第二十六話
不気味な目玉を持つ剣──[アンサラー]を構えた彼女を見て、メイヴは下頬を痙攣させる。額に浮かぶ癇癪筋が、煮え滾る怒りを表していた。
「剣の精霊ですって? 小賢しい真似を……。
私は大コノートの王族よ! どんな手を使われようと、下等国家なんかに負けはしないわ!」
彼女の声に応じ、【ネメアン】は空気を震わせるような声で咆哮する。
巨軀を揺らして走り出した獅子は、そのまま獲物に飛びかかろうとした。
迫り来る猛獣の爪と牙。
しかし、フィアナは決して目を逸そうとはしない。
一目見て殺傷力の高さが窺える【ネメアン】の前足が、彼女の顔めがけて振り下ろされる。
──その時、だった。
【ネメアン】の頭上から、それが落ちて来たのは。
獅子の頭を直撃したその物体を見て、メイヴは目を見開いた。
高速で回転しながら降って来たのは、なんと殻を背負ったスライムだったのである。
予想だにしなかったであろう攻撃に、【ネメアン】は怯む。さほどダメージはないにしろ、完全に不意を突かれたはずだ。
上空から現れた【でんでんスライム】はその隙を逃さず、獅子の頭に溶けた体で纏わり付く。
結果、【ネメアン】の爪は空を切り、獲物に届くよりも先に地面に突き刺さった。
「馬鹿な──さっきのは囮だったってこと⁉︎」
つまり、ここまでが本当の「作戦」だったのだろう。
「目の前で精霊を召喚する」と言う、インパクト抜群の演出により、空中に飛び上がっていた【でんでんスライム】から、目を逸らさせたのだ。
実に単純明解、と言うよりかなり陳腐な策である。言ってしまえば、マジックのタネと大差ない。
しかし、こうして大きな隙を作ることができたのもまた事実。
顔に付いたスライムをどうにか振り払おうと、【ネメアン】はもがき苦しむ。
フィアナは剣を握り締めたまま、力強く前進した。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
雄叫びと共に、彼女は[アンサラー]を精隷の喉元へと突き出した。
赤黒く脈打つ刃は、首周りを覆う鬣の中へと吸い込まれ、肉を切り裂く。
激痛の為か、悲鳴を上げるように吠える【ネメアン】。前足を滅茶苦茶に振り回し、必死の抵抗を試みた。
「下等国家の分際で! あなたたちは四大強国のお陰で生かされているのよ! 平和な世界の為に、大人しく管理されていなさい!」
「嫌です! 私はただ死なないでいることを、『生きている』とは思いません! 他人に管理され、与えられる『平和』なんて、誰も望んでないはずです!」
フィアナは怯むことなく叫びながら、更に[アンサラー]を押し込んだ。
まるで、これが自分の「答え」だと言わんばかりに。
「自分が生きる世界ぐらい、自分で決められます!」
【ネメアン】の鋭い爪がフィアナの頬を掠め、横髪が数束切れる。
すると、今度は毛の房を持つ尾が長く伸び、鞭のようにしなりながら飛んで来た。房の中から鋭い棘──大きさ的には果物ナイフほどもある──が突出し、その先端は女生徒の顔に向けられている。
蒼い瞳の中、迫り来る一撃を映しながら、彼女は「剣」の名を叫んだ。
「[アンサラー]ぁぁぁぁ!」
鋭い棘の先端がフィアナの額を穿とうとした、まさにその瞬間──
精霊の刃は、とうとう鬣に覆われた獅子の首を貫通する。
目や口からだらりと血を流した【ネメアン】は、瞬く間に光となり、あっけなく消えてしまった。
後に残されたのは「剣」を握る女生徒と、地面に落ちたその精隷だけ。彼女に降りかかった返り血さえも、跡形もなく消えていた。
瞬間、戦場の中の誰もが動きを止める。
ギルドマスターの精隷が倒された──それは、戦いの終結を意味する。
「そん、な……」
震える声を漏らしたメイヴは、膝から崩れ落ちた。
「私たちが、負けた……」
それも、たった二人の軍勢を相手に。
そして、「ただの田舎娘」に。
彼女は焦点の定まらない瞳を、手を着いた地面に向けていた。
「姫様!」
膝を着いてうなだれるメイヴを見て、シャノンは声を上げる。
彼女はスレイブキャスターのスイッチを持ち上げ──当然、大鷲の姿は消える──、プレートをしまうと大急ぎで駆け寄った。
他の生徒たちも、同様にスレイブキャスターの電源を切る。
フィアナの真横を通り過ぎ、メイヴの元へ辿り着いた少年官僚は、彼女の肩を揺さぶる。
「姫様! お気を確かに!」
必死に呼びかけるシャノンの姿を見てから、女生徒は腕を下ろした。
[アンサラー]の姿は途端に消えてしまい、代わりに彼女の両手の甲に、不思議な模様が刻浮かび上がる。
痣のようにも見えるそれは、「目玉」を象った紋章であるらしく、どうやら精霊との「契約の証」であるようだ。
しばし「契約の証」に目を落としていたフィアナは、再び二人の方へと顔を向ける。
メイヴは相変わらず肩を落として、うなだれていた。
「な、何かの間違いよ。こんな、こと……あり得るわけないじゃない……」
うわ言のようにそう呟く彼女には、側近の声など届いていないらしい。
すると、何を思ったか、フィアナは彼女らの方へ歩き出す。
そして、目の前で立ち止まった彼女の姿を、シャノンは睨み、メイヴは青ざめた顔で見上げた。
「……あ、あなた──私のディスクを奪いに来たの⁉︎
じ、冗談じゃないわ! こんな戦い、無効よ! 学園の試合で精霊を使うなんて!」
「……確かに、私たちのやり方は真っ当な手段ではありませんね」
「だったら、私のディスクは」
「はいっ、もちろんいただくつもりはありませんっ」
答えたフィアナは、華やぐような笑みを浮かべた。ほんの少しだけ頬を染め、形の揃った白い歯を零して。
それから彼女は、顔の近くで人差し指をピンと立てる。
「ですからこれで──貸し一つですね!」
そう言うと、フィアナは小さく首を傾げた。場違いなほど可憐な笑みを湛える彼女を見上げ、メイヴは凍り付く。青白くなった顔から、いっそう血の気が引いて行った。
エリンの田舎娘の口から飛び出したのは、かつて彼女が敗者に贈った言葉だった。これほどまでに屈辱的な「意趣返し」が、他にあるだろうか。
メイヴの瞳──髪と同じく赤──が、怯えるように揺れている。笑顔で放たれた「意趣返し」に対し、怒りを通り越して恐怖を抱いているのだろう。
彼女の隣りに寄り添うシャノンもまた、悔しげに唇を噛み締めていた。
※
その頃、崖の上にいる二人も、それぞれ驚きを露わにしていた。
空色は荒野を見下ろしたまま、右眼を瞬かせている。
その隣りで、タダヒトが安堵の息を漏らした。
「よかった、なんとかなったみたいだ……」
「……本当に、勝っちゃうなんて」
彼女は唖然とした声で呟く。
それから戦場に立つフィアナを映し出す瞳を、わずかに鋭くさせた。
(事前に魔道書を読んでいたとは言え、初めて『描写』を目にしたのは一昨日のはず。いくらなんでも、それだけで召喚できるだなんて早すぎる……。あの人、いったい何者なの?)
どうやら、空色の中で彼女に対する警戒心がいっそう強まったらしい。眼下に見下ろすその姿を、もはやほとんど睨み付けている。
そんな中、荒野の中で立ち尽くしていたクーは、一人その場で呟いた。
「あの野郎……マジでやりやがった」
味方の彼からしても、本当に勝てるだなんて思っていなかったのだろう。
鳶色の瞳を見開いたまま、彼女の後ろ姿を見つめている。
すると、縁なし眼鏡をかけ直しながら、ロイが尋ねて来た。
「勝算があったんじゃないのか?」
「あァ? ねーよそんなモン。……まァ、全く期待してなかったわけじゃねーが」
「……ふん。相変わらず、悪運だけは強いようだな」
彼はクーに背を向け、自らのギルドの方へと歩き出す。
「だが、安心しろ。貴様は必ず、我々の手で処刑してやる。……その日まで、せいぜい生き残ることだな」
「ちっ。だったらそん時も、返り討ちにしてやらァ」
ボサボサの髪を乱暴に掻き毟り、こちらもたった一人の仲間の元へと向かおうとした。
様々な人間の予想に反し、この戦いを制したのはギルド〈ニルヴァーナ〉であった。
下等国家の代表生徒二名が、四大強国の一角に勝利したのだ。
これはある意味歴史的とも言える快挙であり、彼らはきっと勝利の味を噛み締めていたことだろう。
──戦場に、一羽の鴉が舞い降りるまでは。
その鴉は、荒野のただ中──フィアナとメイヴたちとの間に尖った二等辺三角形を作るような位置──に降り立った。
初めに何名かの生徒がそれに気付き、すぐにフィアナやメイヴらもそちらへ顔を向ける。
と、その瞬間、翼を畳んだ鴉の体が、突如青白い炎に包まれる。
火炎は瞬く間に燃え上がり、人一人分ほどの大きさの火柱となった。
当然ながら、その姿は崖の上からでもはっきりとわかるほどで、
「まさか、あれは……⁉︎」
タダヒトが喫驚した声で零した。彼には心当たりがあったのだろう。
また、その横に立っている空色も、緊張を面にしていた。
「こんなに早く、次を寄越すなんて……!」
彼女が釘付けとなっている先では火柱がどろどろと蠢き、「人」の形へと変化する。
──やがて、青白い炎は水を打ちかけられたかのように消え、代わりに一人の女が姿を現した。
彼女は漆黒のロングコートを羽織り、その下にダークスーツとワインレッドのシャツを着ている。
荒野を吹く風に銀色の長い髪とネクタイをなびかせる姿は、間違いなく──
「……魔道書を渡してもらおう。……さもなくば殺す」
「処刑人」ことモリガンは、図書塔に襲来した時と同様のセリフを、一言一句違わず、全く同じ調子で紡いだ。




