第7話
さあ、エヴィルドラゴン戦です!
「思っていたよりも大きいな」
エヴィルドラゴンを見たセラフィは、率直な感想を述べる。
有り体に表現するなら、エヴィルドラゴンは長い首を持つ巨大な蜥蜴だった。
古代樹の幹を思わせるような太い後ろ足。それに次いで太く、長い爪を持った前足。ドラゴンの象徴ともいえる羽はすっかり退化しており、代わりに甲虫を思わせるような硬い外皮に背中は覆われている。
特徴的な長い首には、魚のヒレのようなものついていて、首を動かす度にヒラヒラと舞っている。顔の横には象を思わせるような大きな耳がついていた。
ドラゴン種には珍しく、聴覚が発達したらしい。
事前に説明を受けたセラフィは、あらかじめ仲間に遮音魔法をかけ、エヴィルドラゴンから100ロールの位置まで迫っていた。
「子供はいないのか?」
「ああ……。おそらく《死手の樹林》に住むエヴィルドラゴンだけの習性だと思うが、古代樹の硬い幹を削って、子供専用の巣を作り、その中でしばらく育てるんだ。おそらくヤツの子供が生まれて、まだ半年も経っていないはずだ。まだ巣穴からは出ていないだろう」
「なら、好都合だな」
母竜一体でも難しいのに、スコルピードのように子供が一緒に襲ってこられては全滅は必至だ。
「もう少し近づこう。カヨーテ、他は?」
耳に手を当て、辺りを窺っていたカヨーテは、首を振った。
「ないな。……まあ、あの貫禄すら感じる地響きを聞けば、モンスターは近づかないさ」
肩をすくめる。
同時に、森全体が揺れた。
地竜の足音は、樹海の鼓動のように響いている。
「問題はどう仕掛けるか、だな?」
「バリン……。エヴィルドラゴンに光は有効か?」
「有効だ。多少視力がある。だが、それよりも音の方が有効だろう」
「他のモンスターがやってくるんじゃね?」
「それは光を使っても一緒じゃないかしら。そうでしょ、バリン?」
「ああ。……ともかく、エヴィルドラゴンを怒らせて、『瞬炎』を引き出すしかない」
ドラゴンに詳しいバリンが中心となって、作戦が立てられる。
かくて「『ドラゴンの火袋』獲得作戦」は実行された。
「エヴィルドラゴン相手に、囮とはね……。まあ、それが俺のポジションなんだけど」
遮音魔法の外から出たカヨーテは、仲間から離れて、エヴィルドラゴンの鼻先に回り込もうとする。
カヨーテはあらかじめフルメイルを脱ぎ、耐火性の高い黒金糸で出来たローブを巻いていた。
原理などはわかっていないが、エヴィルドラゴンが放つ黒色の炎息は、金属を引きつける性質があり、対峙する際、金属類を着用しないことが鉄則になっていた。
打斬投に対しての防御力は格段に下がるが、鎧を着込んだところで炎息をまともに受ければ一溜まりもない。
ドラゴンまで60ロールというところに来て、不意にエヴィルドラゴンの動きが止まった。大きな耳をピクピクと動かす。
すると長い首が、カヨーテの方を向く。
曲刀のような牙が並ぶ、顎門を開いた!
「まっず!」
全速力で駆け抜ける。
黒い光が放たれた。
カヨーテが先ほどまで立っていた地面が、黒い奔流によって抉られる。
後ろから爆風が襲いかかり、カヨーテはなすすべなく体勢を崩し、転がった。
すぐに起き上がる。
背後を見ると、巨大な古代樹の根が丸ごと消し飛んでいた。
「こ……」
こえー、と言おうとして、カヨーテは慌てて口を塞ぐ。
今は、ドラゴン自身の炎息によって、音があちこちで反響し、カヨーテの居場所がわからないはず。
ここで声を出せば、「殺してくれ」とアピールしているようなものだ。
残響がダンジョン内をかき回しているうちに、カヨーテは静かに移動をはじめた。
「大丈夫! カヨーテは無事です」
遮音魔法の中から、クリュナは報告した。
バリンとセラフィはほっと胸をなで下ろす。
「よし。我々も移動しよう」
「待ってくれ」
遮音魔法を解除するバリンの動きが止まる。
「どうしたの? セラフィ?」
「少し……。作戦が強引すぎないか?」
バリンとクリュナは顔を見合わせる。
作戦はこうだ。
カヨーテが囮になって、エヴィルドラゴンを引きつける。
囮にエヴィルドラゴンが反応しているうちに、3人で背後を攻撃。
弱らせたところで、さらに炎系、光系魔法で断続的に打ち続け、ドラゴンを怒らせるというものだ。
「囮役のカヨーテの負担が大きすぎる。それに背後を狙ったところでエヴィルドラゴンの動きを止めるほどのダメージを、一度に与えるなんて」
「それは……セラフィに頑張ってもらって」
「クリュナ」
バリンがたしなめる。
クリュナはしゅんとして、俯いた。
「すまない。セラフィに負担を掛けないとは言ったものの、現状では君の実力に頼らざる得ない」
「それはいい。だが――――」
ドラゴンの専門家をうたう割に、作戦内容がお粗末すぎるのではないか。
セラフィはバリンが何らかの秘策を持っているのではないかと考えていた。故にエヴィルドラゴンの作戦はバリンに任せた。
しかし蓋をあけてみれば、経験がある勇者候補なら誰でも考えそうな囮作戦。
火袋だけを狙う――という方針は、セラフィを唸らせるほどのものだったが、事はそう単純なものではない。
『瞬炎』を引き出す過程。さらに剥き出しになった炎気管を切り取る方法。
それら綿密な作戦があって、成功する難易度の高いものだ。
が――バリンが打ち出した対策は、金属類を身につけないこと、その武器対策。耐火性に優れた防具、加護を受けた護符を装備することだけだった。
セラフィが高望みをしすぎているかもしれない。
だが、賢者であるバリンの知性に疑問符がつく。
結局は、自分がうまくコミュニケーションをとれていなかった、ということかもしれないが、今は反省すべきことではない。
「どうした? セラフィ?」
「いや、何でもない」
「セラフィには申し訳ないと思ってるわ。でも、作戦は始まってしまった。今から別の作戦を練るにしても、カヨーテが危険な状態にあることには変わりはないわ」
「そうだな」
クリュナの言葉に、セラフィは頷くしかなかった。
「行こう」
バリンの言葉を最後に、3人は黙したまま、エヴィルドラゴンの方へと慎重に歩みを進めた。
カヨーテからも、他の3人が動き出すのが見えていた。
何やら一悶着あったような気がするが、作戦は続行らしい。
ひとまず息を吐き、心を落ち着かせる。
そろそろ残響が鳴り止む頃合いだ。
カヨーテはわざと足音を立て、再び走り始めた。
「おい。こっちだ! トカゲ野郎!」
大声を張り上げる。
悪口よりも声に反応したのであろうが、エヴィルドラゴンは首を天井に傾け、高い声で嘶いた。
再度、口内から黒い線状のものが吐き出される。
瞬時に200ロールの地面が抉り出された。
その中でカヨーテはなんとか回避していた。
爆風に見舞われた身体には、無数の擦過傷が出来ていたが、致命傷は1つもない。
だが、綱渡りの状況には変わりはなかった。
カヨーテはゆっくりと起き上がった。
「っ痛て――!」
右足に激痛が走る。
――捻ったか……!
爆風に巻き込まれた時だろう。
歩けないことはないが、これでは全速で走るのは難しい。
その時だった。
紫水晶よりも深く濁った瞳が、カヨーテを見ていた。
――やばッ!
痛みを我慢して走り出す。
エヴィルドラゴンの口内が、黒い炎で満たされた。
カヨーテは一寸先の未来を予想し、目をつむる。
突如、赤い光がダンジョンを覆い尽くした。
強烈な光はカヨーテの瞼の裏にまで入り込み、視界をオレンジ色に染める。
耳に届いたのは、つんざくようなエヴィルドラゴンの悲鳴。
薄く瞼を開ける。
首をくの字に曲げた地竜が、真っ赤な炎にまみれていた。
「カヨーテ、無事?」
背後から声が聞こえて、カヨーテは首を回した。
やや煤けた神官服に身を包んだクリュナが、巨大な根っこの上から滑り降りてくるのが見えた。
「なんとかな」
はは、苦笑する。
足の怪我をすぐに察したクリュナは、心配するどころか禿頭をポカリと殴った。
「痛って! 俺はけが人だぞ! お前、それでも神官か!?」
「あんたは囮役なんだから、もうちょっと上手くやりなさいよ!」
「うるせぇ! こっちだって必死だったんだ!」
「もういいわ。それより逃げるわよ」
クリュナはカヨーテに肩を貸した。
「逃げる? ドラゴンに魔法が効いてるじゃねぇか。やっぱセラフィは……」
「違う! あれはバリンが使ったA級の炎系魔法。セラフィはこれから――」
クリュナが言ったと同時に、ドラゴンの直上で青白い光が閃いた。
闇に包まれたダンジョンが、瞬く間に白く染め上げられる。
無数の稲妻がエヴィルドラゴンの背より50ロールの中空にて集まり始めた。
鋭い金属音にも似たような音が辺りを包む。
最中、セラフィの低い詠唱が聞こえた。
「雷鎚を以て、天の審判を仰ぎ奉る!」
【雷獣の奏】リューナ!
瞬間、古代樹の枝葉を突き破り、閃光が地竜に突き刺さった。
猛獣の吠声のような轟音は、エヴィルドラゴンの嘶きすら飲み込む。
その威力は、ドラゴンはおろか周りの巨木を抉り、地面をめくり上げた。
カヨーテとクリュナは何とか根に隠れる。
防護魔法を展開しなければ、そのまま《死手の樹林》を抜けてしまうほどの暴風に2人はなんとかこらえた。
ちょうど2人と反対側にいたバリンも、防護魔法を張って暴れ回る風に対処していた。
ふと視線を上空に向ける。
《死手の樹林》に、綺麗に丸く刳りぬかれた穴が出現した。
夜の闇と星が見える。
衛星の光が斜めに差し込んでいた。
その穴の端で、風力魔法を使って浮かんでいたのはセラフィだった。
「これが200行の高速言語を使った精霊魔法か……」
魔法は呪文を長くしたり、重ねることによって威力が上がる。
比例して詠唱時間がかかるため、実戦では短言語による一桁詠唱が主流になっている。むろん、それでは威力が弱く、上級のモンスター相手では、非常に難しい。
その問題を解決したのが、勇者アヴィンだった。
アヴィンは早口言葉によって、長文の呪文を短時間で詠唱する技術を開発した。
肉体強化魔法により、顔や喉、場合によって全身を強化させ、通常の人間の限界を超えた早口によって、魔法を完成させる――。
高速言語という技術だ。
だが、無理矢理ブーストさせるため、身体に来る負担は半端ではない。
さらに最中は、息を止めて詠唱を行う。
数分間の無酸素行動は、確実に呪唱者の体力を奪う。
セラフィは激しく息を繰り返す。
胸を掴み、なんとか息を整えようにも、心臓が暴れてうまく抑えられない。
それでも風力魔法をコントロールし、ゆっくりと地面に降りてくる。
肘をついて、その場に蹲った。
「おいおい! 倒しちまったんじゃないだろな?」
カヨーテは、クリュナに肩を貸してもらいながら、巨大な根から顔を出した。
バリンはセラフィの元へと駆け寄った。
「大丈夫か? セラフィ?」
返事はない。
ただ激しく息を繰り返すだけだ。
それでも顔はエヴィルドラゴンに向けられている。
地竜の長い首は、しなびた茎のように横倒しになっていた。
深い紫の瞳は閉じられている。
刃のような歯が並ぶ顎門からは、長い舌がべろりとはみ出ていた。
「本当にやっつけちゃった?」
横たわる巨体を見ながら、クリュナは首を傾げる。
不気味な沈黙だった。
確かにセラフィが使った精霊魔法は、強力だった。
だが、エヴィルドラゴンを倒すまでに至るほどだったかというと、呪唱者本人すら確信が持てなかった。
体皮を見れば、重度の火傷に覆われている。
ヒラヒラと動いていた首の後ろのヒレも、無残に千切れていた。
4つの太い足はぐったりと伸びきり、小さな尾は下を向いている。
死に体と呼べる姿だ。
……だとしても、《死手の樹林》に漂う緊張感は、容易に打倒と判断させてはくれなかった。
「どう思う?」
やっと言葉を話せるようなるまで回復したセラフィは、隣に立つバリンに囁くように尋ねた。
「油断は禁物だ。……おそらくショック状態に陥ってるんだろう。魔法それ自体の威力よりも、閃光と轟音を一気に浴びたことによって、一時的に感覚が麻痺したんだろう」
セラフィも同じ考えだった。
その時、カヨーテが手を振って、こちらにやってくるのが見えた。
肩を貸したクリュナも、ひとまず元気そうだ。
「おーい! セラフィ! バリン!」
「待て! 今、大声を出すな!」
バリンは反射的に2人よりも大きな声を上げていた。
瞬間、ぐるりとエヴィルドラゴンの首を動いた。
柱が立てるように、4つの足が大地を踏みしめる。
首を上に向けて、嘶いた。
《死手の樹林》に空いた穴の惨状を嘆くようだった。
そして喉の皮膚を突き破り、袋のようなものが膨らんだ。
「まずい! 『瞬炎』だ!」
バリンが叫ぶ。
――間に合わない!!
セラフィは時間が許す限り再び高速言語を唱える。
巨大な黒い極光が吐き出された。
同時に――。
【雷獣の奏】リューナ!
放たれた魔法は、『瞬炎』を押しとどめる。
それはわずかな時間だった。
あっさりと力負けした【雷獣の奏】は、『瞬炎』に呑まれる。
そして黒い光が《死手の樹林》を蹂躙したのだった。
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ここからの鬱憤を晴らすように盛り上がっていきますので、
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※ 明日18時投稿です。