第12話 ~ マサキはマサキのままだ ~
第3章第12話です。
更新しました。よろしくお願いします。
エーデルンドは絶句した。
酒に酔い、霞がかっていた頭が一気にクリアになる。
指先で摘むように持っていた杯は傾き、酒が垂れていた。
慌てて机に置く。
いや、叩きつけた。
「正気か、アヴィン!」
エーデルンドの声は、外で鳴いていた虫の音すら黙らせた。
すぐに元に戻り、いつも通りの夜のざわめきに戻っていく。
アヴィンは酒の残った杯をゆらゆらと揺らす。
わずかに口元に笑みを作った。
「ボクはまだシラフだよ」
「そう思えないんだが……」
「まあ、落ち着いて聞きなよ」
「落ち着いて聞いていられることならな」
酒の瓶を引っ掴むと、エーデルンドは乱暴に杯に注いだ。
「さっきも言ったけど、問題はマサキが魔法以外のことに興味を持てていないことだ」
「だから、村の娼館にでも連れて行くのかい?」
「君こそ酔ってるだろ」
アヴィンは少し頬を染めて、前髪をいじった。
「今のは反省する。……で?」
「簡単なことだよ。友達を作るのさ」
「友達……?」
「そもそもおかしいじゃないか? 彼はもう7歳だ。同い年の友達と追いかけっこやかくれんぼをして遊ぶのが当たり前じゃないか?」
「ここいらの子供は、小さな時から自分の家を手伝ってる子ばかりだよ」
「そうなのかい?」
「ともかく……」
エーデルンドはぐっと杯を呷り、テーブルに置いた。
やや乱暴に、だ。
「アイディアとしては悪くない」
「だろ?」
「けど、いいのかい? マサキを外に出して」
「…………」
いつも饒舌に喋るアヴィンが、エーデルンドの指摘に黙ってしまった。
だが、予想はしていたらしい。
気を取り直し、喉を酒で整える。
「彼の体調という一番の問題点は、クリア出来ていると思う」
「それについては……。問題はないだろうね」
「最近の報告を聞く限り、魔力や魔法が暴走することもないだろう。すでに安定しており、コントロールできていると思う」
「ああ……。それも問題ない。だが、問題があるとしたら」
「不慮の遭遇だね……」
アヴィンの言葉はしんと大気に溶けた。
エーデルンドは外を見つめる。
夜の帳が降りて、真っ暗だ。
だが、空にぽっかりと開いた魔界への道からは、夜の闇よりも濃い霧が常時吹き込んでいるのが見えた。
「ここはあたしとあんたの魔法で守られている。魔族も気付くことはない。だが、ここから一歩外を出れば、状況は変わってくる」
「わかっているよ。……だが、彼の精神の安寧を保つことには代えられない。ずっとこの狭い鳥籠の中を遊び場にさせるわけにはいかない」
「鳥籠から解き放つのは、今がその時なのかい……」
エーデルンドは息を吐いた。
トントンと指の腹で、机を叩き考える。
「致し方ないか……」
「理解してくれてよかったよ」
「別に……。アヴィンが言わなかったら、あたしが言おうと思ってたことだしさ」
「なんだ……。そうなんだ」
アヴィンは苦笑する。
「だけど、1つあの子をテストしたいんだ」
「テスト?」
アヴィンは聞き返したが、エーデルンドは黙って杯を傾けた。
次の日。
アヴィンも同席する中、エーデルンドは「村に連れていく」とマサキに告げた。
反応は案の定だった。
「行く!」
目を爛々と輝かせ、「ハッハッハッ」と息を弾ませている。
尻尾があったら、高速で左右に振っていただろう。
まるで散歩に連れて行く前の犬だ。
一種の迫力ともいえる反応に、一瞬エーデルンドは気圧されたが、すぐに気を取り直した。
咳を払う。
「その前に、あんたをテストする」
「ええ~」
あからさまに嫌な顔をする。
実は、これまで何度かエーデルンドからテストされることがあった。
それはどれも、子供のマサキにとってはめんどくさいものだった。
「じゃあ、この話はなしだ」
「やだ! 受ける受ける! テスト受けます」
途端に、真面目な顔になる。
――現金な子だねえ、全く……。
エーデルンドは赤茶色の髪を掻いた。
一方、背後から様子を伺っていたアヴィンはくつくつと笑った。
「心配しなくても、いつもよりも簡単テストだよ」
「ホント?!」
「ああ……。1つ質問に答えるだけでいい」
「質問? なぞなぞかな?」
「まあ、そんなもんだ。じゃあ、言うよ。1回しか言わないから、よくお聞き」
マサキの大きな頭が縦に振れる。
エーデルンドは一瞬、溜めを作り言った。
「あたしとマサキがモンスターに襲われている。モンスターはとても手強い。だが、マサキが自分を囮にすれば、あたしを助けることができる。逆に、あたしを囮にすれば、マサキが助かる。あんたなら、どっちを選ぶ。……ちなみに両方逃げる、両方残るという選択肢は無しだ」
「え?」
「さあ、考えな」
「そ、そんなの……」
マサキは言葉に詰まった。
先ほどまで「村に行ける」と聞いた少年の面影はない。
日に焼けた顔から血の気が失せ、マサキは呆然としていた。
少し――助けを求めるようにアヴィンを見る。
ハインザルドでその名を知らない者はいないほど有名な勇者は、ただ黙し、少年を見つめるだけだった。
期待はしていなかった。
何故なら、これはマサキに向けられた質問だからだ。
けれど、自分の心の中に失望の色が混じったことは、幼いながら少年は認識した。
どうしよう……。
マサキは考えた。
頭が痛くなるほどに……。
そして少年は。
「いい」
と短く答えた。
一瞬、何を言われたかわからなかった。
エーデルンドは、アヴィンに視線を送った後、尋ねた。
「何が“いい”んだい?」
「そのテストに答えないと村に行けないなら、村に行かなくていい」
「随分とあっさり言うね。……あんたの好奇心ってのはその程度なのかい」
――いじわるだな……。
後ろで見ていたアヴィンは真顔のままだが、心の中では苦笑していた。
マサキは即答しなかった。
やがて答えた。
「答えられないよ」
声が震えていた。
いや、身体もだ。
すでにその時、マサキの目には大粒の涙が光っていた。
いたたまれなくなりアヴィンはそっと手を伸ばす。
それを払ったのはエーデルンドだった。
顎をキュッと引き締めて、なおもマサキを睨んでいる。
怒っている時よりも、迫力のある表情だった。
「何故だい? あたしを置いていけば、あんたは助かるんだよ?」
マサキは強く頭を振った。
「そんなの出来ないよ!」
「じゃあ、あんたが残ってあたしを逃がしてくれればいい」
また小さな頭が揺れる。
先ほどより激しく。
「それも出来ないよ」
「なんでだい?」
小さな肩に手を置き、追求する。
マサキは顔を上げた。
目に涙を溜めて、鼻水を啜っている。
今にも嗚咽が聞こえてきそうだ。
それでも声に出さないのは、男の子の矜持が許さないのだろう。
ここ1年の間、マサキは随分男の子らしくなっていた。
「だって……。だって……」
ボクが死んだら……。エーデが、アヴィンが悲しむから……。
我慢の限界だった。
マサキは声を上げて泣きわめいた。
そこに成長した小さな魔法使いの姿はない。
母の悲しむ姿を見たくないから……。
そう言って、ハインザルドに行くことを決意した少年の姿が、そこにあった。
エーデルンドはマサキを抱きしめる。
優しく……。
それでもマサキは泣き続けた。
単純に怖かった。
死そのものよりも……。
また自分のせいで人が悲しむことが……。
――何も変わっていないね。
「マサキはマサキのままだ」
「そうだね」
背後にいるアヴィンも頷いた。
エーデルンドは、ポンポンとマサキの頭を優しく叩く。
そして言った。
「テストは合格だよ」
「ふぇ……」
いきなり合格と言われて、マサキは驚きのあまり泣きやんでしまった。
「悪かったね。意地悪な質問をして」
「…………」
「でもね。少し試したかったんだよ。……マサキが、あたしがよく知るマサキかどうかをね」
「じゃあ、村に連れてってくれるの?」
エーデルンドは、マサキから離れる。
肩を掴んだまま努めて笑顔で答えた。
「もちろんさ」
涙で腫れていたマサキの顔が、一気に輝き始めた。
手を挙げる。
「やった!」
「ただし……。色々と約束してもらうからね」
「うん!」
マサキは大きく頷く。
そして「でも」と二の句を告げた。
「さっきのテストって、どうしたら良かったんだろう……」
エーデルンドはキョトンと目を丸めた。
背後のアヴィンを見つめる。
勇者は口元を緩め、肩を竦めた。
勇者の妻は、今一度小さな魔法使いに向き直る。
幾多のモンスターを屠ってきた拳を、マサキの胸に突き付けた。
「答えなんてないよ。でもね、マサキ」
「なに?」
「その疑問は、いつも心の奥の見えるところにしまっておきな」
少年の胸を叩く。
マサキは少し考え。
「うん!」
また大きく頷いた。
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