えぴそーど 1
数歩歩いて少女は振り返る。先にあるのは、小さな家と彼女の見送りに集まった動物達だけだ。少女の家族は、もう動物達しかいないために何故だか寂しく感じるのは下の人間の方だ。
「それでは......いってきます、私の世界」
少女にとって、世界とはその山の一角だけだった。昔話で下の世界について聞いたことがあるが、決して下の世界に行こうなんて思ったこともなかった。
もちろん、自分が生きるのに忙しく下の世界を考える暇がなかったというのもある。
でも第一には、彼女の生活で困ったことなんてなかったし、生きられればそれでいいという思念が底にあったからだ。その概念が崩されたのは、つい先日、詳しく言えば昨日のことだった。
変な乗り物に乗った人々が、ヒイヒイ、ゼェゼェ言いながら下からやって来た。そして少女を見るなり、色々言ってくる。「本当にいた」、「生き残りか」、「世界を救え」など。
とりあえず彼女に分かったのは、彼女がナントカという機械を使って過去にいかなければ、彼女が生きられないということだけだった。
そして、彼女は「自分が生きるため」という理由で引き受けた。
「あ、違いますね......バイバイ、私の世界」
生まれ育ち、彼女の世界を構成していた全てに別れを告げて。
「えっと、つまり私は何もしなくていいのですか?」
「そのとおーり。君が機械音痴なのはよぉぉおおおおおおく分かったからね!特異点である行き先はもう入力されてる。だから、なぁあああーーーんにも、しなくていいよ!」
「特異点......?」
少女に説明していたレイはガックリと肩を落とした。彼女は下の世界について何も知らなかったために、全て説明しないといけないのだが、彼女が機械に触るたびにエラーのブザーが鳴りっぱなしで正直何をどこまで話したか分からないのだ。しかも、この少女、この時代の人々が捨て去り、使える者がいなくなった魔法というモノをつかえる。そのためにレイが興味深々であれこれ聞いてしまったのも説明が遅れた原因だったりする。
レイが説明するには、過去には修復力といいものがあり、少しの変動があれど全てある一定の結末を迎えるようになっているらしい。しかし、特異点とはその全てのパラレルワールドで起こる出来事のことで、時代の転換期。その出来事の結末は勿論星の数ほどあため、この結末が変われば、今レイ達が存在している現実が変わるのだという。
「つまり、特異点の過去を変えればいい......と。ちなみにその特異点とはーー」
「今から約3000年前、スクルドが作られたか作られてないかあたりらしい」
「......?」
まずスクルドの存在も曖昧な少女は小首を傾げて、まあいいかと流した。特異点で何をすればいいかも分からないが、レイが言うには悪賊っぽいのを倒せばいいのだと。
「それでは、いってきます」
「え、もう!?」
「え、他に何かいるんですか?」
淡々とした彼女に唖然とするのはレイ達の方である。この少女にはこの世界に何の未練すらないように見えたのだ。本当にこの少女に任せていいか心配である。
そんな心配も他所に、少女は下の世界に来てから一度も笑わないまま、告げた。
「それでは、さようなら。皆さん」
それはまるで落ちるといった表現が正しい気がした。目を開けていられない程の光がウルドと呼ばれる懐中時計から溢れ出したと思ったら、心臓だけ置いていかれるような感覚に襲われた。
目を開けるとーーー遥か下に緑や海が見える。つまり、空だった。
「......っ! せめて地面に下ろして欲しかったです!」
そう言って彼女はとりあえず、目を保護する魔法をかける。後は、地面についたときにでもどうにかしようと思っていたら、青い、空ではない蒼色をした何かを視界に捉えた。
「......?」
「よーぉ、嬢ちゃん。天気がいいからってスカイダイビングか?」
「......」
ーー 綺麗な、色だと思った。
鉱石に例えるなら髪は澄んだ海の色で瞳がレッドトパーズのような、つまりアレクサンドルライトのように美しい人だった。ーーただし、何処と無くチャラい雰囲気だったが。
髪は結ばれて馬のしっぽのように長かったが、声からして男だろう奴は、遠慮なく話しかけてくる。
「おーい、嬢ちゃん? 生きてるかー?」
「......嬢ちゃんって、同じ歳くらいに見えますけど」
「え、嬢ちゃん何歳?」
「......」
女性にそれを聞くのか......と思いつつ、不思議な杖に乗って宙へ浮くーー正確には少女と共に安定した姿勢で落ちているーー青年に少女は素っ気なく言った。
「二十歳ですけど」
「......え」
何故か目を見開き、青年の下降が止まった。少女は暫く彼を見上げていたが、直ぐに興味を無くしたように下を見る。もう数十メートル先に緑の大地が見えてホッとしたように息を吐いた。
着地の姿勢をとって、風の魔法を下に展開することで、勢いを相殺して地面に着地する。難なく降りれたことに再度安堵の溜息を吐くと、少女はあたりを見回した。どうやら森の中のちょうど開けた場所だったらしく、木の枝に引っかかりもしなかったのはラッキーだったと少女は思う。そのまま歩き出そうと一歩踏み出した瞬間。
「さっきの嬢ちゃ、いや、お姉さんちょっと待て!」
「?」
上から声が降ってきた。
見上げるとさっきの青年が焦った様子で降りてきて、スッと隣に降り立ったところだった。
「お前、俺より年上だったんだな! すっげえびっくりした」
「え」
「俺、クランっていうんだ。十八歳で火炎系魔法が得意。お前は?」
名乗った青年の勢いに圧倒されたのと自分より年下だったことに衝撃を受けて暫くポカンと口を開けた少女は、ハッとしてからちょっと不貞腐れたように名乗る。
「私はノア。二十歳......得意な魔法はちょっとよく分からないです......」
クランはノアの拙い自己紹介に耳を傾け、そしてニカッと笑った。その様は光の下によく映えて、ノアは一瞬見惚れる。
「ノアは、魔法使うとき詠唱してなかったと思うんだが、詠唱ってするか?」
「? 詠唱って呪文ですよね? しませんけど…」
「じゃ、それが得意なんだよ」
「? 普通のことじゃないんですか?」
そういうノアに少し驚いた顔をしたクランは、また眩しい笑顔に戻った。
「お前、魔法使えるのに結構抜けてんだな〜。どこに住んでたんだ?」
「......山奥?」
「や、やまぁ?」
先日まで自分の世界の全てだった山の家を思い出し、つい答えてしまったらクランが素っ頓狂な声を上げた。
ノアは怪訝な顔をしてクランを見ると、クランの顔が引きつっていた。よく分からないが何かフォローした方がいいのかもしれないと、説明しようとする。
「でも、今からどっか住むとこ探す」
「え、お前山から降りてきたのか?」
「ううん、なくなった」
「はぁ!?」
ノアは未来からきたのでなくなったと言ったのだが、クランに伝わるはずもなく。クランはノアが大変な人生を送ってきたのではないかと勝手に納得してしまった。
そんなことを思われているとは露知らず、これからどうしようかとノアは考える。
クランはそんなノアを見て真面目な顔をして言った。
「ノア、お前うちのギルドに来ねーか?」
「? ギルド?」
「お前、世間知らずそうだし、俺がいるギルドに入れば手助けしてやれっだろ?」
ノアはまずギルドの意味が分からなかったが、ここはお人好しっぽいクランに頼ることにした。何しろ、世間知らずなのは重々自分でもわかっていたし、クランに対して興味も湧いている。そして何より、腹ペコだったのが大きいのかもしれない。
「クラン、お世話になってもいい?」
「おうよ!」
ニカっ目を細めて笑うクランに、ノアも少しだけ、ほんの少しだけ笑って見せた。
「んじゃ、ギルドにいくかー。ノアは飛べるか?」
「飛ぶ......今まで飛ぶ必要なかったからわかんない。飛ぶ方法教えて?」
「おっしゃ、わかった。でも結構コツが要るから後でな。今は俺の杖に乗っとけよ」
「ん」
出会った時のように杖に乗り浮くクランが手を差し出すので、そっと手を重ねると勢いよく引っ張り上げられて、そのまま杖に座ることができた。なんとも器用なものだなぁ、とノアが考えているとクランは「そんじゃ、捕まっとけよー。落ちても知らねーからなー」といって結構なスピードで空を飛びはじめた。
......それはもう、かなりのスピードで。
「......っ!!」
「やっぱ、こんぐらいが楽しいよなー! な、お前もそう思うだろ?」
「......」
無言でノアはブンブンと頭を降るが、勿論後ろに乗っているノアを前にいるクランが見えるわけではなく。ノアは死ぬかもしれないと、半ば本気で思った。
だからだろうか。景色を見る余裕もなかったから。
「見ろよノア、これが俺たちの町だ」
そう言われて見た、前方の町は、明るくて暖かいお日様に照らされて、とても美しい場所に見えた。
クランさんのイメージはfa○eのあの槍使いの方です。この小説のプロット考えてた時期がその頃だったんですよね…