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Another Sky  作者: 須藤鵜鷺
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8.決戦〈前編〉

 夜が明ける前の暗く静かな時間に、都城たちはそれぞれのチームに分かれて最後の準備を進めていた。彼らがこの二日間寝泊りした部屋の下は倉庫になっており、そこに武器を集めていた。

「追撃掌銃なんて珍しいモンあるんすね」

「ロシアの古い試作品らしいが、実用性には欠ける。一弾装填だからな」

 武器を整理している若者―都城の後輩である牛窪 夕貴〈ウシクボ ユウキ〉が物色していた中で見つけたそれを都城が受け取って脇へ置く。

 武器は主に海外からの密輸品や横流し品である。ある程度まとめて仕入れるため、使えないものも混じっている。その中から、彼らが装備するものを選び出さなければならない。その物騒な光景を倉庫の隅で見つめる影がある。透亜だ。都城はそちらに視線を向けると、静かな声で言う。

「お前はそろそろ上へ戻れ」

 その声は、ダンボールに腰掛けてじっとしている透亜に届いていた。しかしその場から動こうとしない。

 この最終作戦において、透亜はここで加澄たちと一緒に待機することになっている。透亜は何も言わないが、それを不満に思っていることを都城は知っている。しかし今回ばかりは連れて行くわけにはいかない。これから都城たちは、透亜がいた研究施設に乗り込んでゆくのだから。

「そんな顔するな」

 都城は透亜に歩み寄ると、その頭を優しくなでる。長い睫毛に縁取られた透亜のまぶたが上下する。

「置いていかれるのが嫌なのか?」

 問うても応えない。その目が言葉を捜すように泳いでいる。都城はひとつため息をついて諭すように言う。

「必ず帰ってくる。だから俺たちが帰る場所で、待っててくれ。な、透亜」

 いまだ呼ぶことの少ないその名をあえて口にすることが、是非を問う余地のないことを語っている。透亜は表情の読めない目でじっと都城を見つめると、無言のままうなずいて倉庫から出て行った。

 都城はその後ろ姿を心配そうに見送った。その行動の危なっかしさは、少し風人に通じるところがある。その信念の強さも。

 透亜が戻ると、加澄が部屋の中に招き入れた。そこには戸塚の知り合いだという茂木 悠斗〈モギ ユウト〉と女医師の真知 縁〈マチ ユカリ〉がいる。茂木は部屋に置かれたモニターやその周りの配線をいじっている。それは簡易の中継システムだ。今回、深山と戸塚の二人は加澄の依頼もあって、施設の様子の撮影を試みる。ただ、それだけが目的ではない。今回の作戦が成功したにしろ失敗したにしろ、何かしらの映像が残せればそれが後々軍を糾弾するための証拠となる。一方の真知はインカムのチェックをしている。今回の作戦では十一人が複数のチームに分かれて行動するため、チーム同士の通信にインカムを使用するのだ。

「透亜ちゃんのもあるよ」

 暗い顔をした透亜に加澄がインカムを渡す。それを受け取ると、透亜はモニターを覗き込む。そこにはまだ何も映っていない。

 それまで沈黙していた真知が、ふと透亜に話しかける。

「あなたは、これが終わったらどうしたい?」

 目じりにしわのある目で透亜をじっと見つめる。

 真知は深山と同じ〝地下〟に所属する医師である。その中では珍しく、元は正規の医師免許を持って国の医療機関で働いていた経歴を持つ。結婚・出産を機に医師を辞め、今は地下で若者を指導する立場にある。

「……私は」

 透亜が小さく呟く。そして自分の背後を見るように首を回す。

「この翼をなくしたい」

「え?」

 意外な言葉に真知と加澄は顔を見合わせる。透亜はどこか遠くを見るように目を細めて続けた。

「風人が、泣いてたから。これを付けたとき」

 透亜の横顔に悲しみの色が浮かぶ。しかしその表情は、昔を懐かしむようでもある。

「風人は私に普通の子みたいに生きて欲しかったんだって、聞いたことがある。だったら、この翼をなくしたい。普通の子になるために」

「……それが、あなたの望み?」

 真知に聞かれて、透亜は顔を上げる。そしてはっきりとうなずいてみせる。そこに迷いなどは感じられない。真知はしばらくじっと透亜を見つめ、そして告げる。

「だったら、いつか戻してあげるわ。元の体に」

「え……?」

 どういうことだろう、と透亜は思った。まっすぐにこちらを見ている真知の表情からは、その真意を読み取ることはできなかった。


 時間は午前4時50分を回った。日が昇る前の空が群青に染まり始めている。雲のない空からは星が姿を消し、月も淡い色に染まりつつある。今日は快晴になりそうだ。

 都城と深山、戸塚に斉藤の四人は港にいた。これから漁に出る数隻の漁船に紛れるようにして泊めてある船に、四人は乗り込んでいく。他の漁船と比べると少し大きい船だ。漁師たちは見慣れぬ顔ぶれを不審な目で見ていたが、都城たちは気に留めなかった。船の所有者である斉藤が操縦席に入り、エンジンを入れる。その時、都城のインカムに連絡が入った。

『都城さん、こっちは準備できたっスよ』

 後輩の牛窪だ。他の二人を率いている。

「わかった。予定通り行くぞ」

『ウッス』

 通信が切れたのを確認して、都城は斉藤とアイコンタクトを取る。船がゆっくりと動き出す。

 その時、都城の肩を後ろからぽんと叩く者があった。深山だ。口の端をあげて皮肉っぽい笑みを浮かべている。

「あんま力むんじゃねーぞ」

 都城はその言葉に片眉を上げる。

「お前がおととい言った言葉、そっくりそのままお前に返してやる。……無茶すんじゃねーぞ」

「……わかってるつもりだが」

「どうだかな」

 実を言えば深山は、いつも都城のことを一番に心配している。都城は昔から、頭に血が上ると見境がなくなるところがある。それで大怪我をしたこともあった。そのたびに深山は都城を叱るのだが、これは性格でなかなか直るものではない。今回は深山も待機組ではなく、しかも都城とは別行動となる。何かあれば控えている真知を頼るしかない。

「お前はリーダーなんだからな。自分で言ったことはまず自分で守れよ」

「ああ。努力する」

 この船には、船底に半地下のように作られた船室があった。そこに降りた時、都城は心臓が大きく跳ね上がるほどに仰天した。

「どうしてお前がここにいるんだ!?」

 思わず大声で叫んでしまった。そこにいるはずのない姿を見たからだ。透亜が、ひざを抱えて座っている。その目はまるで悪戯が見つかった子供のように気まずそうに、しかしすがるように都城を見ている。

「……あらら」

 声を聞きつけた深山が後ろから覗き込んで苦笑する。都城は身を翻して船室を出、すぐにインカムを加澄につなぐ。

「何で透亜がここにいるんだ!?」

『ああ、無事に着いたのね』

 開口一番啖呵をきる都城とは裏腹に、加澄は落ち着き払っている。その声が都城の神経を逆なでする。

「……知ってて来させたのか?しかも一人で!」

『あら、私はただ頼まれたことをしただけよ。そこにいる透亜ちゃんに』

 めまいのようなものを感じて、都城は頭を押さえる。

「何のために蓮に預けたと思ってるんだ!?こいつは軍に追われて……」

『わかってるわよ。そんな事くらい』

 息巻く都城の言葉をさえぎるように加澄が言う。

『甘かったわね、大輔』

「何がだ」

 イライラしている都城とは対照的に、加澄はどこかこの状況を楽しんでいるような雰囲気がある。

『その子は風人の娘なのよ。あんただって忘れてるわけじゃないでしょ?』

 娘、という言葉に都城は一瞬引っかかったが、透亜の育ての親が風人であるとするならば、娘という表現もあながち間違ってはいない。そして、その点はまさに都城が危惧していたことでもあった。透亜は、都城以上に予測不可能の破天荒な行動をとる風人の背中を見て育ったのだ。都城はため息を一つつく。

「だからこそあんたに託したんだ。どうして留めてくれなかった」

『それが甘かったて言ってんの』

 加澄の声から楽しんでいるような色が消えた。

『もしあんたたちがこの作戦を失敗に終わらせれば、ここにいたって危険でしょうよ』

「……」

『あんたにその子を守る覚悟があるって言うなら、逃げずにちゃんと、あんたの傍で守ってみせなさい。……健闘を祈ってる』

 都城は、言葉を返すことができなかった。

 時計が午前5時を知らせた。その時刻は、もう後戻りできないことを告げている。

 都城の乗った船からは少し離れたところから、ジェットボートが勢いよく飛び出していく。そのボートには牛窪たちが乗っている。けたたましいエンジン音としぶきを上げながら、ボートは一直線に研究施設のある方へと突っ込んでゆく。


『緊急連絡。局南南東海上に不審船を確認。出動命令。部隊A-1はヘリポートより現場へ急行。A-2所内警備。A-3周辺巡回へ。緊急連絡……』

 自動音声とアラームが鳴り響いているのを、遠野は己の執務室で聞いていた。苦虫を噛み潰したような顔で、指はイライラと机を叩いている。

 朝5時5分。普段ならまだ宿舎にいる時間だ。しかし遠野は一昨日からここに寝泊りしている。それは風人のCOPYが告げた一言による。

―じきにサンプルの解放を目論む輩が、ここへ攻めて来るでしょう。

 COPYはそう言ったのである。そして、攻め込んでくる人間の始末を自分に任せろと言い出したのだ。遠野はその言い草に激怒したが、そんな事でひるむ者ではない。結局、話は平行線のまま終わった。遠野は放置するわけにもいかず、いつ何が起きてもいいようここに詰めていたのだ。

「よりによってこんな時に……」

 A-1から3の部隊は実戦に対応するための隊だ。出動命令は出したが、今はその実戦力の半分以上をクーデター鎮圧にとられている。遠野が使える手駒は少ない。最近、こんな事ばかりだ。

「一番厄介なのは」

 COPYの行動が気になった。一体何を考えているのか。天才的な知能を持っていた一人の青年のDNAをそっくりそのまま受け継いだ者。今度こそ、軍に貢献する存在となるはずだった。だがこのままでは、また同じことの繰り返しかもしれない。なぜこうも上手くいかないのか。そんなことを考えていると、ノックの音がして秘書が入ってきた。

「ご報告いたします」

「……なんだ」

 薄暗い部屋の奥からでは、入り口にいる秘書の表情は見えなかった。


 ザバッ……と音を立てて戸塚と深山が顔を出したのは、岩場の波打ち際だった。見上げるほどの崖が目の前にある。楽をして登って行けるような所は一見して無い。この上に、彼らが目指す研究施設がある。

 船に乗っていたメンバーは、漁場へと向かうほかの漁船に紛れて少しだけ沖のほうへ出た。ボートが追っ手の目を引きつけている隙に、不自然に思われないぎりぎりのところまで研究施設のほうへ近づく。あらかじめウェットスーツを着込んだ深山たちは海へと飛び込んだ。そしてこの岩場へ泳ぎ着いたのだ。わずかに広がっている岩棚へ上がると、ウェットスーツを脱ぎ、インカムやカメラの準備をする。

「これ、登るんだよね……」

 戸塚が崖を見上げて顔色を青くする。そのとき、深山のインカムに通信が入る。

『そっちの具合はどうだ』

 都城の声だ。深山は小声で応える。

「今岩棚に着いたところだ」

『間に合った。あのね』

「透亜ちゃん??」

 急に入ってきた透亜の声に、深山は思わず聞き返す。

『崖の左側のほうに行ってみて。そこに隙間みたいなの見えない?』

「え、ちょ、ちょっと待って」

 深山は慌てて透亜の言うほうへ近寄る。岩棚から身を乗り出すようにして見ると、確かに岩の割れ目のようなものがある。

「あったよ」

『そこ入っていくとちょっと坂みたいになってるところがあるの。崖登ってくよりは安全だと思う』

「そうなの?」

『うん……気をつけてね』

 交信を終えると、戸塚が首を傾げて深山を見ていた。


 透亜は都城と共に施設の正面入り口付近にいた。高台にあるため死角が少なく、慎重に進まなければならなかった。しかし想定よりも見張りの兵士は少ない。不審に思いながらも、都城たちは岩陰に隠れて深山たちからの連絡を待った。

 危険とはわかっていたが、都城は透亜を自分と同行させることにした。そのために予定を少し変更せざるを得なかった。本当は深山たちと一緒に都城も海に入り、そこから二手に分かれることになっていた。しかし体力のない透亜が岸まで泳ぐのは不可能だと判断した。細心の注意を払いながら、施設方面から死角になる岸を探して船をにつけることにした。

 透亜は分厚く重い防弾服も嫌がらずに着た。透亜が何よりも嫌がったのは、一人置いていかれることだった。都城たちと離れることを異常なほど恐れるのだ。それは、透亜が信頼できるのが、まだ都城たちだけだということだった。その気持ちもわかるから、最終的にこうして連れてきてしまった。

 深山たちからの連絡を待つ間、都城が危惧していたことがもう一つあった。それは囮となった牛窪たちのチームのことだ。彼らは都城たちが確実に施設に近づくために軍の追っ手の目を引く役目だった。この作戦で一番危険な役目と言っていい。先程までヘリのエンジン音や銃撃のような音が聞こえていたのだが、静かになった。上手く逃げ切っただろうか。漁師たちが集まる港付近まで戻れれば、それ以上追われることはないだろう。

 考えを巡らせていると、深山からの通信が入った。

『こっちも準備いいぞ』

「わかった。……突撃するぞ」

 場に緊張が走る。都城はインカムではなく透亜に向けて言う。

「正面入り口までまっすぐ走る。行けるか」

「うん」

「遅れるなよ。俺から離れるな」

 透亜は小さくうなずいた。それを確認して都城はインカムに向けて告げる。

「行くぞ。……3、2、1、GO」

 言うのと同時に都城は岩陰から飛び出していく。透亜はその後ろを離れずに走る。都城が身を伏せると透亜も倣う。走りながら、都城は肩にかけていたライフル銃を構えるなり撃ち放つ。入り口のガラスが派手な音を立てて割れていく。その間を抜けていくように、二人は中へ突っ込んでゆく。


 同じ頃、羽久野は自分の研究室にいた。物騒な物音がどこからか聞こえてくるのを羽久野は聞いていた。この部屋の窓からでは、今起きていることを見通すことはできない。

 いよいよ来るべき時が来たのだと、羽久野は静かに思っていた。六年前のあの日―風人が透亜を脱走させた時とは別の意味で、心の奥が冷たくなっていくのを感じていた。それは、羽久野が風人から託された役目の終わりを意味している。何故だろうか。あの頃は恐ろしくて仕方のなかったことも、今は冷静に見つめることができる。一つの思いが今結実しようとしているからだろうか。

 実は、都城たちを援助するために羽久野がしていたことは、ただ軍の情報を流すということだけではなかった。それ以外にもう一つ、重要な役目があった。それは、今軍が手を焼いているクーデターを陰から扇動することだった。いまや内戦ともいえるほどに事態が悪化したのは、羽久野が情報を少しだけ操ったことに起因している。しかし、そんな事を風人が指示できるはずはない。風人が生きていた頃には、クーデターの片鱗などなかったのだから。

 コンコン、とドアをノックする音がした。こんな時間に自分を訪ねて来る者などいないはずである。

「どうぞ」

 ガチャリとドアが開いた。そこにいたのは、特別治安部という軍内の法規を取り締まる組織に属する男だ。風人を「取調べ」と称する暴行で死亡させた人物でもある。

「僕がここへ来た意味、お分かりですよね」

 問われても、羽久野はただ冷たい目で男を見返すだけだった。


 深山と戸塚は、長いトンネルの奥にあった扉の鍵をレーザーカッターで壊していた。自分たちに近づいてくるように聞こえる足音は、しかし一体どこからしているのか、反響してよく分からない。

「開いた!」

 戸塚が小さく叫ぶ。二人は扉に体当たりするように押し開けて中へ転がりこんだ。それと同時にけたたましいサイレンの音が耳を突く。

 入った瞬間、二人は思わず足を止めた。目の前に広がっている異様な光景に、目を奪われたからだ。

 そこは半分岩壁の中だった。部屋が作られているほうだけ冷たいコンクリートの壁が続いている。湿気がひどく、かび臭い匂いが鼻をつく。刑務所の牢よりなおひどい。人が住むような環境ではない。カメラを回している戸塚の手が震える。思わずその手を下ろしたとき、インカムに通信が入った。

『伏せないで』

「……加澄さん」

『お願い。……真実を伝えて』

 その言葉の切実な響きに、戸塚は再びカメラを向ける。その時。

「伏せろ!」

 深山が叫ぶのと、銃弾が頭上を掠めるのがほぼ同時だった。相手はトンネルの外からやって来た。三人いる。深山は一番近くの男の足めがけて撃った。一発目はかわされたが二発目が命中する。一瞬ひるんだその男に回し蹴りを食らわすと男は倒れたが別のところから銃声がした。しかしその弾はあらぬ方向にそれた。

 撃った男に戸塚がタックルを食らわせていた。もう一人の男が深山を狙い撃つ。弾は左腕を掠め、血を飛ばした。戸塚はタックルをした男の動きを己の体で封じ、その鼻を肘で強く打ちつけた。残った一人が戸塚を狙ったがひざを折って倒れる。後ろから深山が入れた蹴りがヒットしたのだ。身を翻して向かってくる男のみぞおちに深山は拳をしたたかに打ちつける。うめき声を一つ出して男は倒れた。

 息を上げて戸塚は深山に近寄る。

「なんか……呆気なかったね」

 それが戸塚の印象だった。三人を二人で相手したというのに、こんなにあっさり倒せてしまうとは。

「精鋭じゃねーって事だろ。囮が効いたのかもな」

 深山も息を整える。

「とにかく急ぐぞ。俺たちにゃまだやることがあるんだ」

 湿った廊下の中で二人は再び動き出す。


 都城と透亜は正面入り口を突破し、ただひたすらに走っていた。襲ってくる者をライフルで蹴散らし、施設の奥へと進んでゆく。都城は行く手に階段を見つけると、そちらへ向かった。その時。

「うっ……!」

 後ろで呻き声がした。

「どうした!?」

 問うのと同時に振り返り、その瞬間都城は時が止まったように動けなくなった。

 透亜の背後に、白衣姿の少年が立っている。それは、あの時見た風人の姿をした少年だった。奇妙な顔で笑っている少年の腕から一本のテグスのような透明なワイヤーが伸び、それが透亜の首に巻きついている。

「透亜!」

「動かないでくれる?」

 駆け寄ろうとする都城に銃口を向け、少年は感情のない声で告げる。

「動いたら、この子殺しちゃうよ?」

 透亜の首にワイヤーが食いこんでいる。

「お前は……一体何者なんだ?」

 都城の口から無意識に言葉が出る。少年はさげすむような目でこちらを見る。

「忘れたの?僕のこと」

 わざとそうしているとしか思えないくらい、少年の言葉は癇にさわった。

「ふざけた面さらしやがって」

 怒気のこもった声を聞いても、少年はどこ吹く風といった様子だ。

「僕の存在は、軍に正式に認められてるんだ。亜伽原 風人研究員として」

「この期に及んで、まだ風人を愚弄する気か」

「愚弄?何で?」

 軽蔑した笑みをたたえた少年に都城は殺意に近い怒りを覚えた。銃口を向けると、少年は透亜を盾にしてさも面倒そうに言う。

「武器捨ててくれないかなぁ。この子のこと大事なんじゃないの?」

 少年がワイヤーを引く力を強める。ぐっ……と苦しそうな声が透亜の口から漏れる。都城は背中を冷たいものが走るのを感じながら、身につけていたライフルを床に置き、少年のほうへ蹴る。少年は都城を見たままそれを拾い上げると、おもむろに左後方へと投げた。そしてそのまま透亜の手をとり、身を翻して同じ方向へ走り去っていく。

「っ……!」

 後を追おうとした刹那、銃撃が都城を襲った。


「開いた!先行ってるぞ」

 レーザーカッターで最初の扉の鍵を壊した深山は、戸塚を置いて次の部屋へ向かった。戸塚はカメラを構えながらその重い扉を開けた。

「え……?」

 思わず戸塚は声を出した。コンクリートでできた部屋の一角に台があり、そこに何かが横たわっている。

「うぅ……おぇ」

 それは身を丸めて苦しそうに呻いている少年だった。病院で患者が着るような白い服が、ところどころ赤黒く染まっている。戸塚は少年に近寄ると、恐る恐る声をかける。

「大丈夫?」

「ぐぁ……おぉ……ぅあ!」

 いきなり少年は戸塚の胸倉に跳びかかってきた。戸塚は思わずのけぞったが、少年は戸塚の服を掴んだだけで、襲ってくるわけではなかった。血走った目が、何かを訴えるように戸塚を見ている。

 よく見ると、少年は傷だらけだった。服からのぞく腕も足も顔も、無数のあざに覆われて赤や青や黒に変色してしまっている。胸元には引っかいたような傷が何本も走り、まだ出血しているものもある。それは苦しさのあまり自分で掻きむしったような跡だった。息を荒くつきなら、少年は身をよじるような動きをする。何かに必死に抵抗しているように見えた。

―助けて。

 そんな声を、戸塚は聞いたような気がした。いつの間にか戸塚の頬を涙が伝っていた。

 この子は、一体どれほど辛い目に遭ってきたのだろう。それを思いやると、悔しさで涙が溢れた。彼らは、言葉を奪われている。万が一にも、軍の外に情報を漏らさないように。人間としての尊厳を何一つ与えられず、抵抗する術を奪われて、監獄の中で機械的に育てられた少年たち。

 戸塚は少年をそっと抱えて言った。

「大丈夫。僕らは君たちを助けに来たんだよ。もう大丈夫だから」

 その時、隣から大きな音がした。戸塚は少年をひとまず横にならせると、隣の部屋へ向かった。

 その部屋では、深山と少年が激しい攻防を繰り広げていた。無表情で襲ってくる少年の拳を深山は何とかかわす。こちらから攻撃するわけにもいかず、深山は苦戦していた。

「埒があかねぇ」

 深山は少年の懐深くにもぐりこんだ。しかし足を払われて後ろに倒れる。上から襲ってくる拳を深山はかろうじて足で受け止めると、その弾みで後ろへ跳んだ。

「悪りぃな」

 次の瞬間、よろけて隙のできた少年のみぞおちに拳を突き入れる。戸塚の出る幕もなく、少年は気を失っていた。

「ほら、さっさと次行くぞ」

 深山と戸塚はさらに次の部屋へ向かった。


 風人の顔をした少年は、透亜の腕を引っ張りながら早足でどこかへ向かっていた。首に巻きついたワイヤーは緩められて息苦しくはないが、透亜は胸のあたりが重く感じられた。都城は無事だろうか。深山たちはどうなったのだろう。自分は、これからどうなるのだろう。

 廊下の奥の階段を下り、少年は一つの部屋に透亜を引き入れた。わりと広いが、窓のない暗い部屋だ。その部屋の片側には、ぼんやりと青白く光る物体が一面に並んでいる。光は、物体の一つひとつから漏れていた。その物体の中には水が満たされており、そこに拳二つ分ほどの大きさのものが浮かんでいる。透亜はそれを見て思わずのけぞった。それは胎児だった。ここはまさに、人間の培養が行なわれている部屋だったのだ。

「ここまで来れば大丈夫だね」

 ふと少年はつぶやいた。そして透亜のほうを向いて微笑む。その笑顔の意味をとりかねて透亜は眉をひそめる。しかしそれに構うことなく、少年は首に巻いたワイヤーを解いた。

「ごめんね。痛かった?」

 気遣わしげな表情で首に触れようとした手を、透亜は思わず払った。少年の言動が、どうも理解できない。少年は少しびっくりしたように眉を上げて、急に真面目な顔をする。

「手荒なことして悪かったと思うけど、これは君のためなんだよ」

「私の、ため?」

 透亜はますますわけがわからず問い返す。

「君はだまされてるんだよ。あいつらに。それで連れて行かれちゃったんだ」

 少年は透亜の目を覗きこんでくる。透亜とは対照的に嬉しそうな笑顔を浮かべている。

「でも、帰って来てくれた。僕のところに」

「え?」

 その少年の笑顔を見ていた透亜は、ふと彼が持つ違和感に気づいた。見た目には自分と変わらないくらいの歳に見えるのに、その言動がずっと幼稚なのだ。表情がころころと変わることも、自分がしていることがすべて正しいと思い込んでいることも、どこか子供じみて見えた。

「……あなたは、誰?」

 透亜の問いに、少年の笑顔が固まる。

「誰……って、風人だよ。忘れちゃったの?」

 その発言に、透亜は薄ら寒いものを感じた。もしかしたら、この少年は本当に自分が風人だと思い込んでいるのではないか。誰かに、そう思い込まされているのではないか……。

「風人は、死んだんだよ。6年も前に」

 透亜は落ち着いた声で、できるだけゆっくりと告げた。すると、少年の笑顔がだんだん崩れていく。

「そうだよ。……僕の元の風人は、死んだ。だから僕がここにいる」

 少年の声が震えている。

「だって!出来損ないだったじゃないか。ちゃんと役目を果たせなかったじゃないか。僕はその代わりに、そいつが出来なかったことをしてるだけだ」

 その目がすがるように透亜を見つめてくる。震えながらも、必死な声で訴えてくる。

「僕たちは一緒なんだよ。ここで生まれて……ここでしか生きる価値なんてない。だから……」

 パシンッという甲高い音がした。聞くに堪えかねて、透亜の手が少年の頬を打った音だった。少年はびっくりして透亜を見る。

「私たちが一緒だと言うなら、こんなところで風人の名を騙らないで」

 その静かな声には、行き場のない怒りの響きが含まれていた。その怒りは、少年に向けるべきものではない。この少年は、確かに自分と一緒かもしれないと思った。そう思うと、怒りよりも強い悲しみが沸いてくる。透亜は諭すように静かに語りかける。

「誰も、誰かの代わりに生きることなんてできないんだよ。見た目は同じになれても、中身まで同じにはなれない。それは誰より、風人がよくわかってた事なんだよ。あなたは、風人にはなれない」

 怒りを向けるべきなのは、この少年ではない。こんなことを彼にさせる誰かだ。

「……じゃあ僕は、生きてちゃいけないの?」

 叩かれた頬を手で覆い、かすれた声で少年は言う。

「僕が風人になれなかったら、僕がいる意味なんてないよ」

「意味なんて、人に与えられるものじゃないよ。自分で見つけるの。皆そうやって生きてくんだよ」

 それは、都城たちと生きる中で透亜が得た実感だった。そしてそれが―透亜自身が自分で生きる意味を見出していくことが、風人の願いでもあった。目の前の少年にも、それをわかって欲しかった。

「私たちと生きたいと思うなら、風人の名前を捨てて。風人の名を騙らなくたって生きていける場所で、自分で意味を見つけられる場所で……一緒に、生きていこうよ」

 透亜は真剣な目で少年を見つめる。その目を少年はまっすぐに見つめ返す。

「……僕は」

 バン!……という耳をつんざくような音がして、時が止まった。止まった、というよりも、切り取られ、壊れてしまったようだった。

 目の前の少年がびくっと体をのけぞらせる。目は焦点が合わずに虚空を向く。そしてスローモーションのように、ゆっくりとひざを折ってその場に崩れてゆく。透亜はとっさにその体を支えようと腕を伸ばす。そしてそのまま少年を抱えるように座りこんだ。……撃たれたのだと、その段になってようやく理解した。

「ねぇ……ダメだよ」

 動揺で震える声を透亜は己の耳で聞いた。後頭部から血が流れ出ている。

「倒れちゃダメ。こんな所で倒れちゃダメだよ」

 少年の目は見開かれ、もう何も映してはいない。体はまだ温かいのに、もはや拍動の一つも感じられない。

 透亜は少年が撃たれた先の方向にゆっくりと目を向けた。いつの間にか開けられた扉の先に、こちらに銃口を向けた男が立っている。現軍総監、遠野 誠だ。遠野は感情の見通せない顔で透亜を見ていた。

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