第二話 馬喰町騒動
傷ついた猫又を助けた清太。しかし黒有理にかぎつけられ、長屋は壊滅、そこへ現れた黒有理を狙う甲賀忍びの一団が黒有理との戦闘となり、清太の父親は死亡してしまう。
(一)
「呪われてるぜ。」 江戸の町を襲った大災害は天地が避ける前触れだ、と市井の住民たちは口々に噂の種をまき散らしている。なにせ魔物が火を放ちながら暴れまわっているのを相当数の人間が目撃している。
加えて虎の咆哮まで市中全域に轟いた。まさに幕政を揺るがしかねない大惨事となった。幕政に携わる官僚たちは尾鰭のついたあらぬ噂に翻弄される。ただ一人、真実を知る老中高座崇輝を除いて・・・
その原因を作った当の一匹・・・猫又は両国橋の袂、百本杭で息を潜めて体力の回復を待っていた。
(下手を打った・・・俺らしくもねぇ)-------
霊力の消耗が激しい虎変幻の力を使い、さらに波動の塊りを脇腹に受けて神田川まで吹き飛ばされた。まさに不覚としかいいようがない。大火から二日、神田川を流れて此処に辿り着き、漂うゴミの中に菰を見つけてそこにしがみついた。戸板、破れ傘、下駄に草履にときには土座衛門まで引っかかる。一見するとそれに同化して猫の死骸が浮いているようにも見える。百本杭辺りの鯉はその土座衛門の屍肉をつついているから肥え太っていて上物だ、と土地の者はいう。猫又は尻尾を水中に垂らし、その先を銛に変化させて鯉を口に入れようとするが鯉一匹捕らえられずにいた。(餌を口に入れなきゃどうにもならねぇ)
猫又は空腹のまま眠りについた・・・記憶が混濁していた。夢を見た。・・・・・
遠い記憶の断片が浮かんで、子供が自分を呼んでいる。
-------千里、・・・千里-------
-------俺を呼ぶのは誰だ ? 俺を千里と呼ぶのは、・・・俺にその名前をつけたのは万松寺にいたあの子供だ。-------
夢に出てきたのは武士の身成りをしたまだ年端もいかぬ幼子だった。
-------随分と可愛い姿で出てきたな。俺を心配して出てきたのか。昔の姿そのまんまじゃねぇか。なに、心配することはねぇ、チョットしくじっただけさ-------
-------怪我をしたのか ? お前でもしくじるのか-------
猫又はいつしか虎の姿となっていた。幼いながらも凛とした雰囲気を漂わせるその稚児は恐れる事無く、しかし愛おしいものを包む様に、その首に両手を回し、心配そうに体毛の中に顔を埋めた。
-------たまにな、ま・・・俺の生涯はしくじりだらけよ-------
-------そんなことはない、しくじってばかりいたのは私のほうだ。その度にお前に助けられていたのは私の方だ。・・・それなのに私はお前に何も報いてやれなかった。---------
-------あのときお前を助けたのは成り行きさ。・・それに見返りを求めてお前を助けたわけじゃない。友達を助けるのに理由がいるかね-------
-------友達だからお前の身を案じるのだ。もう無理はしないでくれ。今私はお前に何もしてやれない------------そんなのはお前が気にすることじゃない。俺が勝手にやってることなんだ。これは、俺がケリをつけなきゃならねぇことなんだ。だいぶ好き勝手に生きてきたが、それでも見過ごせねぇ事もある・・・
あのバケモンを殺せるのは、たぶん俺だけだ。---------
-------千里、私はお前に重い物を背負わせたのか-------
-------そんなことはねぇよ、お前が背負ってきたものに比べたらこんなのは大したことじゃねぇ、さっきも言ったろう。俺が勝手にやっることだと、俺のことは気にするな。お前は静かに眠ってろ。俺も少し休むぜ-------
-------千里、千里・・・千里-------
子供の声が少しずつ遠くへと去っていった。この猫又に千里という名をつけたのはこの幼子であるらしい。-------以後、この化け猫を千里と呼称する。
千里は百本杭でゴミの中に漂いながら眠りについていた。体がすっかり冷えている。岸辺に上がる体力もなさそうだ。波動筒の一撃は思った以上の深手だった。ここを襲われたら反撃する能力は殆どない。
(これで終わりか、アイツに大口叩いちまったけど、何も出来ずに終わるか、情けねぇ・・・)
夢か現か・・・千里の頭の中にまた子供の声が聞こえてきた。夢の続きかと思ったが、その声が段々と近づいてきた。
「オーイ、そんなの放っておけ、そんな小汚ねぇ猫なんざ。」
「でもこいつまだ生きてるよ、たすけてあげなきゃ。」
自分に近づいて来るものがいる。だが敵ではないことは感じられた。どうやら子供たちが自分を見つけたらしい。
(この俺が子供に助けられるか・・・こんなことは初めてだな)
千里の意識が段々と遠のいていった。
「危ねぇな、気をつけねぇと水の中へ落っこちるぞ。まったくもう虫の息だろうが、その猫。」
「だいじょうぶ、そんなヘマしないよ。まってろ、いまたすけてやる。」
そう言いながら棒切れを手に取って瀕死の猫を救おうとしているのは清太であった。
清太と太助はこの日、深川からの帰り道、二日前の火事の話で盛り上がっていた。駿河台の武家屋敷、神田の西半分近くを巻き込んだ大火事は一番組二千二百余名だけでは手が足りず当然二番組千三百の出動も余儀なくされた。その中でも一際群を抜いたのは銀次率いる【は組】の活躍だった。まさに鬼神も恐れ入るといった感じで火の粉を五体に浴びながら須田町、通新石町、鍋町の辺りで延焼を食い止めた。
「それすごいよね、あの兄ちゃんこんどはおっこちなかったの ?」
「あぁ、やるときゃやるんだ銀ちゃんは-------不動明王仁王立ちって感じだったらしいぜ。」
「おいらもあんなかじはじめてだったよ。なすけとおみつといっしょに、ふるえて父ちゃんにしがみついてた。」
「ま、そうなるだろうな。生きた心地がしねぇってのは、そういうもんだ。俺も火事は大嫌いだよ。まったく火事が江戸の華だなんて何処のどいつがぬかしやがる。」
太助は幼い頃の火事の恐怖がまだ鮮明に残っている。火事で本当の両親を無くし、紆余曲折を経て今の魚屋夫婦に引き取られた。最初はギクシャクしていたが、今ではお互いを本当の親、本当の息子として寄り添い合っている。
「ところでさぁ、まちのひとたちがはなしていたけど、まものがあばれまわってひをつけた、ってホントかな ?」
「ン~~、さてどうかな。そんな話しもチラホラ聞くけど。」
実際に太助はその目で鬼が暴れているところを目撃している。言葉濁したのは清太を怖がらせない様にする配慮だ。火事は神田多町、連雀町辺りまで被害を出したため、青物市場にも被害が出た。為に、清太の父親の十助は今日は本所の竹町まで仕入れに行っている。清太も、おいらも父ちゃんの手伝いを、といってついてきたが途中で太助に出くわして、親父の手伝いどこへやら、親父を放っぽって太助にくっついて深川へ・・・その帰り道のことである。堅川から一ツ目之橋を越えて尾上町から左へ折れて両国橋を渡って戻るはずが、清太が突然、駒止橋の方へ真っ直ぐに突っ切って行った。これには太助も慌てた。
「おい、どこ行くんだ清太。竹町へ行くつもりか ?、親父さんはもう仕入れを終わってるだろ。」
大川沿いの大名屋敷を右に見て真っ直ぐ進めば仲之竹町、そして細川能登守の下屋敷正面にある吾妻橋を渡れば浅草である。太助はもしかしたら清太の親父は浅草の方へ行ってるのかと思った。清太もそっちへ行こうとしているのか ?-------そんな所へ一人で行かせたら迷子になるのは必定だ。
「冗談じゃねぇ、そんなことになったら俺がとっちめられちまう。オーイ清太、待てーーッ !」
だが清太が向かった先はすぐ近くの百本杭だった。
「なにかよんでる。」 「呼んでるって・・・何がだ ?」
「わかんない、でもだれかのこえがしたんだよ。-------【百本杭だ、百本杭へいけ、そこにお前の助けを待っているものがいる。】-------あたまのなかにそんなこえがきこえてきたんだ。」
清太は何かに惹きつけられる様に百本杭へ、そこで見つけたのが瀕死の猫だった。銀の毛色のキジトラ猫だ。 「こいつに呼ばれた、ってか・・・」
「う~ん、わかんない、こいつをたすけろ、ってことなのかな ?」
清太は川に落っこちながら猫を救い上げたが、太助がその猫を見た瞬間、息を飲んだ。
(こいつはまさか・・・)
つい先日、火事騒ぎの中、火の見櫓で見た光景が脳裏を掠めた。-------火を吐く魔物とそれを次々殺していく小さな生き物-------そうだ、あれの生き物は猫だった。 あの後市中では虎が出てきたというもっぱらの噂が広まった。(化け猫が虎になったのかもしれねぇ・・・考え過ぎかもしれねぇが嫌な予感がしてならねぇ。)
「おいその猫どうすんだ ?」「いえにつれていっててあてしてやるんだ。」
「ン~、なんかやめといた方がいいんじゃねぇか・・・どうもそいつは、やばいシロモンの様な気がして
ならねぇ。」
「え~~かわいそうだよ。おいらつれてかえるからね。」
傷を負った猫(千里)は清太の小さな手に抱えられ懐にしまわれた。太助の方は、このまま捨てて帰るのも寝覚めが悪い、相手が猫だけに化けて出そうだ。
(まぁ、考え過ぎかもしれねぇし)-------一抹の不安を抱えながらも清太を伴い帰路についた。
この光景を見ていたのは近くにいた川役人だけだった。
(二)
「えれぇ目にあったな、この前は・・・」
この少し前、六軒堀の揚羽の三味線指南所に二日前の多聞櫓の生き残りが顔を揃えた。いつもどおりに商売に来ていた太助等を帰したあとでそこにやって来たのは、飴屋治平ともう一人、北町奉行同心、五十鈴重三である。表向きの顔は本所方に属している。そのため他の弟子がいない時を見計らって揚羽のところへ顔を出すことが多い。重三が入ってくるなり揚羽がおどけた感じで出迎えた。
「おや、旦那ちょいとご機嫌斜めでござんすね。」
「良いわけがねぇだろ。」
重三は歳は三十を越したばかり、壮年の域に達し、今が忍者として脂が乗った時期である。配下の下忍を使っての任務は今回が初めてではない。その都度完璧にこなしてきたが、今回・・重三が予測しえない方向へ向かった。大惨事となった魔物騒動で腕に覚えのある忍者たちは重三の静止を無視して虎に向かっていった。結果は案の定、さらに虎と姉川黒有理の戦闘が激しくなると残りが逃げた。
(クソっ ! どいつもこいつも俺の言うことを聞きやがらねぇ、俺の面目は丸潰れだ。)
「まったくなぁ、姉川って奴を見張るだけだと思っていたら、とんでもねぇバケモン同士の戦闘に巻き込まれるなんて、聞いてなかったぜ。尤も奴ら俺たちなんか眼中に無し、って感じでやりあっていたけどな。」
「仕方ないさ、人相手なら何とかなったかもしれないけど、相手が両方とも人外の化け物じゃねぇ。」
そうそう、と飴屋治平が揚羽に相槌を打つように-------俺たちの所為じゃねぇや、と白を切った。
「おめぇ等は気楽でいいぜ。一ノ組を預かってんのは俺だぜ。それが五人がやられて残りはトンズラこいちまって、頭領からどんなお咎めをうけるか・・その責めは全部俺が受けなきゃならねぇのか ?」
「そうカリカリとされても・・・」「こっちに当たるのは止めて欲しいけどね・・」
-------このままじゃ済ませねぇ、-------下忍に面子を潰されては中忍としての立場がない。取るべき手段は唯一つ・・・それはさておき-------
「で・・治平、奴(姉川黒有理)は今日(湯島聖堂に)出仕していたか ?。」
「うむ、いつも通り、変わらず・・・だがそのあと柳原通りの土手に向かった。あの時、虎が神田川辺りへ吹っ飛んだようだったから・・・その痕跡を探しているんじゃねぇか。」
「大胆不敵だね。いくら他の人間に自分の正体を知られていないといっても、幕閣の中にヤツの正体を知ってる人間はいないというのか。」
「たぶんいねぇだろうな、一部を除いて。甲賀忍びの実質的支配者・・・おそらく、幕閣の中にいるだろうが。」
「重三、あんたの方はなにか分かったことは、あの男の家紋とか調べてくれたんだろ。」
「あぁ、奉行所の同心仲間でな、そういう方面に詳しいやつがいたんで、そいつに教えてもらった。あれはな、小早川の家紋だとよ。」
「え~と、小早川って・・」「関ヶ原の後で改易になった大名だ。武鑑にも載ってない。」
「まさかそれの末裔か・・・・」
「亡霊かもな・・・お前ら、覚えてないか、半月程前、桜の馬場の惨殺事件。」
「あぁ、あれか・・・」
「半月近く前だ、桜の馬場で侍五人が斬り殺さた。その殺され方が恐ろしい程無残でな。五人とも胴体を真っ二つにされていた。どんな剣の達人でも無理だ。胴体を切り離すなんて、一人ならともかく、五人が五人ともだぜ。人の技じゃねぇよ。お前らも見ただろ、あの姉川黒有理の妖術。」
「確かに・・・お試し御用の据え物斬りじゃないってわけだね。生きている、着物を着た人間の体をいとも簡単に二つ胴にする、あの妖術なら容易にやってのけるだろう。で、やられたのはどこの家中の者だい?」 「立科藩、二万五千石、高座備前守・・・」
「立科・・・高座家・・・老中だね。」
「しかも桜の馬場だけじゃねぇ、一昨日の騒ぎの数日前、神保通りの大名屋敷が並ぶ所で、今度は下城途中の駕籠が襲われた。」 「それも、・・姉川黒有理が・・?」
「間違いないな、供侍が、全員殺された。それは表向き鬼どもにやられたことになっている。」
「何故、・・・なんでそいつと老中が揉めた ?」
「亡霊かもしれないと言っただろ。」 「亡霊・・・改易された大名の、怨念・・?」
「高座家はな、小早川家の分家だったんだとよ。関ヶ原のときは堀や脇坂と同じ、松尾山に陣を張っていた。それが戦の後で本家は跡継問題で改易されちまったが、分家が如何にか生き残った。元々は外様だ。」 「そう、・・確か譜代ではなかったはず・・」
「堀や脇坂が後から譜代に取り立てられているからな・・・自分のところもそうなりたい、って思うのは当然の感情だろう。石高の少ない陣屋大名だが、・・随分前から願い譜代の儀を立てて、ようやく念願適って譜代に列せられたのが十年前か、そこからどんな手蔓を使ったか、誰かの引きがあったのか、あっという間に役職に就いて今では老中の末席にいる。」
「姉川黒有理は本家の小早川の末裔か何かなのか、?」
「「小早川中納言に子はいなかったはず・・・それで改易されたんだろうが。」
「女中か、妾に産ませた子供がいる、という噂もあったらしい。」
「小早川中納言の孽裔というわけか。二百年以上も前の話だな、それが今頃になって亡霊みたいに姿を見せた・・・ってか。」
「本家と分家の縺れた糸は中々修復出来ないからね。しかし、それだけでそんな残忍な殺し方するかね。
まるで見せしめの様な殺し方だ。」
「本家が潰れて分家が老中だ、末裔の幽霊としちゃ面白くなかろうな。」
「そりゃ唯の逆恨みだ。その侍たちは本家と分家のいざこざで花と散ったか、・・・もう花も終わっているけどな、主命には逆らえねぇ。侍の宮仕えは辛いもんだが、俺たちよりはまぁ、ましかな。俺たちのはゴミみてぇなモンだしな。」
「如何やら、頭領を介してその姉川黒有理を見張れ、といってきたのは、その御老中様ってことだろうな。如何にかしてそいつの弱点を探れ、ってとこだろう。」
「なんか余計なとこまでほじくり返した気がするが・・・」
「老中の末席にいる人物が甲賀忍びの・・・実質的な命令者・・」
「幽霊に弱点があるか ?」
「あいつは幽霊じゃない。生身の人間だ、ただ、恐ろしく強力な妖術と魔物を使役する能力を持っている。厄介な相手だね。」
「もう自分の処の家来は使えねぇと判断したんだ。無駄死にさせるだけだからな。それで俺たちにお鉢が回ってきた。厄介だぜ、下手に向かっていったらこっちも捨て駒にされて終わりだ。」
「ま、・・俺たちじゃ無理かもしれんが、甲賀五組の外にいるあのお方なら・・・」そこまで言って重三は口をつぐんだ。それを言う事は憚られる。夏見幻三郎に統括されているこの甲賀忍者たちは五つの組に分けられて、それぞれ地、火、水、空、風の字が充てられていた。五十鈴重三、揚羽等が属する一之地、二之水、三之火、・・・というような呼び方をされている。それぞれ人数が等分に分けられているわけではない。重三が指揮する一之組は大体十人前後、他に五人の組もいれば、
三之火組は僅か三人しかいない。重三が言った五組に組み込まれていない謎の忍びがいる。そのことは他の忍者たちも周知しているが実態を見た者はいない。渠羅を統括しているのは頭領夏見幻三郎の女だという、その実力は五組の忍者たちを遥かに凌駕するという。
-------(頭領にしたら、あのお方は切り札だ。治平が言うようにその前に捨て駒を当てるのは戦の常道だからな。)-------
「いずれ姉川とはやりあうことになるだろうぜ。その腹積もりでいねぇと・・・ま、やり様はあるだろ。
あのとき、同じ様な妖力を使う化け猫が出てて来たよな。それが虎に変化した、いきり立った奴らがそいつに向かって・・・食われちまったけど・・・」
「虎はあの姉川黒有理を敵として認識していた、それを上手く使えばあるいは・・・」
「そう上手くいくかね、あたし等が姉川と搗ちあったときに都合よく出てくれるとは思えないんだけど。」
「まぁそりゃそうだが、・・魔獣か・・こっちにその牙が向かってこないことを祈るしかねぇな。情けねぇけど・・・」
「頭領からの命令はいつ何時、来るかわからねぇ、準備だけはしておけ。」
重三たちにはこの魔物騒動の概要が大体みえてきた。陰陽道の使い手、姉川黒有理と老中高座崇輝の関係、甲賀忍者の頭領はその老中に仕えているらしいこと、そこへ魔獣の虎が加わって三つ巴の争いになっている。
(如何やら、その中に俺たちも組み込まれたか・・・探索や殺しなら手慣れたもんだが、今度ばかりは勝手が違うぜ。相手が相手だ。)
「そう考え過ぎなくてもいいだろうな。怪しげな術を使うといっても生身の人間であることは間違いない、必ず隙はある。とにかく、見張りをつけていつ何時でも動けるようにしておかないとな・・・」
「しかし、そいつだけじゃねぇ。あのときもう一人いた。虎をふっ飛ばしたのはそいつだ。そのもう一人の正体もこっちはまだ掴めてねぇ。」
おそらく、姉川黒有理とつるんでいる仲間は同じく城中に入り込んでいる者だ。と重三たちはあたりをつけた。似たような感じで入り込んでいるならば・・・医者、それも奥医師であろうと・・・
「治平、あの時先にトンズラこいた奴らをまた集めとけ。今度逃げたら容赦しねぇ、俺がぶった斬るってな。」 「無理だな。そいつらはもう使えねぇよ。俺が始末をつけとく。他から人員を充ててもらうしかねぇな。」
(尚更俺の言うことを聞きそうにねぇじゃねぇか)「なんか・・胃が痛くなってきた。」
重三は胃のあたりを押さえながら、治平は商売道具を背負いながらそれぞれ三味線指南所を後にした。
不安を抱えながら重三と治平は六軒堀の三味線指南所をあとにした。
(三)
儒学者黒有理は湯島聖堂前の姫稲荷から筋違御門へ向かっていた。火事のあとの復興の槌音はこの辺りまで響いている。土手の辺り、昌平橋、八つ小路前には幕府のお救い小屋や、江戸の名立たる大店からの救援物資、炊き出しが並んでいる。そのごった返す人の波を縫うように、というよりまるで宙を滑るようにすり抜けその周りの人間たちは誰一人気づかない。黒有理は辺りを索敵するかのように、川の方へ意識を集中させていた。
(ヤツは確かにこの辺りまで吹っ飛んだはず、ここから大川まで流れていったか・・・もうこの辺りにはおるまい。)
僅かにのこっているであろう妖気の残香を辿ろうとしたが、痕跡はつかめなかった。柳原通りの郡代屋敷からさらに足を延ばした。両国橋を渡ったところで微かだが妖気の残香を感じ取った。百本杭の所だ。
そこで暇を持て余している川役人に尋ねた。
「この辺りに怪我をした猫が流れつかなかったか ?」
「あぁ、それなら棒手振りのガキが二人、その猫を拾っていったな。」
(やはりここまで流されていたか。)「その子供たちの家はわかるか ?」
「一人は伝馬町の太助ってガキだ。ガキのくせに二丁出刃の太助って通り名がついてる。結構有名なヤツだから家はすぐわかるぜ。」
目指す所はすぐに分かった。太助というのはこの界隈では結構有名らしい。その長屋というのが世間では禿鬢長屋と揶揄されている。そこの差配というのが四十を過ぎたばかりでもう既に髻の部分が禿げ上がってしまっていた。それを隠すために未練がましく付け鬢を付けているのだが、周りの人達にはバレバレである。尤も抜け毛の原因は一癖、二癖もある長屋の住人にあるのだが・・・その木戸の入り口に・・・
「ハゲ長屋というのはここかね ?」 黒有理が尋ねた。
「ハゲではない。ここは徳八長屋だ。まったく、誰もちゃんとした名前で呼ばん、あんたは、学者さんかね ?、こんな長屋に何の用があって・・ここには儒学者の教えを受ける様な住人は一人もおらんけどな。」 「早とちりも程々にすることだ。なに、百本杭で猫を拾った少年がこの長屋にいると聞いてな、訪ねてきた。その猫を探しているんだ。」
「猫 ?、太助は猫なんか拾ってきてないが・・・あんたの飼い猫が逃げたのか ?」
(するともう一人の子供の方か・・・いまなら殺せるかもしれん)「まぁ、そんなところだ。」
黒有理は静かに太助の家の戸口に立った。太助も父の平助も夕市の仕入れからの午後の商いを済ませて家に帰っていた。母のおつたは夕餉の支度に取り掛かっている。「御免」という挨拶を訝しく思いながら太助が腰高障子の戸を開けると、この長屋には似つかわしくない学者が立っていた。
「ん、誰だい ?、あんた。この家にゃ学者さんの知り合いはいねぇけどな。」
「いやなに、百本杭のところで猫を拾ったのが君たちだと聞いてな、ここへ来た。銀色のキジトラ猫だ。」 「あぁ、間違いねぇ、拾ったのはその猫だ。」
「その猫はな、世に禍いをもたらす化け猫だ。この前の火事はその化け猫が引き起こした。」 「なんだってー!・・・」
「猫はもう一人の友達のところかな。そのままにしていたら憑り殺されるぞ。」
「こうしちゃいられねぇ、すぐに捨てさせねぇと・・・」
太助は黒有理の言葉を頭から信じ込んでしまった。あのとき、自分が感じ取った不安な危険な匂いはやはり正しかった。いつの間にか飯茶碗を持ったまま外に飛び出していた。-------こんな時分に何処へ行く、
という父親の声にも、-------それどころじゃねぇやい !と走り出す。
「心配するな、ちょっと道案内をしてもらうだけだ。すぐに帰す。」
黒有理も後に続く、丁度その時、長屋の住人の大工と左官が帰ってきた。
「今日の仕事も辛かったぁ~、とくらぁ。」
「あのハゲ(大家)仕事が入ったら店賃払え、って催促するぜ。」
「あぁなに ? 店賃だぁ、それより先に吉原で使うに決まってるじゃねぇか。俺はもう三月も白粉の匂いを嗅いでねぇ。禁断症状で頭が爆発するぜ・・・ってありゃ太助、おめぇ茶碗持ったまま何処へ行く ?」
「え ?あれ、慌ててたからな。丁度いいや、甚五郎ちゃん、こいつを家に戻しといてくれよ。」
そう言って大工の甚五郎に飯茶碗を預けるとまたすっ飛んで行った。
「慌ただしいガキだな、まったく・・・あ、何処へ行くか聞くの忘れた。」
先を急いで突っ走る太助・・・だがその後に続く黒有理は急ぐ様子もなく悠然と歩を進めていく。それこそ地を滑る様に・・・その太助の前にまた一人の男が現れた。黄八丈に半四郎小紋をあしらった着流しで遊び人風の男だ。それが颯爽と肩で風を切る、・・・という様子ではなく、どこか疲れた表情を見せている。
(はぁ~~もう、御役目がこんな激務だとは知らなかったぜ。花屋(吉原)の二階に居た時は気楽で良かったなぁ、今日ぐらいチョット一息、抜け出して休んでもバチは当たるめぇ。)
その男に太助が、どけ !、どけ !と言って迫ってくる。前を見る余裕もない、というほどに・・・男はひらりと躱して太助の首根っこを押さえた。
「そんなに急いでどこへ行く・・・太助。」
「バッキャーロー !、離せ 、邪魔すんじゃねぇ ! こんなことしてる場合じゃねぇ・・・って、あれ、金ちゃん ?」
「あのな、いい大人に向かってちゃん付けはやめろ。しかし魚屋稼業がだいぶ板についてきたみたいだな。専らの評判だぜ。それより何そんなに急いでいるんだ ?」
「大変なんだい ! 友達が化け猫に憑り殺されるかもしれねぇ。」
「あぁ、化け猫・・・ってなんだそりゃ・・・ ?」
この金ちゃん、と太助が呼んだ遊び人風の男こそ過去に火事で両親を亡くし、野良犬の如き扱いを受けていた太助をヤクザから救い出し、今の魚屋の両親に引合せた人物であった。その時のひと悶着たるや、
浅草門前町のヤクザの一家に乗り込んで一人で半数近くを叩きのめした。この大立ち回りが尾ひれをつけて暫く市井の噂となった程であった。
「するとなにか、その百本杭で拾った猫が化け猫だって・・・?」
「うん、あの学者さんがそう言ってる。」と後ろにいる黒有理を指した。
「俺も見たんだ、一昨日の火事で猫が鬼どもをぶっ殺して回っているのを・・・たぶんあの猫がそうかもしれない。」
「本当にそうなら危なっかしいな、俺もそいつを見てみたいな。一緒に行ってやろうか。?」
「それには及ばん。」そう言って黒有理はこの着流しの男が割り込んでくるのを制した。両者の顔が合った。お互いが相手を見たことがある、と認識した。
(見た顔だ、・・・芙蓉の間で時折見かける男にそっくりだ。)
江戸城本丸表の芙蓉の間、そこに詰める役人は寺社奉行、大目付、勘定奉行、京都、伏見、大坂町奉行、
佐渡、日光、長崎の遠国奉行等々、そして江戸の治安を預かる南北両町奉行・・・その北町奉行遠山左衛門とそっくりなのだ。黒有理ほどの注意力、観察力を辺りに張り巡らす男が見間違えるはずがなかったが
・・・(解せぬな、・・・その男が今時分こんなところをうろついているとは思えぬ。それに町屋の小僧と馴れ馴れしく話し込んでいるなど、有りえぬ。・・・世に三人似た人物がいるというが、その類いか)
「なに、それほど手間はかからん。化け猫をチョットつまんで捨てて来るだけだ。」
「そうかい、じゃ捨てたら後で祟られねぇように懇ろに弔うこった。それこそ後で化けて出てこねぇようにな。」 「そうするつもりだが・・・」
「そういうこった。おいらたちは先を急がなきゃならねぇ。金ちゃんも遊んでねぇで仕事しろよ。」
「へいへい、と・・・」 金四郎は太助を見送ってそのまま別れる、と思ったら
歩みを止めて気づかれないように二人の後を追った。金四郎も学者の顔に見覚えがあった。
(あいつ聖堂の勤番頭だな。上様への講義がある時に師匠の供をして中奥へ入って行くのを何度か見かけたが、儒学者が狐狸妖怪の退治をするなんて聞いたことがねぇ、奴は何か呪術の様なモンを使うのか ?)
男の正体を詳しく知りたいとおもったが、それより太助の方が心配になった。本当に得体の知れない事件に巻き込まれそうなら、その前に救い出さなければならない。太助と黒有理、そして距離を置いて金四郎が掘割りの緑橋を渡ろうとしている。更にその後を数人の行商人が間隔をあけながら取り囲むように続いて行く・・・。
清太の家族が住む馬喰町、続江戸砂子温故誌では小伝馬の東町也、間に浜町堀有り。旅籠屋多し。二丁目三丁目旅籠屋多し。三丁目の西に馬場があり、切絵図上ではその上に郡代屋敷がある。天領の農民が公儀に訴訟を起こす場合の役所であるがその訴人たちの宿が馬喰町に集中しているのだ。清太の長屋は緑橋を渡って左に折れ、さらに汐見橋を右に、とまた左へ、二丁目に入った所、新道を挟んで向かいは附木店、初音の馬場が近くにある。
「ねこちゃん、ねこちゃん。」 末のおみつと弟の菜助が心配そうにこの傷ついた猫を撫でていた。
「つついちゃだめだぞ、ケガしてるんだから。」
「まったく、何の酔狂で死にかけの猫なんか拾ってくるんだ。大事にとっといた膏薬まで使いやがって。」 「ごめんよ、父ちゃん、でもこいつをほうっておけなくてさ。おいら、こいつによばれたようなかんじがしたんだ。」
「呼ばれた ?・・・この猫がお前を呼んだってのか ?。」
「う~ん・・いやよんだのは、こいつじゃない。」 「はぁ~ ?」
「あたまのなかでこえがしたんだ。ひゃっぽんぐいへいけ。ひゃっぽんぐいだ・・・ってそこにいる猫をたすけろって・・・あたまのなかにそんなこえがなんどもとびこんできたんだ。そんで、そこにいったらこいつがゴミのなかにういてたんだ。」
「それで拾って帰ってきたって訳か。それにしてもお前に聞こえた声ってのはいったい何だ ?。」
「わかんない。」
世に不思議な話はままあれど、この子は単に霊感が強いだけで人には聞こえない、見えない何かが本当に見えているのかもしれない。それをいい方へ捉えようとするのは、親の欲目かもしれない。
「それは多分神様のお告げかもしれないな。」 「え~かみさまが、おいらに・・・?」
「子供のお前に聞こえるのは神様の言葉だ。歳を取って聞こえてくるのは、悪魔の囁き、かな ?」
「父ちゃんにもきこえるの ?」
「しょっちゅうだ、大人になると子供の頃に持っていた真っ直ぐな心が無くなって悪い心がめばえてくるんだ。そういうときに聞こえてくるのは悪魔の囁きだ。・・でも、父ちゃんはそういうのに負けないで、
お前たちの為に真っ当に生きようと頑張ってきたんだ。差し詰めお告げで拾ってきたこの猫は神様のお使いかもしれないな。」
「うん、こいつがげんきになったら、たぶんいっぱいネズミとってくれるよ。」
「ネズミじゃ人様の腹の足しにはならねぇな。」「でもみんなこまってんじゃん。」
「そうだな、そうなりゃいいな。」家の中に親子の笑い声が満ちた。この笑い声を薄っすらと、目を細めながら、千里は黙って聞いていた。子供たちの手によるものか、千里に巻かれた晒はあまり上手とはいえない、ただ無造作にぐるぐる巻きにされただけだったが、それを迷惑がる感じもなく・・・
(まぁしょうがねぇか・・・どうやらこの家の子供に拾われたみたいだが、・・神様の使いだと、生憎俺はそんな殊勝なもんじゃねぇんだよ。疫病神かもしれねぇのにな。ま、二三日厄介になったら出て行かせてもらうぜ。)
千里が眠りに就こうとしたとき、・・極、微細な振動と音を感知した。獣だけが感知出来る感覚、千里は目を見開いて音の発生源を探った。(何だ、何が唸っている ?)
やがてそのうねりが徐々に大きくなって親子の耳にも届いた。
「なんだこの音は、何かが唸っている。」
地震のような振動ではなく、家全体が微かに震えている。それが徐々に大きくなってきた。子供たちも不安を感じて十助にしがみついた。 「父ちゃん・・・なにこれ・・・」
「大丈夫だ、なにも心配すんな。父ちゃんがついてるからな。(地震の前触れか・・?)」
千里はそれを横目に家の中を見渡した。音の発生源は・・それを突き止めたとき、千里の目は喝っと見開かれ・・・まさに千年の仇敵を見るかの如くその目に怒りの炎を燃やした。
【なんでてめぇがここにいる !】
千里の目に飛び込んできたのは、かつて十助が大川で拾い上げた仏像、不空羂索菩薩であった。
慈悲と怒り、二つの目線が真っ正面に重なり合った。
(チキショウめ、俺をこのガキに拾わせたのは・・・てめぇか、俺がここに来たのは偶然じゃなさそうだ。)
この仏像と千里のあいだには、ただならぬ因縁がありそうだが、仏像が発している音と振動は何かの予兆であると感じた千里は、立ち上がり、外の気配に注意を絞った。
(寝ている場合じゃなさそうだ。もう居場所を突き止めたか。)
「ねこちゃんがおきたよ。」 「じっとそとをみてる。」
何か得体の知れない物がせまっている。十助も清太もそれを強く感じ取っていた。千里はもう一度、仏像の方へ目をやった。
(俺にこの親子を守れってのか・・・てめぇの思い通りになるのは癪に触るが、こいつらを巻き添えにするのも偲びねぇ・・・さて、どこまでできるか、こっちも手負いだしな。)
千里が感じ取っている邪気は少しづつ、強く、重く近づいて来る。敵は穴蔵の大蛇の手下、儒学者姉川黒有理、それが事情を知らぬ太助に案内されて表通りの木戸をくぐった。太助が指を指し・・・
「あそこの白粉屋と太物屋の路地入った裏が清太の長屋だ。」
「もういい、後はかえれ。何処にいるかはもう分かった。」
千里が長屋の中で黒有理迎撃のため、集中力を上げて発した妖気を黒有理は数十メートル離れたところで感知している。
「このまま帰れるかい !、相手は化け猫だろ、清太たちの無事を見届けねぇと安心できねぇ。」
「そうか、なら仕方ない。どうなっても知らんぞ。-------(あとでこのガキの口も塞がねばならんな)」
まさに黒有理は悪魔のような冷徹さを持っている。
(フン、向こうも迎撃準備はできている、か、馬鹿正直に戸口の前立つと思うな、ここから貴様を切り刻んでやる。)
両手を高く掲げてて気合いと共に妖術を放つ。それは三つに分かれた鎌の刃が暴れ回る車輪の如く相手を切り刻む妖術、それを二連発・・・【二連、三つ鎌車】、それが狭い路地を真っ直ぐ突き進んで清太と千里がいる家の中へ轟音と共に直角に折れ曲がって突き刺さった。目標は化け猫だが家人がいようがお構いなしだ。中で暴れまわった三つ鎌車はそこにいる者全てをズタズタにする。
(一緒いたのが運が悪かったと諦めろ。)
「て、てめぇ何しやがる !中に人がいるんだぞ !。」
化け猫を退治してやる、と言われてこの男を案内してきたのに他人を巻き添えにするなど聞いていない。
清太は、その家族は無事なのか・・・
「だから帰れと言ったのだ。」「なんだと、コノヤロー!、」
太助が黒有理に突っ込んで行こうとしたそのとき !・・・二つの鎌車が長屋の屋根を突き破り、空へ弾かれた。
「なんだと !、弾かれた ?、不意を突いたはずだが、ヤツの妖力はまだ落ちていない ?、」
ならば二の矢三の矢を放つまで・・・黒有理は太助に構わず路地の奥へ、前よりも強力な鎌車を連発しながら走り出していた。太助もその後に続く。
「あの野郎、清太の家をめちゃめちゃにしやがって。」とその太助の襟首をむんずと掴んで脇へ引きずり込んだ影がある。
黒有理は二の矢、三の矢を放ちながら破壊した長屋の戸口の前に近づいた。そこから出ているはずの化け猫の妖気が無い、消えている。 (いない・・・逃げたのか ?)
だが黒有理が放った二の矢、三の矢の鎌車もまた弾かれて屋根や壁を飛び出していく。
(バカな ?・・・)黒有理が破壊した戸口から中を見たとき、そこにあったものは・・・金色の球体に包まれてその中で父親に必死にしがみついている子供たちの姿であった。さらに家の中にいたはずの化け猫の姿も無い。 球体は、清太等家族を守るバリヤーのような形で包んでいた。
(なんだ、これは、・・・これに弾かれたのか・・・?)
黒有理はその球体と正面に対峙する形となった。・・不用意であった。 突如、その球体から集約された光の束、波動が黒有理の土手っ腹に、ぶち当たった !。
ぐぇっ !という声も発する間もなかったであろうと思われる。まさに不覚、黒有理の体は長屋の壁をぶち破り、板塀を破って新道の通りまで吹っ飛んだ。普通の人間ならば即死しているところだが・・・
呆気にとられたのは屋根の上にいた千里であった。黒有理の攻撃は予測していたが、この少し前、鎌車が戸板を破って来る前、金色のバリヤーに清太等家族が包まれた。---------(なんだこりゃ ?)まるで家族を保護するように-------その直後、黒有理の鎌車が突っ込んで来た。それをバリヤーが弾き返すのを見た瞬間、鎌車と一緒に間一髪、屋根の上に飛び出した。千里が気配を遮断して敵が間合いに入ったところに妖力を全開放でいざ反撃・・・と思っていたところが、相手が勝手に吹っ飛んで行った。
(何が起きた ?) 千里も黒有理も理解不能な事態が起きた。
(四)
途轍もないでかい音に、馬喰町二丁町界隈は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。暮れ六つ、表店は店を閉め、夕餉の支度にかかる頃旅籠屋其々はまだ呼び込みの手を緩めない。-------そこへこの騒ぎ、地震だ火事だ、空から槍が降ってきた、いやどこぞの長屋に雷が落ちたんだと、大慌てで外に飛び出した者が続出した。
破壊された屋根の下でお互いにしがみついてた清太たち兄妹のところへ太助が飛び込んできた。家族を包んでいたバリヤーのような球体はもうなくなっていた。
「大丈夫か 、ケガはねぇか ?、」
その後に着流しの遊び人風の男が入ってきた。穴が空いたてんじょうから空が見えている。向かいの長屋には黒有理が飛ばされた穴が横丁まで続いている。
「ひでぇなコリャ、周りの人達も何が起きたかわからねぇ、って感じだな。」
清太家族も家の惨状に初めて気づいた。天井から薄暗くなった空が見えている。
「あーーやねがない !」「どうなってんだ、何があった ?」
「たー兄ィ、なんでここへ ?」
「やっぱり百本杭で拾ったあの猫は化け猫の類いだったかもしれねぇな。こんな大惨事を引き起こすんだから・・・それにしてもあの野郎、化け猫を退治してやるなんて言いながら、俺をここまで案内させて清太の家族を巻き添えにするのも最初からなんとも思っちゃいなかったんだ。・・・すまねぇな、許してくれ。」
「やっぱりお前が大元か、だいたいお前が清太を引っ張り廻すからこんなことに巻き込まれちまうんだ。
金輪際うちのせがれに近づくな。」
「まぁまぁ、親父さんこいつ(太助)は何も知らなかったんだ。そう責めずにな、勘弁してやってくれ。」 「勘弁できるか !家にこんな大穴開けやがって・・・だいたいおめぇ、いったい誰だ ?」
「俺はこの小僧の知り合いさ。だいたい穴開けたのはこいつじゃねぇだろ。」
「じゃいったい誰が・・・?」
それは馬鹿正直に太助が連れてきたやつが、とは言いずらい。
「あの野郎、何処まで吹っ飛んだ。」
「新道通り越して附木店まで吹っ飛んで行ったんじゃねぇの ?」
「そこまで行くかぁ、普通死ぬぞ。」
横町の通りに死んだように倒れている黒有理の周りに住人たち、旅籠の泊り客も集まってきた。
「何処から降ってきたんだ ?」「死んでんじゃねぇのか、誰かつついてみろ。」
そのとき、全身血にまみれた黒有理がゆらりと立ち上がった。髪を乱し、羽織もボロボロで宛ら幽鬼の如し・・・この姿を見た者たちは本当の幽霊を見たかのように慌てふためいてその場を逃げ出した。」
「うひゃぁぁ~~、で、出たぁー、お化け~~。」
人々が逃げ出した後に、千里がゆっくりと降りてきた。
「しぶといな、てめぇ・・・普通死んでるぜ。大蛇から授かった霊力は伊達じゃねぇ、ってところか。」
「化け猫・・・さっきの光の束は貴様の仕業か・・・」
「知らねぇな。こっちがこうげきしようとしたら、てめぇが勝手に吹っ飛んで行ったんじゃねぇか。(こっちも訳がわからねぇけど)」
「なんだと・・・貴様以外に誰がいる !」
「知るかぁーーボケェッ !」-----(如何やらあれはあの仏像の力らしいな)-----
千里が目撃したのは鎌車が飛び込む寸前、唸りをあげていた仏像が清太たち家族を包み込んだ。鎌の刃がそれに弾かれ屋根に大穴を開けると、それに乗じて千里は屋根に逃れた。その後に光の束(波動)が黒有理を吹き飛ばした。
(不空羂索菩薩か・・・てめぇで守ってやれんなら俺を巻き込むなってんだ。まぁ、自分じゃ動くことができねぇから仕方ねぇか。)
「おい、それよりサッサと逃げて傷の手当をしてもらった方がいいんじゃねぇか ?。アイツはそれぐらい簡単にやってくれるだろ。それに・・・まだ見物人があっちこっち、屋根の上に居るぜ。てめぇをつけて来た奴らじゃねぇのか。」
「なに・・・?」
「気付かねぇとは、ド頭打ってヤキが回ったか、情けねぇな。」
「おのれ・・・」黒有理もようやく気づいた。町売りの行商人共はいつの間にかそれぞれ屋根の上に陣取ってこちらを凝視している。古傘買い、定齊屋、老婆の小間物売り、ネズミ捕りの薬売り、山伏、虚無僧、それに時季外れの御行までいる。渠等は殺気を放つ事無く、ただ悠然とそこにある、という雰囲気だ。そのために黒有理も感知することが出来なかった。老婆は呑気に煙草をふかしている。しかしその手には皺が一つもない。屈強な筋肉が袖の下から覗いている。
(高座め、相変わらず監視の目は緩めておらぬ、というわけか。明らかにこの前の多聞櫓の雑魚とは格段に違う手練れを揃えてきたな。・・・今のところ襲ってくる様子はないが・・・そうか、この状況を逃さず俺を殺しにかからせるか。俺が奴でもそうする・・殺せる機会を得たら躊躇なく殺せ、という指令を出しているようだな。)
それでも常ならばこの格上の忍者たちでも黒有理なら殺す事は造作もないが、なにしろ正体不明の攻撃を受けて重症を負った身である。黒有理は懐の紙形代、紙吹雪の残量を確認した。今この場は逃げねばならぬ。(今この状況で化け猫との戦闘になれば、奴らはそれに乗じて襲ってくる、俺が奴でもそうする。
しかし、勝手に俺を殺せば大蛇が黙っていないのは分かり切ったこと・・・それでも殺るか、ならばこちらも受けて立つ、同じ大蛇の手下ではあるが・・・・仲間ではない !、ここから逃げ切ったあとで・・・高座ぁ ーーーッ! 貴様の手駒、全て、殺して丸裸にしてやる。)
一方の甲賀忍者たちも黒有理が吹き飛んだ瞬間を目撃したが、いったい何が起きたのか理解不能であった。今、黒有理の前に現れた化け猫が放った妖術なのか ?。一人が傍らにいる重三に尋ねた。このとき、連絡を受けていた五十鈴重三は柿色の忍び装束を纏い、この一団を指揮していた。
「あれか、虎になった化け猫というのは。」
「あぁ、三人食われた。残りは・・・空から槍が降ってきた。」
「そりゃぁ残りの奴らも逃げ出すよな。それにしても化け猫なんて、妖怪図でしか見たことがないが、本物を見るのは初めてだ。なるほど、尻尾が二つに割れとるわ。それより・・・」
と、定齊屋は別の屋根で呆けた感じで待機している御行姿の忍者に目を向けた。
「あの野郎、もうちょっとましな衣装はなかったのか・・・?時季外れじゃねぇか。土用の夏念仏にしたってまだ先だろうが。」
「ま、あいつはチョットずれているからな。」と重三が返すと・・
「ずれてるどころじゃねぇだろ・・あいつは元々脳ミソの箍が外れてんだぜ。他にいなかったのか ?・・・それにしても、あいつが背負っている括り猿は・・・綿入れの人形には見えねえな。」
御行はわいわい大王や、すたすた坊主と同じ願人坊主の稼業の一つだ。寒の入りの頃町々に現れて寒念仏
、寒参りの代行を行うと触れ歩き銭を請う。寒念仏の反対が夏念仏で、これは夏の土用の頃だ。御行が他の願人坊主と違うところは、渠らは背中に三色の綿を詰めた猿の人形・・・縫いぐるみを背負っている。これが括り猿だが、そのうちの一体がどう見ても・・・
「ありゃ、縫いぐるみか・・・?」と首を捻った。
「神田の西半分を焼いた後で今度はここ(馬喰町)を火の海にする気か ?」
「・・・・元凶は貴様だろうが、貴様がおとなしくここ(江戸の地)を離れるか・・・或るいは死んでくれれば町も焼け野原にならずにすむ。民も難渋しておるわ。」
「吐かしやがれ、この人喰い共が、困ってんのはてめぇの後ろに控えているヤツだろうが。」
千里が次に吐いた言葉が黒有理の感情を逆撫でした。小馬鹿にした笑いだった。
「いつまでヤツにこき使われてるつもりだ。?あぁん、この、犬っころ。」
「やかましいわ ! それ以上の減らず口は叩かせんぞ。」
(五)
「始まるぜ。」手負い同士の戦闘が始まろうとしている。千里の二本の尻尾が二メートル、三メートルと伸びて砂塵を巻き上げて旋回した。砂塵が煙幕のようになり、そこから千里の尻尾が鞭のように飛び出すが黒有理は傷を負った身で避けるのが精一杯だ。
「このまま化け猫がアイツを始末してくれりゃぁ、楽なんだが・・・」
重三の本音は両方相手にはしたくない。出来れば、化け猫が黒有理を殺してくれれば御の字だ。
(化け猫の方は・・・放っとくか、別に何も言われてねぇし・・・)
淡い期待を寄せたが物事は自分に都合よく働いてはくれない。それが世の常だ。
黒有理はやはり紙形代、紙吹雪を大量に出してきた。忽ち数十体の鬼が辺りに散らばり火を放つ。爆音が辺り一帯に響き渡った。数体の鬼が黒有理の盾として千里の攻撃を防ぐ。さらに十体以上が千里に向かう。黒有理はこの隙に逃げにかかった。千里は群がる鬼を蹴散らしてその後を追った。住民、旅籠の客たちの悲鳴があちこちで沸き上がった。大慌てで外に飛び出す者、恐怖で家の中で腰を抜かす者・・・
「お、鬼が出た~~~。」「なんつう所だ !」
「お江戸がこんなおっかねぇ所だったとは知らなかったよ、おっかさ~~ん !」
「やっぱりこうなった。」重三が黒有理と千里を追おうとした矢先に重三に揚羽が声を飛ばした。
「鬼どもを何とかしないと、この辺りまた火の海になるよ。鬼どもがあちこちに火をつけて回っている。」
「関係ない、俺たちの役目は人助けじゃねぇ。命令を遂行することだ。姉川黒有理を殺す、その機会は今しかないぞ。他人の生き死には放っとくんだな。」
「しかし・・火をつけて回っている鬼どもを何とかしないと、・・それを始末しないと、火消し人足も消化にあたれない。」
これに老婆が口を添えた。「揚羽、あたしらと化け猫で奴を倒しにかかったら、奴は盾変わりに魔物共を呼び戻すだろう。そうすりゃ火消し連中も鬼どもに邪魔されず消化に専念できる。」
「婆ァの言う通りだがそうすれば黒有理だけではなく鬼どもも相手にしなければならん。」
「鬼が怖ぇか、ヒッヒヒヒ・・」 他の者が言葉を続けた。
「ここにはそんな者は一人もいない。」
「よし、決まりだ。全力で姉川黒有理を倒しにいくぜ。いいな揚羽。」
忍者たちも黒有理、千里の後を追った。魔物、鬼どもは馬喰町一丁目二丁目の辺りまで火を放つ、それが浜町堀を越えそうな勢いで拡がりをみせている。遂に亀井町、通油町にまで火が回った。黒有理が放った鬼、魔物の数は百に迫る。-------とそのうちの半数以上が引き返した。黒有理が呼び戻したのだ。
千里との死闘がかなり苦戦を強いられている。両者とも手負いだが黒有理の方が分が悪いようだ。
戦闘は初音の馬場近く、その高さ三丈の火の見櫓のすぐ前に移っている。黒有理は三日月刃を出しながら千里を倒そうとするが負傷した身でキレが悪い。千里も虎に変身できるほどの回復力がない。
(クソっ、どてっ腹がまだ痛ぇ・・・)
それでも逃げにかかっている黒有理の鼻先を押さえるように前に回り込む。
「逃がすか !」「しつこいぞ、この化け猫。」
黒有理の放つ三日月刃を千里の鋼鉄の尻尾が弾き飛ばす。火の見櫓を回り体を入れ替えての戦闘、その煽りを受けて櫓の脚部が二本損傷した。切断された脚はそこに乗っかっている感じで、残り二本の脚で支えられている状態だ。櫓の脚を背に、もたれかかった黒有理は息が上がっている。-------喉笛に食らいつくのは今、この時 !しかし間一髪、呼び戻された魔物共がこれを遮った。十体以上が黒有理を守るように取り込み、千里へ攻撃をかけてきた。
「クソっ !邪魔が入った。」
「残念だったな、残りの鬼どもと遊んでおれ。今日は分が悪い、兵法の要は逃げることよ。このまま去らせてもらう。」
「ナロー、逃がすと思うか。」
「俺に関わっている暇があるか、貴様を助けたあの小僧はどうなっているかな。」
ハッとして後ろを振り返ると二丁目の辺りが業火に包まれている。「まずい !」今気がついた。
子供とその家族の顔が浮かんだ。
「貴様に関わった人間は全て死ぬな。それが貴様の持って生まれた業だ。フハハハハハ。」
千里は黒有理を追うのを止めた。-------戻らねば、助けなければならぬ。体は自然にそちらへ向いた。
-------俺は冷めている。人の生き死にには関わらない。見捨てた命も少なくない、そういう構えでやってきた。だが自分を助けた小さな命を無下に失わせたくない。
(間に合ってくれ)-------その思いを妨げるように鬼が千里に襲い掛かる。
「邪魔すんじゃねぇ ! クソがぁぁぁぁあ !」怒りの旋風は鬼をなぎ倒し業火の中へ・・・
逃げにかかった黒有理の護衛役の魔物共が突然、何かに貫かれた。さらに行く手を塞ぐ者たちがいる。
化け猫の替わりに今度は忍者が襲ってきた。黒有理は一足飛びに火の見櫓の屋根を足場にした。
新たな護衛役の鬼どもがその直下の柱にしがみついて辺りを伺う。忍者たちによって八方が塞がれている。だがばらまいた鬼の数はこちらが勝っている。一斉に襲わせれば何処かに穴が開くはずと黒有理は踏んだ。
「鬼ども奴らにかかれ。俺の逃げ道を確保しろ。」
第⒉ラウンドは鬼と忍者の死闘だ。魔物が忍者に襲い掛かる。
「定齊屋、痺れ薬 !」「応 !」 定齊屋が薬箱から紙風船を鬼の頭上に飛ばした。それが鬼の頭上で破裂する。忽ち数体の魔物、鬼が動きを鈍くして苦しみだした。
「古傘、針を飛ばせ !」 「ほいきた。」
動きが鈍った鬼どもに、古傘買いがぼろ傘を開き勢い良く回転させると、傘の骨が八方へ飛び散り、骨の毒針が鬼どもへ突き刺さった。小間物屋の老婆に襲い掛かった鬼は煙管の煙に巻かれた。毒霧だ、その煙管は通常のものより太く長い、さらに普通の人間には持てない重さでもある。鬼の頭部を破壊するには充分だ。 「あの婆ぁ、一体歳いくつだ ?」 百戦錬磨の忍者たちもこの婆ァの凄さに舌を巻いている。
呆けの御行は奇声を上げて猿のように鬼に飛び掛かり、素手で鬼の頭をねじ切っていく。
「まかしょー、まかしょー、撒いてくりょー、御祈禱坊主のお札ぞい、まかしょー、天神様のお札だぞい。家内安全、商売繫盛、鬼たいさーーん。」さらに背中の括り猿に向かって・・・
「おめーも・・・行けっ !」その途端、御行の背中の縫いぐるみが強烈な雄叫びを上げて魔物、鬼どもに襲い掛かっていった。
「それいけ、やれいけ、ドーンと行けやぁ、食い殺せーっ !」
縫いぐるみではない、本物の猿だ。それが牙を向いて次々鬼に嚙みついていった。
「やっぱり本物の猿かい。それにしても天神様のお札が魔除けになるかっ、つうんだ。相変わらずズレてやがる。ま、放っておくしかねぇな。」
八方に陣取った忍者たちは徐々に距離詰めていく。それが十間ほどになったとき、まだ遠間だと思っていた黒有理の虚を突いて、代わるがわる一撃離脱の攻撃をかけてきた。黒有理は鬼を盾替わりとして防ぐ、その鬼が放った火焔攻撃が火の見櫓の脚に燃え移った。陀出口を模索している黒有理も気が付いた。
「むっ !まずい、(脚に火がついたか、グズグズ出来ぬ)」
黒有理の焦りと忍者たちの奮闘、これを包囲網の外側で凝視している者たちがいた。郡代屋敷の屋根の上に三弦を抱えて着飾った女たち五人だ。-------芸者がこの戦闘の最中に紅蓮の焔を前にして佇んでいる。
「まったく・・・・よくやっている、とは言い難い、呆れるわ。」
この一団の統括者らしい女が吐き捨てた。
この少し前、千里を助けた清太たちにも危機が迫っていた。金色の光を放った菩薩像は板の間の菰の上に転がっていた。長屋の屋根も壁も鎌の刃でズタズタにされて、そこから火の粉が舞い込んで燃え始めている。とにかく表通りに出なければ、十助は女房の位牌を懐に入れて通りに出た。末娘のおみつが-------
あ、ほとけさまも-------と言って拾い上げ十助の後に続いた。家族は表通りに出た。
「金ちゃん、どっちへ行く ?」
浜町堀を越えた先も火に包まれているのだ。北東方向へ逃げるしかないが三丁目の辺りも火の手があがっている。(忍者たちと鬼どもの戦闘のためだ)馬場の方へ抜けるしか手はなくなった。
「馬場の方へ回るしかねぇ。郡代屋敷を右に折れれば浅草御門に出られる。広小路へ行くにはそれが一番早道だ。太助、小さい子たちの手を離すなよ。ここで迷子になったら探し様がねぇ。」
「おう、ガッテンだ。おみつお前は俺におぶされ。」太助はおみつを背負い、清太は菜助の手を引いて他の避難民とごったになって火除け地にもなっている初音の馬場を目指す。ここから浅草御門を目指せば両国広小路はすぐそこにある。馬場につけば一安心、とだれもがそう思っていた。
黒有理がばらまいた鬼どもは百を超える数だ。その半数以上は黒有理が自分の身を守るための盾として呼び戻したが、残りがまだ火を吐いて人に食らいついている。馬喰町一丁目、二丁目を中心にかなりの数の鬼、魔物が残っている。
揚羽はこれはマズイと判断した。このままでは火消し人足たちが鬼の餌食なってしまう。奉行所の掛りの出動も手間取っている。急ぎ重三傍へ駆け寄った。
「目算が狂ったね、このままじゃ人足たちが襲われる。奉行所の掛りもまだ来ていない。あんたが向こうで火消し人足たちの指揮を取ってくれないかい。」
「ダメだ、(黒有理への)包囲の穴が空く、奴を逃がすわけにはいかない。今この時しか奴を殺せねぇ。」
「火消し人足たちを守れるのはあんただけだよ。人足がやられたら、この辺り一帯焼け野原になる。姉川黒有理はあたしが殺す。」 「しかし・・・」
「二人ばかり連れて行けば向こうの鬼どもは駆逐出来るだろ、アイツは残ったあたしたちで必ず仕留める。」
「仕方ねぇ、良仙、五郎左、一緒に来い。」重三は意を決して山伏と虚無僧を連れて二丁目に戻ることを決めた。
火消し一番組【に組】が総出で出動した時には馬喰町だけでなく、通塩町、橘町の一部にまで火の手が上がっていた、渠等が見たのはさらに暴れ回る鬼の姿だ。
「なんだありゃぁ・・・・あの鬼どもは三日前に三河町から多町まで焼いた化け物じゃねぇか。また何処から湧いて出た ? 奉行所の掛りはまだこねぇのか。あっちこっちに飛び火して何処から手をつけたらいいかわからねぇぞ。」 こう言ったのは「に組」の纏持ち、晋三であった。
-------大火の時は町奉行自ら出馬し与力同心はその旗下として火消し人足の差配に当たるのだが火急の時はその差配を待たずに頭取の判断で火消しにかかる。そこへ他の組が続々と助成に駆けつて来る。
「何をもたもたしてやがる。この「に組」の薄ノロども、とっととかからねぇかって・・・あっちこっちで火ィ吹いてんじゃねぇか・・・何処から手をつけたらいいんだ ?」
「おう銀次、てめぇこの前の火事で屋根から落ちておっ死んだんじゃなかったのかよ。まだ生きているとは往生際の悪い野郎だ。」
「うるせぇ !、いつの話しだ、生憎この俺は火の中に落っこちても死なねぇように出来てんのよ。」
「それより見てみろ、鬼がわんさか出てやがる。火を吹いて暴れ回ってやがる。手がつけられねぇとはこのことだ。」 「あれま・・・」
「吞気な野郎だ。火を消すにしても鬼どもに邪魔されたんじゃ仕事になせねぇ、どっちを先に片づける ?」
このとき、一匹の鬼が二人に襲いかかってきた、が・・・銀次も晋三も平人足から長鳶口を奪い取り、同時に鬼の顔面に突き立てて叫びながら左右に引き裂いた。
「アホンダラーーッ !、鬼が怖くて火の海に立てるか、ボケーーッ !」
二つに引き裂かれた鬼の体はドウと地面に倒れた。
「大したもんだ。お前ら加賀鳶の臥煙にも引けを取らねぇな。」
そこに来たのは忍び装束を解いて同心姿に戻っていた五十鈴重三であった。
「おや、こりゃ八丁堀の五十鈴の旦那じゃねぇですか。」
「旦那一人かよ。他の掛りはどうしたの ?、奉行所がもたもたしてんなら、勝手にやっちまっていいんだな。」
「だから俺が先に来た。俺が差配を振る。「に組」は二丁目と馬場の方へ回れ、銀次おめぇは此処(一丁目)と浜町堀を越えて亀井町の方だ。因獄に火が移ったらとんでもねぇ事になる。屋根の上で暴れてる鬼どもは・・俺と別の仲間が始末をつける。」
「おーー、八丁堀の鬼退治かい、後々までの語り草になるぜ。」
「野郎ども、鬼にビビッてんじゃねぇぞ。それっ、かかれーーッ !」
と、男たちが行動を起こす直前、屋根の上からドサドサと首と胴体を切られた鬼の体が落ちてきた。
「ひゃぁ~~~なんだよ!鬼がぶっ殺されて降ってきた。」
「何でもいい。今のうちに屋根に登るぜ。」銀次も晋三もこの機を逃さず火消しにかかった。
重三と忍者二人が見たものは化け猫が矢の様な速さで鬼を倒していく光景だった。
「あれはさっきの化け猫、戻ってきた ? 姉川を追うのは諦めたか。なんにしても火を消すなら今のうちだ。良仙、五郎左、残りの鬼も片付けるぞ。」 「応ッ !」
避難住民は初音の馬場を目指して大通りがごった返している。人の目は屋根の上で戦っている化け猫と鬼どもに向ける余裕はない。屋根の上で纏を振っている纏い持ちだけがその光景を見ることが出来た。
「なんだ、バケモンの首を跳ねてるやつがいる。・・・猫か、猫が鬼の首を跳ね飛ばしてやがる。・・・
あぁ~~あぶねぇ、もう少しで当たるところだったぜ。」
千里に跳ね飛ばされた鬼の首と鬼が吐き出した火炎弾が銀次の正面に飛んできた。敵か味方か分からないが、化け猫の活躍に見とれている場合ではない。火の粉を浴びながらもも自分は自分の仕事をしなければならないのだ。
清太等一行の安否確認に戻った千里だが入れ違いになった。(避難しているとしたら馬場の方だが、如何やらそっちにも魔物共が出ているようだ。ここの残りは、忍びらしい奴らが来ていたから、そいつらでなんとかなるだろう。)千里は再び踵を返して清太たちを追った。
清太たちを庇いながら太助と金四郎は他の住人たちと馬場に到着していた。だが金四郎はそこに異様な雰囲気を感じ取っていた。-------得体の知れないものが闇の中で蠢いている気がする。闇を裂く無音の音、-------なんだ、上か、鬼がこっちにも出ている。さっきの学者 ?がまだ生きているのか ?。
太助は別の異様な音を感じ取っていた。「なんだ ?・・・変な音が聞こえるぜ。」
「音だと・・・」
「ギィギィって音が、火の見櫓が唸ってるような・・・」
火の見櫓の方で何か動いている。櫓は限界を超えている。
初音の馬場に聳える高さ三丈の火の見櫓、そこを足場にしている黒有理に残りの忍者たちが一斉に攻撃をかけた。これを盾代わりの鬼が防いでいくが、攻防は一進一退、忍者たちも容易に近づけずにいたが、徐々に一匹また一匹と削ぎ落とされていく。頃合いを見計らって揚羽は鉄鞭の先に付けた飛び苦無を櫓の屋根の庇に突き刺した。振り子の様に反動を利用して跳ね上がり、黒有理の眼前に踊り出た。黒有理の反応も素早かった。その胴体を両断せん、と三日月刃を放ったが、揚羽の体は影を残して消え、あとに無数の紙の蝶が残った。 「甲賀忍法、火焔蝶 !」
おびただしい紙の蝶が黒有理に纏わり付く寸前、それが次々と誘爆した。盾代わりの鬼が薙ぎ払った為であった。まさに間一髪のところで黒有理は命を拾った。
「チッ !、なんという悪運の強さ。」揚羽が吐き捨てる様に呟いた。
この戦いを郡代屋敷の屋根で俯瞰していた女たちの統括者が吐き捨てるように言った。
「情けない奴らよ・・・手傷を負っている男一人仕留められぬとはな・・・」
「まぁ、魔物を使役する能力を持つあの学者擬きもかなりの使い手と見えますが・
・・そんなのどうでも良いではありませんか。・・アイツが逃げたらあたしたちで殺せば良いだけですわ。」
「それより【地組】の揚羽・・・なかなか面白い術を使うこと。」
「(柳川)一蝶齊の手妻擬きね。見世物小屋でやる分には素人受けするでしょう。」
「まったく。」
この女たちは最初から黒有理と甲賀五組の戦闘は末から眼中にない。それどころか、統括者、リーダーの様な女に、姉さま、姉さまと呼んで絡みつくのに必死である。
この女忍びの統括者こそ頭領夏見幻三郎の女、アサギであった。その性、酷薄にして業は烈、勿論他の四人も五組の忍者たちを凌駕する。その女たちが只ならぬ気配を感知した。
「あれは、なに・・・?、」「小さな生き物・・・猫よ。」
小さな生き物が闇の中を矢のように飛んで来て、黒有理の魔物どもを次々と倒していく。
「あれこそ先日神田で暴れ回った化け猫に相違ありませんわ。」「まぁ凄いこと。」
「五組の寄せ集めどもより、余程役に立つこと。あ、・・・また一匹倒したわ。」
「あの化け猫の皮で三味線を作ったらさぞかしいい音色を奏でるにちがいないわ。」
「いい音色とは何・・?」
「人の脳髄に直接届く妖しい調べよ。「春雨」や「雷電」を超える名器となりますわ。」
これを受けて他の女たちも疼くように、あの化け猫の皮が欲しいと言い出した。
「あたしたちの術にもさらに磨きがかかります。姉さま、あたしたち、あれが欲しゅうございます。」
忍者と黒有理の戦闘には目もくれず、女たちはアサギにもたれかかった。
「お前たちに狩れるかな。」 アサギは笑みも浮かべず、冷徹に応えた。
「あの猫はあの時、虎になって五組の下忍を三人食い殺しているぞ。」
「もう、姉さまったら・・あたしたちをあんな薄のろ共と一緒にしないで。」
「姉さまはいつも冷たい、いつもつれない。ときには優しい言葉が欲しいのです。」
「お前たちを甘やかすつもりは更々ない。」
他の女たちもアサギにすがりつく。まさに右纏左糾、右に纏われ、左に絡みつく女たちを疎ましく思いながらもそのまま好きにさせていた。
「あたしたちは姉さまのためなら命懸けで仕事をしますわ。あの、化け猫か、それとも虎か、どちらでも必ずや狩りとって、その皮を姉さまに献上いたします。さぞかし最高の三弦ができあがるでしょう。」
-------突如、アサギがその輪から抜け出して上に身を避けた。一瞬の事で女たちはそれについて行けず重なり合った。 「あ、あれ姉さま・・・」
前方から一塊の物体が飛んで来て、女たちの目の前の瓦屋根にぶち当たった。
生き物だ。 「えっ・・・?なに ?、なにこいつ ?」-------飛んできたのは、猿である。
この少し前、願人坊主の括り猿が千里に吹き飛ばされて此処まで飛ばされてきたのだ。
初音の馬場に戻ってきた千里を黒有理も感知した。
(厄介な、もう戻ってきたのか、この足場ももう持たん、崩れそうだ。)
千里の足止めに残してきた魔物共も役には立たなかったようだ。忍者たちは黒有理の周りの鬼どもを次々と削っていく。ここに千里まで加われば自分は丸裸にされる。
-------逃げられぬ、と思った矢先、黒有理を救う不測の事態が起きるとは予測できなかった。
包囲網の中の一人、まかしょの忍猿が突然、野生 ?の本能むき出しで千里に向かって行ったのだ。千里の妖気を鬼だと勘違いしたのか、-------案の定-------
「なんだ、てめぇわぁーーッ !、邪魔すんじゃねぇっ !」
千里の鋼鉄の尻尾で遥か彼方へ弾き飛ばされた。これに驚いたのは飼い主のまかしょだ。
「あぁぁ~~~、二郎丸~~!、俺の猿がぁぁ~~~飛んでったァーーー!」
あろうことか、まかしょは任務を放棄して猿を追いかけて飛んで行った。包囲に穴が空いた。これを黒有理が見逃すはずがなかった。黒有理が櫓から飛び去るのと、それが倒れていくのが同時であった。
高さ三丈の火の見櫓は悲鳴をあげて避難住民の頭上を襲った。
「危ねぇーーーッ!、櫓が倒れてくるぞ。」「うわぁぁぁぁぁぁぁ。」
黒有理は残りの鬼数十体を放置したままその場を去っていった。
「あーー馬鹿野郎!猿なんか放っとけ、奴が逃げる !。」
揚羽と古傘買いがすぐに後を追ったが既に彼方へ飛び去った。
「だからアイツを連れて来るなって言ったんだ。誰だ ?、アイツを連れてきたヤツは。」
「八丁堀じゃないのかい。」こう言ったのは小間物売りの老婆だ。
「ンじゃぁ、責任とるのは重三だ。おら、知らねぇ、っと。」
倒れた火の見櫓は大勢の避難民を巻き込んでいた。「あぶねぇっ、逃げろー。」
十助は子供等を庇う為に自らがその下敷きになってしまった。
「あぁ・・父ちゃん、父ちゃん・・・」「たー兄ィ、父ちゃんを助けて。」
子供たちは泣きながら倒れた櫓の脚を動かそうとするが子供の力では動かすことは不可能だ。
太助は目の前の出来事にただ茫然とするしかなかった。
(何が起きた・・・?、なんでこんな事になっちまった。俺があの男を連れて来たからか、・・アイツはいったい何もんだったんだ ?、化け猫を退治してやる、なんて言って、アイツ自身が化け物じゃねぇか。) そこへ金四郎の弩声が飛んだ。
「ボケーとしてんじやねぇ !太助、」その声で太助は我に返った。
「動けるもんはいるか、こっちへ集まってくれ。櫓の脚を持ち上げて怪我人を引っ張り出すんだ。
この櫓の倒壊で圧死、即死した者、さらに重傷者を含めれば動ける人間は僅かしかいなかったが残った者たちで必死の救助活動をしている。清太と太助が十助を引っ張り出そうとしたが、金四郎が診た時には、
もう・・・(だめだ、もうこと切れている。・・・クソっ !)
清太の弟妹も生きていると信じて父親に声をかけているが何の反応もない。そのとき、金四郎の鼻先を火焔が掠めた。振り返るとまだ残っている鬼がこちらへ迫っている。
(なんだありゃー ?火の見櫓をぶっ倒したのはあの化け物共か ?)
「此処にいたら危険だ。動けるやつは怪我人を助けてすぐにこの場から離れろ。太助お前もその子等を連れて広小路へ急げ。」
「金ちゃんはどうすんだい ?」
「動けねぇ人たちの方が多い、あの化け物共は俺が片付ける。」
「えぇ~~、無理だよ、人が鬼に適うわけねぇ。金ちゃん丸腰しじゃねぇか。」
「あの子等を鬼に食わせる気か・・。」
十助の遺体にしがみついて泣きじゃくる清太とその弟妹がいる。このままでは初音の馬場にいる人間は確実に鬼に食われ命を落とす。
「俺のことを心配すんじゃねぇ。」金四郎は語気を強めて言い放った。
「早くしねぇか、今その子等を助けられるのはお前だけだ。分かったらサッサと行け !。」
その言葉で太助も心を決めた。泣きじゃくる清太たちを十助の遺体から引き剝がして、自分も泣きながらその場を去っていった。それを見届けると金四郎は懐から三尺手拭いを取り出すと、足元の拳大の石をポンと蹴り上げ、それが先が袋状なっている手拭いにすっぽりと収まる形となった。
アサギ率いる芸者忍者たちの目の前に、千里に吹っ飛ばされたまかしょの忍猿は、何が起きたか分からない、といった感じで貌を上げた途端、目の前に現れた女たちを見て背筋を凍らせた。今、眼前にいる女たちが鬼より恐ろしい生き物である、と直感で理解した。威嚇の聲も出せず、貌に脂汗を滲ませた。そこへ猿を心配して飛んできたまかしょが・・・
「あぁ、心配したぞい。二郎丸、俺から離れちゃいかんぞい。まったく、お前は俺のいうこと聞かんから
・・・」と、猿を抱えて戻ろうとした時、今までに感じたことのない殺気、圧、が降りかかってきた。
「なんだ ・・・お前は ?。」
一人が、その容貌からは想像出来ない程のドスの効いた声で脅してきた。
「あ、あの・・・俺はこの猿を探してた・・御行で・・・この猿、俺の・・・」
「願人坊主がこんな夜更けに屋根の上にいるか。」
「貴様、五組の中の忍者の一人だな。あたしらと姉さまのいいところを邪魔しやがって。」
「コイツ殺しちゃおうか。」「アイツ反対方向へ逃げちゃったよ、残念。」
まかしょはこれこそ甲賀五組の外にいる女忍者たちだと察した。頭領の女が率いる女忍者たちを見た者は殺される、という仲間うちの噂を、このまかしょも頭から信じ込んでいた。如何にかして誤魔化してこの場を逃げ出そうと考えたが返答もしどろもどろになった。
「いや、俺ホントに・・・ただのおんぎょーだから、猿を助けたら、すぐここからいなくなるから・・・
だからね・・・見逃して。」
まかしょは一刻も早くこの場を立ち去りたかったがそうもいかない状況が続いている。
周囲を視感していたアサギが千里の牙を逃れてここに近づいてくる生き残りの鬼を見止めた。
「今度はこちらに来たか。」距離は十間以上あるだろうか、慌てる素振りもなく、一人に迎撃を命じた。
「セセリ、始末せよ。」 「お任せあれ。」
命じられた女忍者はこの距離から静かに、妖しく三弦を鳴らした。その音は徐々に高く大きくなり、遂には人間の耳では感知出来ない周波数を作りだした。その三弦を頭上に振り上げると気合い一閃、「えやっ !、とばかりに振り下ろした。 「甲賀忍法、音刃 !」
一匹目の鬼は耳から鼓膜を破られ頭部の中をズタズタに破壊され血を噴き出して倒れた。二匹目、三匹目が頭から血を噴き出して倒れていく。だがアサギはこのくらいはさも当然といった感じで一瞥もくれない。 「二匹目、三匹目を倒すのに時間がかかり過ぎる。」
「姉さま、こいつらどうします ?」
自分たちの正体を目撃した願人坊主と猿一匹だが、放って置いても害は無しと判断された。アサギは女忍者たちを引き連れて去っていった。後に残されたまかしょと忍猿は涙目で震えながら抱き合っていた。
しかしこの様子を千里も捉えていた。千里は女忍者が発した、人に感知出来ない音波を捉えていた。
「なんだ、今のは ?、・・・向こう、郡代屋敷のほうだな。女が五人か・・・奴らも忍びらしいが、けったいな術を使いやがる。」
残りの鬼を駆逐しようと馬場に向かう途中、火の見櫓が倒れる轟音を耳にした。
「なんだ !火の見櫓が倒れた・・・あれが倒れるか。マズイあそこに避難していたら・・下敷きになってなきゃいいが・・・」
重三と山伏、虚無僧も馬場の方へやって来た。相当数の鬼、魔物が残り全部ここに集結していた。そこで目にした光景に重三が絶句した。
「ゲッ、えっ、・・・なに・・・ ? あれ、うそ、でしょ。」
そこには町人姿の男が三尺手拭いをぶん回し、鬼を次々と倒していく光景だ。その手拭いの先に硬いものが入っているようだ。それを鎖鎌の分銅の様に振り回し、鬼の頭部を破壊している。
その顔を見間違えるはずもない。紛れもない北町奉行遠山左衛門である。
(見間違いじゃねぇよな。なんであの人が町人姿でここにいるんだよ。しかし凄えな。あんなのを人間相手に使ったら死人の山だぜ。)
この金四郎の喧嘩殺法は若い頃、本当の遊び人でいたときに身につけた業であった。これで喧嘩相手を何人か不具にしている。死人をださなかったのが不幸中の幸いであった。一番最後に使ったのは太助がまだヤクザの家に囲われていた時、そこから引き剝がす為に単身乗り込んで大暴れをしたとき以来である。
この時は流石に手加減はしていたがそれでも重傷者を何人か出してしまった。これ以来、遊び人金四郎の姿はぷっつりと見なくなってしまったがこの喧嘩殺法もこれ以来封印したままであった。
だがこの時ばかりは重三も呆れかえる程の暴れっぷりで人間相手なら死傷者続出、という勢いだ。だがまだ魔物、鬼の数が多い。
「良千、おめぇすぐに北町奉行所へ行ってお奉行の火事装束を大急ぎで持って来い。」
「あぁん、何言ってんだ、呉服橋までどのくらいあると思ってんだ。十町以上あるぞ。」
「なに、たかだか十二町余りよ。おめぇの脚なら一っ飛びだろうが、ごたごた言ってねぇで、とっとと行きやがれ !。」
重三に煽られて山伏の良仙は愚痴をこぼしながら一陣の疾風となって屋根伝い、一直線に呉服橋御門を目指した。
重三と虚無僧の五郎左は陰から金四郎の援護にまわった。そこに揚羽と古傘買いが戻ってきた。
「奴はどうした ?。」
「逃げられた、浜町河岸まで追っていったが三俣洲の所で・・・」
「なんだとぉーーっ !、必ず仕留めるとか言いながらこの体たらくか。」
そこへ老婆と定齊屋が合流した。定齊屋が一言・・・
「お前の連れて来たバカの所為でこうなった。」
「えっ ?・・・アイツなんか、やらかした ?」「あぁ、やらかした。」
「とにかく、ここにいる鬼を片付けるしかないね。」
忍者たちは残りの鬼の掃討にかかり始めた。そこへ良仙が息を切らせる様子もなく戻ってきて抱えた風呂敷包みを重三の前に置いた。「ほらよ、なんでこんな物が必要なんだ ?。」
「ご苦労さん、と・・これを渡すお人がいるんでな。」「は ?・・なんのこっちゃ。」
初音の馬場にはそこから動けない重傷者もいた。金四郎はその人たちを守るように鬼と戦っていた。
その足元に風呂敷包みが投げられた。
「お奉行様、急ぎその火事装束にお着替え下さるようお願い致します。奉行所の掛りも間もなく駆けつけて参りますので、そのお指図をお取りくださるよう・・・」物影から金四郎に声がかけられた。
「聞いた声だな・・・お前誰だっけ・・・?、」
「・・・いえ、それより残った鬼どもは手前どもが片付けますので、どうか火消しの差配をお取りくださいませ。」
「それじゃあ本業の方へ移らせてもらうが・・・俺がこんなところで町人姿で暴れてたなんて目付にチクるんじゃねぇぞ。」 「重々承知。」
と影のようにその場を離れるつもりが、金四郎の背後から襲い掛かる鬼を反射的に、前面に出て斬り倒してしまった。(あっ、やべぇ !)
「おっと、すまねぇな、その調子で残りの鬼共も始末をつけてくれ。それじゃぁもう一つ頼まれてくれるか。」 「はっ、何か ?」
「広小路の方に太助ってガキが避難してるはずだ。小さい子供たちを三人連れている。その安否を確認してくれるか。・・・多分無事だと思うが・・」
「はっ ! 必ず保護致します。」金四郎は別れ際、見透かしたように声をかけた。
「頼んだぜ、五十鈴重三。」 (バレてたかい、これからやりづれぇ・・)
重三は金四郎と分かれて揚羽等と合流した。揚羽に子供の名を告げると、驚きの声を上げた。
「太助がこっちへ来てるって・・なんでまた・・」
「あいつ(黒有理)がそのガキに道案内をさせて此処へ来たからだ。どういう経緯か知らねぇが・・巻き込まれたみたいだな。」
これに怒りを覚えた揚羽は鬼の形相となった。
「子供たちを巻き込みやがって・・・今度はどこまでも追いかけて必ず殺す。」
鬼どもの掃討を他の忍者に任せ二人は広小路へ急いだ。
揚羽たちは浅草御門の前広場で他の避難者たちに混じっている三人の小さな子供たちを両手に抱えている少年を見つけるのに、然程時間はかからなかった。
「太助・・・大丈夫かい・・・その子たちの親は・・・?」
声の主は揚羽だとすぐに分かった。太助は振り返りもせず、ポツリと言った。 「俺のせいだ。」
「お前の所為だなんて・・・お前たちは巻き込まれただけだろ。」
「そもそも俺たちがあんな化け猫を拾わなきゃ、いや、拾ったのはコイツ(清太)だけど・・・それを俺が止めていりゃ、・・・それにあの学者みてぇな奴をここへ案内したのはこの俺だ。あいつ等をここへ引き寄せたのは俺かもしれねぇ。清太の親父さんも死ぬことは、なかった・・・」
太助はこの災害を引き起こしたのは自分だと思い込んでいた。一方で、清太もこの要因を作ったのは自分かもしれないと思っていた。自分があの化け猫を拾ったことから始まったと思った。
「たー兄ィ、ごめんよ、おいらがあの猫をひろわなきゃ・・・たー兄ィのいうことをきいて、あの猫をすててたら、こんなことにならなかったよ。ごめんなさい、ごめんなさい、おいらのせいで父ちゃん死んじゃった。」 清太は泣きじゃくって太助の体にしがみついた。
「それはお前の所為じゃねぇ。」 声をかけたのは重三だ。
「それはお前の所為じゃねぇ、お前も周りの人たちも化物同士の争いに巻き込まれただけだ。たまたま此処で起きたってことさ。此処じゃなきゃいずれ別の場所で起きただろうぜ。自分の所為だなんて思い込むな。お前らのことを心配している人がいるからな。ま、無事でよかった。」
「そういや、金ちゃんは・・・俺たちをこっちへ逃がすため、鬼に向かって行ったみたいだけど・・・
金ちゃん無事なのか ?。」
「ん ?・・・あ、あぁ・・金ちゃんね・・・あの人は、まぁ無事だよ。ピンピンしてらぁ、殺しても死なねぇんじゃねぇか、ってくらいによ。あの人は少し大事な仕事があってな、今持ち場を離れることができねぇ。後でお前たちが無事だって事を知らせとくよ。馬場のほうで動けない怪我人がわんさか出ている。俺もそっちへ行かなきゃならねぇ。太助、その子等を頼むぜ。」
重三はこの場を揚羽に任せて怪我人の救助へ向かった。
「四人とも怪我はしてないかい ?、太助お前これからどうすんだい ?、ここから一人で帰るのは難しくなったよ。浜町堀を渡るのはもう無理だからね。」
大通りとその周辺は火消し人足と避難者でごった返している。神田川の土手(柳原通り)を行けば遠回りになるが、郡代屋敷の守りに常火消しの臥煙も出動している。この凶悪連中の間を通り抜けて行こうとしたら------邪魔だ !、と言わんばかりに吹っ飛ばされるのは目に見えている。
「俺はこいつらをこのまま置いていけねぇ・・・置いていけるかよ !。」
今ここでこの子達を見放したら如何なるか・・・この子達には太助しかいないのだ。その言葉に揚羽は、しょうがない、という表情を見せた。
「お前の親も心配しているだろ・・・」
「たー兄ィ・・・」清太は不安げな顔で太助を見ている。
「心配すんな、俺がついててやる。お前らをここに置き去りになんかしねぇよ・・・姐さん、こいつらにゃ親類縁者がいねぇんだ、今ここで別れたらこの先どうなるか・・・俺は、こいつらを俺と同じ目に逢わせたかぁねぇ !。」
幼い頃、実の親を火事で亡くして今の両親に引き取られるまで、その間の生活を思い出したくないのだ。
「姐さんはその頃の俺を知らねえだろ・・・五つ六つのガキがヤクザの三下に犬っころみてぇにこき使われて毎日生傷が絶えなかったぜ。」
「お前の小さい頃の話し、初めて聞くね。・・・あたしの所へおいで、その子等をここへ置いとけないんだろ。さ、・・・大橋がごった返す前に渡っちまおう。坊や、しっかり立てるかい ?。」
揚羽は清太の手を引き、太助は弟妹を抱えてその場を離れた。
「太助、あんたの親にはあとであたしの方から無事なことを伝えておくよ。心配しなくていいよ。-------ところでさっきの金ちゃん、って誰さ ?。」
「そんとき、ヤクザの一家から俺を助けてくれた人さ。ただ仕事何してるかわかんねえんだよ。」
「ふ~ん、芝居茶屋でお茶でも引いてんのかねぇ。」
二人が両国橋を渡ろうとする寸前、揚羽がある視線に気づいた。火炎の中に目を光らせてこちらを見ている小さな生き物、銀の毛色のキジトラ、今しがたまで鬼と魔物を殺しまくっていた化け猫、千里だ。
「化け猫・・・」と、揚羽も太助も一瞬ゾッとする戦慄を覚えた。千里の視線の先に太助と清太とその弟妹がいる。・・・父親の姿がなかった。子供たちの顔に泣きはらした跡を見た。
(そうかい・・・)この子達の親がどうなったか、それを理解した。
(すまねぇことをしたな、せっかく拾ってくれたのに、こんな事になっちまうとは。)
太助は足元の石を拾い上げ、千里に向かって思い切り投げつけた。
「この化け猫、てめぇがこの騒ぎの元凶だ。死にやがれッ !。」
石は千里の額を直撃した。がそれを避けようともしなかった。
「危ない !」と揚羽が叫んだのは化け猫が襲い掛かってくるのではないかと思ったからだ。だが千里はただ静かに受け止めただけだった。眉間から血を流し項垂れながら何か言葉を発したようにも見えたが・・
(なんだ ?、何か言葉を話すようにみえたが、化け猫ならばあり得るか・・)
すくなくとも敵ではないかもしれない、揚羽はそう感じ取った。千里は静かに闇の中へ姿を隠した。
太助が棒きれを持ってその後を追いかけようとするのを揚羽が止めた。
「やめときな、あれは魔物だ。お前の手に負える相手じゃないよ。普通の猫ならもんどり打って死んでるよ。だけど避けようと思えば避けられたのに・・・もしかしたら、こうなったのは自分の所為だと思ってるんじゃないのかね・・・?。」
「そんなわけあるか、あの化け猫怪我してるのを拾ってやったのに、恩を仇で返しやがって、この次は必ず殺してやる。」
憤り興奮する太助を落ち着かせて揚羽は両国橋を渡った。とにかく今はこの子達を避難させるのが先決だ。両国橋は逃げる人々で既にごった返している。揚羽はおみつを背負い、菜助は太助の背にしがみつき、清太は太助の帯を捕まえて必死になって駆けてゆく。
一方で太助の親はどれだけ心配しているか、鉄砲玉のように飛び出したきりかえってこない、そうこうしているうちに馬喰町一帯の火事騒ぎだ。息子は火事に巻き込まれたのではないかと父と母がヤキモキしているところへ一通の文が投げ込まれた。
------たすけ、ぶじ、ふかがわにあり------
投げ入れたのは勿論揚羽の仲間の忍者である。
太助が今の両親の元へ来て既に三年の月日が経っていた。最初よそよそしかった親子関係も今では本当の親子のような形になりつつあった。だが相変わらずの無鉄砲な性格は治りそうもない。明日になれば倅は何事もなかったように戻ってくるだろう。こっちがどれ程心配しているかも、考え無しで行動する馬鹿息子だ。
「・・・治ってないね、あの子の性格は・・・」
「最初はちっと遠慮もあったが、今じゃ俺はアイツの本当の親だと思っているんだ。そんなこっちの気持ちも知らねえで、アイツはてっぽうだみてぇに飛び出して行きやがる。あの火事に巻き込まれて死んでたかもしれねぇんだぞ。帰って来たら思い切りぶん殴ってやる。」
「あの子が飛び出していったのは友達を心配したからだろ。」
「無事な姿を見るまで安心できねぇ・・・」 「・・・一発だけにしときな・・・。」
同時刻、馬喰町の表通り、屋根の上の纏い持ち等が避難の真っ最中の人々の中へ騎馬で乗り付ける奉行所の掛りのの一団を目にした。。
「なんだあいつら、奉行所の掛りか。今頃来やがって・・・あぁ、混雑してる所へ馬で乗り付けやがって、怪我人出す気か、アイツ等。」
まさに官の威光を嵩に着る、という感じで避難住民を跳ね飛ばさんばかりの勢いだ。奉行所の掛りの出動は騎馬の与力二名、同心十名が両町奉行の引纏役としてその指図を受けるのだが、この日その北町奉行がいなかった、為に先に出たようだ。
与力は馬から降りようとせず、その人波に揉まれた状態になった。と、そこへその行動を一括する大声が飛んだ。
「馬から降りよ !、この馬鹿者どもが !。」
「誰だ ?、官のお役目を奉ずる役人に向かっての雑言は許されんぞ !。」声のする方を見ると・・・
「火事の時は現場から三町手前で下馬する御定め(決まり)を忘れたか ! 己等ここでまた怪我人を作るつもりか。」
そこには火事装束に身を包んだ北町奉行遠山左衛門が屹立していた。与力、同心たちはまさか奉行が先に到着しているとは夢にも思っていなかった。その姿を見て慌てて下馬する始末であった。
「一番組の他の組も今駆けつけておる。丸山、横田、両名それを指揮せよ。同心数名は初音の馬場で怪我人の救助に当たれ、先に行ってるやつがいるからな。そいつと協力してな・・・。」
この北町奉行の清徹の怒声を清々しい気持ちで聞いていたのは火消し連中たちだ。
「おう、流石だぜ。鬼もへこます波濤の一括、こっちも俄然やる気が出てくらぁ、おめぇ等、褌締め直して掛りやがれぃ !。」 「応ッ !」と威勢のいい聲が木霊する。
黒有里が放った鬼、魔物は殆どが千里と甲賀忍びたちによって葬り去られていたが、広範囲に広がって火を放っていた為、馬喰町一帯、二丁目、三丁目はいうに及ばず、附木店、通塩町、先ほど揚羽たちがいた横山町三丁目の辺りまで火炎が広がりつつある。一番組二千余名が総出で出動しても間に合わないかもしれない。
(こんな時に限って空気が乾いてやがる。雨でも降らねぇかな、クソっ !、)と天にも祈る気持ちで人足たちに檄を飛ばしながら金四郎は消火作業の指揮を執る。
太助の両親が息子の無事な知らせを手に取り、東の空を見ていると、奇跡のような出来事が起きた。
火炎が上がるその上空一帯に黒雲が湧き、大粒の雨を降らせた。他の場所ではまったくの晴れ模様で星も見えているというのにだ。この光景は火事の方角を見ていた他の人たちも目撃した。神の天助か、天狗の仕業か・・「こりゃ凄ぇ、下手な竜度水より効き目があるぜ。」
「ありゃ蛙の小便だからな、これは馬の小便みてぇに勢いがあらぁ、一刻足らずで火は消えるぜ。」
だがこの時、浅草御門の大屋根の上に老人が一人、六尺を超える扇の様なモノを抱えて立っているのを見た者は奔の僅かであった。そんな野次馬の騒ぎをよそに、平助とおつたはまだ不安を隠せぬ表情で紅蓮に染まる空を見上げていた。王都の夜がこのまま魔に飲み込まれてしまうのだろうか・・・
市井の人々はまた不安を募らせながら次の夜を迎えなければならないのか・・・誰かが言った。
「いつ終わるんだい、この騒ぎは・・・誰かこの悪夢を払ってくれるヤツはいねぇのか、いねぇだろうな、・・何処にも・・・・」
レメゲトン第二話 完 参考文献 徳川制度(上)
でも




