第1話
少し長い序章の始まりです。
お付き合いくださいませ。
ザィン……。
ギルドの隣にある居酒屋『猫の目じるし』亭で、弦楽器が鳴った。
客の入りは上々だ
ギルドでダンジョン攻略申請を済ませたパーティたちが、それぞれ卓を囲み、歓声と指笛を鳴らしている。ある者は、静かにエールを傾け、ある者は料理を持ってくる店員の尻と胸を眺めている。
ダンジョンでいつも切った張ったの大立ち回りを演じ、冗談1つ言えない極限状態の中で働く彼らも、ここでは陽気に笑い、明日への英気を養う。
それは、明日の自分の運命を忘れるためだった。
『猫の目じるし』亭の一角にある舞台に立ったのは、1人の吟遊詩人。
それも女だった。
女の吟遊詩人は珍しい。
しかも美人となれば、レアものだ。
今日の『猫の目じるし』亭の騒ぎっぷりは、いつもの倍以上にうるさい。
リュートを鳴らし、薄い布で覆われた唇から朗々と詩歌が流れる。
今から、500年前。
天と人、魔が交じる戦があった。
大神モントーリネ。
魔王シャーラギアン。
神と魔族。
2つの勢力の争いは、人の大地の上で行われ、いつ果てるとも知らない
『終わりなき戦争』
――――――――。
しかし、戦争は1人の人間によって終わりを告げる。
人の子にして勇者。
名はアヴィン。
人の力を以て、
仲間と出会い、
ついにシャーラギアンを封印する。
『終わりなき戦争』の終わり。
平和の世の始まり。
だが、勇者アヴィンは言う。
「いずれ魔王は復活する」
そうしてアヴィンは、人の世から姿を消した。
果たして勇者は再び現れるのか。
「「「「「「「「「「「「「「 俺だ! 」」」」」」」」」」」」」」
それとも新たな勇者が現れるのか。
「「「「「「「「「「「「「「 俺だ! 」」」」」」」」」」」」」」
今日も勇者の子供たちは、ダンジョンに潜る。
「「「「「「「「「「「 地位と名誉なんていらない 」」」」」」」」」」」
問う。ならば、何故?
「「「「「「「「 シャーラギアンを倒すのは俺だからだ! 」」」」」」」」
最後の合いの手が決まると、客から歓声が上がった。
指笛が上がり、「勇者」「勇者」「勇者」と連呼し、それが大合唱へ変わった。
ザィン…………。
鋭い音を奏で、女吟遊詩人は弦楽器を置く。
盛り上がる観客をよそに、舞台袖へと消えて行った。
大盛り上がりの『猫の目じるし』亭のカウンターの隅で、1人杯を傾けている女がいた。
年は20代前半。薄桃色の髪を後ろで縛り、長い前髪を左に流して垂らしている。色白で、顔は子供みたいに小さいが、逆に眼光は鋭く、アメジストをはめ込んだような紫の瞳をギラギラと輝かせている。
軽装ながら武具をまとい、首から撒いた外套の端から、剣の鞘が見え隠れしていた。
彼女の名前はセラフィ・ヤーマンドと言った。
《ジョブ》は『賢者』。
ここにいる勇者候補達の1人だ。
杯に少し残った酒を弄びながら、暗い顔をしていたセラフィに。
「女が一人酒なんて寂しいわね」
と背後から声を掛けられた。
セラフィは振り返らず、酒を弄び続けた。
「古い友人と待ち合わせしていたのだが、どうやらその友人は仕事が忙しく、すっぽかしてしまったらしい。今頃、場末の飲み屋で一曲弾いている頃だろう」
カウンターの奥でグラスを拭いていた店主がちらりとこちらに目を向けた
「ほら、店主が怒ったわよ。あなたが場末の飲み屋なんていうから」
「大丈夫だ。君が高い酒を注文すれば、許してくれる」
「まあ。お上手だこと……」
セラフィの横に座る。
先ほどまで舞台で歌っていた吟遊詩人の女だった。
「いつもの」というと、店主は琥珀色の酒を杯に注いだ。
蒸留という方法で作られる酒で、最近出回り始めた酒精の高い酒だ。
吟遊詩人は口を覆った布を外す。
情熱的とも映る熱い唇。細長い鼻筋は、彫りの深い顔を一層強調し、アイラインを引いた瞳は、蠱惑的な光を放っていた。
やや幼顔のセラフィに対して、吟遊詩人はエキゾチックな魅力を秘めていた。
「よくそんな度数の高い酒が飲めるな。……喉が焼けてしまうぞ」
「いいの。歌った後は、これに限るのよ」
吟遊詩人は杯に人差し指1本分ほど注がれていた酒を、あっさりと空けてしまった。指を1本かざし、おかわりを要求する。店主は黙って、杯に酒を注いだ。
「それよりもセラフィ……。仲間は?」
「いない。ひとりだ」
「この前の『戦士』と『神官』と……あと……えっと?」
「魔法使いだ。コミュ障のな……」
「そうそう。そのお仲間さんたちは?」
「契約満了だ。……延長の話もなかった」
「なんで? セラフィって、勇者候補育成校で首席だったんでしょ? すっごく強いのに、契約延長されないなんて」
もう酔ったのだろうか。
舞台での魅力的な姿とは裏腹に、子供のように足をパタパタさせる。
スリットが入ったスカートから出た生足は、ひどく扇情的で、たまたま目撃した男の勇者候補たちの目を釘付けにした。
「契約でもめた。だから馘になった」
「そんな……。すっごく仲良さそうだったのに。……契約とかじゃなくて、ちゃんと仲間になれば良かったのよ!」
「そういうのには、興味ないんだ」
「また、そんなことを言うんだから」
プイッと目を背け、酒をあおる。そして、また杯を店主に差し出す。
ずっと残った酒を転がしていたセラフィも、杯を空け、注文した。
「もう……やめたら…………」
ぽつりと呟くのが聞こえたのは、吟遊詩人が4杯目を空けた直後だった。
「セラフィが今、どうして1人なのかは聞いたわ。……でも、不毛よ。今の状況は……。欠員が出たパーティにお金で雇われて、契約がなければパーティから去る。そんな傭兵みたいなことをしてても、セラフィのパーティだった人たちは浮かばれないわ」
「……」
「……今の生活はあなたを傷つけるだけ。あなたが亡くしたものの贖罪にはならないのよ」
「もう一回いってみろ、ゴラぁ!!」
『猫の目じるし』亭に、一際大きな声が突き刺さった。
周囲の視線が酒場の壁際に注がれる。
先ほどの吟遊詩人の詩をきっかけに盛り上がっているグループとは対照的に、安い酒とお通し程度のメニューでちびちびと飲んでいたパーティだった。
おそらくダンジョンから戻ってきたばかりなのだろう。
武具の手入れも何もせぬまま、薄汚い格好をしている。
成果が上がらなかったのは、酒と食べてるものを見れば一目瞭然だ。
声を上げたのは、眼帯で左目を塞いだ大男だった。
如何にも戦士風という巨漢だが、ジョブは『賢者』。胸元に光る証が、その証拠だった。
対してその『賢者』に胸ぐらを掴まれ、つるし上げられているのは『魔法使い』だった。こちらは如何にもという感じで、ひょろりとした体躯をしており、易々と賢者に持ち上げられている。
他に2人仲間がおり、『賢者』側について、『魔法使い』に罵詈雑言をぶつけていた。
「お前が、あの時援護しなかったから、陣形が崩れたんだろうが!」
「ち、違う。……俺は別の援護を!」
「知るか!」
「だ、だいたい! あんたが悪いだろ? け、賢者なのにC級の精霊魔法が使えないなんて」
「んだと、ゴラァ!」
「なのに、B級のダンジョンを潜るなんて無謀すぎる。C級でも荷が重い」
「バカ野郎! 俺たち3人なら問題なかったんだ。だけど『魔法使い』のお前が足を引っ張ったんだろうが!」
「そうだそうだ」
「そもそも……。お前がパーティを入りたいっていうから、情けをかけたのに。精霊魔法しか使えないなんて、『魔法使い』はホントに使えねぇ。……なあ?」
「そうだそうだ」
「なのによぉ。自分の能力が低い事を棚に上げて、『賢者』の俺様を馬鹿にするとはいい度胸じゃねぇか?」
「そうだそうだ」
「俺はそういう責任転嫁するヤツが大っ嫌いなんだよ!」
賢者は強引に魔法使いを真下に叩きつけた。
テーブルがひっくり返り、酒杯に入ったエールがぶちまけられる
そのエールは、セラフィの横にいた吟遊詩人の服にシミを作った。
「もう! やだぁ! 一張羅なのに」
広がったシミを見ながら、吟遊詩人は慌てて手拭き用の布を出して拭う。
「おおう。吟遊詩人のねーちゃん、すまねぇな。クリーニング代は、こいつにでも請求してくれや」
割れた酒杯や皿の破片にまみれた魔法使いを引き上げる。
まだ意識は残ってるらしい。胸を打って、うまく呼吸が出来ないのだろう。何度も咳を繰り返している。
「なんだあ? お前? まだ生きてんのか?」
賢者が力を込めた瞬間だった。
「おい」
ぶっきらぼうな声は、吟遊詩人のすぐ側で聞こえた。
セラフィが一歩、二歩と踏みだす。
アメジストの瞳は常に賢者を中央に据え、酒場の床に広がった破片も気にもせず、真っ直ぐに騒ぎの元凶のもとへ歩いて行く。
側までやってくると、足を揃え、頭1つ大きな賢者を見上げた。
女吟遊詩人とはまた違った魅力のセラフィを見て、『賢者』は思わず「へへ……」と歪んだ笑みを浮かべる。
「ねーちゃん、あの吟遊詩人のツレか何かかい? 悪かったなあ。クリーニング代だけじゃ物足りねぇなら、こいつをあんたの夜のお供にでも提供するってのはどうだ?」
「……」
「おおっとすまねぇ。……こんな粗チン野郎じゃ満足できないってか? なら、どうだい? 今夜、俺とでも……げへへへ」
笑い出す。
ステレオタイプの賢者の挑発に、セラフィは一片の動揺すら見せず、言い放った。
「失せろ……。迷惑だ」
「あぁん?」
「あと1つ言っておく。お前の言うとおり、『魔法使い』というジョブは確かに役立たずだ。精霊魔法を使えるという以外にあまりメリットがない。ステータスにおいても他のジョブと比べて格段に低い。……低クラスのダンジョンなら、心強く感じるだろうが、A級やB級のダンジョンでは精霊魔法に対して対策を打つモンスターが多く存在するし、はっきり言ってお荷物だ」
「なかなか気が合うじゃねぇか」
「加えて言うなら、精霊魔法を覚える気概があるのなら、『賢者』を選択すべきだ。そもそもジョブ制度を確立した勇者アヴィンが、何故『魔法使い』という中途半端なジョブを専門職業に加えたのか、いまだに私は理解が出来ないし、またそれを選択し、ダンジョンに潜ろうと考える人間の気持ちもわからない」
セラフィの言葉を聞きながら、つるし上げられている魔法使いは項垂れる。逆に賢者は「ぐふふ」と悪鬼のように低い声で笑った。
「だが、『魔法使い』以上に醜い存在は、魔法も満足に使えないのに『賢者』を名乗っている豚野郎だ」
「あ"あ"!」
「聞こえなかったか? 分際もわきまえず、パーティの危険も考えず、無茶なダンジョン攻略を決行する愚かな賢者はもはや勇者候補などというものではない。ただの豚だと言ったのだ」
“豚”はあっさりと挑発に乗った。
魔法使いを放り捨て、巨体をセラフィに向ける。
セラフィは、ふと賢者の後ろに視線を投げた。
3人のグループが椅子に座っている。
この状況下で、椅子に座ったままの1人の男は、真っ直ぐにセラフィを見つめていた。
そして笑う。
「ぶっ殺す!」
鼻から勢いよく息を吹き出し、『賢者』は拳を振るう。
一瞬セラフィは反応が遅れたが、あっさりと回避する。
サイドに潜り込んだセラフィは、拳を弓のように引き絞る。
「は! 女の柔な力で!」
目の端でセラフィの体勢を見ながら、男はあざ笑った。
だが、セラフィの顔に一片の迷いもない。
【熱限突破】ハウ・ブリーン!
瞬間、セラフィの拳打が賢者の腹にめり込んだ。
さらに衝撃は、体中の血液を逆流させ、大の男が気絶させるほどの傷みを生み出す。
賢者の目がぐるりと回り、白目に変わる。
膝をつくと、男は何の受け身も取ることもないまま、前のめりに倒れた。
「ひ、ひぃいぃいぃいいいい!」
悲鳴を上げたのは、“豚”に従っていた仲間2人。
リーダー格が倒れるや否や一目散に逃げていった。
「さっすが、セラフィ!」
吟遊詩人がセラフィの首に巻き付き、賞賛する。
離れろ、と忠告しても言うことを聞かず、それどころか子供のように頭を撫でた。
吐く息が臭い。
完全に酔っ払っていた。
やんややんやと騒ぎ始めたのは、野次馬たちも一緒だ。
ピーピーと指笛を鳴らし、セラフィの鮮やかなお手並みに賞賛を送る。
「あの……」
見ると、からまれていた魔法使いが立っていた。
「あ、ありがとうございました」
「別に……。私はここの用心棒だ。勤めを果たしたに過ぎない」
「……はい」
「それに……言っておくが、先ほどの言葉を訂正するつもりもない。『魔法使い』は役に立たない。あなたが何故そのジョブを選んだのかは知らないが、これに懲りたら、転職するか、もっとマシなリーダーのパーティを見つけるんだな」
「それって? あなたが言う?」
魔法使いはぺこりとセラフィに頭を下げると、酒場を後にした。
「マスター……。今日はもうあがっていいか?」
「ちょ、ちょっと! セラフィ! ここからじゃない!」
「今日は、そういう気分じゃない。まだこの街にいるんだろ? また飲み直そう」
「ちょ、もう!! 最近、ソロの勇者候補を狙った事件とか起きてんだから! 気を付けなさいよ。あなた、一応年増でも女の子でしょ」
「年増は余計だ! 私はこれでも22だ!」
セラフィは店主の承諾を得ると、『猫の目じるし』亭を後にした。
外は木枯らしが吹いていた。
酒が抜けた身体には、少し寒い冬の風だった。
――というわけで、セラフィ編が始まりです。
世界観説明が主になります。
果たして冒頭の主人公はいつ出てくるやら……。




