第10話(前編)
あれ? どこかで聞いたことがあるキャラ……。
蛙族のポポタでなくてもわかる。
むせ返るような臭気……。血の臭い……。
その現場は、絵の具が入ったバケツで子供たちが掛け合いに戯れていたかのように、赤、赤、赤一色に染まっていた。
そんな児戯に収まればいいのだが、残った臭いが予感すら許してくれない。
心に残ったのは、絶望と恐怖だけだ。
戦士の獲物とおぼしき大戦斧が布にくるまれたまま落ちていた。
他にも鎧、外套や衣服の一部、革靴の底の部分など、多種多様の人間がいたと思われる痕跡が広範囲に広がっている。
肝心の人間の姿はない。
あるのは血と欠けた歯、受験生の物であろう装備一式だけだ。
リコ一行は、顔を青くしていた。
唯一、飄々としているポポタだけが周囲を歩き回っている。
大きな口の上の方にある鼻を動かし、森の方に入っていく。
数十歩ほど歩いたところで、「あった」とパーティの方に振り返った。
ポポタに追いつくと、そこにも惨殺現場のような光景が広がっていた。
先ほどとは違って1人だ。
リコは目を細める。
「試験官ね。装備からして魔法戦士の」
「試験官までやられちまったってことか……」
「――みたいね」
「みたいねって! ちょっとヤバいんじゃね!」
「心配しないで。とっくにヤバい状態よ……」
やたら冷静に返されて、イエッタは押し黙る。
「うう……げぇ……ろろろろ……」
その場にいた全員が振り返る。
見ると、先ほどの勇者候補たちの遺骸とおぼしき現場に、マリーだけが残っていた。
身体をくの字に曲げ、吐瀉物をまき散らしている。
リコは慌ててマリーに駆け寄る。
背中をさすりながら、魔法袋に手を突っ込んだ。
中から、魔力鎮静剤を取り出す。
「おい! 吐いてる人間に魔力鎮静剤なんて」
追いついてきたイエッタが声を掛ける。
「鎮静剤には、精神を落ち着かせる効能があるのよ」
マリーが出し切ったのを見計らって、リコは鎮静剤を飲ませる。
「ゆっくりね。落ち着いて。……はい、今度はお水を飲んで」
顔に大玉の汗を浮かべながら、マリーは素直に従っていく。
「この場から離れた方がいいわね。イエッタ、手を貸して」
「お、おう……」
マリーのサイドに回って、両肩を2人で支えながら運んでいく。
血臭が薄くなる場所まで歩き、マリーを下ろした。
「すいません……。みなさん」
「気にすることないわ。人の死の現場を目撃したんだもの。誰だってああなるわよ」
「でも、みなさんは……」
「オレは親父に引っ付いて、遺跡とか巡ってたからな。死体は山ほど見て来た」
「私は教会出身者だからね。イエッタと同じく……」
「……ごめんなさい。私、足を引っ張って――――痛たッ!」
リコは赤毛の頭をチョップした。
マリーは涙を浮かべる。
「誰も足を引っ張ってるなんて言ってないでしょ? 妄想禁止。むしろ、あんたはよくやってるわよ。……正直、もうちょっと足を引っ張るかと思ってた」
「わかる。オレも、とろくさそうな受験生だなって初見は思ってたけど、戦闘もパーティに対する考えも、しっかりしていて驚いたほどだ。……ポポタの方がよっぽど使い物にならねぇ」
「なんだと、イエッタ! 誠に遺憾である! 外交問題なのである!」
びよーん、と飛び上がりながら、ポポタは唾を飛ばして怒りを露わにした。
リコとマリーが同時に笑う。
「ね? だから気にする必要なんてないのよ」
「……うん」
マリーは足を引き寄せ、顔を埋める。
瞳は感謝の涙に濡れていた。
「あの~」
いきなり背後から声が聞こえて、緊張が走った。
リコ、イエッタ、ポポタは、腰に下げたそれぞれの獲物を抜き、振り返る。
立っていたのは、年上の女性だった。
とろんとした瞳に、寝癖なのだろうか。頭頂部分でピンと髪が跳ねている。
軽装の装備から察するに、賢者だろう。
胸当てには、リコたち受験生とは違うバッチが光っていた。
一斉に戦闘の体勢を取るパーティに驚いたのか、女性は、軽く悲鳴を上げて、一歩後退する。
「お、おおおお落ち着いて下さい。わた、私は……あなた方を審査していた――し、ししし試験官です」
「試験官?」
バッチをよく見ると、確かにそう書かれてある。
試験官は職業ランクB級以上という規定があることは、リコも耳にはしていた。
しかし、目の前に現れたのは、マリー以上に間抜けそうな女の勇者候補だ。
「ぱ、パルティアと申します。……あ、あのぅ、お、折り入って頼みが――」
「あのぉ、試験官……。そんなにおどおどしなくても。私たち、受験生なんで……」
「あ、あ、あ、そのぉ。……ひと、人と喋るのは、にににに苦手で」
(((試験官がコミュ症って……)))
マリー以外の3人は、汗を滴らせながら心の中で突っ込んだ。
「それで頼み事っていうのは!?」
「ひぃいいぃいいいぃぃぃぃいい!」
「な、なに? 私、なんかした?」
「……いいいいえ! そ、そのぉ! わ、私にはははは話しかけるととと時は、ちょっと声をおおおお抑えてえええ」
――うっぜぇ……。
リコは、コホンと咳払いした後、もう一度同じ質問を(小声で)した。
パルティアは、身体をもじもじさせながら、ゆっくりと話を始める。
「お、おそらくですが、ダンジョン内で……想定外のことがおお起こり始めてると、おも、思うんです……」
「おそらくじゃなくて、確実にね」
「は、ははははい。――で、出来れば……みなさんに協力してほしいのです。特にリコさん、あ、あなたには……」
「おいおい……。待てよ、試験官」
イエッタが詰め寄った瞬間、パルティアは脱兎の如く逃げ出した。
木の陰に隠れ、兎のようにガタガタ震えている。
「ちょっと! イエッタ! もう少し優しくいいなさい。話が進まないじゃない」
「――って言ってもなあ。普通、試験官なら不測の事態が起きたなら、オレたちを安全に誘導するもんだろ? それを協力しろなんて……」
「ふむ。野蛮なイエッタは、マドモアゼルの扱いもわかっていないのかね」
「蛙に言われたくねぇ!」
「あのぅ、パルティア試験官……。どうか落ち着いて」
イエッタを収め、試験官に気を遣いながらも、実はリコも爆発寸前だった。
ぶっちゃけ、試験官じゃなかったら殴ってでも情報を吐き出させていただろう。
「す、すすすすいません。……おと、おとおと男の人と喋るのは、もっと苦手で」
――乙女アピールがうぜぇ……。
少し時を使い、リコは自分の忍耐力と戦いながら、パルティアを何とか落ち着かせた。
ようやく立ち上がった試験官は、リコとのみ話す事で承諾し、続けた。
「は、はい……。みなさんが仰ることはよくわかります。ただ……ほ、本来ならこういう事態が起きた時、他の試験官と連携し、さらに本部と連絡を取るのですが……」
「……取れないの?」
「はい……。この《飛言の白紙》を使って、何度も連絡を取っているのですが」
パルティアはお札サイズの真っ新な紙を見せる。
《飛言の白紙》は、声を遠くに飛ばし、または飛ばした声を受け取る事が出来る便利アイテムだ。微量の魔力を込めることによって、同じ器の水に浸した《飛言の白紙》同士なら、国の端から端まで声を届ける事が出来る。
「《飛言の白紙》は、魔力が空気中の水分を伝って、声を届けるアイテムです。……けど、この霧では魔力が拡散してしまって」
リコは今一度、周囲の濃霧に目を配った。
「で? 協力というのは? 特に私を指名した理由は?」
「む、むむむ難しい、り、理由ではありません。……安全確保の、たたたために、あなたたちにつつつ付いて来て欲しい、とととというだけです。……つ、つ、ついでに、他の試験官もしくはパーティと合流を」
「つまり、安全確保のため、一時的に試験を中断。他のパーティや試験官と合流し、今後の方針を決めるってそんなとこ?」
「は、はい。……そうです」
リコは息を吐き、腰に手を当てた。
「試験官を責めるつもりは毛頭ないわ。あなたも雇われた身なのだから、他の試験官と連絡が取れなくて後手に回ったのもわかる。……でも、同僚の死体なき遺体を見たわね?」
「はい……。お、おおおおそらくB級魔法戦士のカワセさんだと思います」
パルティアは俯き、今にも泣きそうな顔をしていた。
「正直、手遅れの段階に来てるわよ。犠牲も出ちゃったしね」
「だから! あ、あなたの力を貸して欲しいのです。……リコ・モントーリネ」
「ふぅ――――」
再びリコは長い長い息を吐いた。
「さすがに、私の“あの”魔法でも、この霧は飛ばせないわよ」
「え、ええ……。なんとなくその答えは予想してました。ですが、もん、問題は、ここここの霧に、ふ、含まれている成分です」
「成分?」
「た、たぶんですが、……こ、こここの霧には魔瘴気が含まれています」
「魔瘴気って、魔界の空気みたいなものよね。……なんでこんなところで発生しているのよ」
「り、理由はわわわかりません。で、でも、先ほどから魔力切れの症状に近い物を感じませんか?」
「そう言えば、朝からずっと頭が重いような気がするわね」
リコは頭に手を置いた。
「ま、まま魔瘴気は人間の魔力を吸う毒素です。と、とと特に、魔力耐久値が低い人ほど影響が出やすい」
「オレたち、さほど耐久値が高くなかったけど、なんともないぜ」
「同じく」
「ふ、ふふ普段から、よく魔法を使うジョブは影響を受けやすいと言われます。戦士などのジョブは、え、影響がうううすいのかと……」
「なるほど。詳しいのね」
「こ、ここここれでも、B級の賢者ですから……」
少し頬を染めながら、パルティアは目をそらす。
「し、しかし、こ、ここ事はそれだけに留まりません。魔瘴気はも、モンスターや魔族にとっては、人間で言うま、ままま麻薬のようなものです。に、匂いを嗅ぎつければ、おおおおそらく遠くからだってやってくる可能性はある……あります」
「それってつまり! 他のダンジョンにいるモンスターを引きつける可能性があるってこと!」
「は、はい! ……げ、現に、あなた方は気付かなかったようですが、先ほどの遺体の側に、チェルドポードの節足の一部がありました」
「チェルドポードって、C級モンスターじゃない!?」
「モンスター図鑑で見たぜ。でっかい百足みたいなヤツだろ?」
「確かにそれらしきものがあったな。ゲロゲロ」
「こ、ここここれも推測ですが、《ロケール渓谷》の隣にC級のダンジョンがあります。おそらくそこからやってきたのでしょう」
「おいおい。……聞かなかった方がよかったぜ。なんてこった! なあ、早いとこ脱出しよう!」
「当たり前よ。とにかく――」
リコはふと何かに気付き、振り返った。
目を泳がせると、周囲を窺う。
「ね、ねぇ……。マリーは?」
「「うん?」」
イエッタとポポタはお互いの顔を見合わせ、リコと同じように首を振って、辺りを見回した。
しかし、白い壁のような濃霧が見えるだけで、黒い魔法使いの装束を来た少女の姿はどこにもなかった。
マリーは渓谷の切り立った崖を横目に見ながら、濃霧の中を突っ切っていった。
黙っていられなかった。
駆け出さずにはいられなかった。
不安が、恐怖が、皮肉にも少女の背中を押し、前へと向かう推力となっていた。
――お姉ちゃん……!
祈りを捧げるように、姉を心の中で呼び続けた。
さて、姉妹の運命やいかに……。
後編は、ようやくあの男の登場です。
※ 後編は18時投稿です。




