第10話(後編)
無双いきます!
「まほう…………つか、い………………?」
譫言のように呟く。
全身は完全に弛緩し、指1本動かすこともままならない。
それでも、なんとか戦況を見極めようと、魔族と突如出現した『魔法使い』を視界に捉え続けた。
「生きてるか、おばさん」
おば…………!
心の中で「私は22歳だ」と反論しようにも、セラフィにはツッコむ力もない。
ただ「あ……」「う……」と声を上げるだけだ。
いや、そんなことよりも――。
驚いたのは、振り返った男の顔が、ひどく若かったことだった。
少年といってもいいほどの幼顔。
声からして変声期は迎えていることは察するが、まだ高等教学院に入りたてか、もしくはその前かといったところ……。
むろん、勇者候補育成校を卒業した勇者候補にはとても見えない。
寝癖のような黒い髪。
やや眠たげな細い目。
白色とも黒色ともいえない中間色の肌。
黒いマントからのぞく体躯は細く、お世辞にも勇者候補を名乗れる肉体ではない。
なのに特徴的な巨大な鎌を、優雅に振り回す姿は、堂に入っていた。
ここまでセラフィが観察した時、彼女の記憶の中で1つのピースが当てはまった。
――大きな鎌を持った『魔法使い』だ……。
間違いない。
バリンの仲間を殺したヤツだ。
こんな少年に殺されたのか? 勇者候補が……?
若くして独特な空気を持っている事は認める。
魔族を前にして物怖じしない胆力には――たとえそれが若者特有の“驕気”であったとしても――敬服すら覚える。
だが、若い。
そして何より魔法使いだ。
500年間、最低と位置づけられたジョブ。
魔族には有効ではない精霊魔法を駆使するしか能はなく、ステータスも低い。
後方のお荷物とまで言われた存在が……。
ハインザルドの負け組が――――!
……今、魔族と相対していた。
「ほら。……これで回復しな」
魔法袋から回復薬を取り出し、セラフィに向かって放り投げる。
奇しくも魔族から背を向ける形になった瞬間――。
異界の存在は見逃さなかった。
目に見えぬ動きで、魔法使いとの距離を侵略。
残った拳を振り上げた。
トンッ……。
まるでわかっていたように魔族の拳を、鎌の刃がついた逆方向の石突きで止めた。
「そんなことしてていいのか、魔族……。また逃げるなら今のうちだぞ?」
ふひ、と豚のような声を上げ、魔族は目を見開く。
顔面には――魔族とはこんなに掻くのかと思えるほど――汗が浮かんでいた。
本能的に飛び退く。
まるで台所にいるゴミ虫のように。
そして何故か息が上がっていた。
奇妙な光景だった。
セラフィからすれば、少年に恐れを抱かせる要素は一切ない。
確かに魔族の攻撃をあっさりと止めた手際は驚嘆に値する。
だが、魔族がそんなに慌てるものを、彼が持ち合わせているようにはとても思見えない。
――魔法使いが弱い……。そんな固定観念がそう思わせるのだろうか。
むしろ自分の精神状態が、混乱期を抜け、臨終の心境に至ったからかもしれない。
「すまないな。……魔力鎮静剤は持ってきてないんだ。回復薬で少し回復したら、自分で飲んでくれ。1本ぐらい持ってんだろ?」
セラフィはわずかに首を動かした。
地面に転がった回復薬を握るのを見届けてから、魔法使いはおもむろに魔族に向き直った。
鎌を振って一回転させると、肩に担ぐ。
「まったく……。俺の失策とは言え、派手にやってくれたな」
巨大な根の上、砂地、幹の根元それぞれに転がった死体を一瞥しながら、魔法使いは歩いて行く。
魔族は考えあぐねている様子だった。
鋭い歯を剥き出し、しきりに周りを見渡している。
「さあ、終わりだ」
魔法使いは腰を落とし、鎌を横に構えた。
魔族は消えた。
かと思えば、右手の方へ走っていた。
逃げた……!
「おせぇって!」
魔法使いは手を介して鎌に魔力を送り込むのが見えた。
寒気がするぐらいの膨大な力。
それを吸った鎌は、元の大きさの何十倍もの大きさへと膨らんだ。
大木の重さに負けないぐらいの超重量武器に変貌した鎌。
魔法使いは、あっさりと横に薙ぐ。
古代樹の幹をあっさりと切り裂く。
セラフィの頭上をかすめ、刃は高速で移動する魔族の腹に突き刺さった。
巨大な蠅たたきに叩きつけられたように、魔族は幹に打ち付けられた。
胴こそつながっているが、半分意識を失いながら、長い幹の上から滑り落ちてくる。
足をだらりと広げた格好の魔族の前に現れたのは、いつの間にか移動を果たしていた魔法使いだった。
首を動かしながら、魔族のダメージを確認した魔法使いは。
「ま――。もっぱついっとくか!」
振りかぶった。
【熱限突破】ハウ・ブリーン。
それはセラフィが『猫の目じるし』亭で暴漢を撃退した時に使った魔法。
炎の精霊の加護による熱エネルギーを、生体エネルギーに変え、筋力を一時的に増幅させる精霊魔法の亜種。
1つ違いがあるとすれば、込められた魔力量の桁が、1つどころか3つか4つ違っていた。
魔法使いは躊躇うことなく振り抜いた。
顔面に受けた魔族は、背を預けていた幹を突き破り、さらに5、6本の古代樹を倒して、ようやく止まった。
そしてまた魔族の前に現れた。
根によりかかり、口をあんぐりと開けていた。
濁った赤い目には、生気が抜けている。
ざまあみろ、と嘲罵する気にもなれなかった。
むしろ悪夢を見ているかのような、恐ろしい現実だった。
「さすがに死んだか……?」
禿頭から突き出た触覚を掴み上げる。
瞬間、魔族の目がかっと見開かれた。
口内が赤黒く染まる。
爆発――。そして轟音。
真っ黒な煙と赤い炎が、ダンジョンの闇の中で浮かび上がる。
魔族による炎息……。
それがどれほどの威力を誇るかなど、想像も出来ない。
1つ言えることは、『瞬炎』が児戯に見えるほどの破壊力。
瞬時にして、1人と1体の周りは炎と煙に包まれる。
魔法使いは、目の前で受けていた。
回避した様子はない。防護魔法……あれは、神託魔法の一種。
精霊魔法しか使えない魔法使いは、使用できない。
そもそも……生半可な防護魔法で防げるものでもない。
黒煙が薄くなっていく。
最初に現れたのは、魔族の顔だった。
勝利を確信したかのように醜悪な笑みを浮かべている。
煙と炎は一向に晴れる気配がない。
むしろ先ほどよりも激しく燃えさかっているように見える。
煙が、巻き上がった熱風に吹き飛ばされた。
現れたのは、1球の紅玉。
炎の塊だ。
魔族の顔から笑みが消える。代わりに浮かんだのは焦燥と恐怖。
「気が済んだか……?」
炎から現れたのは、魔法使いだった。
その様子に変わりはない。無傷だ。
どうやって魔族の炎息を防いだのか想像も出来ない。
唯一考えられるとすれば、炎息に自分の炎系魔法をぶつけたのだろう。
だとしたら、とんでもない威力。そして人間離れした呪唱スピードだ。
推測すら馬鹿馬鹿しく思う。
1つ言えることは、彼が纏っている炎は魔族のものではなく、自分の魔法によるものだ。
「すまなかったな」
予想外の謝罪に、セラフィはおろか魔族すら唖然としていた。
「さすがに斬打だけでは、お前を倒せないと今悟った。お前程度の魔族ならいけると思ったんだ。最初から魔法戦にしておけば良かったと今は反省している。……さすがに侮りすぎた。すまない」
言ってる台詞と、その意味があまりに超然としすぎていた。
「だから……俺の敗北でいいよ。まあ、今からぶっ殺すけど。勝負に勝って、試合に負けたってヤツだ――あ、この場合は逆か……」
言い終わると魔法使いはあろうことか魔族に背を向け、歩き始める。
数歩あるいたところでふっと消えると、いつの間にかセラフィの側に立っていた。
先ほどから見ているが、魔法なのか単純な身体能力なのか判断がつかなかった。
セラフィに肩を貸して立たせると、魔族から離れて行く。
「おい……。に、にげる…………か?」
まだ回復薬を飲めていない。
しかし少し休めたおかげで、体力は戻りつつあった。
「ああ……逃げるんだよ」
「まぞくを…………たおさ……ない、の……か………?
「殺すよ」
「なら……」
「だから逃げるんだよ。さすがに巻き添えは勘弁だろ?」
「…………?」
魔族からかなり離れた位置までやってくると、セラフィをおろし、再び魔法使いは向き直った。
魔族に変化はない。場所もそのままだ。
おそらくもう移動するほどの力が残っていないのだろう。
魔法使いは親指と中指を軽く摘まむようにして構え、狙いをつけるように腕を伸ばした。
「じゃあな……。魔族……」
パチン……。
小さな音は、《死手の樹林》の空気に波紋を作る。
青白い光円が、樹海を包んだのはその直後だった。
筆舌にし難い威力の魔法が、魔族を中心とした半径100ロール以内に振り下ろされた。
すべてが白に染まる。
樹林はおろか、その向こうに広がる夜天すら真昼に変貌した。
そして――。
枝葉を焼き、幹を焼き、根を焼き、岩を溶かし、砂を吹き飛ばし、地面を抉り、
そして魔族を、断末魔の悲鳴ごとを焼却した。
どうだったでしょうか?
セラフィ編本編は残り1話 + エピローグです。
※ 明日は18時の投稿になります。