第11話
セラフィ編ラストです。
轟音とともにもたらされた神罰のごとき所業。
非現実な光景を見ながら、セラフィは息を吸うのも忘れて見入っていた。
あの場にいれば、間違いなく魔族と同じく消滅していただろう。
賢者の性か。反射的に魔法の分析を、徐々に動き始めた脳内が行う。
おそらく【雷獣の奏】…………。
そうだ。
セラフィがエヴィルドラゴンに対して行使した魔法。
雷系魔法を高速言語によって増幅したものと、酷似している。
見ての通り、威力は段違い。
そもそも精霊魔法の熱エネルギーだけで、魔族を倒すなどほぼ不可能。
さらに信じがたいことに、魔法使いは高速言語の補助はおろか、1小節すら唱える事なく、発現させたのだ。
およそ魔法使い――否――人間の所業とは思えない。
その張本人はすぐ目の前にいる。
しかも仲間のかつての仇という肩書きを持ち、セラフィの前に立っている。
次第に光が集束していった。
巨大な古代樹は消え去り、あとに残ったのは大きなクレーターだった。
ダンジョンに闇が戻り、夜の帳に星が姿を現す。
竜が暴れ、炎を吐き、魔族が跋扈し、魔法使いが蹂躙する。
《死手の樹林》史上、もっとも騒がしかった夜が終わりを告げ、樹海はいつもの静寂を取り戻そうとしていた。
「命拾いしたな、あんた……。俺が魔族を見つめて追っかけてなかったら、死んでたぜ――――って言っても、俺が仕事さぼって、監視をおこ……」
「教えろ」
ようやく回復薬を飲み、自分の魔法袋に入れていた鎮静剤を飲み干したセラフィは、立ち上がった。
まだふらつくが、立っていられないわけではない。
むろん、戦闘ができるほどに回復はしていなかった。
しかしセラフィは魔法袋から片刃の剣を取り出す。
鞘を払って構えた。
「私の仲間に見覚えはない?」
「仲間?」
魔法使いは周りを見渡した。
幸いバリン達の遺体は、極大の【雷獣の奏】から免れ、現存していた。
「ああ。名前までは知らないが……」
「そうか。…………なら、この者たちのかつての仲間を殺した覚えは?」
「こいつらの仲間……?」
はて、と首を傾げる。
「思い出せ!」
剣を魔法使いの喉元に突き立てる。
当人は至って冷静というか余裕で、手を挙げながら「落ち着けよ」とセラフィを宥める。
「覚えてねぇよ。そもそも俺は、此の方一度も人を殺したことがない。魔族とか魔獣とかなら掃いて捨てるほどあるけど」
「嘘を吐け! さっき私の仲間を覚えていると言っただろ! その仲間が、お前にかつての仲間を殺されたと言っていたんだ!」
「人違いじゃねぇか?」
「間違いない! 魔法使いで、大きな鎌を持っていたと」
「だったら、お前の仲間が嘘を言ってんじゃないのか?」
「バリン達が嘘を――――」
つくなんてありえない…………。
だが、断言することはできなかった。
魔族が出現する前。
仲間たちの不可解な行動を思い出す。
突如、言動を止めたセラフィを見て、魔法使いは深く息を吐いた。
喉元に突き立てられた刃に全く気圧されることなく、あっさりと身を引くとふっとまたいつもの瞬間移動を果たした。
セラフィは慌てて目で探す。
魔法使いが立っていたのは、唯一五体がつながったままのクリュナの遺体の側だった。
そして何をするかと思いきや、美しいブロンドの髪を無造作に掴み上げた。
「――やめろぉ!!!!」
制止の声を張り上げた時には遅かった。
クリュナの髪がベロリとはがれ落ちた。
セラフィがヒステリックに悲鳴を上げる寸前、自ら違和感に気付き、押しとどめた。
ブロンドの髪の中から、黒い髪が現れたのだ。
しかも短髪の……。
男のような――。
「カツラ?」
なおも魔法使いはクリュナの身体を陵辱する。
着ているものをすべてはぎとり、化粧を落とす。
現れたのは、およそ女性とは思えない肉体だった。
乳房の気配すらない平らな胸。
柔肌とはほど遠いゴツゴツとした筋肉。
化粧を落ちた肌から見えた色は小麦色をしていた。
掲げられた衣服からゴロリと落ちてきたのは、貴族の子女が使うような胸当てだ。
美しい女性的な素顔はそのまま。
決定的だったのは、下腹部についた黒々としてたくましい陰茎だった。
「男……?」
「だな――――」
寝言のようなセラフィの疑問に、魔法使いは小さく頷いた。
「出会ったのは、ちょうど半年前だ。こいつらが仲間の1人を殺した直後だった」
「待て! 今、なんと言った」
「……」
魔法使いは手で制す。
そのままで聞け、という意味だろう。
「殺された仲間は女だ。ちょうどあんたと同い年ぐらいの……。職業も同じ賢者だったな。見たのは死に顔だったが、美人だった」
「…………」
「そいつらの周りには、モンスターが死屍累々と倒れていた。とてもそいつらが倒したとは思えなかった。おそらく殺された賢者が、死力を尽くして仲間を守ったんだろうな」
セラフィは息を呑む。
寒気が襲った。
ひどくそれと類似した状況を、先ほど経験したばかりだ。
「――で、この先はちょっと迷う。あんたには刺激が強すぎるかもな」
「言ってくれ! いや、言え! その後、何があった!」
脅してでも聞きたかった。
それは魔族が現れなければ、訪れていたはずの別の事象だったのだから。
「……女は殺された。モンスターと戦わせることによって疲弊させ、さらに四肢の腱を切り、抵抗を奪ったところで首を絞めた」
「見ていたのか、お前?」
「遺体を見ればわかるさ」
「何故、そんなことを……?」
セラフィは顔を覆う。
信じがたい……。悪魔の行いだ。
女賢者の疑問に、魔法使いはさらりと答えた。
「犯すためさ……」
自分の耳を疑った。
「こいつらは、屍姦マニアだ。……反吐が出るぐらいの変態野郎なんだよ」
嫌悪感を剥き出しにし、魔法使いは吐き捨てた。
取り戻しかけたセラフィの気力が、唾棄すべき言葉によって一気に萎えていった。
「胸くそ悪いぜ、まったく! 殺した女を犯すために、危険を承知でダンジョンに連れ込んで、その後モンスターに殺されたとギルドに報告すれば罪は問われない。変態が考えた完全犯罪だ。理解不能だ! どんな精神構造してんだよ!」
「……」
「ムカつくから半殺しにして、街の駐屯兵に突き出した。逃げ出したということは、噂で聞いていたが……! まさか俺を犯人扱いにするとはな。呆れてものもいいえねぇ……」
「す、すまない……。もうわかった。だから喋らないでくれ……」
涙声でセラフィは訴えた。
思えば、いくつか兆候はあったのだ。
報酬のない契約。
実力に見合わないダンジョン攻略。
ドラゴン専門家を自負しながら、あまりにずさんな計画。
セラフィ頼みの作戦。
シャワー室での一件もそうだ。
クリュナの裸を見た瞬間、すぐにカヨーテは脱衣所の壁の向こうから声をかけてきた。あの時、カヨーテはずっと見張っていたのだろう。クリュナの秘密を知られた瞬間、セラフィを殺すために。
思い起こせば、心当たりなどいくらでも出てくる……。
――だけど、そんなことはどうでもいい……。
「なんと愚かな女なんだ……。私は」
仲間などいらない。
どうでもいい……。
などと言いながら、その実――犯罪者を見抜けぬほど、盲目になっていた。
ずっと……。ずっと!
心の中では仲間と呼ばれる存在に、恋い焦がれていたのだ。
戻らぬ仲間の代用品を、ずっと探していたのだ……。
「う…………う、うぅ……」
涙が止まらない。
払っても払っても出てくる。
馬鹿な女の涙だ。
同情にすら値しない。
変態野郎ども以上の大馬鹿者だ。
顔を覆っていた手を、セラフィはいつの間にか地面に打ち付けていた。
何度も何度も……。
だからといって、死んだ仲間が戻ってくることはない。自分がその元に召されるわけでもない。
せいぜい骨折か裂傷を負う程度だ。
それでもやらずにはいられなかった。
愚かな自分を少しでも消してやりたかった。
「もうやめろ!」
振り上げた拳を止めたのは、魔法使いだった。
「離せ! 私は! 馬鹿だ! 愚かな女だ! この世にはいらない! 害悪でしかない! ならいっそ――いっそ死んだ方がマシだ!!!」
「落ち着けよ!」
「うるさい! お前に何がわかる!」
「おばさんの気持ちなんてわかるかよ!」
「おばさんではない! 私はまだ22だ」
「はいはい。……なら言うけどさ。あんたの今の顔を見て、死んじまった仲間はどう思うんだ?」
「――え?」
セラフィは片刃の剣に自分の顔を映した。
無残な顔だ。
真っ赤に腫れ上がった瞳。
落ちくぼんでみえるほどに色濃く浮き出た隈。
砂埃と血と涙が混ざり、頬には幾筋もの痕ができていた。
とても女の顔には見えない。
おばさん、と言われても無理からぬ事だ。
ふと脳裏に浮かんだのは。
かつての仲間の笑った顔だった。
「ソロの勇者候補の知り合いは何人かいる。だいたい似たような経歴だ。だから、あんたに何があったかは察しがつく。だから、言える――」
あんたは、ソロには向いていない。
「あんたは仲間を想いすぎる……」
「仲間を想い……」
セラフィは薄桃色の髪を振り乱す。
「そんなことはない。……私は、ずっと仲間の代用品を――」
「それって――こんなクソ野郎どもに騙されるほど、仲間の影を追ってたってことじゃないのか?」
「――――!!」
「それだけ仲間想いなんだよ、あんたは。なら、誇っていいだろ? 幸いあんたは生き延びたんだ。仲間のためを思うなら、仲間の分まで生きてやれよ」
セラフィの手を離す。
枯れた茎のように、くたりと地面に垂れた。
セラフィは泣く。
さめざめ、と……。
無言のまま。
「俺さ。こう思うんだわ」
《死手の樹林》にぽっかりと空いた穴を見ながら、魔法使いは言う。
「よくさ。死んだ人間のことは忘れて、第二の人生を歩めとか、死んだ人間はそんなことは望んでないっていうけど、結局、それって嘘だよ。自分を誤魔化すための方便だ。本当は死んだ人間はきっと一生自分のことを覚えていてくれって思うよ。忘れないでくれって思うよ」
「まるで知った風な言い方だな」
「だって、俺がそう思うんだもん。俺は俺の世界に残してきたかーちゃんやとーちゃんに、ずっと死ぬまで覚えていてほしいって思うから……」
夜空を見上げながら、魔法使いは呟く。
見つめる先は、異世界ハインザルドではなく、セラフィが知らない未開の世界だった。
「お前の世界……。少年、君は一体何者だ?」
「そう言えば、自己紹介してなかったな?」
くるりと後ろを向き、自身の感傷を誤魔化すように大きな鎌を大袈裟に回してみせた。
「俺の名前は、マサキ。立花マサキ……。異世界で『魔法使い』をやってる」
明日は短いですが、エピローグです。
※ 明日18時投稿です。
明後日からは第2章をお送りします。ご期待下さい。