第3話 ~ これ……。ボクの身体なの? ~
第3章第3話です。
よろしくお願いします。
シャッと鋭い音が聞こえた。
途端に、瞼の裏側にまで強い光が差し込む。
溜まらずマサキは強く目をつむったが、声が聞こえてようやく覚醒した。
「おはよう、マサキ。……朝だよ」
寝ぼけ眼をこすりあげ、ようやくマサキは目を開ける。
窓から差し込んだ日差しに、一瞬「うっ」となって目を細めた。
首を回すと、窓とは逆方向に人が立っているのが見える。
赤茶色の長い髪に、不思議な青い瞳の女性が立っていた。
「えっと……」
小首を傾げる。
マサキの反応を見て、女性は笑った。
「寝ぼけているのかい? どうやらマサキは朝が弱いようだねぇ」
朝が弱いというよりは、朝も昼も夜もない生活が2年近く続いたので、起きているのか寝ているのかという境目がマサキにとって曖昧なものとなっていた。
「ハインザルドに来たことは覚えているかい?」
「はいん……。ざるど…………?」
「そう。あんたは異世界ハインザルドに来たんだよ。自分の意志でね」
「……ボクの意志――。……あっ。エーデルンド?」
「うん。おはよう、マサキ」
「おはよう、エーデ」
エーデが笑うと、マサキも釣られるように笑う。
すると、くうぅっと音が聞こえた。
2人の視線がマサキのお腹の方に集中する。
「あははは……。朝食出来てるよ。食べるかい?」
「うん」
「じゃあ、まず顔を洗ってきな」
「エーデ……」
「なんだい?」
マサキは手を伸ばす。
「だっこ」
「…………」
エーデは目を細める。マサキの額に軽く拳骨を見舞った。
「痛い……」
「ここはあんたがいた病院じゃないよ。甘やかすつもりなんてあたしはないからね」
「むう」
マサキは頬を膨らませて、小さな抵抗を示す。
「そんな顔をしてもダメだよ。自分でベッドから出るまで、朝食はなしだ」
仕方なくマサキは布団をどかし、上半身を起き上がらせた。
ひどく緩慢な動きだ。それもそのはず……。うまく身体が動かせない。力を入れる度に、身体のあちこちがバキバキと音がした。まるで自分の身体が木の幹になっているような感じだ。
ようやく身体を起こす。すでに息が切れていた。
自分の手を見る。震えていた。
何故かわからない。起き上がる――病院にいる前までは簡単にできていたのに、今ではそれが精一杯だ。
「これ……。ボクの身体なの?」
疑いたくなるぐらい、以前の身体と違っていた。
「どうした? マサキ?」
「エーデ……。ボク、まだ病気なのかな?」
「いや、あんたの病気は治っているはずだよ」
エーデは神妙な顔で答えた。
「さあ、続けるんだ」
言われて、マサキは今度はゆっくりと下半身をベッドの上で回す。
これにも力がいった。身体を横に向かせるという動きだけなのに、汗まで出てくる。
ようやくベッドから足を投げ出すことに成功する。
心臓が痛い。バクバクいっている。
「エーデ……。やっぱりボク。何かおかしいよ」
「おかしくないよ。さあ、今度は立ってみな」
ベッドに置いた手に力を込め、その反動を使ってお尻を持ち上げる。上半身が浮き上がり、タッと足が床についた。
「あれ?」
今度は力が入らない。
バランスが崩れる。
――倒れる!!
と思った瞬間、マサキをふくよかな女性の身体が受け止めた。
壮絶に柔らかい感触が、5歳の少年の頬を包む。
おっきなおっぱいだった。
「よく頑張ったね」
大きな胸に顔を埋めていたマサキの頭の上で、エーデは呟いた。
マサキは不安げな表情で、見上げた。
「すまないね。あんたに自分の身体の状態をしてほしかったんだ」
「ねぇ……。エーデ、ボクの身体どうしちゃったの?」
「あんたの病気は治っているんだ。けど、ずっと寝ていただろう。だから、生活に必要な筋力が衰えているんだよ」
「?」
「つまりは、赤ちゃんに逆戻りってわけさ」
「赤ちゃん……?」
「ああ。……だから、しばらくは起き上がるのと立って、歩く訓練だね。なぁに、最初でそんなに動けたんだ。すぐによくなるさ」
おそらく…………とエーデは推測する。
マサキの母親、もしくは看護婦や医師が、筋肉が固まらないように毎日マッサージをしていたのだろう。ベッドで寝たきりの患者が、起き上がった時のことまで考えているなんてん、ハインザルドでは考えられない献身的な介護方法だった。
「まず目標はベッドからあそこにあるテーブルまでだ」
エーデは部屋から見えるリビングのテーブルを指さした。
距離にして10メートルもないが、マサキには遠く感じた。
不意に瞼を重くなる。急に眠気が襲ってきた。
うつらうつらとするマサキを見て、エーデは心配そうに見下げた。
「疲れたかい?」
「う、ううん……」
「そうかい。……じゃあ、寝な。あんたには休そく――――」
エーデの言葉を遠くの方に聞きながら、マサキの視界はゆっくりと黒に染まっていった。
次にマサキが起きた時には、すでに窓の外は夕闇に染まっていた。
また自分の力で起きようとしたが、全然力が入らない。
身体が悲鳴を上げていることに、子供のマサキでもわかった。
エーデ、と呼ぶと、隣のリビングで本を読んでいたエーデがやってきた。
「お腹空いた」
というと、エーデは柔らかい笑みを浮かべる。
今度はだっこをしてもらった。
首筋に匂いを嗅ぐと、汗に混じってかすかに花の匂いがした。
この辺りに咲く花だろうか。
ぼんやりと思いながら、椅子に座らせてもらう。
テーブルに並べられたのは、野菜が入ったスープとドロドロになるまで炊かれたおかゆだった。それもほんのちょっとだけだ。
マサキはあからさまに嫌そうな顔をエーデに向ける。
そしてはっきりと。
「ハンバーグ、食べたい!」
と言った。
久しぶりに口にする食べ物なのだ。出来れば、自分が1番食べたいものがいい。
「ハンバーグ?」
「知らないの? お肉だよ」
正確にはミンチなのだが、5歳のマサキにはその程度しか説明のしようがなかった。
エーデは呆れたように手を振った。
「ダメダメ……。忘れたのかい。マサキの身体は凄く弱ってる。お腹だって弱ってるんだ。我慢しな」
「むぅ」
「いちいち頬を膨らませて無駄だよ。嫌なら残しな。……あとはあたしが食べるからさ」
「…………」
改めて食べ物を見つめる。
正直、凄くお腹が空いている。
そのおかげで、自分の好みから大きく外れていても、美味しそうに見える。
口の中は生唾であふれかえっていた。
観念して、マサキは手を伸ばした。
エーデが用意してくれた箸を持つ。ハインザルドでも使うらしい。
「慌てて食うじゃないよ。ゆっくりとな」
「うん……」
まずおかゆに手を付ける。
木の椀に盛られたおかゆは、ホカホカと湯気を上げている。
箸を使うのは本当に久しぶりだったが、指先がちゃんと覚えていた。
椀の中をかき回しながら、米粒を拾う。
箸の先に、3、4粒の米が乗った。手が震える。やっぱりエーデが言ったように筋力が衰えてしまったらしい。
慎重に――慎重に、マサキはおかゆを口の中に運んだ。
言われた通り、ゆっくりと咀嚼する。
食べてやっとわかったが、噛む力も衰えていることに気付いた。
もしハンバーグなんて出されていたら、多分食べることが出来なかっただろう。
歯の奥で噛み、吸い上げるように米の味をあじわう。
1分ぐらいかかって、ようやくマサキは飲み込んだ。
「おいしい!」
キラリと黒目を輝かせ、言い放つ。
エーデは安心したように口元を緩めて、マサキを見つめた。
今度はスープに入った同じく木の椀を取る。ほんのりと暖かい。
「だいぶ冷めたと思うけど、気を付けるんだよ」
エーデは頬杖をつきながら、忠告した。
マサキはスープを箸でかき回し、口を付けた。
「あ……。お味噌汁だ」
味も風味も、思えば色も似ている。
懐かしい味だった。
「マサキの世界ではそういうんだそうだね。ハインザルドでは、テルクと言って、一般的な家庭料理だよ」
エーデは説明したが、マサキは聞いていなかった。
久しぶりの味噌汁の味。異世界に来てまで味わうことができると思わなかった。
マサキは夢中になって飲む。
熱すぎず冷たすぎず、程よい温度の味噌汁は、空っぽだったお腹を温めていく。
「こら……。そんなに慌てて飲むと――」
「けほ! ……けほけほ」
喉が詰まり、マサキはむせ返る。
折角飲み込んだ味噌汁が、口から吐き出されてテーブルを濡らした。
そこにさらに、滴が垂れた。
エーデは介抱しようと立ち上がったが、動きを止めた。
目を丸くし、5歳の少年を見つめる。
「マサキ……。泣いているのかい?」
「ふぇ……」
マサキは自分の目を拭った。
手が濡れている。汗ではない。――涙だった。
「え?」
自分でもなんで泣いているのかわからない。
味噌汁の味が懐かしくなったのか。
それとも、味噌汁1つ満足に飲めない身体になってしまったことに嘆いているのか。
結局、いくら考えてもわからなかった。
ただ1つだけ確かなことがある。
「エーデ……」
「なんだい?」
「凄く美味しかった」
「そう――」
「だから、また作ってね」
涙を払いながら、マサキは笑顔で言った。
エーデは釣られるように笑う。
「ああ……。もっとたくさん食べさせてやるから、早く身体を治しな」
「うん!」
弱った身体とは裏腹に、少年は元気よく応じた。
たぶん、5月の投稿はこんな感じで進むと思います。
明日も12時投稿です。




