第21話(前編)
無双回2話目です。
鳴動――。
立っていられないほどに地面が揺れ、木々がしなる。
遠くの方で野鳥の羽音が聞こえた。
同時に、淡い紫色の光が大地に現出する。
それは次第に、幾重にも連ねた線となり、広がっていった。
「やばいな」
瞬間、マサキはエルナを横抱きしていた。
突然のお姫様だっこ。
「ちょ――」
戸惑う間もなく、マサキは移動する。
気付けば、霧を越え上空にいた。
もう日が傾きかけていた。
光神ヴァーヴァルが、山の稜線に没しようとしている。
世界は朱に暮れなずみ、まだ冬の風が上空を覆っていた。
エルナはマサキを見た。
その視線は、直下に注がれている。
いまだ不自然な霧に覆われた《ロケール渓谷》。
その奥で先ほど見た紫の光が、蠢動している。
六点の大きな光があり、さらにぼやけた光の線がそれらをつなげているように見える。
いずれにせよ。霧の向こうからでは確認出来ない。
ふとエルナは自分たちが壊した魔方陣の事を想いだした。
マサキの耳元で、見たものを報告する。
「なるほどな。転送の魔方陣か……。これほどの大規模な魔方陣なら、かなりの質量を転送できるかもな。あの亡霊野郎、自分の魔力すべて使って魔方陣を完成させやがった」
「今なら壊せるかも……」
「やめておけ。下手にいじって、大爆発でも起こしたら、被害が広がるだけだ」
「マサキ!」
突然、女性の声が聞こえてきた。
エルナが首を回すと、淡いピンクの髪の女性が風力魔法でやってきた。
見たところ、賢者のように見える。
「おう。セラフィ、やっと来たか」
「それはこっちの台詞だ!」
「すまねぇな。色々あってさ――ほい!」
上空で果物でも投げるようにエルナを、セラフィに渡す。
なんとかキャッチすると、アメジストの瞳がキッとマサキを睨んだ。
「危ないだろ! お前!」
「受験生の退避は終わったのか?」
「……概ねな。おそらく彼女が最後だろ」
「あの! 神官と魔法使い、戦士のパーティを見かけませんでしたか?」
「もしかして、マリーのお姉さんか?」
「は、はい!」
セラフィは柔らかく笑って。
「心配するな。彼女は無事だ。仲間の子たちも手当を受けてる」
よかった、とエルナは胸をなで下ろした。
「ところで、マサキ。状況は――」
何かが落ち着きかけた時、“それ”は霧の中から現れた。
大きな手――!
《死手の樹林》の古代樹をやすやすと握ってしまいそうな大きな手が、霧の中から伸びてきたのだ。
「マサキ!!」
突然のことに回避し損なったマサキは、手に捕まる。
かろうじて頭だけは出して、呼吸は確保する。思いっきり力を入れても脱出できないのは、そのでたらめな大きさを見れば一目瞭然だった。
「大丈夫だ。お前ら、とっとと逃げろよ」
「しかし――」
ばふふふふふ――――――――――――――――――――んんんんんん!!!
今度は、大きく息を吐き出すような音が《ロケール渓谷》にこだます。
突風が巻き起こり、セラフィとエルナが吹き飛ばされた。
同じく、《ロケール渓谷》に充満していた霧も吹き飛ばされる。
徐々に手の主の姿が明らかになっていく。
ともかく何もかもがスケールが違った。
谷の幅を易々と超えるほど大きな蹄が付いた脚。大型の帆船のように張り上がった太股。肩から手にかけての筋肉は異常に盛り上がり、背中の剛毛の1本1本は鉄で出来た樹木のように硬く太い。
大きく広がった鼻穴をびくびくと動かし、綺麗に生えそろった歯を時折見せた。
横から伸びた朱色の角は大きく反り。
ぎらついた緑黄の瞳は片目を潰され、何かが爆発したような古傷が残っている。
それを容貌を端的に表すのであれば、牛頭であった。
しかしその大きさは、想像を遥かに超える。
ロケールの最長の山である《フルガ》と同等の大きさを誇っていた。
巨体に耐えきれず、地面が沈んでいくほどだ。
圧倒的なスケールを前にして、セラフィもエルナも声を失った。
おそらく魔界の中でもかなりの上位種――。
大きさだけで黙らせるほどの迫力がある。
飄々としているのは、マサキだけだ。
「久しぶりだな……。《塚守》――」
声を出すだけで、空気が震えるのがわかる。
マサキは訝しげに顔を歪めた。
「あ? どっかで会ったか?」
「忘れたか、《塚守》! ……この目だ! 貴様に抉られた目! 忘れたとは言わせんぞ?」
…………。
しばらくマサキは考えたが。
「俺は牛を飼ったことがないぞ……」
牛頭の頭に青筋が浮かぶ。
横で見ていたセラフィとエルナが「あ。やばい」と思った。
「ふ、ふざけるな!」
札束でも投げつけるかのように、牛頭はマサキを地面に叩きつけた。
強烈な衝撃が大地に伝播し、直径にして200ロールの地面が陥没した。
さらに牛頭は足を振り上げる。
マサキが倒れている地面を、思いっきり踏んづける。
土が隆起する。
衝撃波は木々を根こそぎ刈り取り、一瞬にして荒れ地が誕生した。
もはや《ロケール渓谷》の美しい姿はそこにはない。
戦場よりも無残な光景が広がっていた。
「マサキ……」
上空からその光景を見ていたセラフィは、悲鳴すら上げられず、呆然と立ちすくむ。
しかし――。
「覚えがねぇもんは仕方ないだろ」
「あ"あ"??」
【雷獣の奏】リューナ!
ノータイムで、巨大な雷が牛頭を貫く。
巨体を覆うほどの目映い光、
それはエルナが知る高速言語を駆使した魔法とはレベルが違う。
耳の鼓膜が潰れるほど悲鳴が響く。大地と空気が揃って振動を起こした。
一瞬にして、牛頭の赤茶色の肌が真っ黒に焦げ上がる。
広大な皮膚のあちこちで火と煙が昇った。
しかし、牛頭は倒れない。
緑黄の瞳は生きている。
「おお! さすがに、そのガタイだけあって、タフだな」
いつの間にか、マサキはエルナたちの前に浮かんでいた。
「ぐふふ……。我ら眷属をなめるなよ」
血に濡れた歯を見せて、牛頭は笑う。
「まあ、それでも……すぐには動けないだろ?」
マサキはそういうと手をかざした。
呪唱前の基本所作――。
彼はこの時初めて、魔法を使用する所作を見せた。
「お前ら」
エルナとセラフィに声をかける。
「今から見せる魔法を、真似しようなんて思うなよ」
ちょっと中途半端ですが……。
※後編は本日18時になります。




