第十九話
フィアナは二人の姿を認めると、手に持っていた物を掲げてみせた。
それは先日も持参していたバスケットであり、何らかの手料理が入っているに違いない。
つまるところ、彼女は「いつもどおり」のようだ。
「これ、またまた作って来ちゃいましたっ。ちょっと時間が微妙ですけど、朝ごはんにと思いまして」
「あ、ああ、ありがとう……」
明らかに浮かない声で応じ、タダヒトは立ち上がる。
しかし、すぐにバスケットを受け取ることはせず、
「ところで、その、フィアに確認したいことがあるんだけど……いいかな?」
「はい、なんでしょう?」
不思議そうに目を瞬かせ、フィアナは彼を見つめた。
タダヒトはなかなか決心が付かないらしく、嘘を誤魔化すみたいに顔を逸らす。
「えっと、なんと言うか……もし違ってたらいいんだけどさ」
本の表紙を指で掻きつつ、少年は言葉を濁した。
女生徒は彼を見上げたまま、続きを促すように首を傾げる。
──やがて、彼は躊躇いがちに、
「……君は、魔道書のページを隠し持っているんじゃないか?」
「……え?」
「実は、俺たちの仕事は図書塔を復活させること、だけじゃないんだ。本当は、魔道書を回収する為、そして精霊文化の復興を目指してるんだよ。
……それで、昨日最初の任務内容が通達されて」
まるで難病を告知する医師のように、その声は重々しい物に変わって行く。
いや、むしろタダヒトからすれは、彼の方が「宣告」を待っているような心境だろう。
「君から、『魔道書の一部を回収しろ』って。
……だから、教えてほしい。本当に、フィアが魔道書を隠し持っているのかを」
そこまで言って、ようやく彼は顔を上げた。
そして、相手の答えを待つ。
フィアナはしばし虚を突かれたように固まっていたが、やがて我に返った様子で目を逸らした。
強張り血の気の引いたその顔からは、明らかな「動揺」が見て取れる。
「それは、その……」
「……フィア」
「……答え、られません」
否定しない、と言うことは、ほとんど肯定しているようにも思えるが。
タダヒトは、咄嗟に彼女の顔を見直した。
「じ、じゃあ、やっぱり君は」
「……すみません」
彼女はその言葉を絞り出すだけで、精一杯のようだ。
いったい、何に対する謝罪なのか。
タダヒトが問い質すよりも先に、相方の少女が口を開く。
「それは、肯定と受け取っていいんだよね」
「……すみません」
「謝罪なんていいから、早く魔道書のページを出してよ。
自分がどれだけ危険な物を持っているか、あなただってわかってるでしょ」
「それは……。
──ですが、まだ」
「『まだ』何なの」
「……心の、準備が」
フィアナの声は震えていた。
胸中に渦巻くのは、焦りか、恐怖か、はたまた罪悪の念か。
彼女は何かを抑え込むように、唇を噛み締める。
「関係ないよ、そんなこと。
さあ、私たちに寄越して。あなたの隠している物を」
冷たく言い放ち、空色は小さな手のひらを突き出す。
獲物を睨む蛇のように、金色の右眼の中に彼女を見据えながら。
「……無理です。やっぱり、今はできません!」
堰き止めていた物に耐え切れなくなったのか、フィアナは大声を上げる。
亜麻色の髪をさらりと揺らして、彼女は踵を返した。
「失礼します!」
女生徒は、そのまま足早に出口を目指す。用意して来た「朝食」とやらは、渡せぬまま。
タダヒトはあっけに取られていた様子だが、それでもすぐに彼女を引き止めようとする。
「フィア! 待って!」
しかし、フィアナは足を止めず、扉を開いた瞬間には駆け出していた。
中途半端に挙げた手を、少年は未練がましい動作で下ろす。
(やっぱり、フィアが『対象』を……。俺は、どうすれば……)
彼の不安は現実の物となったのだ。
そして、本当は「やるべきこと」がわかっているからこそ、少年は迷っているのだろう。
「……タダヒト、まだ迷ってるの?」
彼女は少年のローブの裾を握り、心配そうに尋ねた。
それから、安心させるように声を和らげ、
「心配しなくてもいいんだよ? 私たちは、正しいことをしているんだから」
「……正しい、こと?」
「うん。だって、精霊文献再生局の目標が達成されれば、世界から魔法格差をなくせられるかも知れないんだよ? これって、とってもいいことでしょ?」
「……わかってるよ。俺も、そう思うけど」
「それに、局長も言ってたとおり、彼女──処刑人に先を越されるわけにはいかないもん」
彼は再び黙り込むしかなかったようだ。
空色のセリフは、暗に「迷っている時間はない」ことを告げている。
「処刑人は私たちと違って、魔道書を葬り去る為に暗躍してる。しかも、かつてこの図書塔を壊滅させたのも、実は彼女なんじゃないかって言われてるんだよ?
もしそんな人物に襲われでもしたら、堪ったものじゃないよね?」
猫撫で声の中にも、どこか硬く冷たい響きがあった。
ふわふわの羽毛の中に、カッターナイフの刃が隠されているみたいに。
「フィアナにとっても、私たちに回収された方がいいんじゃないかな?」
「……そう、だな」
到底納得しているとは思えない声色で、タダヒトは答えた。
少女はほっとしたような表情を浮かべ、彼に身を寄せる。
が、タダヒトがそちらを振り返ることはなかった。
※
その日の夜。
やはりタダヒトはエントランスの椅子にいた。
彼は今朝以上にだらしなく寝転びながら、天井を眺めている。
まるで、雑誌をアイマスク代わりにして昼寝しているかのような状態だ。
(空色が言ってることは、確かに正しい。
どのみち、俺たちが『対象』を回収するしかないんだ……。フィアの為にも)
方向性は固まって来たものの、その具体的な方法まではまだ霧の中なのだろう。
加えて、今夜はレアンになる気にはなれないらしい。もっとも、一昨日に続き昨夜もフラワーの制御に失敗しているのだから、やる気が萎えたとしても仕方のないことだが。
そんなわけで、少年は時折脚を組み替えたり体の向きを変えたりしながら、しばらく悶々とした様子で過ごしていた。
──すると、突然入り口の扉がノックされる。
タダヒトが首だけを動かしてそちらを見ると、続いてこんな声が。
「……私です、フィアナです。今朝のことについて、お話があって来ました」
驚くべきことに、フィアナの方から出向いて来たではないか。
当然彼にとっても予想外だったようで、椅子の上から扉を見つめたまま、固まっている。
「……お邪魔しますね」
朝とは違い控えめな挨拶をしてから、彼女は鉄扉を開け中に入って来た。
農茶色の外套を羽織っており、その下はピンクがかった色合いの寝間着──上下が一体となっており、足首までスカート丈がある──だ。
フィアナは普段に増して青白い顔をしており、何か思いつめているように見える。
タダヒトは我に返ったように体を起こし、立ち上がりながら、
「フィア……それって」
「……空色さんは、どちらにいらっしゃいますか?」
「え? ああ、たぶんもう寝ちゃってると思うけど」
「そう、ですか……」
彼女はしばし考え込むように目線を落とした後、すぐにまた彼を見つめた。
「実は……タダヒトさんに、お見せしたい物があるんです」
「俺に?」
「はい……」
頷いたフィアナは、外套を肩から外す。
それが床に着くと同時に、今度は胸元のボタンに手をかけた。
そのまま流れるような手付きで、一つ二つ三つと、ボタンを外して行く。
寝間着の胸元が開き、やはりロウソク色の肌が隙間から覗いた。
そして──
身に纏っていた物を、一気に脱ぎ捨てる。薄っぺらい質感の生地は彼女の体からするりと滑り落ち、外套の上に折り重なった。
後に残るのは、当然「ありのままの体」。
一糸纏わぬ姿──いや、下は履いている──となったフィアナは、自らを抱くようにして豊かな胸を隠す。
タダヒトはおそらく反射的に釘付けとなっているらしかったが、やがて鞭にでも打たれたように声を上げた。
「え──ええ⁉︎」
「……た、タダヒトさん、見て、ください」
彼女は羞恥心の為か青白かった頬を上気させ、泣きそうな声で懇願した。
多分に扇情的な状態だが、次の瞬間、そんな雰囲気は霧散することとなる。
「お二人の探している物は、ここにあります」
そう言いながら、フィアナはその場で回れ右をして、背中を見せた。
すると、そこには──
夥しい量の文字が、びっしりと刻み込まれていた。
文字は紫色に変色しており、背中から腰にかけてをほとんど隙間なく覆い尽くしている。
しかも、現在アルビオンで使われている物ではなく、どうやらすべて「古代文字」のようだ。
「これが……私が父から託された、魔道書のページです」
女生徒は少年に背を向けたまま、そう言った。
まるで自らの罪を告白するかのように。




