狐と蛇の祓い屋〜偽物と本物札屋〜
シリーズ第五弾です。
何の変哲もない平屋の日本家屋。
人が住まなくなって何十年も経っているだろうその建物は、林の奥深くにあった。
窓という窓は全て木を打ち付け閉じられており、中を伺う事は出来ない。
側にある井戸は枯れて、深く暗い穴と化している。
「助けて、くれるんですよね?大丈夫ですよね?」
怯えているのは二人の青年。
青年達の視線の先には、袴姿の男が一人。
「ここは、とても嫌な感じがしますね。祓い清めるには更にお布施が必要ですが?」
「いくらでも払います!助けて!」
「今も声が!声が近くなってるんです!!」
真っ青な顔の青年二人に急かされて、袴姿の男はただ一つ開いていた玄関をくぐり、家屋の中へと足を踏み入れる。
そこは、何もわからない人間から見ても異様だった。
家具は何もない。あるのは何枚もの鏡。鏡に囲まれた中心には木彫りの人形と、その下に大量の、真っ黒な髪の毛。
「あれに、触れたんですか?」
男が振り向き聞くと、二人はこくこくと頷いた。
青年達は友人と三人で肝試しと称してここを訪れ、無理矢理玄関を開けて中に踏み込んだらしい。その時、仲間の一人が鏡の中心の人形に触れ、気が狂った。狂ったその友人が死んでから、二人には奇妙な事が起こるのだという。
誰かにいつも、見られている。
夢の中で、死んだ友人が呼ぶ。
最近では目が覚めていても聞こえ、段々と、声が近付いて来ているのだ。
そうして命の危険を感じた二人は、インターネットで調べた祓い屋に助けを求めた。それが、二人の視線の先にいる男だった。
二人が話さずとも死んだ友人の特徴を言い当てた為に、祓い屋の男は本物なのだと信じて少なくない金を前金として払っている。命に比べたら金など、取るに足らない物だ。
「あー…その札やめたら?これ、君の手には負えないよ?」
袴姿の男が木彫りの人形に懐から出した札を貼ろうと近付いたのを制止したのは、パンクファッションに身を包んだ一人の若者。ピアスだらけのその若者へ振り向いた袴姿の男は、不愉快さを顔全体で表した。
「また邪魔をしに来たのか?お前もそこで見ていろ。」
「やめないと、喰われるよ。」
言いながら若者は、失礼、と断りを入れてから何かを青年達の背中に貼った。
「それ、外さないで下さい。事が終わるまで。」
若者が何者で、何を貼られたのかはわからないが、青年達は素直に従う事にする。この恐怖から解放されるのであれば、何だって良かった。
「俺は止めたからね。」
袴姿の男はイラついていた。
この若者は知り合いだ。彼はこうして何度も、男の仕事の邪魔をしに来る。この仕事から足を洗って、普通の仕事をしろと勧めて来るのだ。同業者を排除しようとしてもそうはいかないぞと男は歯軋りし、手の中の札を木彫りの人形へと貼った。
「あーぁ…」
若者の呟きはもう二度と、男の耳には届かない。
庭にはためくのは洗濯物。
縁側には男と女。
男はふわふわした茶色の髪に濃茶の着物姿で、女を愛しそうに、とても大切そうに腕に抱いている。
女は青空色の着物姿で、男の腕の中で目を閉じていた。
「相変わらず、九尾と雪乃は仲良しだね?」
そんな二人に声を掛けたのは、下唇にピアスを付けたパンク系の服装の若者。染めていない黒髪は短く切られ、ワックスでお洒落に整えられている。
そんな若者をチラリと見て、九尾と呼ばれた茶色の髪の男は女の頬を優しく撫でて起こす。
「雪乃、忠義だ。」
女の瞼が震え、ゆるりと目を開けるのを黙って若者は見つめている。若者の後ろには、酒の瓶を肩からぶら下げた別の男が一人。濃紺の着物姿のその男は、黒髪を片側の耳の下で緩く結っている。
「久しいな、忠義。」
目を覚ました女に話し掛けられ、忠義は微笑んだ。そうして縁側に座布団が用意されて、そこに腰掛ける。
「白蛇も相変わらず酒ばかり。変わるのはヒトの特権かな?」
「忠義はまた、穴が増えた。」
忠義の両耳には無数のピアス。それを見て、女が笑った。
「祓い屋の仕事で札、減るだろう?そろそろいるかなって思って来た。」
「助かるよ。びゃくもきゅうちゃんも、祓う事は出来ても封じる事は苦手だ。」
「向き不向きだね。神が封じてしまうと力が強過ぎる。ヒトにも影響が出るだろう。」
「私は、惹きつける事しか出来んがな。」
自嘲気味に女が零すと、茶色の髪の男の腕が柔らかく女の体を包み込んだ。
包み込まれ、女は幸せそうに、微笑む。
「そういえば忠義。最近お前の札の文字を真似た偽物を見掛ける。心当たりはあるか?」
穏やかな空気を醸し出す二人の隣に胡座をかいて座った黒髪の男に問われ、忠義は苦く笑った。
「あれだろう?道を閉じる為の物を逆に開けてしまっていたり、封じる為が引き寄せる物になっていたり。」
「この界隈でよく見る。知り合いか?」
「知り合い、だった。…昔破門された奴。半端に力があって、自分を過信する奴だった。」
「やめさせないとその内、喰われるぞ。」
黒髪の男に顰め面を向けられた忠義は、僅かに目を伏せ、答える。
「もう、喰われた。」
再三注意はしたが取り合わず、自分の力に見合わない仕事をして喰われたのだと、忠義は淡々と話す。
「ヒトの呪いが溜まった場所。封じて来たけど、また溢れ出すだろうね。」
呪詛は、安易に手を出す物ではない。時として己の意図に反して大きく膨らみ過ぎて、ヒトの手には負えない物となる。
「妖よりも、ヒトの方が怖い。」
去って行く忠義を見送り呟いた雪乃は、九尾の胸に背を預ける。
雪乃を腕に抱き、九尾は彼女の耳元へ頬を寄せた。
「ヒトの思考は時として、我等には理解出来ん。」
「大抵の場合穢れを生むのはヒトだ。だが忠義は、綺麗なもんだ。」
身を寄せ合う二人の隣で、まだ日も高いというのに白蛇は瓶から直接酒を飲む。
「忠義は私の逆だからな。……羨ましい。」
三人が住む場所に流れるのは清浄な空気。まるで時が止まったかのようなその場所で、白蛇と九尾の狐とその花嫁は、祓い屋を営む。それは、元がヒトであった花嫁が、ヒトの世との繋がりを持ち続けたいが為。そして、忘れ去られた狐の社を、守る為。
変わり行くヒトの世。
忘れ去られ、存在価値を失う視えざるモノ。
彼らは寄り添い、今日もそこに、在り続ける。