プロローグⅡ
さあ、第2章の始まりです。
「起きなさい、マサキ」
声が聞こえた。
薄く瞼を開けると、母の顔があった。
5歳の頃から変わらない。
でも、見慣れた泣き顔ではない。
病気になる前、枕元で絵本を読んでくれた母の顔だ。
夢だな、これは……。
異世界ハインザルドに、母が来れるはずがない。
そもそも10年前と同じ姿なわけがない。
……そう断じても、感傷に浸らないわけがない。
「かーちゃん……」
ふっと手を伸ばした。
柔らかい首に手を回し、もう二度と離さないと心に決め、ぎゅっと抱きしめた。
鼻先にかかった匂いは、かすかに残った記憶と似ていた。
「離せ! 馬鹿者!」
いきなり母の口調が変わる。
それどころか声すら違っていった。
母は笑顔のまま。
拳を打ち下ろした――。
「ぐへ!!」
うめき声を上げて、マサキはベッドの上でくの字になった。
視界が歪み、現れたのは自室の天井。
複数の丸太と木の板で組み上げたログハウス。
そして薄桃色の髪をした女だった。
何故か半べそをかき、顔を真っ赤にして睨んでいる。
「えっと……。どちら様でしたっけ?」
ムキッという感じで、額に青筋が浮かんだ。
「セラフィだ! セラフィ・ヤーマンドだ! いい加減覚えろ!」
「覚えろっていわれてもな……。そもそもなんで、こんなとこにいるんだよ?」
「寝ぼけてるのか?!」
「たぶんな」
「私はお前の弟子になったんだろうが……!」
…………マサキは首を傾げた。
煮え切らない態度に、セラフィの額に青筋が増える。
「と、と、ともかく……。朝食ができてるぞ。早く食べろ!」
「朝食?」
そういえば、セラフィはエプロンを着けていた。
手にはフライパンを持っている。
「頼んでないんだが……」
「弟子にしてもらう代わりに、家事全般をすると契約しただろうが」
「そうだっけ?」
「もういい! とにかく起きろ!」
「ああ、その……。セラフィだっけ」
「今度はなんだ!?」
「1つ聞きたいんだが、俺を殴ったな?」
「ああ……。朝から女に抱きついてきた盛りのついたガキを戒めたのだ」
フライパンとは逆の手を見せる。
かすかに残った魔力の残滓。
それと、何故かその指には、幾重にも包帯が巻かれていた。
「朝食ねぇ……」
寝床から起きて、リビングにやってきたマサキは、呆れた声を上げた。
椅子に座り、テーブルを眺める。
並んだ黒一色に染まった物体たちを指さし、マサキはセラフィに質問する。
はじめに指さしたのは、茶碗に盛られた何かだった。
「これは?」
「少し焦げたご飯――もとい焼きめしだ」
やたらと自信満々に返される。
マサキは「はあ、焼きめしねぇ」と微妙な反応しかできない。
「この黒くてたくましい棒みたいなのは?」
「少し焦げた魚――いや、焼き魚だ」
「鍋の中縁が真っ黒なんだが……」
「煮詰めすぎて蒸発した焼きもろこしスープだ」
「お前、言っててそれ無理ないか」
……………………。
「し、仕方ないだろう! 家事をやるとはいったものの、料理なんて此の方一度もまともにしたことがないのだ!」
「痛て痛て。……わ、わかった。わかったから、お玉で殴るのはやめろ」
はあ――とマサキは、身体がしぼむぐらい大きなため息を吐いた。
「ともかく、そのエグい物体を片付けろ。朝食は俺が作る」
「うう……。すまない」
うるうるとセラフィは涙しながら、言われた通り片付けを始める。
マサキは台所に立つと手慣れた動きで、朝食作りに取りかかった。
鍋に米を入れ、水をはり、魔法で絶妙な火加減を調整する。
野菜を切り、「ティコ」と呼ばれる甘酸っぱい果物を絞って、ドレッシング代わりに。
さらにどこからか茶色いソースの塊のようなものを取り出し、鍋に張ったお湯で溶かすと、海藻と「シャン」という細長い青野菜を細かく切ったものを入れ、スープを作る。
最後に目玉焼きを作り、わずか40分で、2食分の朝食をテーブルに並べる。
「いただきます」
「なんだ? それは呪文か?」
「料理がおいしくなる呪文だよ」
「ほう……」
セラフィはマサキがそうやったように手を合わせ、同じ言葉を呟いた。
まず手に取ったのは、例の茶色いソースを使ったスープだ。
恐る恐る口に近づける。
まだ熱いから気をつけろよ、とマサキが横から忠告する。
「う――」
「どうした?」
「うまい!!!!」
うなり声を上げた。
思わずテーブルを叩きたくなるような美味さだ。
「なんだ、この味は! 舌にピリッとくるのに、上品な甘みがある。こんなもの! 貴族の夜会でも食べたことがないぞ!」
「行ったことあんのかよ、夜会?」
「い、一度だけな! そ、それよりもこれはなんだ?」
「ミソっていう調味料だ。俺のせか――あ、いや、生まれ育った国の伝統的な調味料だよ」
「そうか……。伝統料理というヤツか」
しげしげと、セラフィはミソスープが入ったお椀を眺める。
「このせか――いや、この辺りで米の文化があって助かったよ。おかげで食う物に困らない」
「マサキは、どれぐらいここに住んでいるんだ?」
「10年ってとこか。今年で11年だな……」
「こんなとこに、11年もいるのか!!」
「――と言っても、師匠がいたからな。特に不便はなかったよ。……ここの《塚守》になったのは、つい3年前だがな」
「そうか」
セラフィはお椀を置き、窓外を眺めた。
青い空と白い雲が見える。
光神ヴァーヴァルが、東の山から顔を露わにしていた。
だが、それはハインザルドではお馴染みの光景だ。
マサキが住む家から見える景色は、少し違う。
草木も土も枯れた峰の頂点。
広がる青い空に、紙を指で突いたような黒い穴が開いていた。
黒霧に包まれた向こう。
よく目をこらすと、ハインザルドとは異質の世界が広がっている。
魔界サウスハッド。
魔族の世界にして、魔王シャーラギアンが今も眠る土地。
マサキが住む場所は《魔界の道》と呼ばれるダンジョンが広がる一歩手前。
許可された人間がギリギリ住める――この世でもっとも危険な地帯の1つだ。
そして、マサキは《魔界の道》から現れる魔族を監視する《塚守》という管理者だった。
『終わらない戦争』が魔王シャーラギアンの封印によって終結して500年。
魔族の大規模進行は極端に少なくなった。だが、時々人間界に現れては、セラフィが遭遇したように人間を襲っている。
そうした魔族を問答無用で打ち倒したり、追い返すのが《塚守》の役目だ。
「信じがたいな。《魔界の道》を管理する《塚守》がいるというのは知っていたが、まさかたった1人で請け負っていたとは……。それもまだ子供」
「料理1つまともに作れない年増に言われたくねぇな」
「年増いうな! 私はまだ22だ!」
テーブルを叩き、セラフィは訴える。
「ただ、まあ……その…………。家事はまだ苦手で、そのうち慣れるというか」
「その弟子云々って話さ。……俺、本当にそんなこといったっけ?」
「この後に及んでシラを切るのか?」
セラフィは立ち上がって、自分の胸に手を置いた。
「私はちゃんと聞いたぞ!」
『あんたみたいな仲間想いな人間は、勇者候補を諦めるか。パーティ全員を守れちまうような圧倒的な強さを手に入れるしかないんじゃないの?』
「一言も弟子にするなんて言ってないが?」
「わ、私はその言葉の裏にだな。『俺みたいな強さを手に入れる必要がある』と解釈したんだ。つまりは、私はマサキのように強くならなければならない。そのために手っ取り早いのは、弟子になることだ」
「三段論法っていうのをきちんと学んでから出直してこいよ」
無茶苦茶な論理と妄想に、呆れて首を振ることしかできない。
「ともかく、私がここを動くことはないぞ!」
「ああ……。なら、ちょうどいいや」
「はあ?」
「俺さ。学校へ行くんだ。勇者……なんとかってとこの」
「それって、勇者候補育成校のことか?」
セラフィはきちんと席について、耳を傾けた。
それそれ、とマサキは白米を口にしながら頷く。
「まあ、入学が許されるのは16歳からだからな。しかし、マサキほどの人間が行くようなところでは……」
「俺も思ったんだが、ついこの間、師匠から手紙が来てな。『学校へ行って、自分のパーティを見つけろ』って書いてあったんだ。……正直、俺はパーティなんていらないって思ってんだけど、師匠の言葉は絶対だからな」
味噌汁を飲み干す。
マサキの食いっぷりを見ながら、セラフィも食事を再開する。
「気になっていたんだが、マサキの師匠とはどんな方だ? 元はここの《塚守》だったのだろう?」
「悪いけど、師匠の話は口止めされててな。あまり話せない」
「強いのか?」
「無茶苦茶強い。俺なんて足もとに及ばない」
「マサキがか?」
セラフィから見れば、マサキの強さは人類総出でトーナメントをすれば、おそらくベスト4には入るような強さだ。下手をすれば、優勝するかもしれない。
そんな人間が『無茶苦茶強い』『足もとに及ばない』と言われては、想像の限界を超える。
「どこにいるんだ?」
「魔界だ……。新婚旅行に行ってる」
「ぶ――――――!」
思いっきりセラフィは、ミソスープを吐き出した。
マサキの顔面に直撃する。
「――ったねぇなあ!」
「魔界に新婚旅行だと!! どんだけ滅茶苦茶なんだ」
「そんだけ強いんだよ。てか、なんか拭くもん持って来いよ!」
セラフィは素直に応じる。
渡された布巾で、味噌糟が付いた顔を拭った。
「今、思ったのだが、さすがにそんな御仁の紹介なら、試験は受けなくていいんだろうなあ」
「……?」
「育成校やギルドは、完全な中立機関だ。国や連盟からも独立していて、どんな身分の人間であろうとも、試験は受けなければいけない。たとえ王族でもな」
「ああ、そう言えば試験があるから受けろって手紙に書いてたな」
からり……。
セラフィはフォークを取り落とした。
マサキが忠告しても、対面に座る女賢者は拾おうともせず、唖然としている。
すると、今度は激しくテーブルを叩き、マサキに詰め寄った。
「お前! 今日、何の日か知っているか?」
「はあ? ああ…………俺の誕生日でもねぇし、師匠の誕生日でもねぇし」
「お前の頭のスケジュール帳には誕生日しか書いてないのか!」
「何の日だっけ?」
勇者候補育成校の入学試験の日だ!!
………………………………………………。
「え? マジ?」
静かな朝が、一気に騒がしくなった。
残った朝食を飲み込み、マサキは自室に戻る。
部屋着から外行きの武装にチェンジする。そして探し始めたのは、師匠からの手紙だ。確か手紙と一緒に受験票みたいなのが挟んでいたのを思い出した。
部屋をひっくり返しながら、マサキは必死に探す。
その横でセラフィは、行き先がわからないマサキのために地図を書き始めた。
てんやわんやと騒ぎ、一分一秒を争う中で、結局支度を調えるのに30分も要してしまった。
「おい! セラフィ! 地図はまだか?」
「いいい今できた! これだ? わかるか?」
「げ! この受験票……よく見たら、試験は昨日から始まってるぞ」
「な――。……と、ともかく行ってこい! お前ならなんとかなるだろう」
完全に遅刻だが、マサキの実力なら途中から受けても問題ない。
――と思いたい。
「じゃあ、行ってくる!」
「ああ! 行ってこい!」
マサキは消えた。
相変わらず魔法なのか身体能力の高さなのかはわからない移動方法だった。
――と思ったら、いきなり戻ってきた。
「どうした!? 忘れ物か?」
「言い忘れてた。さっきの『ちょうどいいや』って話」
「ちょうどいいや? ああ、弟子にするって――」
「そう! それな! 家事とかいいからさ」
俺がいない間、お前が《塚守》代行ってことで……。
「は?!」
「じゃ、よろしく!」
再び消えた。
セラフィの反論を待たずして……。
よろけそうな身体をなんとか立て直し、彼女は振り返る。
真っ黒な異界の道が、口を開けて笑っているように見えた。
少しマサキの日常を描いて見ました。
次の登場はいつになるやら……。
明日の本編からはニュー主人公登場です!
※ 明日の第1話は前後編になります。
前編は明日12時。後編は18時になります。
よろしくお願いします。




