第9話
少し長めですが、お付き合い下さい。
――早すぎる……。
頭に疑念を残しながら、エルナは魔法を放った。
炎の砲弾は、巨大な蟻の頭に直撃し吹っ飛ばす。
家屋が倒れるような音を立てて、一頭の蟻が地面に沈んだ。
「ユン、ガータの傷の具合は?」
「軽傷ですぅ。……でも、戦線復帰はもうちょっとぉ」
治療に当たっているユンが答えた。いつものスローな喋りが幾分早くなっていて、焦っているのがわかる。
「姉さん方、面目ねぇ! オイラが復帰するまで耐えてくれ!」
奥歯をギリギリと鳴らしながら、まだかまだかとガータは治療が終わるのを待っている。専用のグローブを突き破られ、指があらぬ方向へと曲がっていた。
拳闘士の生命線である拳がやられたのだ。
回復が済むまで、無理に戻すわけにはいかない。
エルナたちが今、戦っているのは、【重装蟻兵】アル・ロージュという、見上げるほど大きな蟻のモンスターだ。
蟻がそのまま大きくなったようなパワー。初級魔法を1発受けた程度では物ともしない固い外殻。中級者でも手こずる厄介なモンスターだ。
だが、基本的に臆病で、こちらから手出ししなければ、襲ってこない。なのに、こうしてエルナたちが交戦しているのに、特別な理由はない。
受験生の罠に引っかかったわけでも、パーティの1人がアル・ロージュを挑発したわけでもない。
単に、襲いかかってきたのである。
――この濃い霧と何か関係しているのかしら……。
奥に進めば進むほど、濃度を上げていく霧に関して、エルナは早い段階から疑問を持っていた。
それに色だ。水蒸気の白に混じって、黒いものが混じっている。
あまり考えたくない可能性だが、魔界に漂う空気――魔瘴気と似ている。
こんなとこにあるはずがないが、本物ならかなり危険だ。
「ぐっ!」
うめき声が聞こえた。
ヴェルテがアル・ロージュの前足を剣で受け止めていた。
よく見ると、先ほどかけた防護魔法が切れている。魔力耐性が高い彼女は、持続時間が極端に短い。
――フォローが遅れた!
思っていたよりも、魔法の持続時間が短い。
心の中で自省しながら、エルナは防護魔法をかけ直す。ついでに筋力増強も加えた。
力を取り戻したヴェルテは、前足を無理矢理弾き飛ばす。
体勢を崩した蟻に向かって跳躍すると、裂帛の気合いとともに巨頭を真っ二つに切り裂いた。
胃の中まで響くような重低音が、辺りにこだます。
――これで3匹目!
最初に奇襲してきたアル・ロージュはすでに絶命している。
だが、その際ガータが負傷してしまった。
残るは2体……。
「ヴェルテ、引きつけて! 合図をする。その時に下がって!」
ヴェルテは頷く。
巨頭に剣先を向けながら、サイドに回る。
2体のアル・ロージュは奇声を上げながら、ヴェルテを威嚇。
1体が前足を振り上げると、さらにサイドへと回った。
エルナは呪唱する。
時間はそうかからない。
両手に炎が灯る。
「ヴェルテ!」
合図――。
女戦士が後退する。
アル・ロージュがそれを追った瞬間――。
【双炎の竜牙】フム・バル・デュシュ!
炎が、2匹の竜となって巨大蟻に襲いかかる。
真っ正面から受けたアル・ロージュの身体を、竜が貫いた。
半瞬、間があった後、真っ黒の外殻に炎が溢れる。
ついに、爆散した。
「す、すげぇ……」
怪我から復帰したガータが、声を震わせる。
溶け出した蟻酸が炎によって蒸発し、辺りに異臭が立ちこめた。
炎があちこちに飛び火し、辺りはさながら迫撃砲を受けたような状態になっている。
「みんな、無事?」
エルナは息を整えつつ、周囲を見回した。
「問題ない」
「は~い。大丈夫なのですよぉ」
「すげぇなあ、姉さん! オイラたち、いらないんじゃねぇ?」
口々に返事をして、エルナの元へ集まってくる。
ガータは拳を打ち鳴らしながら、回復をアピールした。
「そんなことないわよ。……詠唱時間中は無防備だもの。前衛の人たちには頑張ってもらわなくちゃ」
「う! すまねぇ……」
「別に責めてるわけじゃないわ」
「それよりもぉ、あのモンスター強くなかったですかぁ?」
発言こそいつもの間延び口調だが、ユンは鋭いとこをついてきた。
「オイラも思った。アル・ロージュなんて図鑑でしかみたことねぇのに。あんなのがE級のダンジョンで現れるのか?」
「E級の奥でなら、現れる可能性がある。……しかし、まだここは中盤を過ぎたところだ……」
「しかも群でね。……普通は1、2体ぐらいしか現れないのに……」
エルナは口に手を当て、考え込む。
中盤で現れ始めた上位モンスター。
さらに、魔瘴気に似た色を帯びる濃霧……。
先ほどから、エルナの頭の中で危険信号が鳴り止まない。
「たしかぁ……。《ロケール渓谷》を抜けるとぉ、その先は湿原地帯のC級ダンジョンでぇ、さらにその先はA級の『死手の樹林』があったと記憶しているのですよぉ」
「この川も、『死手の樹林』の地下水とつながってるって聞いた事があるぜ」
「そして濃霧か……。気になるな」
エルナは周囲を見回した。
霧が濃く、3ロール先も見えない。
近くには、自分たちを監視している試験官がいるはず。
彼らはプロの勇者候補だ。今のダンジョンの異常に気付いていないわけがない。
しかし、まだ自分たちの目の前に現れ、警告も何もしないということは、まだトラブルとしては許容できる範囲内なのかもしれない。
――もしくは、試験官も把握できていないような異常が起こっている、かね……。
エルナは考えた末、前進を決めた。
意志を伝えようと、口を開きかけた時、事は起こった。
「逃げろぉ!」
どこからともなく聞こえてきた声……。
一瞬の間。
次に耳朶を打ったのは、男の長い悲鳴だった。
パーティ全員がざわつく。
「落ち着いて! フォーメーション」
エルナは冷静だった。
指示を出すと、3人は周囲を警戒しながら、背を合わせて死角を潰す。
しかし見えるのは、霧の壁。
だが何かいることは確かだった。
地面をこするような音が、ゆっくりと周囲を回りながら、徐々に徐々に近づいてくるのがわかる。
くくくくくくかかかかかかかか…………。
という奇声が聞こえてくる。
「ユン……。防護魔法を……」
「は、はいですぅ」
声をひそめて指示を出すと、ユンと同時に防護魔法の詠唱を掛ける。
さらにヴェルテとガータに筋力増強魔法を重ね掛けた。
万が一を考え、エルナは風斬りの魔法をスタンバイさせる。
濃霧の向こうに影が見えた。
大きく長い影が、一帯を這うように動いている。
むろん、人ではない。
モンスター。
おそらく蛇のような……。
それが突如、方向転換した。
「来るわよ!」
霧の中から現れたのは、平べったい兜のような顔だった。
丸い口に尖った剣先のような牙を剥きだし、さらに両端には、左右に開閉する鋏のような刃が光っている。
何より驚いたのは、その長い胴体だ。
硬い殻に覆われた節足が数珠つなぎで連なっている。
全長20ロールほどの大きな百足型のモンスターだった。
――チェルドポード!
D級どころかC級ダンジョンにいるモンスター。『死手の樹林』にいるといわれるスコルピードの亜種に当たる魔獣だった。
エルナの動揺は一瞬だった。
用意していた風斬り魔法を、躊躇わず頭に向かって放つ。
チェルドポードは寸前のところで、身を捻った。
完全にはかわせない。
左の外牙を引き裂かれ、痛みにのけぞる。
「よし! 先手は取ったわよ、ガー――」
切り込み隊長であるガータに指示を出そうとした時、彼の様子がおかしい事に気付いた。
続いて、隣に立っていたユンが倒れる。
浅い息を繰り返すその顔には、汗がびっしりと浮かんでいた。
「ね、姉さん。……す、まねぇ。お、オイラのからだ……どう、し……ち……」
胸を押さえて蹲っていたガータも、前のめりに倒れた。
「ちょっと2人ともどうし――」
「エルナ、来るぞ!」
ハッと顔を上げた時には、チェルドポードが体勢を取り戻していた。
しゃらしゃらと錫杖を鳴らすような独特の音を立てて、エルナが来る方に向かってくる。
「2人を拾って、散開!」
エルナはユンを、ヴェルテはガータを抱え、チェルドポードの突進をかわす。
大岩が落ちてきたように地面がえぐれた。
「ヴェルテ!」
「無事だ!」
チェルドポードを挟んで、2人はお互いの安否を確認する。
霧の向こう側で、姿が確認出来ない。百足の巨体しか見えなかった。
「チェルドポードと反対の方向に走って! 合流しましょ! その際、最後尾の針に気を付けて!」
「わかった!」
声が返ってくる。
エルナは走り出した。
最後尾の針の動きに注意し、遠ざかっていくのを見た後、濃い霧の向こうからガータを抱えたヴェルテが現れた。
「ヴェルテ、あなたはなんともないの?」
「ああ……。しかし、どうしたんだ、2人とも?」
実は、エルナもさっきから身体が妙にだるかった。
何者かに力を吸い尽くされているような……。
ハッとしてエルナは、抱えていたユンの顔をのぞき込んだ。
目の辺りに隈のようなものが浮き出ている。
明らかに魔力――ユンの場合は神官なので信仰切れを起こしていた。
「魔力が吸い取られてる?」
「何?」
「やっぱり! この霧……魔瘴気だわ」
「ましょうき?」
「説明は後よ。……それよりも問題なのは、この難局を2人で如何に切り抜けるかが問題だわ」
「……そうだな」
ヴェルテは剣を構える。
再びチェルドポードは、辺りを周回し始める。
獲物が弱っていくのを待っているかのように……。
「賭だけど……。こっちから仕掛けましょう」
「作戦は?」
「まず私が、霧を魔法で吹き飛ばすわ。チェルドポードが見えたら、迷わず走って。間髪入れずに、あいつの目を塞ぐ。怯んだ隙に、ヴェルテの剣であいつを斬って。……補助魔法をかける時間はないけど――」
「十分だ」
「でも――」
「お前が選んだ戦士を信じろ」
エルナよりも背の高いヴェルテは、金色の髪に手を置いた。
「わかったわ」
早速、詠唱。
両手に練られた風の玉を解き放つ。
瞬間、辺りの霧は吹き払われ、チェルドポードの全身が露わになる。
すかさずヴェルテは、大剣を担いだ格好で走り出した。
チェルドポードが向かってくるヴェルテの方に身をくねらせる。
エルナは再び最速で詠唱。
次に手の平の上に現れたのは、2つの炎の紅玉。
【炎珠の両掌】バル・フム!
2つの炎の玉が真っ直ぐチェルドポードの頭に向かって放たれた。
高速で打ち出された炎弾。
回避かなわず、大百足の頭に突き刺さる。
のけぞる魔獣。
視界が炎に包まれる。
身をくの字に曲げ、奇声を上げて暴れ回る。
その動きを冷静に見極め、ヴェルテが肉薄した。
「はあああああああああああああ!!」
気勢とともに振り抜く。
ロングソードの2倍もある刃幅の剣は、節足のつなぎ目部分に食い込む。
致命傷に至らず、チェルドポードの頭がゆっくりと真下にいる戦士に向けられる。
炎がくすぶる丸い口をパクパクと動かす。
粘液がだらりと垂れた。
一滴の粘液がヴェルテの肩当てに落ちる。
白い湯気が立ち上り、鉄の装甲を溶かす。さらに下の皮膚も焼いた。
小さく悲鳴を上げ、顔を歪める。
奥歯を噛みしめ、柄を持つ手に力を込めた。
一度止まった刃を、ヴェルテは膂力だけで加速させようとする。
果たして――。
シュゥン!
振り切った。
チェルドポードを、2つに裂いた。
空中で頭部が慌ただしく動きながら、くるくると回転する。
地面の上でじたばたともがいていた胴体部分が、落ちてきた頭部を蹴り飛ばす。
しばらく動いてた頭部と胴部は、次第に動きを止めていった。
「はあはあはあはあはあはあはあ……」
ヴェルテは激しく息を繰り返す。
白い頬には、飛び散ったチェルドポードの体液がかかっていた。
大剣を下ろし、地面に突き立てる。
「ヴェルテ、大丈夫?」
遠くでエルナの声が聞こえた。
魔法によって吹き飛ばされた霧が、再び両者の視界を奪っていく。
「ああ、だい――」
いきなり横から衝撃を受けた。
ヴェルテの視界が回る。
全身が痺れ、言うことを聞かない。
気がついた時には、地面に叩きつけられていた。
かろうじて顔を動かし、見上げる。
チェルドポードの顔があった。
薙いだはずの胴と頭部は、きっちりとつながっている。
「あらて……?」
間違いない。
先ほどのチェルドポードよりも少し小さい。
しかし、信じられない光景が広がっていた。
大百足が5体――。
ヴェルテを取り囲むように現れたのだ。
「ヴェルテエエエエェェェェェェェェェェェェェェ!」
仲間の悲痛な叫びが、耳に残響した。
いいところで引っ張ってごめんなさい!
※ 明日は前後編です。
長めになりますが、後編にはあの男が出る予定です。
前編12時。後編18時になります。




