第4話 ~ マサキは嘘をついている ~
めくり上がった石床の一部が、乾いた音を立てて崩れる。
転がった破片は空いた穴へと転がり、細い足に当たって止まった。
その瓦礫を硬いヒールで踏みつけ、少女は不敵に微笑む。
『黒の間』は沈黙に包まれていた。
誰もが息を呑み、身体を硬直させている。
正確にいえば、少女の姿に圧倒されたからではない。
魔王――という言葉を聞いて、それが本気なのか、それとも冗談なのか。
真偽がつけることができず、押し黙ることしか出来なかった――というのが、『黒の間』に集まった【塚守】たちの正直な気持ちだった。
もう1つある。
それは名前だ。
魔王といえば、シャーラギアンのことを指す。
子供でも知っていることだ。
しかし、少女ははっきりと『ルシルフ』と名乗った。
聞いたこともない名前だ。
故に【塚守】たちは、嘘だと思った。
少女の戯言だと……。
それでもぬぐい去れない一抹の不安はある。
少女が見せた実力である。
いくら様子見程度だったとはいえ、世界最強戦力の猛攻を涼しい顔で受けきったのだ。
底の深さは、様子見などでは到底測りかねるものであることは確かだった。
そんな人間たちの反応に、ルシルフは満足していた。
緊張も解け――元より緊張などしていなかったが――まだ起伏の乏しいウェストに手を当てる。
どうだ? 恐れ入ったか――と言わんばかりに、胸を張った。
「マサキ……」
永遠に続くかと思われた沈黙を破ったのは、【塚守】をまとめる総長ディナリアだった。
一番年少の【塚守】は顔を上げる。
穴を覗き込み、ディナリアは厳しい顔を向けた。
「この者がお前の報告にあった魔界で出会った魔王か?」
ディナリアの言葉に、他の【塚守】たちも反応した。
パノンは口元を抑えて、また驚きを露わにする。
「ああ。マサキくんは1年前に行った魔界で会ったっていう……?」
「…………っち!」
「こ、こんな小娘だったのか?」
「小娘ではない!」
ルシルフは眉根を顰め、一喝する。
「もう1度言おう。余は魔王ルシルフ。2度と小娘などと言うな。卑賤な人間どもよ」
「まあまあ……。ルシルフ、抑えて抑えて。仕方ないだろ。こんな可愛い女の子が、魔王なんて名乗られても、誰も信用しないよ」
「か、可愛い!!? マサキ! また貴様はよ、世迷い言を……! 余は魔王ぞ。魔界の征服者ぞ! それを可愛いなどと」
「うーん。だって、そう思うんだから仕方ないだろ。ね? 総長? 可愛いですよね」
「む? いや、私に言われても……」
「あら。私は会った時からそう思ってましたよ」
ディナリアの横で、パノンが同調する。
細い目を一層細くして、微笑んでいた。
対してルシルフは赤くなっていた。
エルフのように尖った耳まで、茹で上がったウィンナーのように赤くなっている。
拳をぶるぶると震わせ、眼前の人間たちを睨んだ。
「ば、馬鹿な! ええい! やめろ! 耳が腐る」
「相変わらず、ルシルフは面白いなあ」
ルシルフの頭を撫でた。
「や、やめろ! 子供扱いするな。余は――」
抗議しながらも、マサキの手を払いのけることはしない。
まるで兄妹のようなやりとりに、他の【塚守】は毒気を抜かれる。
見てられないと言う風に、ニアルが立ち去り、煙草を吸ってくるといってワドッシュも『黒の間』から出ていった。
ディナリアは大きく息を吐く。
「しばらく休憩としよう。マサキ、ここの床はお前が魔法で修理しろよ」
「ええ!? 総長がやったんじゃ――」
「総長命令だ」
ギロリと睨む。
完全に怒らせてしまったらしい。
マサキは口を噤んだ。
パノンも「頑張ってね」と言って、総長と一緒に出ていく。
「マサキ。テツダイマス」
「ありがとう。ケルヴィラ。君だけがボクの味方だ」
穴を覗き込むオートマタの少女に礼を述べる。
そしてマサキは周囲を見渡し、盛大に息を吐くのだった。
◆
会議が再開されたのは、約1時間後だった。
その間に他の【塚守】たちは昼食を終えた。
修復作業をしていたマサキはその機を逸し、オートマタであるケルヴィラは片手間に回復薬を補給する。魔力が込められた魔法薬であれば、すべて彼女の燃料になるのだ。
ゲストである魔王ルシルフは、マサキの修復作業をじっと眺めていた。
仏頂面で、だ。
魔族も人間と同じく栄養をとらなければ、お腹が空く。
だが、彼女が表情に出すことも、不平を言うこともなかった。
やはり人間の世界ということで、緊張しているのかも知れない。
会議が始まるなり、ディナリアの質問責めが始まった。
パノンは様子見。
元々主体性のないケルヴィラも同様。
ニアルやワドッシュは、魔王をただ睨み付けるだけで何を考えているかわからない。
結局、代表としてディナリアが役目を負うしかなかった。
また答えたのは、ルシルフではなかった。
側に立ったマサキだ。
そもそもの質問が、ルシルフとどうやって接触したか、というものだった。マサキが答えるうちに、質問が彼女に及んでも、そのまま答えるという問答が続いていた。
ディナリアとしても、その方が良かったのだろう。
あまり不躾な質問をして、逆上して暴れられても困る。
若いマサキのことだ。
手続きなど踏まずに、ここにルシルフを召喚したのだろう。
魔族が人間界の中枢にいることですら問題であるのに、それが魔王と知られれば、どんな咎めを受けるかわからない。
音便に済ませたい。でも情報は引き出したい。
そういう難しい駆け引きの中で問答は続いていった。
マサキは2年前、魔界に赴いた。
自分を置いて出ていったアヴィンとエーデルンドを探すという名目で、初めての魔界を彷徨う中、ルシルフと再会した。
そこで彼は現状の魔界の状態を知る。
人間界へ帰り、それをレポートにまとめたことが評価され、アヴィンの代理ということで【塚守】に任じられたのだ。
「つまりはこういうことか。魔王シャーラギアンが封印された以後、魔族の勢力は各々分裂し、一枚岩でなくなっていると……。そして今回の騒動を起こした魔族は、主流派とは別のグループの犯行だと」
「ああ……。その通りだ」
マサキは大きく頷き、説明を加えた。
「そもそも俺たちは勘違いしているんだよ」
「勘違い?」
ディナリアは眉根を寄せた。
「正確にいえば、シャーラギアンは魔王であって、魔王ではない」
「なになに? その言い方? とんち?」
パノンが唇に指を押し当て、首を傾ける。
答えたのは、ルシルフだった。
「シャーラギアンは魔族を代表するものではないということだ」
「魔族の王こそシャーラギアンではないのか?」
「それが俺たちの勘違いしてる点なんだよ、総長」
マサキは手を広げる。
ルシルフが説明を続けた。
「確かに魔界にもシャーラギアンを信奉するものもいる。だが、あれは人間界でいうところの天災なのだ」
「天災?」
「ヤツは人間であれ、魔族であれ、そして神であれ。生きとし生けるものをすべて敵視している。故にヤツには味方などおらず、必要とも感じない。徒党を組むなどまるで考えていないだろう」
パノンがパンと手を叩く。
「ああ……。そう言えば、ナリィ様の【大戦史】に書いてあったような気がするわね。シャーラギアンは、人間も魔族も等しく滅びを与えた」
「【大戦史】ノ1051ページダイ37ショウ4ギョウメノ、キジュツデスネ」
ケルヴィラが注釈を加えた。
「だが、あの圧倒的な強さと、カリスマ性によって、本来“群れる”ことを嫌う魔族たちが1つになっていったことは事実……」
「そして、魔王がいなくなった後、その結束はなくなり、それぞれ魔族は自分のしたいことを始めた、ということか」
ディナリアは机の上で指を揉む。
「でも、総長……。何故、シャーラギアンが封印されて400年後に、魔族は動き出したのでしょうか?」
「それは余もわからぬ」
パノンの疑問に、ルシルフははっきりと言い切った。
「そのことについては、オレもルシルフも知らない。1つ考えられるのは、ルシルフが率いる主流派以外にも、魔族が結束しつつあるということ」
「第2の魔王か……」
ディナリアは息を呑む。
「モシヤ、アヴィンサマトエーデサマハ、ソノコトニツイテ、マカイニオモムカレタノデショウカ?」
珍しくケルヴィラが意見を述べる。
創造主の安否ということになれば、彼女も積極的だ。
「残念ながら、憶測の域を出ないな。ともかく、オレがいいたいことは、オレたちが魔族のことを知らなさすぎるという点だ。魔族の中にも、人間に危害を加えないと考えるものもいる。しかし、こいつらが多様化すればするほど、無知であることは不利になる。折角の協力者を見逃す可能性だってある」
と訴えた。
「私はマサキくんの意見に同意するわ。他は? 特にニアル。いい加減、機嫌を直したらどう?」
パノンがニアルに振る。
赤髪の男は、相変わらず机の上に足を投げ出し、静観を決め込んでいた。
やがて、その仏頂面から言葉が発せられる。
「マサキは嘘をついている」
その一言は、『黒の間』を一瞬にして凍てつかせた。
次回は来週末に投稿します。
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