第42話 ~ 存分に余の相手役を務めるがよい ~
ささやかではありますが、作者が出来る精一杯のプレゼントとなりますことを……。
第3章第42話です。
よろしくお願いします。
――今、こいつはなんと言ったんだ?
賢者は半死半生の自分の状態を忘れるほど驚いた。
確かに聞こえたのだ。
魔王シャーラギアン、と……。
また子供の口から聞こえたある単語も聞き逃してはいなかった。
勇者、と……。
仮に目の前にいる存在が、魔王であるならば、そのものが「勇者」と認める人間はこの世に1人しかいない。
勇者アヴィン――。
勇者候補の憧れ。
いや、全世界の憧れであり、絶対の存在。
それは大女神モントーリネに匹敵する。それ以上かもしれない。
ここで大きな疑問が沸く。
シャーラギアンが封印されたのは、400年も前。
勇者アヴィンが活躍したのも、400年前。
4世代、5世代前の人間が、何故が生きているのか。
何故、今魔王と対峙しているのか。
賢者の頭の中は混乱した。
すると、アヴィンが首を曲げ、賢者の方を向く。
戦場。正面には魔王。
気が狂いそうになるほどの緊張感……。
その中にあって、目の前の男はよそ見をしたのだ。
勇者は至って、冷静だった。
むしろ薄く笑っているような気さえする。
「色々と疑問はあるだろうけどね、後輩くん」
「な……。あんた、本当に――」
「聞きたいことは山ほどあると思うけど、今はとにかく仲間とともに眠っててくれないかな」
「え?」
【癒しの睡棺】ウノス・ピューレル。
緑の膜が賢者と側に倒れた戦士を包む。
「なんだ!」
「狼狽える必要はないよ。単なる回復魔法だ。ただし君が眠っている間だけだけどね。ちなみに効果時間の間は無敵という【特別戦技】だ。アバーロパ古神殿というダンジョンで付与される。気に入ったなら攻略してみるといい」
最後の方は賢者に聞こえていなかった。
意識が薄くなる。
極上のベッドに横たわったかのように気持ちがいい。
賢者は強い睡魔に身を委ねる。
そしてゆっくりと瞼を閉じた。
アヴィンは賢者が眠ったことを確認し、前に向き直った。
子供が1人立っている。
見知った顔だ。その寝顔まで知っている。
しかし、今眼前にいる子供は、アヴィンが知る中でどれにも該当しない顔だった。
邪悪を貼り付けたような薄ら笑い。
耳まで裂けようかという口元。
蠢く闇。
纏う雰囲気は、懐かしさを超えて、強烈な緊張感へと収束していく。
かつてアヴィンが激戦を制し、封印した魔王シャーラギアンに違いはなかった。
「さてさて、待たせたね。――というより意外だったよ。君が待ってくれるなんて。そんな紳士だったかな?」
アヴィンは旧交を温めるかのように話しかける。
魔王はそっと手を掲げた。
「礼だ」
「礼?」
「そうだ。余の復活を手引きした。これはささやかな礼だ。勇者アヴィン」
「手引きしたって……。まるで僕が黒幕みたいじゃないか。予想外なんだ、これは。君の中に魔王としての精神が残っていたなんて」
「その誤算は余に関係ない」
「だろうね」
ふぅ、とアヴィンは肩を竦める。
「一応聞いてみるけど、どうやったら、その子の身体から消えてくれるのかな?」
「知らん」
「だろうね。……参ったな」
金髪を撫でる。
その様子からして、アヴィンは本気で参っていた。
だが、この勇者はポジティブだった。
「ま。なんとかなるか?」
と構える。
魔王もまた手を広げた。
大きく。存在の強大さを見せつけるかのように。
「たまらんなあ、この空気。魔界にいるかのようだ。勇者アヴィンよ。存分に余の相手役を務めるがよい」
「エスコートは昔から苦手でね。期待しているところ悪いけど、早めに決着をつけさせてもらうよ。シャーラギアン」
空気が強張る。
先ほどからの緊張感が、まだデモンストレーションの段階だったらしい。
周囲の大気がガラスのように硬質化していく。
お互いがそっと動いた瞬間、音を立て割れてしまう……。
そんな比喩が必要なほど、特異な状況だった。
先手も後手もない。
お互い示しを合わせたかのように蹴り出した。
勇者アヴィン。
魔王シャーラギアン。
400年という長い時を超え、両者はなんの前触れもなくぶつかり合った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ぼくが覚えているのはそれだけだよ。気が付いたら、こいつと一緒に教会のベッドに寝かされていた」
賢者は手酌で木製のグラスに酒を注ぐ。
その手つきはおぼつかない。
見ると、顔を赤くし、時折しゃくり上げていた。
「随分と飲んだわね」
「は!」
微笑を浮かべる。
横に転がった酒瓶を蹴った。計10本ぐらいは飲んだだろうか。
賢者の顔は真っ赤だ。
隣の戦士もうつらうつらと首を動かして、半分寝入っていた。
場所は変わり、今は2人の勇者候補が寝泊まりしている一室で酒を飲んでいた。
なかなかいい部屋だ。
大きなベッドに、机と椅子も完備されている。
棚には酒が並べられていたが、すでに3人の胃袋の中に収まっていた。
夜の闇は深い。今日は雲が出ていた。
大気の状態が不安定らしく、雨は降っていないが遠雷が聞こえる。
ただ机に置かれた燭台の火が、煌々と部屋を照らしていた。
「こんな話……。素面で話せるわけないよ」
「誰かに話した?」
賢者は自らを嘲るように「はっ」と笑った。
「仲間に話したが、誰も信じてくれなかった。いい笑いものだよ、まったく」
「へー。パーティ名は?」
「これが恥ずかしい名前でね。ぼくは嫌いなんだよ」
そうハニカミながら、賢者はパーティ名を告げる。
確かに恥ずかしい名前だった。
「ところで君は何者? こんな話を聞きたがるなんて」
「ただの興味本位ってだけじゃ納得してくれない?」
「それはいいとしても、男2人が泊まっている部屋に、ほいほいと入ってくる女の心境を知りたいものだね」
賢者は机に置いた女の手に、自分の手を重ねる。
薄い長手袋をした手を舌で舐めるように撫でた。
女は微笑む。
赤いルージュが蝋燭の光を受けて、艶やかに光っている。
賢者もまた薄く笑った。
その時だった。
不意に突風が舞い込んだ。
弾かれるように窓が開く。
途端、どしゃぶりの雨が降ってきた。
屋根を激しく叩き、部屋にも入ってくる。
「ちっ」
賢者は舌打ちをし、席を立った。
窓を閉めようと手に掛ける。
瞬間、稲光が近くに落ちた。
大気を震わせるような轟音が鳴り響く。
ともかく閉めようとした。
すでに顔に雨が当たり、ぐっしょりと濡れている。
「――!」
不意に背後で気配がした。
咄嗟に振り返る。
女が立っていた。
再び落雷が落ちる。
白い光が女と賢者を包んだ。
賢者は息を呑む。
ぞっとした。
女の顔は冷たく、無表情だった。
青い瞳を賢者に向けている。
まるで氷玉のようだ。
何かがおかしい……。
そう思った。
何故なら、女からかすかに滲み出ていたのは、明確な殺意だったからだ。
「おい! この女! なんかおかしいぞ!」
賢者は叫ぶ。
寝入りかけていた戦士の方に目線を向ける。
「あ……」
ダンジョンの戦闘にあって、常に余裕の笑みを浮かべてきた賢者の顔が、恐怖に歪んだ。
戦士の首があり得ない方向に曲がっていた。
腕を組んだまま。
背中を丸め、目をつぶり……。
そして絶命していた。
「は――」
悲鳴が上がる瞬間、女は賢者の喉元を掴む。
魔王とは比べものにはならないが、それでも一瞬で息を殺された。
「黙りな」
耳に水でもかけられたかのように、女の言葉は冷ややかだった。
賢者はあらん限り力を使い、引き剥がしにかかる。
魔王とは違う。
だが、人の力とは到底思えない。
一体どうやって鍛えれば、これほど強くなれるのか。
そんな気が遠くなるほどの修練の長さを感じる力だった。
むろん、抵抗は無駄に終わった。
魔法も朦朧とした状態では満足に唱えられない。
「即死させることも出来たんだけどね。予定変更だ」
「――――!」
女は空いた手を賢者の腹に当てる。
そのまま全身で押し込むように拳打を放った。
瞬間、賢者は舞い上がる。
本来なら吹き飛ぶほどの衝撃ではあったが、女に喉元を掴まれているためそうはならなかった。まるで風にあおられたシーツのように翻る。
賢者の口から大量の血が溢れた。
女はようやく手を離す。
何故か息が出来なかった。
「衝撃で内臓がひっくり返ったんだ。気管に全部詰まっちまったんだよ」
解説するが、賢者は聞いていない。
喉元を押さえて気道を確保しようとするが、血が垂れるだけだった。
そんな状態の賢者の顎に、女は容赦なく蹴りを見舞う。
顔がボールのように跳ね上がった。
頭が床に激突する刹那、女は賢者が着ていたローブを引っ張る。
白くなる意識の中で、賢者はどうして女がこんなことをするのか考えた。
おそらく物音を立てたくないのだ。
無音で――戦士を殺したように――自分のことも殺すつもりなのだ。
それもなぶりながら……。
三度、稲光が閃く。
轟音が宿を震わせた。
雨は変わらず激しく降っている。
それでも女は細心の注意を払い、さらに賢者を痛めつけた。
雷が轟く中、青白く映し出した女の顔はあくまで無表情で――。
そして泣いているようにも見えた。
宿の店主は入口から外を見つめた。
かなりの雨だ。
雷も鳴っている。
この辺りでは珍しい天気の崩れ方だった。
不意にギッと音が聞こえた。
ギョッとして振り返る。
女性が2階から降りてくるところだった。
「お客さん。どうしました?」
「お暇しようと思いまして」
「外は凄い雨だよ。泊まっていかないのかい?」
てっきり男2人とお楽しみなのかと思ったが、女に着衣の乱れはない。
ほんのりと顔が赤いところを見ると、ただ酒を飲んでいたらしい。
「2人とも眠ってしまって」
店主の心を見透かすかのように、女は言った。
呆気にとられたが、店主は声を上げて笑う。
「なかなかの酒豪だね。じゃあ、どうだい? 別に部屋を用意するが、今なら一室空いてるよ」
「他にも用事がありますので。これで」
「そうかい。気をつけなよ」
女は軽く会釈をする。雨の街へと出ていった。
スカーフを目深にかぶり、ついぞその表情を目にすることはかなわなかった。
次の日。
宿の2階に2体の変死体が見つかる。
1人は首を折られ、もう1人は顔の原型がわからなくなるほど、なぶり殺されていた。
さらに次の日。
その2人が所属していたパーティの仲間も行方不明になる。
7日後。
仲間たちはあるダンジョンで遺体となって発見された。
勇者アヴィンが生きていた。
魔王シャーラギアン復活。
ゴシップ紙の見出しのような噂は、それ以降聞くことはなかった。
聖夜にふさわしい血みどろな話を書いてしまいました(しかし、反省はしていない)
明日も18時に更新いたします。
今週もよろしくお願いします。




