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Another Sky  作者: 須藤鵜鷺
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8.決戦〈後編〉

「自分から戻ってくるとはな」

 低く静かな声で遠野は言う。透亜は動かなくなった少年の体を抱く腕に力をこめる。

「どうして」

 かすれた声で透亜はつぶやく。のどが締め付けられたように苦しい。それでも、声の限りで叫ぶ。

「人の命を何だと思ってるの!?」

 怒りを露にする透亜に対し、遠野は事もなげに言う。

「それは人ではない。ただのCOPYだ」

 息が止まるような気がした。遠野はさらに続ける。

「お前もだ、サンプルNo.526」

 遠野は壁際に並んだ物体を手で示す。

「お前たちは、等しくこの中から生まれてきた。母体ではなく、機械から生まれて来たお前たちが人間のわけがないだろう。外の奴らと共にいて、あたかも自分が人間だと錯覚したか」

 絶句して遠野を睨みつけている透亜に、さらに追い討ちをかける。

「いらないんだよ、失敗作なんか。作り直しなど造作もない。何度でも生み出してみせるさ。これがある限り」

 そして透亜に再び銃口を向ける。そのまま手の中で弾倉を繰る。感情のこもらない遠野の声が響く。

「お前も、ここで死ね。あの研究員が余計な真似をしてくれたおかげで、随分苦労したよ」

 遠野は風人の名前すら言わない。

「せっかくその才能を見込まれて入軍したというのに、結局何者にもならなかった。COPYまで揃いも揃って失敗作だった」

 透亜は頭の奥がズキッと痛むのを感じた。最後の最後に張りつめていた何かが、風人のことを言われたことで大きな音を立てて切れたようだった。目の前の男に対する吐き気にも似た憎悪がこみ上げてくる。

 透亜は少年の体を床に横たえ、立ち上がると遠野と対峙した。そして背中から一丁の掌銃を取り出す。それを両手で握り、まっすぐ遠野へ向ける。

「ほう……俺を殺すのか」

 遠野は透亜を試すように言う。

「銃など使ったことないだろう」

 体が信じられないほど震えている。透亜はそれを押さえるように腕に力をこめる。その一瞬の間に、透亜は加澄が言っていたことを思い出していた。

―うーん、あまり使えるものはなさそうね。

 加澄は、都城の元に行きたいという透亜のために、倉庫で武器を物色していた。

「これくらいかなぁ。持ってみる?」

 そう言って透亜の前に差し出されたのは、先程牛窪という青年が興味深そうに眺め、都城に取り上げられていたものだった。

「……重い」

「そりゃそうよ。それは人の命を取るものなのよ」

 透亜が目を上げると、加澄の寂しそうな顔があった。それでも加澄はその使い方を教えてくれた。

「こんなもの、使わなくて済むならそのほうがいいわ」

 加澄はふいに透亜を包むように抱きしめた。

「憎しみにとらわれてはダメよ。無事に帰ってくることだけ考えるのよ」

 それは優しくも苦しそうな声だった。

―ごめんなさい。

 心の中でつぶやいた。自分の衝動を抑えることができない。それは加澄のことも、自分を見守ってくれたすべての人をも裏切る行為に思えた。その優しげなまなざしが脳裏に浮かぶ。自分を育ててくれた風人、都城たち。

 醜い憎しみにとらわれていることもわかっていた。だがそれでももう後戻りできない。

 弾は、一発のみ。しかしこの手のひらサイズの銃には特徴があった。通常魚雷などに使われる追撃弾を小型化して使用している。銃自体は一見普通の拳銃と変わらない。

 後ろの小さなレバーを跳ね上げると赤外線が照射され、横に倒すとロックされる。

 遠野と透亜は、ほぼ同時に引き金を引いた。透亜はその衝撃で後ろに突き飛ばされたように倒れこんだ。その掌から放たれた弾は遠野に向かってまっすぐ飛び、その胸を撃ち抜いた。

 銃声がしてすぐ、ようやく追っ手を逃れた都城がその部屋にたどり着いた。

「……!」

 部屋の入り口で倒れている男を見て、都城は驚愕した。それは今軍のトップを任されているはずの男だ。

 都城は部屋の中を見て、透亜が倒れているのを見つけた。

「透亜!」

 その名を呼んで駆け寄る。そして都城はひざを折って透亜の体を抱き起こす。

「透亜、しっかりしろ」

 静かに語りかける。顔にかかる髪を払ってやると、透亜は腕の中でゆっくりと目を開いた。

 遠野が撃った弾丸は透亜の頭上を掠めるように飛び、わずかに外れて背後の壁に当たっていた。透亜自身には外傷はない様子で、都城はほっとため息をつく。

「大丈夫か?」

 都城の声はかすれている。透亜の無事を確認して安心してしまった。そして、それは透亜も同じだった。

「……どうした?」

 声もなく、透亜は都城を見つめている。その頬を一筋の涙が流れ落ちた。戸惑うように覗き込んでいる都城に思っていることを伝えたいのに、何も言葉にならない。ただ声にならない嗚咽が漏れるだけだ。もう苦しいのか悲しいのかもわからなかった。

 都城が抱き起こそうとすると、透亜は身じろぎしてそれを拒んだ。

「……透亜?」

 眉をひそめる都城に、透亜はようやく絞り出した声で言う。

「置いていって」

「……え?」

「もう戻れないよ。こんな私じゃ……」

 しゃくりあげてそれ以上は言葉にならなかった。都城はしばらく黙った後、透亜の頬を流れる涙を拭ってやりながら言う。

「そんなことできるわけないだろう」

 そこに責めるような響きはない。ただ優しく言葉を継ぐ。

「今は何も考えるな。ただ逃げればいいんだ」

 都城のその言葉には、ここから脱出すること以上の意味が含まれていた。

 現実を直視しては、生きていけない時がある。人には、逃げることでしか生きられない時がある。この部屋の状況から何が起きたのかを察していた都城は、それを透亜に伝えたかった。逃げてでも、透亜に生きて欲しかった。

「立てるか?」

 静かに問うと、透亜はようやくうなずいた。都城は透亜を立ち上がらせると、肩を抱くように支えながら走った。

 六年前まで施設にいた透亜も、建物の中をこんなふうに移動するのは初めてだった。養育されていた頃は、あの暗くじめっとしたコンクリートの壁の中で一日の大半を過ごした。部屋から一歩も出ない時さえあった。検査だの実験だのに利用されるときだけ外に出るような日々だった。

 先程少年に引っ張られて下りた階段を上ると、長い廊下に出た。はじめに通った時はまだ暗かった窓の外が、日が昇ったことで明らかになる。その光景が目に入り、透亜は足を止めそうになる。

 そこには、赤黒い塊がうず高く積まれている。そしてその一つと、透亜は目が合った。それは人間の頭部だった。ほかにも骨や肉の塊が無造作に積まれている。それは、培養され殺された者たちの残骸だった。透亜は目の前が暗くなるような感覚に襲われた。

 その時、不意に透亜は頭を反対側に引き寄せられた。

「見なくていい」

 都城の手が、走りながらその頭を抱える。動揺する目を向けても、都城はただひたすら前を向いていた。

「お前は生きてる。それが大事なんだ」

 きっぱりとした声で言う。

「今は生きて帰ることだけ考えろ」

 透亜が小さくうなずくのを確かめて、都城は走るスピードを上げた。


「……ええ。そうなんです。困ったものですよ」

 遠野の執務室で、秘書は電話口の相手にそう言った。

「一体、何をお考えになっていたのか、私にも量りかねます」

 いつもの慇懃無礼な口調で秘書は続ける。

「とにかくこうなったからには、あなたにも早々に帰って来て頂かないと」

 そこには人間らしい温もりなどはない。ただ事務的な冷たい響きだけがある。

「どうかご無理なさらぬよう。……では」

 その言葉で秘書は電話を切る。そのまま大きな窓から外を眺める。鈍い色をした目に、昇ってきた朝日が反射した。その瞳の奥には、ただ深い闇が横たわっているだけだった。


 都城たちが施設の地下―培養された人間が閉じ込められている場所に辿り着いた時には、深山たちはすべての扉の鍵を壊し終えていた。今は二人で抱えるなどして、中の者たちを運んでいる。深山たちが最初に着いた岩場の海に、たくさんの救命ボートを従えた斉藤が待機している。

「無事だったんだね、二人とも」

「お互い様だ。まだ今のところな」

 体を止めずに安堵の声をかける戸塚に、都城も少しだけ表情を緩める。そしてその作業に透亜と共に加わる。

 施設の中と外を何度か往復した時に、異変は起きた。最後の部屋に都城が入ろうとした背後で、透亜がいきなり倒れた。

「どうした?」

 都城が駆け寄ると、透亜はうつ伏せに倒れて顔をしかめている。次の瞬間、ヒュッと風を切るような音がした。反射的に伏せた都城が顔を上げると、銃を構えた男が三人いる。気配が全くなかった。

 都城は男たちに向かって行った。弾丸が左腕と右足をかすったがそのまま突っ込み、真ん中の男の腕を蹴り上げる。次の瞬間両脇の二人の腹に拳を突き入れる。真ん中の男の銃が背後へ落ちた。しかし都城は両側の男に腕を掴まれる。

「都城!」

 先に行っていた深山の声がする。

「来るな!!」

 声の限りに都城が叫ぶのと、真ん中の男が手榴弾を投げるのが同時だった。一瞬の間の後、耳をつんざくような爆音と爆風が巻き起こる。都城は片側の男のこめかみに回し蹴りを入れた。そのまま体をひねって三人の男を横になぎ倒すと、真ん中の男が投げ出した銃を拾い上げ、脇に透亜を抱えて爆煙の中へ走り出した。


 深山はかろうじて爆発から免れていた。煙と共にトンネルを抜け出し、崖の下へと駆け下りる。

「やべぇぞ」

 少年を肩から下ろしながら深山は斉藤に告げる。

「追っ手だ。ありゃあ殺す気だぞ」

 斉藤と戸塚もこの場所で爆音を聞いていた。

「……もう出したほうがいいか?船」

 低い声で斉藤が尋ねる。その言葉を聞きとがめて戸塚が青い顔をする。

「ちょっと待ってよ。あの二人を置いてくって言うの?」

 戸塚の言葉に、深山は唸る。

「そりゃあ待ちてぇが、危険なのも確かだ」

 それは大きな岐路だった。ここで都城たちを待つことはできる。しかしその結果追っ手にこちらがやられれば、今までやってきったことがすべて水泡に帰す。

「……僕は待つよ。ここで」

「戸塚……」

「行くなら君たちだけで行ってくれ」

 いつに無く厳しい目で戸塚は深山を見返していた。戸塚がそんな表情を見せたのは、この時が初めてだった。緊張した空気が辺りを支配する。

 しかし、その緊張は不意にぷつりと途切れた。

「あ……」

 目の端に映ったものを追うように戸塚は空を見上げ、思わず声をあげた。それにつられて同じほうを向いた深山も、時を忘れたように動きを止めた。


 都城が走っている内に、透亜は気が付いた。身じろぎすると都城が声をかける。

「大丈夫か?」

「うん。平気」

 透亜は存外明るい声で答える。先程受けた銃弾は背中の翼に穴を開けていたが、体には当たらずに脇へそれていた。

 追っ手の足音もまだ聞こえてきていた。前方にはもうトンネルの出口が見えている。

「お前はこの先はよく知った場所なんだな?」

「え?うん」

 唐突な問いに、透亜は反射的に応える。トンネルを抜けた先にある、崖との間のわずかな平地は、まだ施設にいた頃に飛翔実験で何度か飛んだ場所だった。風人の手で透亜が脱走を果たした場所でもある。

「ここを抜けたら、お前は前だけ見て走れ。振り返るなよ」

「え?」

 言っているうちにトンネルの出口が迫ってきた。

「……さぁ、走れ!」

 都城は透亜の体を下ろし、走ってきた勢いでその背中をぐっと押す。日の光がまぶしいほどに目の前に溢れた。そして都城は足を踏ん張って立ち止まり、身を翻す。

 透亜はつんのめりそうになるのをどうにか堪えて立ち、その都城の背中を見た。そこには、いつかの風人の姿が重なって見えた。

 都城は、一人で追っ手を止める気なのだ。そしてもう戻らない気なのだ。自分を置いて逃げろ、と都城は言ったのだ。

 できるわけがなかった。

 あの日―風人が透亜を脱走させた日、何もわからないままに飛び去った場所。自分が自由になったら、風人もきっと笑ってくれる……そう信じていた、あの頃。でも、今は違う。

 足音が迫ってくる。その一瞬に透亜は都城に駆け寄ると、その腕を掴んで思いきり引き寄せた。

「っ……!?」

 瞬間、銃声が嵐のように響いた。透亜は身をかがめてかわし、都城を引きずるように駆け出す。バサッという音と共に、その背中の翼を広げながら。

 翼は場に大きな風を巻き起こし、都城の体ごと透亜を浮かせようとする。

―もう誰も、失いたくない。

 その想いが翼に強い力を与える。駆けるスピードを上げ、都城の背に腕を回して抱えるような体勢のまま、その崖の端を勢いよく蹴った。

 バサリ!と一つ羽ばたいた翼は、朝のまばゆい光を受けて白く輝いていた。崖の下にいた深山たちも、その姿に目を奪われた。

 一瞬の出来事のはずなのに、都城には時間が何十倍にも引き延ばされたように感じられた。頭をよぎるのは、以前読んだ、あの紙飛行機に書かれていた言葉だ。それは、謎掛けのような一節だった。

 

 余談。透亜の翼について。

 この翼には特殊な素材を使用している。

 耐荷重は今の透亜の体重を支えられるギリギリに設計してある。

 耐荷重を上げるためには組成を一から計算し直さなければならない。

 そういう風に意図的に作ってある。

 なぜだと思う?


 風穴の開いた翼は、二人の体重を支えきれるはずもなく、飛び出した勢いと空気抵抗によってわずかに滑空し、そのまま二人は飛翔することなく海へと落下した。

「都城!」

「透亜ちゃん」

 深山と戸塚がほぼ同時に海へ飛び込む。服に海水がしみこんで重みを増し、泳ぎを妨げる。

 なんとか二人の元へ辿り着くと、深山は都城を、戸塚は透亜を抱えて顔を海面に出させる。水を吐いて、荒く息をしながら都城は透亜を睨む。

「無茶なことしやがって」

「無茶はお前だ馬鹿野郎!」

「言い合ってる場合じゃないでしょ」

 都城に向かって怒鳴る深山に戸塚が言う。ここでも一番冷静だったのは戸塚だった。

 四人が一つの救命ボートに乗り込むと、都城のインカムに連絡が入る。

『ちょっと都城さんら大丈夫っすか?』

 囮チームの指揮をとっていた牛窪だ。

「大丈夫だ。お前ら全員無事か?」

『無事っす。俺らもう追っ手撒いちゃいましたよ』

「無事ならいい。俺たちも今から戻る」

 通信はそこで途絶えた。その時、どこからともなくエンジン音が聞こえてきた。

「やべぇ。ヘリだ」

 深山が見上げると、奥のほうからヘリが一台こちらへ向かって来るのが見えた。それと時を同じくして、斉藤が船のエンジンを入れ、ボートに乗っている都城たちに叫んだ。

「振り切るぞ!ちょいと飛ばすからな。しっかり掴まってろよ」

 斉藤が操縦席につくと同時に、船はその図体からは信じられないほどの急加速をした。つながれたボートが波間を跳ねる。

「おいおっさん!俺たちゃいいが他の奴らが」

「そりゃ問題ねぇ!くくりつけてあっからよ!」

 深山の呼びかけにがなり声が返ってくる。よく見るとボートに乗せられた少年たちは皆いつの間にかロープで体をつながれている。

「あんた何ちゅうことを……」

「背に腹は変えられねーだろ!ちょっとの辛抱よ」

 斉藤はあっけらかんと応える。そして気合の入った声で一吠えする。

「っしゃあ!ずらかるぜ野郎共!」

 船はさらに加速する。そのまま信じられない速さで海面を滑るように走っていった。

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