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娼館の華


それから一ヶ月ほど経って、仕事も順調にこなし経営も仕立屋の体調も上手くいっているなと思ったころ一人の客が仕立屋の家を訪ねてきた。

玄関で呼び鈴が鳴り、女中はいつものとおりドアを開けた。仕立屋は応接室兼作業場で女中の付けた帳簿を見て女中の仕事ぶりに感心していた。

「きゃっ!」

仕立屋が聞いたことも無い女中のかわいい驚きの声にこっちも驚いて玄関へ出ると、女中よりも背の低い黒髪の少女が女中に抱きついていた。

「ユ、ユラ…」

女中は珍しく感情のある声で少女の名前を呼んだ。

ユラと呼ばれた少女は蝶々亭のトップ「五蓮華」の一人で、若い身でありながら各国の軍師や王族の相手も勤めているという。長い黒髪は正にカラスの濡れ羽色で白い肌が浮き上がるように映える。

この少女に似合う色は真紅か濃紺か…。と思いをめぐらせていた仕立屋にユラが向き直る

「貴方に、仕立てて欲しい服があります。」


娼婦が付き添いも無しに外に出るのは不自然だ。彼女は「五蓮華」だから特別なのだろうか、だがもしかして逃げてしまう可能性は考えなかったのだろうか…。

蝶々さんはこのことを知っているのか、それとも知っていてあえて見逃しているのか。

ユラはよほど女中に懐いていたのか彼女から離れる気配が無い。懐いていたのなら久しぶりの再会にわざわざ水をさす野暮なことはしない。仕立屋はぼんやりと考えながら二人を眺めていた。

椅子に座った女中の膝にユラは頭を乗せている。丁度子供が母親に甘えるように。女中もずっともたれかかるユラの頭を撫でてやっている、まるで窓枠を額縁にした絵画を飾ってあるようだ。

そうすると女中はとても美しいのだということにふと気付く。肌はユラに負けないほど白く滑らかだし、手足、首もすらりと長い。ユラに話しかけている顔はまるで聖母の顔だ。


「なにか、あったの?ユラ。」

黒髪を撫でながら女中はユラに問いかけた。ユラは頭を撫でられたまま目を閉じている。

「付添い人も無しで…。蝶々様はここに来ることを知ってるの?」

諭すように語る女中にしぶしぶ頭を上げユラは答える。

「知ってるわ…。きっとあたしの考えなんてお見通しなのよ。オーナーは。」

「考えって?」

「新しいドレスのこと。」

女中にはユラの言葉の意味が分からない。ただ彼女の表情はただ新しいドレスを作ってもらおうとしているだけの顔ではないように思えた。何かを決心したような遠くを見る強い視線。

「ユラ、何をしようとしてるの…?」

女中は少女の小さな手を両手で包み込む。自分より4歳も下の、娼館で自らを売り渡す彼女になにか自分がしてあげることはないかと。




応接室にユラが案内された。これから採寸するということで女中は同席していない。

相手は「五蓮華」。高い地位の娼婦だからいきなりベッドへ連れ込む訳にもいかないので普通に採寸する。応接室の窓にはカーテンを引いて、辺りは昼に指しかかろうとしているがこの部屋はしんと静まりかえり柔らかい闇に満ちていた。

「さて…ミス・ユラ?」

ソファに座ったユラはまるでどこかの国のお姫様なのではないかと思ってしまうくらいの威厳のようなものがあった。姿勢がよく、足を揃えあごを引いた姿はどこかのお城の肖像画のように見えた。

「まずは、貴女のリクエストなんかがあれば…。ドレスに反映させますけど?」

ユラは緊張しているのかテーブルに出された紅茶とスコーンをじっと見ていた。何度か口を開こうとするがひざの上に乗せた拳がぎゅっと握り締められる。


「外出着を。」


思い切って告げられた言葉。外出着。

娼婦にとって外出着はまったく必要の無いもの。なぜなら娼婦は死ぬまで娼館から出ることはない。というのが娼婦たちの掟だ。だれかが身請けしてくれれば話は別だが、彼女はそんじょそこらの人間が身請けできるほどの金額ではない。もしも身請けだというならわざわざ仕立屋の家に一人で外出着を注文に来るはずはない。

「ミス・ユラ」

「…何でしょう?」

仕立屋はひざの前で組んだ手を見つめながら低く落とした声で呟いた。ユラにしか聞こえないような声で。

「俺に、逃亡の片棒をかつげと?」

「いえ、貴女はただ注文を受けてドレスを作っただけです。名前は伏せます。既製品のようなドレスを戯れに2着。そうおっしゃって下されば結構です。」

「2着?」

「私と、レーチェの分2着です。」


ユラの採寸が終わったのはそれから日が落ちるまでかかった。いつもの倍以上の時間。首周りから裾丈までいつもならおおまかにしか測らないところも細かく測っていた。

応接室に入り、冷めてしまった紅茶とスコーンを片付けていた女中に仕立屋から声がかかる。

「君、こっちへ。」

いきなり呼びつけられ何事かと思ったが、座った仕立屋の前に立たされる。

一人がけの椅子に足を組んで座り、片方でひじを掛けてあごを乗せてじっと女中を見る。

「…何でしょうか?」

ずっと黙って見ている状況に耐えられなくなって女中が抗議の声を上げる。いつもなら軽口をたたくか何かしゃべってるかしているはずの仕立屋が妙に静かだ。

「…君には、」

女中を見つめたまま呟く。

「君には、何色が似合うかな…。」


「何をおっしゃっているのですか」

「君のドレスを作って欲しいとミス・ユラから依頼があってね。君も聞いたんだろう?彼女から。」

女中の深緑の目がこぼれそうなほど大きく見開かれた。

「…ええ、でも私には必要ありません。このままで。」

「その頭巾や麻の服はかえって目立つよ。もう少しくらい派手にした方が周りには紛れる。」

「どうして、逃亡の片棒をかつぐのですか?」

いつになく感情的に大きな声を出す女中に思わず頬が緩む。

「何を、考えていらっしゃるのですか。」

探るように言葉を選んで投げかける女中。

「君に、興味がある…と言ったら?」

仕立屋は女中を見つめたまま言った。挑発するように微笑む。

「君のドレスが作れるのも悪くないって思ってね。」

「…それが、交換条件…なのですか。」

さっきよりは冷静さを取り戻したようすで仕立屋に食って掛かる。

「さあ、どうする?」挑戦的に女中に向かって両手を広げる。

「君のドレスを作らせてくれたら、ミス・ユラの外出着も作ってあげるよ?」


「…正気ですか?」

眉根を寄せて女中はしばらくためらった後、エプロンの腰紐に手を掛けた。白い布が足元に落ちる。

「君は賢いね。」


自分を真っ直ぐに見るまるで鏡のような瞳。

いつも糊の利いたシーツのような清潔な香りと共に彼女自身の甘い匂いが鼻をくすぐっていた。

真面目な顔をして憎まれ口をたたいてはしっかりと後始末をしてくれる馬鹿正直でお人好しな彼女。

君にはどんな色が似合うだろう?

どんな布が似合うだろう?

いつしか夢の中で彼女を「採寸」するようになった。

布の海で女中が服を脱いでいく。仕立屋はそれを手伝って下着のリボンを解く。そして深緑の瞳にぶつかってそこでいつも目が覚める。目が覚めると柄にも無く胸がどきどきしている自分がいるのだ


カーテンの引かれた応接室。

すでに外は宵闇に包まれ、応接室はランプの炎一つだけ。

仕立屋はソファに座ったまま動かない。部屋には衣服の紐を解く衣擦れの音が響くだけ。

やがて下着姿一枚になった女中が頭巾に手を掛ける。

仕立屋はひじを付いて座ったまま、怒ったような、それでいて何の感情も無いような顔で女中の姿をじっと見ていた。

女中の頭巾が外される。

頭巾から溢れ出たのは白とも金色ともいえない淡い色の髪。まるでミルクティーのような色の柔らかい髪が女中の背中を滑り落ちていく。

鍾乳石でできた彫刻もここまで人を驚嘆させないだろう。

体を守っていた最後の一枚を床に落とす時、女中はキッと仕立屋を見据えた。


強い目。


射抜かれたように息を止めた仕立屋の前で女中は一糸纏わぬ姿になった。


やっと、名前が判明しました。

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