4.疑惑
「深山、例のもの手に入ったぞ」
「おう、サンキュー」
彼らが暮らしている一軒家の前に軽トラックが止まる。それは都城が自ら運転してきたものだ。荷台には青いビニールシートをかけられた大仰な荷物が載せられている。「例のもの」とは、深山が探していた簡易CTだ。
都城たちがアジトを移ってから、季節が一回りしようとしていた。吹きすぎていく風は日に日に暖かさを増し、それにつれて野山の花々も色鮮やかに咲き揃っていく。土手に咲くそれらの花をいくらか摘んで、都城は裏手の山へと分け入っていく。
この辺りが人里だった頃には里山として人の手が入っていたこの裏山も、今となっては荒れた森に姿を変えている。いたるところに倒木があり、人々が薪などを切り出すために使っていた道も、跡形なく下草にうずもれてしまっている。下草は大きいものだと都城の背丈ほどもある。そんな足元の悪い中を進み、都城は開けた場所に出た。
そこはかつて神社があった跡地だ。今は鳥居も社も崩れてしまっているが、分厚く敷かれた玉砂利のせいか、わずかに開けた場所が残っている。木々に閉ざされた闇が開け、そこには光が差し込んでいる。奥は山肌で、眼下に都城たちが生活している寒村を臨める。都城はその奥まで歩いて行き、小さな祠のようなものの前で立ち止まる。そしてその前に跪き、摘んできた花を供える。
「もうすぐ一年経つんだな……早いものだ」
それは都城が作った風人の墓だった。もちろん、そこに風人の遺骨が眠っているわけではない。これは都城が心のよりどころとして作ったものだ。都城はここへアジトを移動してからこれまで、風人との繋がりを失わないため、風人の霊を慰めるため、この場所に通っている。
都城たちの根城としている家に戻り、玄関のドアを開けると、都城は一瞬動きを止めた。
「……そこでやってたのか」
玄関から家の奥へと続く廊下に、深山たちの姿があった。深山はいっぱしに白衣など羽織り、台所側でこちらに背を向けてあぐらをかいている。その横にはベッド用のマットが敷かれ、その上に透亜が寝かされている。奥の畳の部屋の引き戸が開いていて、いろんなコードが中に引き入られている。中のパソコンを前にして何やら操作しているのは戸塚だ。
「電源とスペースの関係だ。仕方ないだろ」
「別に悪いとは言ってない」
聴診器に集中しながら深山がぼやく。寝かされている透亜の頭のあたりに大きな長方形の物体がある。それが、都城が手に入れてきた簡易CTだ。簡易というだけあって随分とコンパクトなものだ。その分X線の照射が弱く、鮮明な画像は得られないが、それでもある程度脳の状況を把握することはできる。
「戸塚!画像そっちモニター出来てんのか」
「大丈夫だよ」
半ばうんざりしたような声で、パソコンの前に座る戸塚が返事をする。深山はいつもこうなのだ。集中しなければならない局面では機嫌が悪くなる。その矛先となるのはいつも戸塚だ。深山は自分の脇に置いたケースから消毒剤と注射器を取り出し、透亜の腕から採血する。
検査が終わり、深山が戸塚のいる畳部屋へ入ってパソコンの画面を見る。その様子を玄関でずっと見ていた都城もその後に続く。透亜は検査のうちに寝てしまったのか、起き上がる様子はない。
「大方予想通りだなぁ」
ぼそりと深山が呟く。画面に映し出された脳の画像には、部分的に影のようなものが見える。その影は脳の前側にうっすらと広がっている。
「こんなに広い範囲がやられてるのか?」
都城が訝しげな声で深山に尋ねる。
「思ったより画像が荒いな……この影が全部障害を受けてるってわけじゃねぇ」
「これで何が分かったの?」
今度は戸塚が小声で聞く。
「まぁ予想してたことだが、障害を起こしてるのは前頭葉の言語野に限られてるな」
深山がその画像の部分を指で示す。
「どういうこと?」
「ここは言葉を喋る機能を司る場所で、言葉を理解する場所は別にある」
そう言って今度は別の場所を示す。
「この部分に異常はねぇから、俺らの言ってることを理解できんだ。言語障害でも、回復が見込める」
「透亜ちゃんの障害は先天性のものなの?」
「十中八九、後天性だ。しかも人為的なもんだ。損傷の仕方が不自然だからな」
淡々と状況を説明する深山の姿は医者そのものに見える。
「でも、今ちょっと喋れるよね?完璧じゃないけど」
「人間の脳ってのは、失われた機能を他の部分が果たすことがあるらしいからな。この娘の場合、既に代わりの回路ができ始めてんだろ」
しかし深山は正式な医師免許は持っていない。国家機関である病院に属していないからだ。しかも深山は医学部を五年で中退した身である。ちなみに脳外科は彼の専門外だ。それでも中退後に独学で身につけた知識や彼の仲間から得た情報をフルに活用し、こうして医者のようなことをやって格好が付くほどではある。
その時、ガタンと大きな音が廊下から聞こえた。三人はびくりと廊下のほうを振り返る。見ると、透亜が半身を起こしたまま動かずにいる。
「……透亜ちゃん?」
心配そうな声で戸塚がその名を呼ぶ。しかし何の反応もない。不審に思った深山が透亜の正面に回りこんで、ぎょっとのけぞる。透亜はぼんやりした顔をして、その目をうつろに開いている。
「どうした?大丈夫かい?」
深山が肩を掴んで体を揺らすが、そちらに目を向けるそぶりも見せない。都城と戸塚も透亜に近寄り、その顔を覗き込む。焦点の合わない目は虚空をさまよっている。深山はすぐに透亜の脈を測ったり、瞳孔に光を当てたりする。その間も透亜は起きているかどうかも怪しい様子でぼんやりと座っている。熱をみるために深山が耳の下辺りに触れたとき、透亜はぽつりと呟いた。
―帰らなきゃ。
「え?」
三人の男たちは互いに目を見合わせる。
「帰るって、どこに?」
戸塚が尋ねるのにかまう様子もなく、透亜は深山の手をやんわりと押しのけておもむろに立ち上がった。そして何も見ていないような表情のまま、玄関のほうへ歩き出す。
「ちょっと待て」
都城が引き止めようとその肩を掴む。すると透亜はその体からは想像もつかないような力でそれを振りほどこうとする。大の男が振り払われそうになるのを見て戸塚が加勢する。深山はその間に、何を思ったのか自室へと駆け込んでいった。二人の力で何とかとどめている透亜は、少し背中を丸めるような動作をする。次の瞬間、服のスリットから背中の翼がバサッと空間に解き放たれる。翼はすさまじい風を家の中に巻き起こす。翼は透亜の力を後押しするように羽ばたいて、二人の男を振り払おうとする。
「うわっ!?」
思わず戸塚は手を放しそうになった。その時。
「お前らしっかり抑えてろよ!」
深山が何かを持って部屋から飛び出してくる。戸塚も何とか体勢を立て直し、透亜の体を抱えるように押さえる。深山は都城と戸塚の間に入り、握りしめた拳を透亜の肩に叩きつける。一瞬びくっと透亜の体が震えた。そのまま押さえるようにしていると、やがて開いていた翼はだんだんと閉じていき、体の力が抜けていくように透亜はその場にひざを付いて座り込んだ。三人の男たちはそれと同時にぐったりと座り込む。
「……何、したの?」
切れる息を抑えながら戸塚が問う。
「応急処置だ」
深山は握った手のひらを開いてみせる。そこには小さい試験管のようなものがあった。これは針のない注射器で、叩くようにすると中の薬剤が注射される。開発当初は糖尿病などで患者自らが注射を打たなければならないような場合に用いられていたが、後に救急現場などへも応用されている。深山が今使ったのは、鎮静剤の一種だ。
「強い薬であまり使いたくなかったんだが……仕方ねぇ」
透亜はさっきのことが嘘のように動かなくなった。鎮静剤が効いたようだ。
「一体、なんだったんだ?」
都城が誰に尋ねるともなく呟く。
「よくわかんねぇが、起き上がった時からなんだか様子が変だった。目がうつろで、夢遊病みてぇに……」
深山は顔をしかめてぐしゃぐしゃと頭をかく。
「考えてたってキリがねぇ。俺は血液の解析をする」
そう言い残すと、深山は再び自室に入っていった。残された二人は透亜を覗きこむようにして見る。透亜は目を閉じ、静かな寝息を立てて再び眠ってしまったようだった。
深山が引きこもった自室から飛び出してきたのは、一時間ほど経った時だった。廊下には再び眠ってしまった透亜が寝かされ、その両脇に戸塚と都城が控えている。急に深山が部屋から出てきたので、二人が同時にその方を見る。
「どうした?」
怪訝な顔で都城が問う。深山の顔は日中の柔らかな日差しの下で明らかに青ざめている。
「……透亜ちゃんの血液の中から、妙なもんが見つかった」
「妙なものって?」
戸塚も心配そうに顔を曇らせる。
「最初見たときは何かウィルスかと思ったが、細胞核が見あたらねぇ。極小で金属性を帯びた無生物が、大量に血に混じってやがる」
「……何それ」
戸塚は眉間にしわを寄せる。都城も似たような表情で黙って深山の話を聞いている。
「思い当たるものが、一つだけある」
静かに語る深山の目はどこか遠くを見つめるように動かない。心ここにあらずの感情がこもらない声で続ける。
「俗にA.Aと呼ばれる、人工のウィルスだ」
「人工のウィルスって?」
深山はそのA.Aについて説明した。
A.Aは一見、単細胞生物のように見える金属の微細粒で、人間の免疫機能では排除することができない。注射などを介して人為的に直接血管の中に入れない限り体に取り込まれることはないが、そのかわり一度血液中に入ってしまうと延々と体の中をめぐり続ける。これらに外部から特定の電磁波を当てることで、体にさまざまな異常を引き起こす。一昔前にある国で刑期中の犯罪者に使用されたことで明るみに出たこの人工ウィルスは、当時全世界を揺るがす騒動を起こした。神経毒にも似た作用があることがわかり、現在はA.Aの使用はもとより、その研究や所持も国際的に禁止されている。
「そんなものが、血液の中にあったってことは……」
「まだこれが本当にA.Aって確証はねぇが、もしそうなら軍がその禁忌に手ぇ出したってことだ」
「何でそんなものを……」
「軍の奴らにゃいくらでも利用価値があるんだろうよ。何かの実験に使われたのかもしれん。……だが、今問題なのはそんなことじゃねぇ」
深山は眠っている透亜に目をやる。その表情は穏やかに見える。
「A.Aが使用禁止になった時、問題になったことが二つある。一つは神経にも作用する強毒性だ。幻覚や精神障害を引き起こす。もう一つは、その汎用性だ」
「ハンヨウセイ?」
「用途によっていろんな機能を持たせることができるってことだ。痛みや疲れを感じさせなくしたり、マインドコントロールに転用できる。俺は、さっきの透亜ちゃんの奇行が気になってる」
「関係があるってこと?その、A.Aと」
深山は小さくうなずく。確証はなくとも、戸塚も深山の話から状況を推察することはできた。
「でも、だったら何で今さら作用が現れたんだろうね」
少なくともこの一年近くは異常がなかったのだ。戸塚の疑問はもっともだった。
「タイミングからしても、さっきのCT検査が引き金だろうな。あの時浴びた電磁波が偶然合っちまったんだろう」
「ってことは、もうさっきみたいなことは起こらないの?」
「さぁな。こればかりは経過を見ねぇと分からん。……何も起きねぇことを祈るだけだ。あの鎮静剤はあまり使いたくねぇ」
「そっか。……あれ、都城は?」
戸塚はふと顔を上げる。さっきまでここにいたはずの都城の姿が見あたらない。戸塚と深山が話し込んでいる間にどこかへ行ったのか。
「蒸発はあいつの十八番だ。気にしたってキリがねぇよ」
都城はこうしてふとどこかへ姿を消すことがある。考え事をする時に、一人になりたがるのだ。今回も突然妙なことになって、今頃どこかで自分なりに考えにふけっているのかもしれない。
「もしかして、だけどさ」
長い沈黙を戸塚が破る。深山は眉間にしわを寄せたまま戸塚の顔を覗く。
「たとえば、透析とかでそのA.Aとかいうのを漉し取ったりはできないの?」
「医療機関にかかれればな。実質そんなこと無理じゃねーか」
透亜は軍に追われている身だ。国の医療機関にかかれば、こちらからその身を差し出しているようなものだ。
「〝地下〟で何とかならないの?」
「そんな設備は持ってねぇよ」
〝地下〟とは、非正規の医師団のことである。活動の拠点となる事務所兼診療所を、人目に付かない地下に構えていることからそう呼ばれている。国の医療機関がすべて軍部の配下にある現在において、日本で唯一の軍が関与しない医師の団体で、主にホームレスなどの無保険者を対象に医療行為を行なっている。非正規とはいえ確かな能力を持った集団で、社会の底辺を支える存在だ。ちなみに深山もその一員として働いている。ただこの〝地下〟は非政府団体で国からの補助などは一切受けられず、慢性的な資金不足状態にある。普通の医療機関で使われているような大規模な設備を導入できないのが目下の課題である。
「また都城に何とかしてもらうか……」
その時、バン!と大きな音を立てて玄関の引き戸が開けられた。びくっとして二人がそちらを見ると、そこには都城が立っている。
「何だよ都城、脅かすなよ」
肩をすくめる深山に対し、都城はなぜか肩で息をし、目を見開いている。
「どうした?」
様子がおかしいことに気づいた深山が尋ねると、都城は小さな声で呟く。
「生きてるんだ」
「え?誰が」
「風人のアカウントが、生きてるんだ」
「何だって?」
深山は都城の手元を覗き込む。戸塚もつられて玄関へとやってくる。
都城が手にしているのは、小型の通信用端末だ。これも戸塚が既製品から基盤などを組み替えて作ったものだ。その画面にはツイッター状のものが映し出されている。これは「フェイクフォロー」というもので、都城が風人との交信に使っていたものだ。ネット上で交信される情報は、現在はすべて検閲されている。ところがこのシステムを使うと、外部からの検閲には実際の内容とはまったく別のものが表示される。それぞれの情報は発信者と送信者のアカウントで管理され、他者が盗もうとしても同じことが起きる。そのため交信された本物の情報は、発信者と送信者しか見ることができない。都城たちはさらに万全を期すため、都城と風人しか知らない暗号を使っていた。
しかし、画面に映されているのは風人のアカウントを使って、つい先程送信されたものだった。そこに並んでいる、意味を持たない漢字の羅列。
「都城、これって」
「ああ。俺たちが使っていた暗号だ」
それは紛れもなく、都城と風人が使っていた暗号だった。
「それで、何て書いてあんだよ」
深山がイライラと急かすように問う。都城は端末に目を落としながら応える。
「サンプルからの信号を受信した、と」
「は?」
サンプル、というのは透亜のような培養された人間の、軍での呼び名だ。都城はさらに続ける。
「発信元を特定できないように情報は操作しておくが、限界がある。このメッセージを確認次第、すぐに連絡が欲しい」
「どういう事だよ」
三人は顔を見合わせる。その時、深山がはっと気づく。
「A.Aか!」
「A.A?」
聞き返してくる都城に、深山は先程戸塚に聞かせたことをかいつまんで説明する。
「多分そのA.Aに、信号を発するようにプログラムされてんだ。だから今、それを受信したと……」
深山の話を聞いて、都城にも思い至る節があった。透亜を脱走させる際、風人は透亜に埋め込まれていたICチップを取り除いている。ICチップには個体としての透亜の情報が記載されており、施設の要所に付けられているセンサーに反応してしまうからだ。それを取り除くことで十分時間稼ぎができるはずだった。しかし実際は、追っ手が予想よりはるかに早くやってきた。計画では風人自身も身を隠すことになっていたが、とてもそんな時間はなかった。ICチップではない何かが発信していたのであれば、そのことにも説明が付く。
「一体これ、誰なんだろうね……」
戸塚がポツリと呟く。風人のアカウントを使い、風人の暗号を使いこなす人物。しかしその文面からは、風人らしさは感じられない。その言葉に都城が答える。
「十中八九、軍の人間で間違いないだろう」
「じゃあ何で、こんなことを僕らに知らせてくれるのかな」
「これ自体、何かの罠ってことじゃねぇか?」
深山が口を挟む。
「A.Aからの発信は確認したものの、実際はその場所まで特定できねぇ。それで俺たちにカマかけて、居場所を特定しようってハラなんじゃねぇの」
「そうなのかな」
戸塚が気弱な声で言う。
「この人が僕らを助けるために、情報を流してくれたってことはないのかな」
そういう戸塚に都城と深山のきつい目が向く。すくんでいる戸塚に都城が無情な言葉を告げる。
「軍内部の人間で、風人のアカウントを使っている人間が、味方のわけないだろう。あいつらは、風人を殺したんだ」
「そう……だよね」
「あーっ!畜生!何で今さらこんな事になんだよ」
軍への怒りを燃やす都城、悲しそうに肩をすくめる戸塚、拳を握って悔しさに耐える深山。それきり、会話は途切れる。三人とも、この状況を好転させる策を持たなかった。
どれほどかそのまま時が過ぎ、三人は我に帰る。都城の持つ端末が、再びメッセージを受信したのだ。三人は戦きながらもその小さな画面に注目する。
「……今度は何だよ」
覗きこんでも、深山と戸塚にその内容は分からない。またも都城たちの使っていた暗号で送られてきたからだ。その内容を目で追う都城の顔から血の気が引いていく。
「サンプルからの信号を再受信。このまま発信が続けば現場の特定につながる。発信源を断つ方法を付記するのですぐに実行して欲しい。実行されない場合、その後の安全は保障できない」
都城が読み上げる文面を聞いて、深山と戸塚は顔を見合わせる。この情報を、一体どう受け取れば良いのか。ここで間違った判断をすれば、彼らは透亜を失い、何もかもが水の泡になってしまう。焦りと苛立ちが、判断の邪魔をする。
「今、ひとつ言えることがあるとするなら」
重い口を開いたのは都城だった。
「このまま何もしなければ、事態は確実に悪化するということだ」
苦虫を噛み潰したような顔で都城は言う。だがそうと分かっていても、有効な打開策が出てこない。
今頃軍は、この手がかりをきっかけになんとしても透亜を見つけようとしているだろう。軍の側に分があるように思えた。
「……教えろよ。書いてある方法っての」
静かな声で深山が言う。都城は驚いたように深山を見る。
「試すのか」
「ああ」
「危険な賭けだぞ」
「分かってるよ!そんな事ぁよ!」
深山はイライラをぶつけるように都城に突っかかる。戸塚が深山を止めかねておろおろする。
「俺たちに今何ができるってんだよ。賭けだろうが何だろうがやるしかねぇじゃねーか!」
「……わかった」
息巻く深山を制止して、半ば諦めたように都城は応える。
「とにかく今できることをやろう」
作業は三時間に及んだ。送信者が指示してきたことを全てこなした時には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「うまくいったのかな」
「さぁな」
戸塚と深山はパソコンの前にへたりこんでいる。特に戸塚の疲労はひどかった。発信源を断つ方法というのが、A.Aに組み込まれたプログラムを書き換えるというものだったからだ。
透亜は、あれから一度も目を覚ましていない。都城はその横で通信端末の画面を睨みつけている。こちらからメッセージを送信してはいないが、あの後には新たな受信もない。
三人ともが疲労に身をゆだねていると、しばらくして透亜が目を覚ました。半身を起こしたことに気づいた三人が注目する。深山と都城は万一に備えて身構えている。
―……?
しかし透亜は寝ぼけてでもいるように辺りを見回すばかりで、先ほどのような異常な行動をとる素振りは見せない。そんな透亜に戸塚が微笑みながら話しかける。
「目、覚めた?」
それまで焦点の定まっていなかった目を戸塚に向けて、透亜はこくりとうなずく。
「僕たちが誰か、分かる?」
そう問われて、透亜は首を傾げる。なぜそんなことを聞くのかと言いたげだ。
―風人の、友達。
それを聞いて深山が思わずぷっと吹きだした。
「風人の友達か。違ぇねぇや」
深山は緊張の糸が切れたように笑い出す。それにつられるようにして戸塚と都城も笑い出す。結局三人とも、何がそんなにおかしいのか自分でもよく分からないまま、転げまわるように笑い続けた。今はもう、作業がうまくいったのかなどどうでも良いように思えた。その輪の中心にいる透亜だけが、よく分からないままぼんやりと座っていた。
2134.10.5 23:04
都城君、俺の感覚がズレてるんだろうか。
この施設が目指しているものが、俺には理解できない。
おかしいと思うんだ。
だって、普通の人間なんだよ。
俺たちと何が違うんだ?
どうして実験動物みたいに扱われなきゃならないのか、理解できないんだ。
2134.11.28 22:46
都城君、お願いがある。
俺の考えてることに、協力して欲しい。
俺はどうしても透亜を守りたいんだ。
そして、これは希望でもある。
透亜だけじゃなく、他の者たちをも助けることにつながるはずだ。
その希望を、都城君に託したい。
2135.2.7 0:15
俺のことは心配しなくていいよ。
それよりも問題は透亜のことだ。
だけど、それはこっちで何とかするから。
都城君、お願いだ。
この計画は、この国に失望してしまわないための、最後のとりでなんだよ。
夜が明けた。外は雨でも降っているのか、時間のわりに薄暗いが、昨日のような喧騒の気配はなく穏やかな朝を迎えていた。
結局三人はひとしきり笑った後、その場に倒れこむように寝入ってしまっていた。はじめに起きたのは都城だった。いの一番に廊下のマットの上を確かめた。そこには変わらずに透亜が寝ている。そして今都城は、寝るときも手放さなかった通信端末の画面を見つめている。意味を成さない漢字の羅列。それは過去に風人が送ってきたメッセージだ。
「どうしたんだよ」
次に目を覚ました深山が都城に声をかける。深山は目をこすりながら都城のほうへ近寄り、その手元を覗きこむ。新たな受信はない。
「結局、誰だったんだろーな」
ポツリと深山が呟く。その人物が軍の関係者であることはほぼ間違いないだろう。それなのに、軍からの追っ手がやってくる気配もない。透亜の奇行とメッセージ受信のタイミングからしても、あの時軍に何らかの情報が伝わってしまったと考えるのが自然だ。もしそうであれば、透亜の行方を必死に掴もうとしている筈の軍がこんなチャンスを逃すわけがない。発信元を特定する過程で何らかの問題が起きたのか、それとも……。
「お前は、一体何者なんだ。風人の名を騙った、軍内部の人間ってのは」
都城の独り言が、朝の静寂に溶けていった。