第34話 ~ 【小さな勇者団】の凱旋ね ~
今週もよろしくお願いします。
第3章第34話です。
エーデルンドはカッと目を見開いた。
薄暗い部屋の中に、青い双眸が光る。
瞬間、彼女は自分にかかっていた布団を乱暴に剥がした。
立ち上がろうと腰を上げた時、ふと己の手を見る。
鳥肌が立っていた。
お腹の辺りもキュッと締め付けられるような感覚が続いている。
それほど強烈な印象だった。
下着姿のまま寝室を出て、廊下を横切る。
ドアを蹴っ飛ばすように開いた。
ベルが飛び跳ね、盛大に音を鳴らす。
辺りを窺った。
赤茶色の髪を押さえる。
風が強い。
空を見れば、雲が西から東へと激流のように流れている。
近くの黒い森も揺れていた。
なのに、モンスターたちの気配は薄い。
ひっそりと身を隠しているようだ。
何から――と尋ねなくてもわかる。
世界を覆い尽くさんばかりに放たれて気配に、皆が戦慄しているのだ。
エーデルンドは東を見た。
マサキを預けた教会がある方向だ。
唇を噛む。
眉間に深く皺を刻み、エーデルンドは悔しそうに顔を歪めた。
「やあ……。エーデ、おはよう。今日は早いね」
朝の挨拶が背後で聞こえた。
誰なのかはすぐにわかる。
我が亭主だ。
後悔は怒りに変わった。
「あんた、こんな事態にあって、呑気にあいさ――」
赤茶色の髪を振り乱し、エーデルンドは叫ぶ。
自ら口を噤む。
悔しさに歪んでいた瞳を大きく広げた。
「アヴィン……」
名前を呼んだ相手は、武装をしていた。
蒼穹の鎧。
両刃に赤い宝石がはめ込まれた両刃の剣。
かつて魔王討伐するため魔界に行った時の装備。
エーデルンドが最後に見送った時の姿――そのままだ。
唯一違うのは、その表情……。
かつてのアヴィンはどこか余裕のない顔をしていたが、今は笑っていた。
「来るな、と忠告しても君は来るだろうから……。だから、先に行くよ。君がついている頃には、片が付いているとは思うけどね」
「アヴィン!! あんた……。マサキをどうするつもりだい?」
エーデルンドは目を潤ませながら尋ねた。
泣きそうになっている伴侶を見て、アヴィンは優しく抱きしめた。
「心配しないで。マサキも僕もちゃんと無事に戻ってくるから」
「本当なの……?」
普段のエーデルンドを知っている者からすれば、驚くほど甘えた声だった。
アヴィンは身体を離す。
柔らかく目を細めた。
「僕が約束を破ったことがあったかい?」
「…………」
エーデルンドは首を振る。
「信じてるよ。アヴィン」
「ああ……」
アヴィンは家から出た。
パチン、と指を鳴らすと、目の前の空間が歪む。
ひと1人入れるほどの穴が産まれた。
躊躇なく勇者はくぐり抜けていく。
ほどなく……。穴は閉じられた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
少女はふと目を開けた。
気が付けば、鳥肌が立っている。
寝床から身体を起こし、不思議な現象を眺めた。
寒いのかとも思ったが、そうではない。
首に汗を掻き、金髪はじっとりと濡れていた。
「ふにゃあ。エルナお姉ちゃん」
背後で声が聞こえた。
少女はびくりと肩を震わせる。
振り返ると、そばかすがついた少女が涎を垂らしている。寝顔が実に幸せそうだ。
「そっか。今日はマリーと一緒に寝てたんだった」
少女は薄く微笑む。
傍らに眠る同い年の妹の赤毛を掻いた。
起こさないようにそっと寝室を出る。
肩に毛皮を引っかけ、屋敷のテラスに出た。
ヒュッと突風が少女の髪をかき乱す。
ひどく生ぬるく、気持ち悪い風だ。
空を見上げれば、星はなく、ただ雲が足早に東へと向かっていくのが見えた。
「どうした? 眠れないのか、エルナ」
背後から声がして、少女は肩を震わせる。
振り返ると、白髪、白髭の老人が立っていた。
老人といっても、その肩幅は大きく、腕の厚みも少女の柔腕の2倍はある。
腰に差した大振りの剣の手入れ具合からもわかるが、いまだ現役の勇者候補だった。
「ガイウス様」
少女は頭を下げる。
老人は軽く手を上げると、空を見た。
「薄気味悪い夜ですね」
「そうだな」
少女の言葉に老人は言葉少なに答えた。
そしてポンと小さな肩を叩く。
「陽が昇るにはまだ早い。もう少し身体を休めなさい」
「はい」
少女は素直に応じ、自室に戻ろうとした。
老人は空を見ている。いや、その目線の先は遙か西の方を捉えていた。
「お師匠様……」
「うん?」
老人は振り返る。
やや逡巡して、少女は二の句を告げた。
「何か……。何か感じませんでしたか?」
「…………。何か、とは?」
「それは――」
“予感”としかいいようがなかった。
「悪い夢でも見たのかな?」
「いえ。そういうことは断じて」
「ははは……。さあ、もうおやすみ」
白髭を動かし、老人は笑う。
少女は言われた通り、戻ろうとしたが、もう一度立ち止まって、尋ねた。
「あの……」
「今日のエルナはおかしいなあ」
「すいません」
少女は頭を下げて謝る。
そして老人の身体を見つめて言った。
「ガイウス様。……何故、武装しておられるのですか?」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
少女は太い棒きれのようなもの一心不乱に振っていた。
周りは朽ちた廃墟だ。
どうやら元は貴族の屋敷だったらしい。ところどころ、建築様式に雅な部分がうかがうことは出来るが、調度品の類はどこにもない。ただそれらしきものあった――という痕跡が残るのみだった。
ふと手を止める。
少女は眼鏡を上げ、空を見つめる。
薄いレンズの奥で、黒い瞳を光らせた。
雲が西から東へと急激な勢いで向かっていくのが見える。
わっと風が凪いだ。
黒髪を押さえた後、また眼鏡を上げて空を凝視する。
そしてまた何事もなかったかのように棒を振り始めた。
その素振りは先ほどよりも鋭かった。
そして、空は白々と明け始めた。
立花マサキは目を開けた。
「あれ……?」
ぼやけた声を上げる。
視界も歪んでいた。
頭も霞がかかったようにはっきりしない。
何もかもが抽象的だった。
とりあえず、身じろぎしてみる。
身体は動くようだ。
手を突き、まず上半身を起こしてみる。
大岩でも背負っているかのように身体が重い。
それでもなんとか身体を起こすことが出来た。
息が切れる。
ハインザルドに来てすぐ、ベッドから起きることが出来なかった頃を思い出す。
次第に焦点が合っていく。
首を動かした。
頭についた砂利が落ちてくる。
口内に入り、ぺっぺっと吐き出した。
改めて周りを見る。
「え――」
絶句した。
周りには何もなかった。
ただただ荒れ地が広がっている。
めくり上がった地面。
何かが爆発したような大穴。
極めつけは、大きな手で掻いたように一直線に抉られた跡だった。
草木の類はない。
しかし自分は森にいたはず。
いつの間に移動したのだろう。
少年は考えたが、答えは出ない。
そう思った時、ずっと先に森が見えた。
ぐるりと自分から距離を置くように広がっている。
どうやら森の中にある荒れ地のど真ん中にいるらしい。
そう理解した時、声が聞こえた。
「マサキくーん」
聞き覚えのある声だった。
弾かれるようにマサキは背後を向く。
手を振る少女が見えた。
その後ろに少年が2人。
1人はやたらと背が高い。
「アニア! バッズウ! ゴッツ!」
あらん限りに力を使い、マサキは叫ぶ。
なんとか立ち上がって、迎えようと思ったが、途中でバランスを崩した。
やはり身体が重い。自分の身体ではないようだ。
「わわ……!」
「おっと」
寸前のところで支えられる。
バッズウが古傷のついた鼻を擦った。
「お前、ボロボロじゃねぇか」
と笑う。
マサキは自分の格好を見た。
バッズウが言うとおり、上着はボロボロ。ズボンもなんとか股の部分は残っているが、膝から下がむしり取られたようになくなっている。
全身は砂まみれ。だが驚くことに怪我たる痕はない。
折れたと思った脇腹付近のうずきもなかった。
ただ倦怠感が残った。
「そうだね」
マサキは苦痛と戦いながらも、無理矢理笑った。
「マサキくん……」
アニアは声を震わせ、名前を呼んだ。
見ると目に涙を浮かべている。
今にも嗚咽を上げて、泣きそうだった。
「大丈夫?」
「うん……。心配してくれてありがとう。大丈夫……だと思う」
苦笑する。
すると、アニアはマサキに抱きついた。
「ごめんなさい。私が言ったから! トントンを助けようっていったから」
ピンク色の少女の口から奔流のように言葉が漏れる。
マサキはあやすように少女の頭を軽く叩いた。
「アニアが謝ることないよ。ボクも行くっていったんだから」
「そうだぜ。トントンを助けるって決めたのは、【小さな勇者団】の総意なんだからな」
バッズウが難しい言葉を言いながら、腕を組む。
「…………」
その横でゴッツが頷いた。
「トントンは?」
「ママと一緒に森の奥へと逃げたよ」
「そうか。良かった」
「これで俺たちの初クエストが完了したってわけだ」
「やったね」
マサキは笑う。
「でも、良かったよ。みんなが無事で。モンスターに出会わなかったの?」
あの賢者に言われたことを思い出す。
トーバックの死臭に釣られ、モンスターが集まってきたはずだが、この通りアニアたちはピンピンしている。
「ああ。俺たちもよくわからないんだ。ゴッツ曰く、たくさんのモンスターが集まってきた気配はあったそうだけど」
「ゴッツ……?」
マサキは顔を向ける。
背の高い少年は首肯した。
「その通りだ。マサキと別れてすぐにたくさんのモンスターの気配を感じた。けれど……」
「けれど?」
「すぐにいなくなった。モンスターが逃げた」
「逃げた? モンスターが?」
「何かに脅えているようだった」
「マサキは何か感じなかったのか?」
「うーん」
腕を組んで考えるが、心当たりはない。
「あの勇者候補さんたちかな?」
「そういえば、あいつらどこ行ったんだ? マサキ」
「え?」
首を回すが、確かに姿はない。
「帰っちゃった?」
「それにこの荒れ地なんだよ? 森の中にこんなところがあったのか?」
「きっとあの光だな」
珍しくゴッツが口を挟む。
「光?」
「うん。マサキくんと別れた後、少ししたら光が見えたの」
「でっかくて、黒いのも見えたんだぜ? あれってマサキの仕業じゃないのか?」
マサキは首を振る。
全く覚えがない。
森に突如できた荒れ地。
脅えるモンスター。
いなくなった勇者候補。
そして、謎の光……。
今気付いたが、空の色が濃紺から薄い青に変わろうとしている。
自分が眠っている間に、何かが起こったのだろう。
奇跡的な何かが……。
「マサキくん」
アニアがギュッとマサキの手を握った。
暖かい手だった。
「帰ろう」
ようやく笑顔を取り戻す。
「あーあ……。絶対怒られるな、俺たち」
バッズウがマサキに肩を貸す。
「覚悟の上」
ゴッツも支えてくれた。
――エーデ、怒るだろうな……。
げんこつ一発ではすまないかもしれない。
今から身の毛がよだつ。
怒ったトーバックよりも断然怖い。
「ともかく【小さな勇者団】の凱旋ね」
「ああ! アニア、ずるいぞ! そういうのはリーダーがいうもんだ!」
「ごめんごめん。……でも、ミュースはうまくやってくれてるかな」
「ミュースだからね、そこは――」
「ダメでしょ」
少年少女は笑い出す。
ちょうどその時、山の稜線から朝日が顔を出した。
光が小さな勇者たちを照らす。
同時に、山の大きな影が彼らを覆い隠すのだった。
久しぶりに学園メンバーが出てきました。
1人足りないようですが、また今度ということで。
明日も18時ごろに投稿します。
よろしくお願いします。
→ 新作『元勇者のバイト先が魔王城なんだが』もよろしくお願いします。
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