第23話 ~ それは“殺気”だね ~
第3章第23話です。
よろしくお願いします。
氷のように冷たい手で撫でられたような気がした。
こうした感覚は時々、アヴィンのハウスにいる時に感じる。
【魔界の道】と名付けられた大穴の向こう。
その先に広がる漆黒の世界。
魔界サウスハッド。
その方向から放たれた見えない刃と似ている。
エーデルンドは言った。
『それは“殺気”だね』
頭を軽く叩いた。
さらに。
『マサキ……。もし、それを他の場所で感じたら、全力で逃げるんだ。いいね?』
声音こそ、いつもの師の忠告だった。
だが、その表情には穏やかさがない。
むしろ今から戦場に赴く――そんな緊張感があった。
話は現在に戻す。
今、少年が感じているものは、紛れもなく“殺気”だった。
サウスハッドから放たれるものとは幾分小さいが間違いはない。
少年は緊張していた。
周りの仲間たちが何か言っているようだが、全く頭に入らない。
やがて、マサキは恐る恐る振り返った。
少年の緊張を感じ取ったのか、ヤマアラシは慰めるようにちろちろと頬を舐めた。
身体を向けることは出来たが、マサキは俯いていた。
意を決し、顔を上げる。
人生でもっとも遅い動作だった。
まず視界に映ったのは、村を囲む柵だ。
その向こうは平原。右手には森が見える。
その森から少し離れた場所に、立派な木がぽつんと立っていた。
ぞくり……。
マサキはまた震えた。
孤立した木の側……。
黒い影が立ちすくんでいた。
――おっきい……。
自分でも意外と思えるほど、凡庸な言葉を心の中で呟いた。
立っていたのは、ヤマアラシ。
いや……。
正確には違う。
あえていうなら、ヤマアラシとイノシシを掛け合わせたような大型の動物。
大きさは2種類と比べても比肩できるものではない。
まさに“山”を思わせるようなずんぐりとした巨体。
針というよりは、無数の槍を展開させたような体表。
虹彩のない赤い瞳は、憎悪よりも深い感情を感じさせる。
間違いない。
殺気の主だ。
「どうした、マサキ?」
バッズウの声が耳に届く。
ハッとなって、背筋を伸ばした。
なんでもない。
心配させまいと、少年は精一杯の気遣いしようとするが、遅かった。
バッズウの視線は、謎の生物へと向けられる。
「おい! あれ……」
当然のごとく、バッズウは驚声を上げた。
他の3人は、リーダーが指し示した方向に身体を向ける。
番反応したのは、マサキの肩に止まった小さなヤマアラシだった。
「みゅー! みゅみゅみゅみゅー!」
何か語りかけるように鳴き出す。
自分はここにいる!
そう言っているようにも聞こえた。
「もしかしてあれって? この子のパパ?」
「ママかもしれないぞ」
ヤマアラシの反応を見て、口々に話す小さな仲間たち。
そこに恐れのようなものはない。
――ボクだけなの……。あの動物が怖いと思うのは。
反応のギャップに、7歳の子供は戸惑う。
「おーい!」
「パパぁ!」
「ママぁ!」
と叫びはじめた。
当のヤマアラシも、アピールを続ける。
しかし――。
巨体が動いた。
一瞬、こっちに来るかと思った。
しかし、違う。
横っ腹を見せ、巨大な動物は森の中へと消えてしまった。
「いっちゃった……」
アニアは振り上げた手を下ろす。
落胆の声を漏らした。
「みゅー」
ヤマアラシもがっくりと項垂れる。
それを見たアニアは泣きそうな顔になる。
「どうしたんだろう?」
「パパとママとは違うってことじゃないのー?」
「ミュース……。だったら、なんであの動物はあそこにいたんだよ」
「それは――」
「そうよ! パパとママじゃなかったら、この子もあんなに鳴いたりしないよ」
「知るかよ! なんかあんじゃねぇの。ほら、大人の事情ってよくいうじゃん!」
ぶっきらぼうに言い放つ。
ミュースはすっかりすねてしまった。
「喧嘩しているところすまないが」
ややしゃべり慣れていない言葉が、天から降ってくる。
ゴッツの影が、3人を隠した。
「お前たちに任せていいか?」
「もちろんよ、ゴッツ……さん?」
アニアは首を傾げる。
「ゴッツでいい。お前たち強いし、良いヤツだ」
「まあな」
じゃがいも頭のミュースが得意満面になる。
「ミュースのことじゃないと思うよ」
「アニア、なんか言ったか?」
「何にも……」
ぷいっと顔を背ける。
横でバッズウがゴッツに向かって差し出した。
マサキを自分のパーティに誘った時のように。
「良かったら、カメレオとかと遊ばないで、俺たちと遊ぼうぜ」
「遊ぶ? 何して」
「冒険者ごっこ」
にかっと歯を見せて、バッズウは笑った。
アニアも、ミュースも微笑んでいる。
最後にゴッツはマサキを見た。
「ゴッツが仲間になってもらえると嬉しいよ」
「…………」
ゴッツは改めて手を見る。
「1つお願いがある」
「なに?」
「時々でいいから、教会に行っていいか? こいつの様子を見たい」
ヤマアラシを指さす。
バッズウはふんと鼻を鳴らした。
「もちろんだ」
「……ありがと」
ゴッツはバッズウの手を握った。
小さな勇者のパーティに、1人仲間が増えるのだった。
「イタタ……」
マサキは唸った。
場所は空の上。
周辺の山よりずっと高い。
下を見ると、日が沈んで真っ暗になった大地が見える。
まるで夜の海のようだ。
とても地面がある場所とは思えなかった。
「あんた、もしかして……」
風切り音に混じって、女の声が聞こえた。
前方の赤茶色の髪が揺れる。
エーデルンドが首を回して、背中に乗るマサキを睨んだ。
すでにその顔は怒っている。
7日前の悪夢を思い起こした。
少年は首を激しく振る。
必死に否定した。
「ち、違うよ」
「本当かい? また喧嘩したんじゃないだろうね?」
「し、ししししてないよ!」
「教えたことは出来たかい?」
「うん。それは大じょ――って、だから喧嘩は」
「あたしを誰だと思ってるんだい? あんたの保護者だよ。子供の嘘ぐらいすぐに見抜けるさ」
「むぅ」
頬を膨らませる。
パーティの中では大人びて見えるマサキだが、エーデルンドの前では形無しだった。
「しかし、あんたに傷を付けるなんて、たいした相手だねぇ」
「いや、それは違うんだよ。これは別。喧嘩したんじゃないんだ」
「じゃあ、なんだい」
「それは――」
というと説明がしにくい。
拾った動物の針が突き刺さってあちこち痛いなんて……。
不名誉の負傷どころではない。
きっとエーデルンドは笑うだろう。
「ところで、あんた――」
エーデルンドは再び疑いの眼差しを向ける。
ぎくりと、マサキは背筋を伸ばした。
何か怒られるのだろうか。
身構えた瞬間、エーデルンドの手が上がる。
すると、その手は女性の長い鼻を摘まんだ。
「あんた……。なんか臭いわよ」
「あ、それは――」
昼間、鎧トカゲと戯れていたことを忘れていた。
ハウスに戻ってくると、アヴィンが夕食を作っている最中だった。
「やあ……。小さな勇者が凱旋だね」
テーブルに野菜がのった木のボールを置く。
その他にも色とりどりの皿と料理が並んでいた。
「ちょっと作りすぎじゃないのかい?」
エーデルンドはドアを閉めると、肩をすくめた。
「そういっても、残さず食べるくせに」
「当たり前だろ。お残しは許しません!」
「はいはい。マサキも早く手を――」
言いかけた言葉を止めた。
少年の興味は、テーブルに並んだ料理ではなくアヴィンにあったからだ。
エプロンで手を拭きながら、アヴィンは尋ねた。
「どうしたんだい? マサキ」
「ねぇ、アヴィン」
「うん?」
「この家に図鑑ってある?」
「図鑑……。うーんとあるけど、見たい?」
「確かめたいことがあるんだ?」
「……確かめたい?」
アヴィンはエーデルンドに視線を移した。
伴侶も何が何だかわからず、首を振るしかない。
再びマサキを見つめた。
目が輝いている。
いつもの好奇心から来るものじゃない。
何か使命感を帯びた。
真摯な輝きだった。
「わかった。ともかく手を洗って、そして食事にしよう」
小さな頭を撫でる。
マサキは翻り、外の井戸へと走って行った。
「彼……。どうしたんだい?」
「さあね。また喧嘩したみたいだけど、何かあったのかね?」
「図鑑……。どうする?」
「モンスター図鑑は刺激が強すぎる。……何か適当に見繕えばいいんじゃないかい?」
「果たしてそれでいいのかな」
「?」
アヴィンはマサキが出て行った方向を見つめた。
小さな勇者一行のダンジョン探索はいつに?
そういったところで、今週はお開きです。
もう少し待ってくださいね。
来週は10月22、23日更新予定しています。
よろしくお願いします。




