第8話
さあ、どんどん行きますよ!
「うぅ……」
セラフィは目を覚ました。
身体中に痛みが走る。
だが動けないわけではない。
全身に打ち身らしきあざはあれど、骨や腱に異常はない。
傷口もかすり傷程度だ。
――一体、どれだけ眠っていた……?
5分、10分、それとも1時間か……。
正常に働かない脳を無理矢理動かし、セラフィは起き上がる。
彼女の問いに答えられるものはいない。
しいてこの場に神がいて、答えるなら。
50秒だった。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああ!!」
すぐ近くで、竜の嘶きを聞いた。
長い首が、折り重なって倒れている仲間へと向いている。
「カヨーテ! クリュナ!」
返事はない。
目立った外傷はないが、おそらく気絶しているのだろう。
エヴィルドラゴンが一足踏み出す。
「まずい!」
起き上がる。
バリンの安否も心配だが、今はどうでもいい!
2つ魔法を詠唱。
両手に2色の魔力が集中した。
完了と同時に解き放つ。
地竜の顔の側で、光が鋭い音を立てて爆発した。
たまらず仰首するドラゴン。吠声が、耳朶を打つ。
セラフィが使った魔法に攻撃力はない。
ただ強い光と音を上げるだけの即興の合体魔法。
「こっちだ! ドラゴン!!」
エヴィルドラゴンの首が向き、牙を剥きだした。
よし! と心の中で手を叩き、その場から離れようとする。
イライラするぐらい緩慢な動きで、地竜は1人の賢者を追いかけ始めた。
――クリュナたちから距離を取らせないと……。
追ってくるドラゴンの様子をうかがう。
時折、挑発するように先ほど閃光と音響の魔法を投げつけた。
煩わしそうに首を傾げ、それでもドラゴンは徐々に速度を上げる。
エヴィルドラゴンもただでは追いかけない。
黒い炎息を吐き出した。
セラフィは木や根の影に隠れてやり過ごす。
竜が立ち止まれば、また魔法を顔面にぶつけ、挑発を続ける。
そうしたやりとりを何度か繰り返した後、1人と1匹は開けた空間に出た。
「しまった!」
舌打ちし、方向転換を決める。
直後、エヴィルドラゴンが重戦車のように2本の古代樹を突き破って、空間に躍り出た。
同時に、口内が黒い炎が閃く。
一瞬の躊躇い――。
直撃こそ回避できたが、黒い炎に焼かれた太い幹がセラフィを直撃した。
「くっ!」
片足が幹の下敷きになり、身動きがとれない。
直上にエヴィルドラゴンの顔が見えた。
顎門を薄く開け、深い紫の瞳を細めて、己を手こずらせた相手を見下した。
セラフィをあざ笑っているように見える。
エヴィルドラゴンは口内が赤黒く光った。
「これまで……か」
観念する。
走馬燈よりも頭をよぎったのは、数小節の呪文。
自滅による破壊魔法……。
――これでいい……。仲間を守り切れるなら。
不意に浮かんだ光景は、『ワナードドラゴン』の面々ではなく……。
昔の仲間の顔だった。
――やっとお前たちの元へと行けそうだ。
最後の小節を口にしようとした。
時だった。
エヴィルドラゴンの首が、あらぬ方向を向いた。
しきりに大きな耳を動かす。
セラフィの目には、その行動は奇異に映った。
何かに気付いて、警戒しているような……。
バリン達だろうか……?
真っ先に思い浮かんだのは、『ワナードドラゴン』のメンバーたち。
しかしエヴィルドラゴンを挑発行動している割には、誰の声も聞こえてこない。
加えて、他のモンスターの気配もない。
考えているうちに、エヴィルドラゴンがすんなりと身を引いた。
巨体をゆっくりと方向転換させる。
まるで催眠術にでもかかったように従順な動きだった。
次の瞬間――。
「わきゃああああああああああああああああああああああああ!」
今までで最大音量の嘶きが、森の中に響き渡った。
明らかに怒っていた。
「な、なんだ?」
状況が掴めないセラフィは、ただ天を仰ぐことしか出来ない。
1つわかったことは、自爆魔法を唱える必要がなくなったということだ。
ともかく、今はここから抜け出すことが先決だ。
魔法で太い幹を打ち抜こうとした瞬間、かすかに人の声が聞こえた。
「セラフィ! どこだ!?」
カヨーテだ!
「返事して下さい!」
クリュナもいる。
「ここだ! 2人とも」
仰向けの状態で、セラフィは声を上げた。
程なくして浅黒い肌をした禿頭の男が現れる。ついで、煤に汚れた金髪を揺らし、女神官が顔を出した。
「生きてるか? セラフィ?」
「心配するな。足はまだある」
「なんだ、そりゃ?」
カヨーテは首を傾げた。
セラフィがあちこちを旅していた時に、あるパーティの間で流行っていたジョーク。
「鉄板大爆笑だ」と言われていたが、カヨーテたちはくすりともしなかった。
「あー、足が幹に引っかかってんだな……」
「今、魔法でぶち抜く」
「それじゃあ危ねぇって。クリュナ」
クリュナはカヨーテに筋力増強魔法を重ねがけする。
普段の何倍もの力を得た重装騎士は、一息で巨大な幹を動かした。
「すまない。助かった」
「動かないで。手当をするわ」
早速、クリュナが治癒魔法をかける。
処置を受けながら、「バリンは?」と尋ねた。
クリュナの手が止まる。
「それがどこにもいないんだ?」
「そうか」
「……」
「大丈夫だ。クリュナ。……バリンは無事だ」
「……うん」
「ところで、エヴィルドラゴンはどこへ行っちまったんだ?」
カヨーテは禿頭を撫でた。
「ヤツにとって、何か緊急事態が起こったのだろう」
「緊急……事態…………?」
「たとえば、子供だ……」
あ、とクリュナとカヨーテは口を開いた。
「エヴィルドラゴンは聴覚が発達している。遠くから聞こえる自分の子供の鳴き声の種類で、子供が危機的な状況にあると知ったのかもしれない」
「あり得るな」
「でも、危機的な状況って……。この辺りにエヴィルドラゴンの巣穴を襲うモンスターなんているかしら?」
「モンスターじゃなかったとしたら……」
そうか! 全員が顔を上げた。
「急いでヤツの後を追うぞ!」
セラフィの足を回復させると、3人はエヴィルドラゴンの足跡を追った。
生まれたてのエヴィルドラゴンの体調は、0.5ロールほどしかなく乳児ほどの大きさしかない。
1ヶ月で1.5ロール。3ヶ月には3ロールほどになる。そこから成長は鈍化し、毎年1ロールずつ大きくなっていく。
今、バリンの前には3ロール強の大きさのドラゴンが3体、大きな口を開けて威嚇していた。だが母竜が作った巣穴からは出ようとはしない。外の世界が危険だということを、本能的にわかっているのだろう。
体皮こそ親と比べると色が薄く、背中の甲殻もぶよぶよしている。
それでも、その姿はエヴィルドラゴンの骨格をなしていた。
子供のエヴィルドラゴンは、まだ炎息を撃てない。
殺すことは容易だが、バリンが危険を押して巣穴の近くにいるのは、そんな事のためではない。
確実に近づいている。
親竜の足音だ。
それに交じって、巨木が倒れる音も聞こえる。
相当焦っているように思えた。
「バリン!」
上空からセラフィの音が聞こえた。
「よかった……」
心底をほっとした様子で、クリュナの姿もあった。
セラフィの風力魔法に包まれた3人は急降下し、バリンの元へと降り立つ。
「バリン? 怪我はない?」
パーティのコンディション管理者であるクリュナが真っ直ぐ駆け寄る。
バリンの身体をのぞき込み、腕や身体を触った。
「ああ、心配をかけたな。……軽い打ち身程度で特にダメージはない」
「そう……。良かった」
エメラルドグリーンの瞳は、湖水に浸したように潤んでいた。
「よくここがわかったな」
「ドラゴンの尋常じゃない様子を見れば、なんとなく察しがつく。それに、あいつの鈍足では、こちらが先回りするのは容易だ」
「ところで、バリン……。あなた、何故こんなところに?」
クリュナはバリンに治癒魔法をかけながら尋ねた。
「偶然だ。……いや、そんなことよりも、エヴィルドラゴンがもうすぐここにやってくる」
「わかってるぜ。早くこの場から逃げねぇと」
「いや、迎え討とう」
「「ええ!?」」
クリュナとカヨーテは、揃って声を上げた。
「チャンスだ! おそらく、あいつはかなり怒っているはずだ! また『瞬炎』を撃ってくるぞ」
「バリン! あなた、まさか!」
「そうだ。わざとエヴィルドラゴンをここにおびき寄せた。あいつは、私たちを見つけた途端、怒りに任せて『瞬炎』を撃ってくるに違いない」
「なるほど。その瞬間を狙うのか!」
「でも、危ないわ。みんなもうボロボロなのよ……」
口々に意見を言い合う中、自然と3人の視線はセラフィに向けられる。
「セラフィ……。君の意見は?」
顎に手を当て、美しい女賢者は思考する。
普段のセラフィなら、撤退を即断していただろう。
だが、これまでの『ワナードドラゴン』の苦労を考えると、それは躊躇われた。
少しポジティブに考えてみる。
パーティの状態を分析する。
コンディションとしては悪くない。
クリュナの言うとおり、身なりこそ皆ボロボロだが、戦闘に支障がないレベルの怪我で済んでいる。
魔力や信仰の値も、セラフィを除けば7、8割といったところで、これもまた問題はない。
エヴィルドラゴンと対するまで、他のモンスターと出会わなかったのが功を奏したのだろう。
体力的には6割といったところだが、最後の一戦として考えるのであれば上々と考えていい。そもそも猛者がひしめく《死手の樹林》。今のコンディションでドラゴンと相対できるのは、好条件といえるかもしれない。
魔法を解いたセラフィは、瞼をつむり黙考する。
そして口は開かれた。
「やろう」
パーティの表情に明るさが灯る。
「ただしチャンスは一度だけだ。……失敗すれば、速やかに離脱する。いいな?」
「それでいい」
「よっしゃ! 気合い入ってきた!」
「はい」
口々に仲間達は賛同する。
するとバリンが手を差し出した。
「セラフィ……。ありがとう」
「気にするな。勝算あってのことだよ」
バリンの手を握る。
結びついた2つの手に、さらに2つの手が重なる。
その手は以前、宿で交わしたものよりも熱かった。
次回決着! そして……。
※ 明日の第9話前後編です。
前編を明日12時。後編を18時に投稿します。
よろしくお願いします。