第21話(後編)
前編の続きです。
「今から見せる魔法を、真似しようなんて思うなよ」
え――――?
マサキの意外な言葉に、エルナの瞳が大きく開かれる。
驚いたのは、彼女だけではない。セラフィも似たような顔をしていた。
そして、1小節目を唱える。
「魔王シャーラギアンよ……」
時が凍り付いたのを感じた。
牛頭の魔族ですら驚き、緑黄の目を剥いている。
呪文の1小節目は、たいてい加護を受ける神や精霊の名前が来る。
アルテラがその一例だ。
つまり、マサキが口にしたその言葉は……。
口に出すのも恐ろしい名前は、つまり――。
魔王シャーラギアンの力を使った魔法だということ――。
ふん、と牛頭が鼻息を荒くする。
「貴様! 我ら眷属の魔法を! しかもシャーラギアンの――」
痺れた身体を無理矢理動かし、かつての魔王を尊称無しに呼ぶ。
徐々に手が動かし、ゆっくりと呪文を唱えるマサキに向かっていく。
「あんなに丁寧に呪文を唱えるマサキは初めて見た」
セラフィはぽつりと呟く。
すぐ側まで迫った危険に、年下の師の顔には微塵の焦りもない。
淡々と呪文を紡ぐ。
灰よ、喰わせ。
闇すら、轟け。
紅い地と、黑い海の狭間に蠢く孤高なる者。
智能と業の中にいる者よ。
光を、召せ。
命を、呷れ。
すべての蠢動うちにあるもの。
灰燼と帰せ。
星すら嬲れ。
貴君は深淵にあり。破笑するものなり。
我、貴君の従僕にして、漆黒の血に彷徨いしもの。
天地開闢を望まず、ただ深淵を開くことを渇望するもの。
闇に、惑え。
朱空を、臨め。
落光に恩赦を求めるものに、永劫なる黑い血を注げ――。
【闇の覇王】ルーズ・ダスター!!
闇が吐き出された。
人間の手によって生まれた闇の奔流は、差し出された巨手を飲み込む。
肉の一片も、血の一滴も残さず、溶かし、呷っていく。
牛頭の魔族はただ見ていることしかできない。
緑黄の瞳を大きく見開き、喉からこみ上げた悲鳴が吐き出された瞬間――。
ぽふっ!
拍子抜けするぐらい軽い音が鳴った。
その時、牛頭の魔族の上半身はなくなっていた。
まるで巨大な顎門に喰われたかのように……。
断末魔の悲鳴すら許されない。
ただ残った下半身と左手の一部が、間を置き、ゆっくりと倒れていく。
半分失ったとて、山1つ分の質量が《ロケール渓谷》の大地に突き刺さる。
巨大な地震が起き、硬い地盤の《フルガ》ですら地滑りを起こして、谷へと流れ込む。
《ロケール渓谷》はかつての姿を完全に消してしまった。
冗談にすら思える大きな2足の脚がオブジェのように倒れ、緑豊かな大地は赤い地面を剥き出しにしている。
戦地であるなら、何が起こったのか検討も付かない荒れ様だ。
一部始終を目撃していた2人の女性は、口を大きく開けて驚いていた。
変わり果てた《ロケール渓谷》にではない。
巨大な牛頭の魔族が倒されたからではない。
人間がシャーラギアンの力を使ったことに驚いていた。
「ようやく終わったか。これで家に帰れるな」
のどかな声が響く。
マサキは襟元のマントを伸び縮みさせながら、首筋に風を送っていた。
軽いジョギングを済ませたかのように、さわやかに汗を拭っている。
一見、なんの変哲もない少年。
ただエルナには、得体の知れない化け物にしか見えなかった。
ただただ驚いているわけにはいかない。
今ここで何かアクションを起こさなければ、一生この少年の背中を見るだけの人生になる。
エルナは妙な悟った。
セラフィに支えられながらマサキに近づいていく。
「ねぇ、名前……なんて言ったかしら? 少し変わった名前だったわよね」
「まあな。……俺は元々べつ――あ、いや。かなり離れた島で育ったんだ」
「もう一度、教えてくれる」
「マサキ。立花マサキだ」
「そう――。覚えたわ。私の名前はエルナよ。エルナ・ワドナー」
「そ、そうか。……よろしくな」
何かエルナが纏う影のようなものを感じて、マサキは1歩引き気味で応じる。
エルナは続けた。
「たぶんだけど、入試は再試験になると思う。……でも、私はおそらく合格する。合格して、この学校に入る。――あなたもそうなんでしょ?」
「まあな。……一応、事態を収拾できれば、文句なく入学させてくれるっていう約束だったし」
「その意味はよくわからないけど……。つまり、私たちは同級生になるってことよね」
「そうだな。――てか、あんた……なんか怒ってる?」
エルナの顔をのぞき込む。
俯いた姿勢で、少女はなおも話しを続けた。
「別に……。――たぶん、首席はあなたが取ると思う」
「まあ、別に俺はどうでもいいけど……。そういう約束してたしな」
エルナはマントに隠して拳を握りしめた。
「それでいい。納得する。……いえ、納得しなきゃいけない。でも――――」
ブラウンの瞳がキッとマサキを見つめた。
魔族の威圧に全く鼻白む様子がなかった少年は、少女の強い眼差しを見て、肩をピクリと動かす。
「卒業後には、絶対にあなたを追い越してやるから!」
言わなければならない、と思った。
マサキとの圧倒的な差は、頭が痛くなるほど理解している。
それでも……。それでも、同じ学舎で机を並べる者として、宣言せずにはいられなかった。
ささやかな抵抗。
決定的な敗北を免れるための矜持。
自分でも思う。
なんて無様なライバル宣言なのかと……。
少年は笑う。
「おう。……俺も負けるつもりはねぇよ」
わだかまりもなければ、世辞や謙遜すら微塵もない。
嘲りなどとんでもない。
ひたすら純真に……。
背負った赤い太陽よりも、マサキの笑顔は輝いていた。
第2章は明日でエピローグを迎えます。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
※ 明日の投稿は18時になります。




