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短編

僕らに必要だったもの

作者: nab42

 駅前の喫茶店で熱いコーヒーを飲み終えると、僕は外に出て、近くにあった電話ボックスから恋人に電話をかけた。僕は彼女と別れるつもりだった。もともと僕らはそれほど好き合ってはいなかったと思うし、年下の女というのが僕にはどうも合わなかった。彼女は僕に、私のためにもっと時間をつくって、と言った。でも、そんなこと僕には無理だった。僕にだってやらなければならないことはある。そして、時間を作ってくれと言うわりには彼女はよく遊びにでかけていた。彼女は自分の空いた時間に僕を呼び出しているだけなのだ。

「もしもし」と僕の恋人が電話に出た。

 僕は息を一度吐いた。息は白くなって公衆電話にあたって消えた。

「もしもし、絹笠だよ」

「あれ、どうしたの? 携帯電話は?」

「俺は今から九州に行くよ。冬の東京というものが嫌いなんだ」

「急だね。いつ帰ってくるの?」

「帰ってこないよ」

「そう。じゃあ、私も行く」

「無理だよ」

「無理じゃないよ。今どこにいるの?」

「別れないか?」と僕は彼女の問いかけを無視して言った。

「それって、恋人じゃなくなるってこと?」

「そうだ」

「うーん」と彼女はしばらく考えたあとに「いいわよ」と続けた。あまりにあっさりとしていたので僕は驚いた。しかし彼女は「そのかわり私も九州に行くから。今どこ?」と言った。

「東京駅にいる」

「いつ出発するの?」

「三十分後」

「そう。じゃあまたあとで、九州で会いましょう」

「会いたくはないな」と僕は言いながら、この女は狂っているのではないかと思った。そして、面白い子だな、と少し思った。ほんの少しだけ。

「私は東京の秋が好きだったの」

「なんで?」

「絹笠くんと会えたから」

 僕は何も言わなかった。

「でも、私も東京の冬は嫌い。私の故郷より、ずっと寒いし、孤独を感じる」

「男はいくらでもいるだろう。君は外見がいいんだから」

「幸運にもね。それなりの努力もしているんだけど。……九州って暖かいの?」

「さぁね。知らないよ。一度も行ったことがない」と言って僕は十円玉を二枚ほど入れた。

「なんで九州なの?」

「さぁ、なんでだろうね。行ってみたかったのかもしれない。俺はあまり旅行というものをしたことがないんだ」

「なんで私と別れたいと思ったの?」

「俺は君のために時間をとれないし、君がそのことについて色々なことを言うのが嫌なんだ」

「絹笠くんって忙しい人だからね。だから、いつ甘えていいか分からなかったの。ごめんね」

「俺はそこまで大きな人間じゃないよ。君のための時間をつくれても、きっと何もできなかったよ」

 僕らは十秒くらい黙りこんだ。

「これは正解なの?」と彼女は、次の足場を見つけるように言った。

「君が別れのことを言っているのだとしたら、間違いじゃないと思うよ。君にはもっと身近にいてくれる人が必要だよ」

「必要ないわ」と彼女はきっぱりと言った。「実は、私には恋人なんてものは必要ないの。今はまだ二十二だし、ちょっと装えば男なんて手に入るし、そこに焦りもないの。でも、他のものが必要なの。例えばあなたとか」

「俺は恋人だった男だよ。必要のない男のはずだろ?」

「これからよ。これから必要になるの」

「どういう意味だよ」

「私には神様だとか、幽霊だとか、おまじないだとか、占いだとか、遠くにいる仲の良かった友達だとか、ぼやけた存在が必要なの」

「俺は幽霊でもなければ、神様でもないよ。占い師でもない」

「私が何を言いたいのか分からないんだね」

「分からないよ。残念ながらね」

「分かろうとしないものね」

「そうだね。分かろうとしていないね、俺は。……でも、仕方がないことなんだ。俺の君に対する想いはこの程度なんだよ」

「辛いことだね」

「……君は俺のことが好きだったの?」と僕は聞いた。馬鹿な質問なのかもしれないと思ったが、出してしまったものを元の場所へと戻すことはできなかった。

「東京の秋くらい好きだったわ」と彼女は答えた。答えを用意していたかのように。

「東京の秋は俺も嫌いじゃないよ。好きでもないけどね。俺はちょっとここに長くいすぎたんだよ」

「出会ったところが別の場所だったら、私たちもっとうまくいったかな?」

「さぁ。それは想像できないよ」と言って僕は腕時計を見た。

「絹笠くん。今、私って愛らしい女の子に思えない?」

「少し思えるよ。場所が場所だからかもな。駅前の電話ボックスは孤独なスペースだよ」

「愛してるよ、絹笠くん。私、九州を旅行して、秋にまた東京に戻ってくる」

「そうか」

 電話はあと三十秒程で切れてしまう。財布にも、ポケットにも十円玉は残っていない。百円玉を使うかどうか悩んだが、やっぱりやめた。

「君は今、どこにいるんだ? 家か?」

「東京にいるよ。冬の、孤独な。でも、気分は少し秋っぽいかも」

「最後に君と話せてよかったよ」

「悲しいけど、色々話してくれてありがとう。付き合っている頃には話せなかったことを話せて嬉しかった。……あと、お願いなんだけど、最後に『愛してる』って言ってくれない?」

「愛しているよ」と僕は言った。

「時間をありがとう」と彼女は言った。

 僕らは数秒を一緒に過ごした。

 電話が切れると僕は電話ボックスをすぐに出て、荷物を持って駅へ向かった。そして、時間なんて作ろうと思えば作れたのかもしれないな、と思い始めた。ただ、もう何もかもが遅いし、いくつもの事が去っていったのは明らかだ。自分ができることは今から九州へ行き、生活をし、彼女の反対側へ行くことだ。彼女は幸せになるべきだ。僕のような、東京の冬のような男から何かを得ようとするのは、彼女にとってよくない。彼女が欲した、漠然とした愛は僕から与えられるものじゃない。

 そう、僕には彼女が欲しいものが分かっていた。それはかつて僕が求めていたものだ。どこかにいる誰かから、愛されているという確信が欲しかったのだ。しかも、必死に貢がれるような、胸やけするようなものではなく、肩に降り落ちた落ち葉のように自然な愛を欲していたのだ。僕は彼女をそんなふうに愛することができない。だが、僕には彼女のことがよく分かっていた。分かりすぎた。彼女と出会ったあの日から、僕は自分自身を見ていたのかもしれない。しかし、もう色々考えても僕らがそんなふうになることはない。僕らは秋の東京で出会って、冬の東京で別れた。僕は孤独な電話ボックスの中で彼女を考え、彼女は孤独な冬の東京のどこかで僕を想った。それだけのことだ。それだけが、僕らに必要だったものだ。






 一年くらい前に書いたものだと思うが、詳しいことは記憶になし。もしかしたら、もっと前かもしれない。


 高校生の頃よく思っていて、そして、今も思っているかもしれないことを書いたもの。

 恋人が欲しいとか、幸せになりたいとか、そういう暖かくて漠然としたものが人間には必要なんじゃないだろうか。

 絹笠くんは彼女のことをこれからも愛すだろうし、彼女も絹笠くんのことを愛すだろう。それが例え過去になったとしても、そこにはあるのだから消えることはない。絹笠くんは『漠然とした愛は僕から与えられるものじゃない』と言っていますが、彼は彼女に日差しのような暖かなものを与えたように思います。逆もまたそうです。彼らはお互いに、互いが欲していたものを与えたのだと思います。

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