第二十五話
一方その頃。
戦場を見下ろす崖の上、枯れ木の足元に、タダヒトは立っていた。
初めて学園に来た時と同じように、彼は荒野の戦いを見守っている。今日も黒い棺桶を背負っており、服装も含めあの日の再現のようだ。
そして少年の隣りには、空色の姿が。
彼女も黒いローブを着ており、やはりフードを目深に被っている。もしかしたら、日光から肌を護る為に、外出時はこうした格好をしているのかも知れない。二百年間も封印されていれば、陽の光に弱くなって当然だろう……。
俯き加減で佇む少女に対し、少年は気まずそうな声で話しかけた。
「空色、一昨日のことなんだけど……本当にごめん。早とちりした上に、怒鳴ったりして」
「ううん、もう平気だよ? 昨日も謝ってもらったから」
空色は顔を上げ、フードの作った影の中で笑みを浮かべる。
それだけ見れば本当に「気に病んでいない」ようであり、タダヒトも安堵した様子だった。
ただ相手の許しを得ることができたと言うだけで、問題は何一つとして解決していないのに。
「あ、でもね、あの人のことは別だよ?」
「え? それってどう言う」
「あの人に返したんでしょ? 魔道書の写し」
すべてを見透かすような表情を浮かべ、彼女は小首を傾げる。
タダヒトは咄嗟に目を──ないのだが──逸らし、動揺を露わにした。
「な、何のことかな? 別に俺何もしてないけど?」
「……やっぱり、そうなんだね?」
「あ。──いや、待って、これには事情があって」
「へえ、どんな『事情』なの?」
呆れたように、空色は右眼を細める。謂わゆる「ジト目」を向けられて、少年はいっそう焦ったようだった。
「それはその……フィアに頼まれて」
フィアナの名前が出た為だろう、これを聞いた彼女は嫌そうにむくれてみせる。
「タダヒト、あの人には甘いよね……」
「いや、そんなことないって。俺はただ彼女が持っているべきだと思って……。
それにほら、俺たちの目標って、精霊文化の復興だろ? だから、そう言った意味的にも間違ってないかなって」
「……つまり、彼女をサンプルにするってこと?」
「う、うん。そうなれば、無理に背中の物を処分する必要もなくなるからな」
つまり、タダヒトなりにフィアナを助けようと考えた結果、彼女に魔道書の写しを返すことにしたのだろう。
とは言え、言っている内容はかなり言い訳がましく、結局は断りきれなかっただけのようだった。
大した目的意識もなく、流されるがままに行動する……。ある意味、タダヒトは「この手の話」における主人公像を、地で行っているのかも知れない。
暫時彼を見つめてから、空色はため息を吐き出した。
「……やっぱり甘いじゃん」
「あの、空色さん……?」
「でも、どのみち無理だと思うよ? あの精霊を使いこなすなんて」
彼女が声を硬くさせて言った時、戦場では三体の精隷が元素の力を解放させていた。
あるいは業火を、あるいは氷の鎧を、あるいは竜巻を──それぞれの体に纏い、荒野のど真ん中で激突する。
瞬間、衝撃の波が戦場を揺らし、爆風は空色らの元にも届いた。
「精霊は精隷と違って、その姿をしっかりと認識する必要があるでしょ? その為に契約とか儀式とかをして、強く思い込むの。つまりね、よほど想像力のある人ならともかく、普通は召喚することすら難しいんだよ?
あの人がどんな覚悟を決めていようと、それだけでどうにかなる問題じゃないよね?」
足元から昇る風に吹かれ、空色の白い髪とローブの裾が揺れる。
二人のいる崖の下、【ドン・クアルンゲ】が火山噴火の如き勢いで、体に纏った炎を燃え上がらせた。周囲の敵を巻き込みつつ、狼と大鷲を退けようと奮闘する。
「結局、何も変わらないよ? あの二人はこの試合に負けるし、あの人の魔道書は、必ず回収させてもらうから」
「……確かに、うまくいくかどうかは微妙、と言うか難しいところだよな」
呟きながら、タダヒトは本の表紙を掻く。
しかし、すぐ彼女の顔を見つめ、
「けど、だからこそ俺たちは策を練ったんだ。
後は『少年官僚役』として、二人のことを信じるだけだよ」
臆面もなくそう言ってのけた。先ほどの言葉とは裏腹に、全く自信がないわけではなさそうである。
むしろ、それこそ「信じている」のだろう。
彼を見上げたまま空色はすぐに口を開きかけた。
が、何か言うよりも先に、彼女は戦場へと目を向ける。
ギルド同士の戦いに、新たな「動き」があったのだ。
※
荒野の中、紅蓮の業火に焼き殺された数体の精隷が、光となって消えた。
【ドン・クアルンゲ】はそのまま強引に突破しようと試みるも、地上からは狼が、上空からは大鷲が、それぞれ氷と風を帯びた体当たりでそれを阻む。
再び三体が激突した直後、水蒸気やら土煙やらが、爆風に乗って戦場に広がった。
やはり何体かの精隷が巻き添いを喰らい倒されたが、彼らの僕はまだまだ健在のようだ。
煙が少しずつ晴れて行く中、クーは猛者たちと対峙していた。
「……簡単には大将まで行かせねーってか。しぶてー連中だぜ」
「……そちらこそ、この手勢を相手によく持ち堪えていますね。それも、たった一人で……。身の程知らずだとは思っていましたが、それ以上に学習能力がないのでしょうか」
凍て付くような視線を送るシャノン。彼女の罵声に、アルスターの猛犬は苦笑した。
「酷ー言われようだな。ま、否定はしねーが。
俺ァ、確かにてめえの言うとおり馬鹿だ。ガクシューなんて、戦い方以外にした試しがねー。……けどな、一つだけ間違ってることがある」
「……いったい、何のことでしょう」
「俺ァ別に、一人で戦ってるわけじゃねーんだよ」
歯を剥き出して笑いながら彼が言ったその時──
その背後から、ある物体が勢いよく飛び出して来た。
それは対峙する生徒らの頭上を軽やかに跳び越え、シャノンたちコノート軍の背後に着地する。
「あ、あれは……⁉︎」
声を上げたロイがすぐさま振り返ると、そこにいたのは一体の精隷。
六本の節足を半透明の体から生やし、渦巻き模様のある殻を背負ったその姿は未知の昆虫──ではなく、フィアナの僕、【でんでんスライム】だった。
しかも、ただ足が生えているだけではなく、ゼリーのような体は通常時とは比べ物にならないほど肥大化しているではないか。
そして、このドーム型に膨れ上がった体の中には、なんとスレイブキャスターを手繰るフィアナが入っていた。彼女は自身の精隷の中で唇を結び──息を止めているようだ──、ひたすらに左手の指を動かす。
彼女を体内に取り込んだ【でんでんスライム】は、凄まじい勢いで戦場を駆け出した。
「しまった!」
その姿を目の当たりにしたシャノンは、さすがに動揺を隠しきれない様子だった。
慌ててフィアナたちを止めようとしたらしいが、そこで再び【ドン・クアルンゲ】が燃え上がる。
「とこへ行くつもりだ? てめえらの狙いは、この俺なんだろ?」
「……まさか、初めからそのつもりで」
「ああ、任せられちまったからな。──マックール! 後はお前が決めろ!」
クーの言葉が届いたかどうかはともなく、【でんでんスライム】は荒野を突き進む。その巨体からは想像も付かないような、驚異的なスピードで。
不快なほどの忙しく節足を動かすその姿は、人によっては「さぞかし名のある山の主」を思い浮かべたことだろう。あるいは、やはりあの害虫の代名詞か……
とにかく、フィアナとその精隷は誰にも阻まれることなく、瞬く間に敵軍の大将──メイヴの眼前へと辿り着くのだった。
「へえ、あなたたちの策ってそんな物なのね。正直、がっかりだわ……」
それでも彼女の余裕が崩れることはなく、むしろ心底つまらなさそうだった。
メイヴはこちらも指を動かし、
「獲物が向こうからやって来たわよ! 喰らいなさい、【ネメアン】!」
傍らに控えていた獅子に命じる。
【ネメアン】は悠然と歩き、迎撃の体勢を取った。風にそよぐ長い鬣が、「百獣の王」たる貫禄を醸し出している。
対して、フィアナはまっすぐに前を向いたまま、指の動きを加速させた。
すると、【でんでんスライム】の体は水飛沫になって飛散し、中にいた彼女が飛び出して来たではないか。
「何よそれ! まさか、今更降伏するつもり?」
「もちろん、違います!」
ずぶ濡れのまま地面に着地したフィアナは、答えると同時にブレザーの胸ポケットに手を入れる。
そして、中から取り出されたのは、一枚の紙切れ──
例の「魔道書の写し」であり、畳んであったそれを素早く開いた彼女は、今度は左の親指の腹を噛む。白い指先に、朱の色が滲んだ。
「私はもう、あなたから目を逸らしません! 約束どおり、この命を賭けます! ですから、お願い……応えてください!」
フィアナは言いながら、紙切れに親指を押し付ける。
まさしく、「契約」を結んだ証を刻み付けるかのように。
刹那、魔道書の写しは光を放ち、書き込まれていた術式がひとりでに浮かび上がった。紙から剥がれた古代文字は、空中で何かの形に固まって行く。
その何かとは、どうやら一振りの「剣」のようである。
──やがて、術式の塊は弾け飛び、その中から「描写」によってフラワーに与えられた姿が、現れる。
宙に浮かんだ「剣」は、銀色の鍔と分厚い刃を持っていた。
刀身の側面には大きな目玉が付いており、上下に生えた棘も相まってグロテスクである。
フィアナは紙切れから手を離し、空中に浮かんだ「剣」の柄──木の根が絡み合っているかのように捻れている──を、両手で握り締めた。
「これが、私の精霊。世界に対する『答え』を代弁してくれる者──[アンサラー]です!」
彼女は半身になり、切っ先を相手に向けるようにして[アンサラー]を構えた。
先ほどの空色の話にもあったとおり、精霊を召喚し、契約することは難しい。精隷の場合は強制的に形成させられる「ネットワーク」を、自力で脳内に構築しなければならないからだ。
通常、それは永い時間をかけて形作られる物であり、一瞬にして精霊の姿を認識することなど、並みの想像力では不可能である。
しかし、今回のフィアナの場合は少し条件が違っていた。彼女は魔道書の内容のうち、「描写」の部分以外を予め読み込んでいたと言う。
このようにして下準備ができているのならば、後は「描写」の書かれた術式を読むだけでいい。
加えて、試合が開始される前、彼女はこのようなことを言っていた。
──私は、私の命を賭けます。
──これは契約ですからっ。
おそらく、あのセリフはメイヴに対してではなく、[アンサラー]に向けて放たれた物だったのだろう。その証拠に、あの時の彼女は、確かに左胸のポケットに手を添えていた。
つまり、「自らの命を賭ける」と言う強力な「自己暗示」が、フィアナの「契約」を実現させる手助けとなったのである。




