよ」


 クーの言葉を合図に、再び戦闘が開始される。

 彼が指を踊らせると、それに応え【ドン・クアルンゲ】は駆け出した。

 蹄を鳴らして迫り来る猛牛に対し、モリガンはこちらも弾き出される。

 精隷と衝突する寸前、彼女は軽やかな動作で跳び上がった。

 そしてそのまま【ドン・クアルンゲ】の背中を蹴飛ばすと、反対側の地面に足を着ける。


「……精隷の相手などいちいちしていられるか」


 吐き捨てるように言うと、モリガンは一直線に雄牛の主へ向かって行く。


「ちっ、ツレねーなァ!」


 クーは咄嗟にスレイブキャスターを手繰り、【ドン・クアルンゲ】をUターンさせる。

 が、到底それでは間に合わない。


「……やはり貴様は『お子様』だな」


 斬って捨てるかのような言葉と共に、漆黒の(やいば)が突き出された。

 彼は歯を食い縛り、その切っ先を見つめていた──のだが、そこである意外な出来事が起こる。

 処刑人(マイスター)の右腕に、灰色の毛並み(、、、、、、)を持つ狼(、、、、)が食らい付いたのだ。

 オオカミは上下の牙を食い込ませ、力任せにダークスーツの腕を食い千切って(、、、、、、)しまう。

 突き出された状態の彼女の肘の先から、どばどばと血が流れ出した。ケチャップソースの内蓋が取れてしまったかのようである。

 にもかかわらず、顔色一つ──元々「色」のない顔だが──変えずに、モリガンは目だけを動かす。


「……どうやらこの学園の生徒は血の気が多いようだ。……それとも単に『死にたがり』の集まりなのか」


 彼女の瞳が向かう先では、ロイが眼鏡のツルに指をかけたところだった。彼はいつの間にかスレイブキャスターを起動させており、油断なく左手をプレートに添えている。

 眼鏡をかけ直しながら、ロイは口を開いた。


「あいにくその男は我々の獲物だ。相手が何者だろうと、先を越されるわけにはいかない」


 襲撃者を睨む彼の周囲では、他の〈フェンリル〉の生徒たちが、同じようにスレイブキャスターを構えている。つまり、彼の言動はギルドの「総意」と言うわけだ。

 ロイの精隷が咥えていた腕を吐き捨てると、肉の塊は瞬く間に黒い羽毛へと変わってしまった。例の十字架に似た刀もだ。


「おい、いーのかよ? こいつァ相当ヤバそーな相手だぜ?」

「ふん、人の心配をしている場合か? ……少しでも隙を見せれば、貴様のディスクを破壊するぞ?」

「だろーと思ったよ。

 マックール! お前はどうする?」


 彼の尋ねられ、フィアナは目を瞑ったままの精霊に視線を落とす。

 しかし、答えはすでに決まっていたらしく、幾許もせず顔を上げた。


「私も、戦います!」

「そーかい。これまた予想どおり(、、、、、)だな」


 学園の生徒たち──所在なさげに指示を待つコノート軍は別として──は、本を狩る「処刑人」に挑むことを決めたらしい。

 モリガンは旋風に銀髪をなびかせながら、「本日の天気」を話題にするのと同じような調子で、呟く。


「……仕方ない全員処刑するとしよう」


 かくして、荒野は再び戦場と化した。


 ※


 眼下に広がる光景に、少年は釘付けとなっている様子だった。

 戦場では精隷たちを相手に、モリガンが大立ち回りを演じている。

 彼女はたった一人、それも片腕であるにもかかわらず、青白い火焔で群がる敵を吹き飛ばす。

 処刑人(マイスター)の体から噴き出した炎は、何本もの首を持つ大蛇のように、獲物の頭上から襲いかかった。

 先ほどまでのギルド同士の試合とは、まるっきり違っている。

 この戦いでの敗北は、すなわち「死」を意味するのだ。

 そしてそのことをわかっているからだろう。タダヒトは、呆然と立ち尽くしているのみだった。


「……ねえ、タダヒト。私たち、もう戻ろうよ」


 彼のローブを、白く小さな手が掴む。

 諭すような声で、空色は続けた。


「ここにいても、できることなんてないでしょ?」


 そこまで彼女が言ったところで、ようやくタダヒトは言葉を発する。


「……あ、ああ。けど、魔道書の写しはどうすれば……」

「それなら大丈夫だよ? 私がなんとかする(、、、、、、)から」


 振り返った彼に、空色は笑顔を浮かべた。

 どうやら、前回と同じく時を止めてモリガンを退けるつもりらしい。

 タダヒトも彼女が「時を止めた」ところまでは知らずとも、一昨日の出来事を思い出したようだ。

──彼の脳裏には、血溜まりに沈む使い魔の死骸と、返り血を浴びて笑う少女の姿が浮かんだことだろう。


「空色、君はまた……」


 そこから先に続く言葉を呑み込み、少年は俯いた。

 少女は相手を安心させるように微笑んだまま、掌を上に向ける。


「だから、ね? ひとまず図書塔に帰ろ?」


 しばしそれを見つめていたタダヒトだったが、やがて彼は──おそらくは無意識のうちだろう──拳を握り締めていた。


「……俺、やっぱりフィアたちを見捨てられないよ」

「タダヒト? そんなこと言っても、あれじゃどうすることもできないと思うよ?」


 空色はそう言って、崖の下に目をやった。

 ちょうどその時【ドン・クアルンゲ】と狼の精隷が同時に敵に飛びかかっていたが、空中をのたうつ炎の触手によって跳ね返されてしまう。

 処刑人(マイスター)の余裕が揺らぐ兆しはなく、生徒たちはすでに持ち堪えるだけで精一杯のようだった。


「それは、そうだけど……けど、やっぱりこのまま一人だけ何もしないなんて嫌だ」

「どうして? ──タダヒトだってわかるでしょ? モリガンは、すごく危険な相手だって。

 魔法が使えるだけじゃなく、その『本』がディスクだってことにも気付いてるんだよ? 絶対、敵うわけないのに……」

「わかってる。

 でも、フィアたちを見ていて思ったんだ」


 顔を上げたタダヒトは──本の仮面をしている為わかり辛いが──、まっすぐに相手の目を見据えて続ける。


「俺も、目を逸らし(、、、、、)たくない(、、、、)って」


 彼の口から放たれたセリフは、少女にとって意外な物だったらしい。

 空色は猫のような目を更に丸くさせ、少年を見上げた。

 タダヒトは、何か言いたげな彼女を納得させる為か、努めて明るい声で、


「大丈夫。危なくなったら全力で逃げるから」


 そう言うと、彼女の言葉を待たずに踵を返す。

 それから、彼は徐に背負っていた棺桶を地面に下ろし、蛍光色に光るボタンを押した。

 蓋がわずかに持ち上がり、隙間から怪しげな煙が吐き出される。

 タダヒトは躊躇なく蓋を開けきると、柩の中で眠る少年の胸の上に右手を翳した。


「……ショウジルテン」


 彼が呟いた直後、その体はグルグルと渦を巻いて搔き消えてしまう。

 そして、レアンの胸部装甲が左右に開き、中から飛び出して来た無数の繊維が、宙に取り残された本のにまとわり付いた。

 ページを開いた状態で本は装甲の中にしまわれる。

 すると、今度は棺桶を満たしていた赤い溶液が、少年の中へ吸い込まれて行った。

 溶液を吸収し、血色を取り戻した[人間]の精霊。真っ白かった彼の髪には、所々に赤毛が混じり出す。

──やがて玉虫色の瞳を開いた彼は、文字通り棺桶から飛び起きた。

 地面に足を着けたレアン=カルナシオは、彼女の方を振り返り、


「行ってくるよ」


 たったそれだけ言うと、わずかに助走を付けて、あろうことか崖から飛び降りる(、、、、、)のだった。図らずも、初めて出逢った際にフィアナがしようとしていたこと──崖の上から戦場へと加勢しに行く──と同じことを、レアンとなったタダヒトは決行したのだ。

 そんな、向こう見ずとも取れる──いや、それその物としか言いようがないが──行動に出た彼を、空色は無言のまま見送った。

 が、幾許もしないうちに、彼女はぼそりと呟く。


「……私さえ(、、、)いればいいのに(、、、、、、、)


 その幽かな声は、発せられた瞬間、戦場から聞こえる怒号の中に掻き消えてしまった。

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