第10話(後編)
ようやくか……。
リコたちが受験生と試験官の遺体を発見した頃――。
ようやく魔瘴気と思われる霧が発生しているという報が、入試運営本部にもたらされた。
ゼルデ=ディファス地方を管轄する勇者候補育成校は、重大事案として認識し、ダンジョンに職員を派遣。受験生の避難誘導に当たらせた。さらに最寄りのギルドにいる勇者候補、及び王国騎士団の派遣を要請し、速やかに受理された。
こうした迅速な対応は、マニュアルで決められたこともあるが、王国の貴族やギルドの高官の息子や娘が受験生にいることが、皮肉にも幸いした。
しかし、今から準備をしても、半日はかかるだろう。
その間、事がさらに大きくならないことを祈るしかない。
ゼルデ=ディファス地方の勇者候補育成校校長であるアーシムは、自ら緊急用の《飛言の白紙》でギルドや王国に報告した後、魔力を切った。
ふうと息を吐く。微量とはいえ魔力を使う《飛言の白紙》での長時間通信は、老体のアーシムには少々堪える。
労うように自分の肩を叩くと、黒革の椅子から立ち上がった。
窓の側までやってくると、《ロケール渓谷》の方角を見つめる。
ここからでは見えないが、せめて奮闘する職員や試験官、そして未来の勇者候補たちの無事を祈った。
――最悪……。わしも現場に行かなければならないかもしれんな。
五十年ほど前、「大陸にその人あり」と言われるほど優秀な『賢者』だったアーシムは、白鬚を撫でながら決意を固める。
その時、窓外に1人の少年が校舎にやってくるのが見えた。
黒マントを羽織り、やたらと大きな鎌を待っている。
その姿は死に神のようだ。
――無粋な……。
アーシムの眉間に深い皺が寄る。
すると、念が通じたのか。少年がこちらを向いた。視線が交わる。その時になってようやく自分以外の職員をすべて出払ったことを思い出した。
入口から回るのもめんどくさかったので、窓を開け、2階の部屋から飛び出す。
足先に風力魔法を込め、いまだ衰えぬ見事な魔力コントロールで、少年の前に着地した。
「何用だ、少年?」
「あんた、もしかして学校の人? しかも偉い?」
まるで友達感覚で喋りかけてくる少年に、アーシムの太い眉毛がピクリと動く。
ただでさえ、王国やギルドからねちねちとお小言を聞かされた後なのだ。長い年月を生きているとはいえ、少々気が立っているのも確かだった。
「私はアーシム。ここの校長じゃ」
「おお! 校長さんか。……ああ、なら話が早いや。俺は立花マサキ。この学校の試験を受けに来たんだ」
「なんだ? 受験生か……。それにその名前。タチバナマサキとは随分変わった名前じゃな」
「ま、“こっち”ではそうだろうな」
「……?」
「まあ、いいや。……ところで、試験ってもうやってんのか? 見たところ、学校に人の気配はないようだけど」
「お主、もしかして今さら試験を受けにきたのか?」
「おお! 受験票も持ってるぜ!」
マサキは受験票をアーシムに渡す。
最近、老眼がひどく、懐から眼鏡を取り出す。近づけたり遠ざけたりしながら確認した。
「どうやら本物のようじゃな。……しかし、ここに日付が書いておろう。試験は昨日からじゃ」
「ああ……。やっぱり……。弱ったなぁ」
マサキは頭をボリボリと掻いた。
「試験日を間違えて、学校に入学出来なかったって聞いたら、師匠怒るだろうなあ。なあ、じいさん。……あんた、校長だろう? 偉いんだったら、俺を今からでも試験を受けさせてくれないか?」
「ばっかもん!」
まさしく雷のごとき怒声が学校の校庭に打ち落とされた。
「試験日を間違えた挙げ句、人の権力を笠に着て頼みごととは、お主も勇者を目指す者なら、恥を知れ! ……まったく! お前の師匠も師匠じゃ! どういう教育をしてきたんじゃ! 一度顔を拝んでみたいものじゃな」
「ああ……。しばらく帰ってこねぇからな」
「なんじゃ? どこかのダンジョンにでも潜っておるのか?」
「ダンジョンつーか、魔界……?」
「はんっ! 馬鹿も休み休みに言え、小僧! 魔界をどういうところかわかっておるのか?」
「まあ、そこそこにな。行ったことあるし」
「はあ? 小僧……お主、病気か? ……まあ、良い。しかし運が良かったな。おそらく試験は中止じゃ」
「中止?」
マサキは首を傾げる。
「ちょっとトラブルがあってな。……職員は今、その対応で出払っておる」
「へー、それは大変だな」
「人ごとみたいに言うな。……一歩間違えれば、お主も魔瘴気を吸って卒倒しとったかもしれんのだぞ?」
「魔瘴気? そいつは大変だな」
「大変なことじゃ。だから、お主に今は構ってる暇などない。……出直してこい」
アーシムの言葉を、マサキは何も聞いていなかった。
ぶつぶつと呟き、何か考えごとをしている。
かと思えば、ポンと手を叩き、アーシムに向き直った。
「なあ、アーシムのじいさん」
「じいさんって……。そんな隣の好々爺を呼ぶような言い方……。これでもわしは、大陸にその人ありと――」
「もしさ。俺がそのトラブルを解決したなら、入学を認めてくれるか?」
アーシムは「ぷっ」と吹きだし、大口を開けた。
「わはははは……。世迷い言を――。ああ、もしお主がトラブルを解決してくれるなら、入学どころか学費免除して、ついで首席の座もやるわい」
「お! 本当か?」
「老いたとて、わしも男じゃ。二言はないぞ」
「よっしゃ! 交渉成立! じゃ、早速行ってくるわ」
少年は消えた。
校庭に残されたのは、アーシムただ1人。
呆然と、さっきまで少年が立っていた場所を見つめる。
「何者なんじゃ? あの小僧……」
その声は虚しく風にさらわれていった。
次はいつ出てくるのか……。
※ 明日も前後編。
前編12時。後編18時の予定です。
よろしくお願いします。




