第二十話
予想だにしなかったであろう場所から現れた「対象」に、タダヒトは立ち尽くす。
確かに、フィアナは魔道書の一部を隠し持っていた。
しかし、まさか直接体に刻み込んでいたとは……。
彼はしばし何も言えない様子で、彼女の背中にある物を凝視していた。
瑞々しい少女の肌に彫られた大量の「古代文字」は、蝶の亡骸に群がる蟻を連想させる。
「……どうして、背中に」
やがて、タダヒトは呻くようにそれだけ絞り出した。
「父が、彫りました……」
彼女は言葉少なに答える。
寄越された返答の意味を、彼は咄嗟に理解できなかったらしい。
すると、その背後から、
「やっぱり、あなたが持ってたんだね。それも、面倒な所に」
全く足音を立てずに、空色が現れた。
彼女は冷ややかな右眼を、エリンの代表生徒に向けている。
タダヒトは驚いた様子で、少女の方を振り向いた。本当に「寝てしまった」と思っていたのだろう。
空色は彼の視線──混乱や不安が綯交ぜになっているはずた──には気付いていないらしく、さらに女生徒を責め立てる。
「悪趣味だね。実の娘の背中に、術式を書き写すなんて」
「……父は、悪くありません」
「善い悪いの問題じゃないと思うけど……。
何にせよ、私たちにそれを見せるってことは、覚悟できてるんでしょ」
彼女の問いに、フィアナは頷いた。
透き通るような蒼い瞳に、はっきりと相手の姿を映し出す。
「そのつもりです」
「……なら、遠慮なく回収させてもらうよ。あなたの、気味の悪い刺青を」
「はい」
短いながらも、はっきりとした声で女生徒は答えた。どうやら、本当に「覚悟」を決めてここに来たらしい。
空色は相変わらず無味乾燥な表情をしており、タダヒトだけが未だ状況に付いて行けてないようだ。
「か、『回収する』って言っても、どうするうもりなんだ? その、背中に直接刻み込まれているのに……」
「だったら、書き写せばいいんだよ?」
「書き写す?」
少々間抜けな感じで、彼は聞き返す。
これに対し、彼女は笑みを浮かべ──もはや「豹変」と言ってもいいくらい、態度が切り替わっている──、タダヒトを見上げた。
「うんっ。私がこの人の背中の術式を、別の紙に書き写すの。そうすれば、ひとまず内容を確認できるでしよ?」
「なる、ほど……。
でも、じゃあフィアの方は」
「大丈夫だよ? 消す方法なら、いくらでもあるから」
「無垢な笑顔」の中に、何か黒々とした物が垣間見えた気がした。
彼もそう言った物を感じ取ったのか、何も言えないでいると、
「それとも、もっとこの人の裸見てたいの?」
空色は「ぐー」にした手を口許に当てるようなポーズを取り、首を傾げる。表情や声は変わらないのに、明らかに威圧感が増したのがわかる。
また、背を向けたままのフィアナは再び顔を赤らめており、捨て猫みたいな瞳でタダヒトを見ていた。
目が──ないのだが──合ったのか、彼は慌てて顔を背ける。
「い、いやいやいや、滅相もないです!」
「じゃあ、写し終えるまで二階で待機しててくれる?」
「ああ、うん。もちろんそうするよ!」
彼はすぐさま踵を返し、足早に奥の出入り口へと向かった。
それからタダヒトは石の階段を駆け上がり、二階の元閲覧スペースに入る。言われたとおり、ここで二人を待つつもりなのだろう。
彼は向かって左手の窓──昨晩ミンネの使い魔が留まっていた方だ──に歩み寄ると、徐に鍵を外す。
タダヒトはそのまま窓を押し開けた。
夜風に当たり頭を冷やすつもりなのか。もっとも、冷やすような実体などないはずだが。
(なんか、何もしてないのに疲れた気がする……)
少年は敷居の上に両腕を乗せ、肩を落とした。
※
彼女らが二階に上がって来たのは、それから約三十分後だった。
深々と椅子にもたれていたタダヒトは、二人の姿を見て腰を上げる。
フィアナは元どおり服を着ており、畳んだ外套を胸の前で抱えていた。
「えっと、どうだった? 魔道書のページは?」
「大丈夫。ちゃんと書き写せたよー?」
空色は笑顔で答え、手に持っていた紙切れをヒラヒラとさせた。二つ折になったその中に、「対象」の写しがあるのだろう。
「そうか。よかったよ、お疲れ様。
で、フィアのことなんだけど……」
「うん、さっそく処分しよ?」
彼女は、冷たい光を宿した右眼をフィアナに向けた。
その様子を見たタダヒトは、慌てて相方を止める。
「ち、ちょっと待って! なんと言うか……フィアにも何か事情があるのかも知れないし、そう言うのは話を聞いてから決めないか?
て言うか、『処分』だなんて、処刑人じゃあるまいし……」
「別に、殺すわけじゃないんだよ? ……ただ、ちょっと表面を削ぎ落とすだけだから」
「なっ、怖っ。
削ぎ落とすのもなし! とにかく、一度彼女の話を聞いてみようよ」
「そんなことしても、意味ないと思うけどなぁ?」
不服そうに、口を「へ」の字に曲げる空色。
彼は言外の抗議を無視して、フィアナに話しかけた。
「そう言うわけだから……できれば、それを託された経緯を教えてくれないかな? 無理にとは言わないけど、君の為にもなるだろうし……」
「……わかりました。全て、お話します。
と言っても、私も大したことはわかりませんが」
彼女は答えると、外套を抱いている腕に力を込める。
決意を固めるように深呼吸をしてから、フィアナはぽつりぽつりと紡ぎ始めた。
「……私は、小さな寒村で父と二人で暮らしていました。母は私を産んですぐこの世を去ったそうなので、私の家族はずっと父だけでした。
……ですから、私にとって、父の存在は『絶対』だったのです」
薄明かりの中で語る様子は、まるで怪談話でもしているみたいだ。
ランプの火が揺れる度、彼女の顔に差し込んだ影が大きく歪む。
「私は、父に教えられたこと──思想や主義や哲学や美学と言った物──を忠実に守りながら、これまで生きて来ました。
そしてある日、私は父から一冊の本を与えられて……」
それが、問題の魔道書なのだろう。
「初めのうちは、何について書かれた物なのかわかりませんでした。ですが、読み進めて行く内に、それが精霊を召喚する為の魔道書だと気付いたのです。
また、『描写』の載っているはずのページが、破り取られていることも……。
ひととおり読み終えた私は、父に尋ねました。『どうしてこの本を私にくださったのか』と」
汚れた床に目を落としたフィアナは、その時のことを思い出しているらしかった。
タダヒトたちは身じろぎ一つせずに、話に耳を傾けている。
「父の答えは、こうでした。『それは、いずれお前にとって必要な力となるからだ』──そう、仰ったのです。
それから、『お前はその力を望むか』と、反対に問われました。……私は、父の質問の意味を理解できませんでした」
「今でも、よくわかりませんが」と付け足して、彼女は小さく笑った。
しかし、それも束の間、女生徒は再び表情を失う。
「ですが、それと同時に、父が『私にとって必要だ』と言うのなら、どんな物であれ手にするべきだろう、とも考えました。
ですから、私は結局『望みます』と答えたのです。
すると、父は……」
フィアナの顔が、徐々に青ざめて行く。寒空の下にいるわけでもないのに、その肩や唇は小刻みに震えていた。
「私の背中に、失われていたページの内容を……。
──私は、抵抗しませんでした。先ほども言いましたとおり、父の考えや言動は『絶対』でしたから……」
そこまで言って、彼女は息をつく。
「衝撃の事実」とは程遠いものの、異常性を感じるには十分な事情である。
──親と子の間に生じる「狂気」。
いつか誰かが同じようなことを言っていた。もしかしたら、それは確かに存在するのかも知れない。
だとすれば、マックール家における「狂気」の裏側には、いったい何が渦巻いているのか……。
「それが、学園に入る約一年前のことです。その日から、私は何度かページの欠けたその本を読み返しました。『しっかり内容を覚えるように』と、父に言われたからです。
ですが、自分の背中にある物に関しては……恐くて、一度も確かめられませんでした」
フィアナは更に息を吐き出した。
本当に彼女の告白はもうお終いのようだ。
相手の反応を伺う為か、フィアナは恐る恐ると言った風に表を上げる。その顔にはいくらか血の気が戻っており、震えも治まっているらしい。
「あの、私からお話できることは、以上です……。すみません。あまり、お役に立てそうにないですね」
「あ、いや、フィアが謝るようなことじゃないよ。一応、事情はわかったし。
でも、どうして親父さんは魔道書を?」
「さあ、私もそこまでは……。
ただ、父はかつてエリンの王国騎士団の長でした。もしかしたら、あの本を持っていたのも、騎士団長を務めていた時のことが関係するのかも」
「ああ、そう言えば、局長もそんなことを言ってたな」
「……あの、一つお聞きしたいのですが」
上目遣いに少年を見上げながら、フィアナはおずおすと尋ねる。
「父は、どうなったのでしょうか? ……お二人に情報が渡っていると言うことは、すでに父のことを調査した後、なんですよね? でしたら、もしかしてもう捕まって……」
「ええっと、それはその……」
タダヒトは困ったように言い淀む。指先でぽりぽりと本の表紙を掻きつつ、答えるべきか否か思案しているらしい。
が、最終的には彼女の眼差しに負けたようで、
「まだなんだ。どうやら、親父さんは行方を眩ましたみたいで、本部でもまだ居所を掴めてないって」
「そう、なんですね……」
呟くフィアナの顔には、「安堵」の色が見て取れた。
彼女は張りつめていた物が切れたみたいに、表情を和らげる。
「あっ、すみませんっ。父が無事だとわかったら、ほっとしてしまいました。
無断で魔道書を所持していた以上、父は罪人なのに……」
「フィア……」
「きっと、大丈夫ですよね……お父さん」
その祈りの独自は、おそらく無意識のうちに口を突いて出た物だろう。
いや、そもそも声にしてしまっていることさえ気付いていないのかも知れない。
単なる「親思い」で片付けていい物なのか、それとも……。
いずれにせよ、フィアナにとって父ヴィンドとは、本当に絶対的な存在のようだ。
娘の背中に術式を彫り入れると言う「狂気」を見せられてなお、これほどまでに慕っているのだから。




