第5話 ~ 今日は外に出てみるかい? ~
第3章第5話です。
よろしくお願いします。
マサキが目覚めて5日目。
ようやく今日、1歩だけ歩くことができた。
エーデは「まさしく大きな1歩だな」と頭を撫でながら、抱きしめてくれた。
まさしく大きなおっぱいだった。
いつもは食事を取ると、すぐに眠たくなるのだが、今日はそうではなかった。エーデ曰く、かなりお腹がよくなっている、とのことだった。
「マサキ、今日は外に出てみるかい?」
「うん!」
エーデの提案に、マサキは眼を輝かせた。
目覚めた初日に出て以来、窓から眺めるだけで外に出たことがない。
エーデに抱えられながら、マサキはハウスの入口をくぐる。
眼が痛くなるような日差しが飛び込んできて、思わず瞼を閉じた。最初の日も思ったが、ハインザルドの太陽はとても元気だ。
ハウスを出て、エーデは真っ直ぐ森へと向かう。
マサキは振り返った。
相変わらずハウスの裏側に荒涼とした大地があり、空を突き破ったような魔界の穴からは、黒い風が吹き込んでくる。悪夢のような光景。だが、それが現実として存在している。
マサキは思わず捕まったエーデの首に力を掛けた。
その震えた手を見て、赤茶色の髪の女性は優しく黒い髪を撫でた。
エーデがやってきたのは、ハウスからほど近い森の入口だった。
マサキを草原に座らせると、おもむろに1本の巨木に近づいていく。
それは全体的に変わった大木だった。
幹も枝も、葉もすべて黒っぽいのだ。
しかも1本だけではない。その周りの木すべてが黒く染まっていた。
見慣れない木に、マサキは「怖い」と思う反面、「触ってみたいな」というほのかな好奇心があることを自覚していた。
「これでいいかね」
黒い幹に手の平を置き、そしてコンコンと叩いた。
「いいかい? じっとしておくんだよ」
指さし忠告する。マサキはぶんぶんと頭を振った。
エーデは手を掲げる。
【風斬りの鎌】バフ・ヴィン!
力強い言葉で呪唱する。
すると、彼女の手から2振りの風の刃が射出された。
刃は黒木の幹に沿って、螺旋を描き上昇する。
幹から伸びた太い枝を切り飛ばす。刃の勢いで一瞬、浮き上がった枝は落下を始めた。このままでは頭に落ちてきてしまう。
エーデが慌てることはなかった。
掲げた手をぐっと握り込む。
すると一度は黒木を超えて、空へと向かっていった風の刃が引き返してくる。さらに刃が分裂。落下する枝よりも早く降り注ぐと、襲いかかった。
大枝も小枝も一気に細切りにされる。
地面に落ちた時には当たっても危険ではない程度に小さくなっていた。
その時、1本だけ大枝が残っていた。
エーデの頭上に降り注ぐ。
「あぶな――」
マサキは反射的に腰を浮かした。
しかし、エーデは全く動くことなく、また大枝を見ることもなく――。
戻ってきた風の刃で大枝を弾くと、同じく細切りにした。
無数の枝の破片が降り注ぐ。
遅れて、とても悠長な動きで黒葉が舞い落ちて、エーデの赤茶色の髪にかかった。
「す――――ごおぉおおおおいい!!」
マサキは拍手を送った。
眼をキラキラさせながら、これまでにない速さで手を叩いた。
「エーデ! エーデ! 今のって魔法なの? ねぇ? 魔法なの?」
興奮したマサキは何回も「魔法なの?」と尋ねる。
子供の賞賛に、エーデはちょっと照れくさくなりながら、頭を掻いた。
「そうさ。ハインザルドの人間なら、努力をすれば誰だって使える魔法だよ」
「はいんざるど……」
“ハインザルドの人間なら”という言葉を聞いて、マサキの心は一瞬にして凍てついてしまう。マサキはハインザルドの人間でない。日本という国で生まれた子供だからだ。
「大丈夫だよ」
そんなマサキの不安を察して、エーデは優しく言った。
「マサキもいつか使えるようになるよ」
「ホント?」
先ほどの興奮から一変、マサキは藁にもすがるような声で念を押した。
エーデは大きく頷く。
「ああ……。ハインザルドで一番魔法を巧く使えるあたしが言うんだ。間違いない」
「やったぁああ!」
マサキは手を挙げて喜びを爆発させた。
「さて、マサキ……。メインはこれからだよ」
「…………?」
エーデはまた幹に手を置いた。
何か印のようなものを刻むと、ゆっくりと腰を落とした。
すべての枝や小枝を取り払われ、丸裸になってしまった巨木を睨む。
拳を作り、引き絞るように腰より少し高い位置で構えた。
エーデは大きく息を吸う。
ピリピリとした緊張感が伝わり、マサキは思わず息を呑んだ。
そして何か“気”のようなものが、エーデの周りで膨らんだ瞬間――。
「はっ!!」
裂帛の気合いがのどかな黒い森に響き渡る。
すると遅れて、鐘楼を鳴らすような音が轟いた。
エーデの拳が黒木を叩いた音だ。
全然見えなかった。
声に驚いてというわけではない。マサキの眼はずっとエーデの一挙手一投足を見つめていた
だが、いつの間にか黒木に拳打が打ち込まれていた。
けれど何も起こらない。
頭の上に「?」マークを浮かべながら、マサキは首を傾げる。
すると、エーデが打ち込んだ拳の少し下――。
幹が黒くてわからなかったが、亀裂が入り始めていた。
それは徐々に広がり、幹を1周する。
破裂音が何度も鳴ると、今度はゆっくりと森の方向へ向かって傾いていった。
雷でも落ちたのではないかという轟音。
木は他の黒木を巻き込み、地面に倒れた。
「…………」
さすがのマサキも絶句してしまった。
子供の思考としては、魔法は何でも出来る力だ。風を刃みたいにしたり、それを使って木をバラバラにするのは、なんとなくだが予想の範疇に収まる。
けれど、人間が巨木を一撃で――しかも女性であるエーデが――倒してしまうというのは、あまりに常識から外れていた。
「すごい」の「す」もいえず、マサキはただ目を丸くして、視界に映る現実を直視した。
「さすがに驚いたようだね……」
エーデは赤茶色の髪をガリガリと掻いて、頭にかかった葉っぱを払った。
マサキはしばらく何も言えなかったが、喉を鳴らすとやっと言葉を吐きだした。
「今のも魔法?」
「ん? いや……。どっちかというと技術だな。私は職業こそ魔法使いだが、元は拳闘士だからね」
「へ、へぇ……」
正直、理由を聞いてもピンとこなかったが、ひとまず「魔法ではない何か」という事で、マサキは納得することにした。
エーデは倒した黒木を広い野原まで引きずってくる。
これにもマサキは驚いたが、さすがに魔法を使って、身体を強化しているらしい。
野原に座らせていたマサキを、さっき切った木の切り株に座らせる。
エーデはすぐに振り返り、幹の解体作業を始めた。
まず巨木の根元側を切って、作業台のように設置する。
今度は木を魔法で大雑把に切り裂いた。片手でなんとか持ち上げられる程度の木の塊にする。それを作業台の上に並べると、ずっと腰に差していた斧を取り出した。
エーデは斧を振り上げると、適当な大きさに切断し始めた。
切り株に座ったマサキは、不思議そうな顔で作業を見つめた。
「なんで魔法を使わないの?」
「魔法はね。便利な力だけど、それだけに頼ると身体がなまっちまう。だから、訓練の一貫として毎日やってんのさ」
「そうなんだ? ボクと一緒だね」
「そうだな」
黙々と木を斧で切っていく。
スコンスコン、と簡単にエーデの手によって木が切られていく様は見てるだけで気持ちが良かった。
「ねぇ、エーデ」
「なんだい?」
「ボクも早く魔法を使って、エーデのお手伝いをしたいよ」
「良い心がけだけど、マサキはまず自分の身体を治さないとね」
「むぅ」
マサキは頬を膨らませる。
次第に、エーデの薪打ちを見るのも飽きてきて、足をぶらつかせた。
戯れに、エーデのように手近にあった黒木に向けて手を掲げてみた。
「えっと……」
エーデの呪文を思い出しながら、口にしてみた。
【風斬りの鎌】バフ・ヴィン!
手の平に大気が渦になって集まると――。
鋭い音を立てて、風の刃が射出された。
刃は一直線に黒木を向かう。ちょうど真ん中部分をスッと通り抜けた瞬間、幹が一拍遅れて切り飛ばされた。
切り取られた幹の影が、マサキを覆う。
「あぶない!」
見ていたエーデは走り出す。
魔法で増幅した足を使い、一瞬でマサキの元に辿り着く。素早く小脇に抱えると、離脱した。マサキが座っていた切り株に、木の幹が落ちてきたのはその半瞬後の事だった。
「はあ……」
エーデは大きく安堵の息を吐く。
少々乱暴に拾い上げたマサキを抱え直す。
横抱きにされた少年は、スースーと寝息を立てて眠っていた。
エーデはまた息を吐き出す。
とりあえず、無事で良かった。
マサキをベッドに寝かせるため、ハウスに帰ろうと足を向ける。
しかしすぐに立ち止まり、振り返った。
今一度、切り裂かれた巨木を見つめる。
眉間に皺を寄せ、丁寧に切り口を観察した。
「弱ったね」
三度息を吐くと、今度こそハウスに戻っていった。
最強の魔法使いの産声ですね。
明日も12時です。
明日で5月の投稿は終わりです。
ここまでお付き合いいただいてありがとうございました。




